なぜ信念がないと人生が破綻するかをエピソードトークで語ろう

私ね、中学の時から人間関係で苦しんでたんですよね。

私が昔、仲が良かったやつがいたんですよ。彼を仮にA君と呼ぶとします。このA君ね、ちょっと生い立ちがよろしくなくて素行が悪かったんですね。で、嘘が多いし借りた金を返さない。でも、私は彼のことを良いやつと思っていたフシがあったんですね。

で、中学になって仲良くなったB君とA君と西園寺で、仲良くなって遊びに行くこととか増えたんですよね。で、西園寺と仲良くなったB君が急速に仲良くなって二人で遊ぶことも増えたんです。そしたらね、A君は何を思ったのか知らないけれど、B君に西園寺の有る事無い事吹き込んだり、テキトーな噂を流したりとかしたんですよ。それで、すごい面倒臭いことに巻き込まれちゃったりして。

 

誰もがこういう経験あると思います。

西園寺の過去仲良くなった女性も、全く同じ経験があるって言っていました。その子、めっちゃ美人なんですけど、多分、女友達に嫉妬されたんでしょうね。高校生の時、友達にあることないこと噂されたり、噂を流されたりってのはあったそうです。で、彼女は、そうやって事実無根の噂を流されて、周りの人がそれに流されていった経験を持っている。だから、人からの評価なんて本当にあてにならない、っていうのが彼女の人生哲学で、マジでそれに共感して仲良くなったんですよね。

 

火のないところに煙は立たない、と言います。

確かにそれはそうですけど、世の中には変な輩ってのが必ずいるんです。あなたの学生時代とか、職場でもそういうことありませんでしたか。

で、めっちゃバカバカしいのが、そうやって敵対している人間が流したいい加減な話に、大多数の無関心層がブワーって流れていったりするわけですね。で、こういう時に、人からの評価で生きている人間って心底苦労するわけ。病んだりするわけ。ばかばかしいでしょ。

 

私の古くからの付き合いがある友人がいるんですけど、こいつ、昔、私と大げんかしたんですよね。で、その理由っていうのが、こいつの完全なる誤解。こいつなんか、人目を気にして生きているタイプで、だからこそ平気で周りに流されるようなところがあったんですよね。で、私が仲が悪かった人間が流したいい加減な話にこいつ乗っかっちゃって。それでぶつかって。中学ぐらいの話ですけどね。

 

とはいえ、私自身にも反省ポイントはあって、それは、昔の私はやっぱり他人との同調だったり他人からの評価の中に生きていたってこと。

だから、私もそういう面倒臭いごちゃごちゃに巻き込まれていた。

 

でも、高校生年代くらいから、孤独になることを恐れなくなりました。

自分の信念を持ったが故に孤独になることを恐れなくなった。

 

それ以降、人間関係で苦労したことはほぼ皆無です。

 

面倒臭い人には近づかないし、近づけないし、一人で平気だし、みたいな。

で、自分のスタンスで生きる。

生きてる。

 

そしたら理解者しか寄ってきませんね。

あとあと揉めるような変な人とかそもそも、最初の段階で接点生まれないんで。

 

で、大人になって「あぁ、こいつバカだなー、かわいそうだなー」って思う人の特徴を挙げます。

私の知人・友人でも、そりゃあもう、人目を大いに気にして、自分の意思や信念なども持たずに、実質的には主体的な意思決定なしでコモディティ街道を歩んでいった人間とかたくさんいます。こういう人たちって、結構人に対して高圧的に接したりして、優越感に浸っていたりするんですが、時間が経つとすごいボロボロになってたりします。で、気持ちが浮ついているというかフラフラ・フワフワした感じになってみたり。なんだろう、もうね、本質的にはずっと同じことを続けているんですよね。自分で考えて決めてない人生の連続。「なんか面白い儲け話見つけたー」みたいな感じで怪しい人間に丸め込まれてたりするんですよね。

バカにつける薬はないとはこのことだな、と。

 

まぁまぁ、みんな派閥とか意識して、同調圧力に屈して生きてるでしょ。

自分で考えたフリして考えてないでしょ。

テキトーにテキトーなことしているでしょ。

 

だからね、本当、人目を気にするとかくだらんのですよ。

信念を持たないとダメ。

 

自分を持っていない人間とは付き合う価値なし。形だけですね、つながるとしても。

 

民主主義の欠陥は、確固たる意見・信念を持たない人間も同等の1票として評価されていること。

そしてそういう大群たちは、いい加減なノリでいい加減な方向に流れるということ。

 

人目を気にして生きている人たちってかわいそうだな、って思います。

他人のおこぼれで生きている人たちってかわいそうだな、って思います。

 

自分の実力ではない力で成功して調子乗って。

自分のせいではない何かに不本意で巻き込まれて病んだり消耗したりして。

他人からの評価でがんじがらめになって。

 

西園寺が社畜とか公務員とかに、それほど高い信用を寄せないのにもワケがあります。

「はいはい」

って感じなんですよね。何言われても「はいはい」って感じ。

 

どうせお前らの意見や思いは、ミズモノだろって。

それ自分で考えたフリして考えてないだろ、どうせお決まりの金魚の糞思考の形の違った発露だろ、って思うんです。

 

サラリーマン・公務員に信用力があるとされているのは、

銀行とか不動産とかの信用審査の場面だけであって、

人間的に信用する人ってあんまりいないと思いますよ。

 

流されている人間に、一個人対一個人で深い関係を持つ価値と意味は皆無です。

 

どうせ、信念持てないと、群れから外れた時に精神病むのがオチなので、自由に生きたいとか考える前にそういうことをよーく確認するべきですね。

 

ハタチ越えてまで、他者追従で生きてきた人間は自分の信念力とかフツーに疑ってください。

疑うべきは自分ですよ。

 

「コモディティ」とか、知ったような単語をヘラヘラ口から吐いて、どうやったらcompetitive advantageが取れるのか、とか上っ面なところを議論したり考えたりする前に、自分の精神性がもうコモディティであることに気づいた方が吉。

周り責める前に自分責めろ。

ろくな人間じゃないんだから、お前は。

 

ってことですね。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。