『年収650万円以上は守銭奴』『経世済民』

『年収650万円以上は守銭奴』『経済とは経世済民』みたいな言説を読んで納得してる。程よい格差や競争はあっても良いけど、過剰にありすぎるとどうかと思う。そんな金いらんだろう。金は再投資に回されて然るべきところに集まる。例えば任天堂に集まった金はまた新しいゲーム作る金に回される。だから、結局原点は使い道。

金稼ぐのは幸せになるためで、それ自体は手段であって、自分の目的に照らして稼げば良いだけ。そこそこで良い、別に。無駄に苦労しすぎて大金稼ぐより、そこそこ楽しいことやってそこそこ稼げれば良い。ただし、そのそこそこが行き過ぎて経済的に破綻したらしゃーないから、ある程度は『稼がなきゃ負けや!』と発奮する。

商売も基本的には困ってる人とか、人を喜ばせるためにあるもので、経済も物事がうまく循環していかないといけない。日本人が、金儲けを毛嫌いしたり、貪欲に金に駆動されてる人間が嫌いなのは、歴史的に自然と学んできたことかもしれない。何だろう、すごく高いシェア精神がある。平均値が高い。海外は平均値が低くて、ピンキリの差が激しい。

一人で10億とか稼いでも多分、あんまり意味ない。まぁ、稼いだ人はその分ガッツリ税金取られて、しかも消費をするから、その10億を小分けにして分散させてそれぞれが金回さないよりは良い場面もあるのかもしれないけれど、でも小分けにしたらその分救われる人が増える。

日本にあるお金をちょうど全人口で割ったら、だいたい年間500くらいは一人に回る計算らしい。それじゃ足りないって発奮して、リスク背負ったり勉強したりして、2倍3倍と狙っていくのは良いけれど、規模を大きくして雇用を増やした結果、その雇用を守るために本末転倒な膨張をして、雇用した人たちや関係者をガンガン苦しめるようではあまり意味も無い気がする。

ストレス貯めまくって年収1000万と、ストレスフリーな年収500万だったら後者取るわ、俺は。

稼ぐことより稼ぎ方だな。でも、それを貫くためには稼ぐことに長けてないといけないジレンマ。たとえば、『僕は儲けることよりも、楽しくやれれば良いんです!』って組織に訴えても『バカ言うな!』って思われることも多い。

社会は、金儲けに駆動されているのか、それとも幸せになることに駆動されているのか、って言ったらたぶん、今は前者に偏ってる気がする。実際、稼ぐ力が無いとあまり居場所も無かったりする。

難しいですねぇ。

とりあえず、親元にいて『金じゃ無いぜ!』とか言っててもしゃーないので、自立の水準の中にいつつ、『金』『金じゃ無い』のバランスを取る。そして、幸せな感覚を探る。

まぁ、自分一人で思ってても、世間が違かったら事はうまく運ばないので、うまいこと協調しつつ。

 

PS

お金儲けは悪、論は一定程度理解できる。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。