サラリーマンは馬鹿らしいか?そうでもないぜ!

 

「会社の奴隷を辞めて、自分らしい生き方をしよう」

 

みたいなメッセージを積極的に喧伝している人間ってたくさんいるじゃないですか。私もその人種の内の一人なんですけど。

でもね、「自分らしい生き方ぁぁぁぁぁ!!!」とか言って、ブログを開けて、ブログに日常生活とか痴態を晒して、「ドヤァァァァ!!」みたいな生き方も嫌でしょ?

サラリーマン嫌だなぁ、と思いつつも、でも、「もっとこれは嫌だわ」ってのがあるから、皆頑張っているんだと思うし、それはそれで正解でしょう。

 

では、サラリーマンの醍醐味とは何でしょうか。サラリーマンならではの醍醐味ってたくさんあるんです。

私が組織で働いていた時に、「これはチームプレイの醍醐味だよなぁ」って思ったのは、「皆の力を合わせて良い成果が出せた時の連帯感というか結束感」ですね。

あれは最高。

自分がトップになってしまうと、なかなか味わえない感触なんですけどね、それって。でも、普通に、組織の中にいると、気持ち良い連帯感というか結束が味わえる時っていうのが必ずある。この時に出来た絆ってのは、結構、深い。

 

仕事していると、物凄いハードな時ってある。

すごく難しくて、忙しくて、苦しい時。

例えば、入りたては、だいたいハード。だから、皆まず、「仕事を覚えたい」と言う。仕事を覚えないと、皆とも仲良くできない。仕事には役割行動があって、それぞれが役割の元に叱らなきゃいけないこと、言わなきゃいけないことを抱えている。だから、仕事がしっかりできていないと、なかなか、雑談レベルの会話で砕けた感じになるのも難しい。

自分に仕事ができる力があれば、バリバリと仕事をこなしていけるし、誰かのサポートに回ることもできるし、サポートに回ってもらうこともできる訳です。

仕事が認められていると、愚痴を言い合っても、普通に和みますよね(仕事できないのに、仕事に愚痴ったら殺されますよね)。

 

でね、私は個人的に、「上司との連携プレイ」ってすごい好き。上司って、やっぱり裁量権があるから、アシストの幅も大きい。何より、本当に有能な人って、人を育てたり、励ましたり、環境を整備したりする力が高い。なんか、イメージですけど、背中預けられる感じ。安心感がある。バックアップされている感覚がある。

本当にすごい人って、人の長所・短所を見抜いた上で、短所をうまーくカバーしながら、長所が活かせるようにアシストしてくれる。その時、自分がいつも以上の働きができたりすると、「あぁ、俺はこの人の下で働くと輝ける!!」っていう感覚がある。

あれが、最高。

 

つまり、誰かに使ってもらうことで自分の価値に気付ける場合がある。素晴らしい人の下で働けると、自分が見つかるってやつです。

「人に使われるのが嫌だ!」って言って、組織飛び出して行く人がいますけど、余計に自体が悪化する人も少なくないですね。使われてた方がマシだった的な。それはやっぱり、自分を自分でうまく使うことと、自分を市場に使ってもらうことがうまくできないから。

独立して、うまくいかないなら、雇われてた方がマシなことってたくさんありますしね。

 

ちなみに、「社会不適合者」が「起業ならうまくいく」ってあれ、リップサービスっていうか嘘のような気がします。よくネットで言いますけど、嘘でしょ。「社会不適合性質」がある人間は大丈夫だけれど、「社会不適合な能力しかない」人が社会に反発したら死ぬだけです。

簡単に言うと、本当はレベル10くらいしか無いのに、自分のことを50とか100とか思い始めて、それで、ブログとか始めて、勘違いしちゃうともう、末期っていうか完璧に、社会不適合だと思います。

 

ここら辺、うまく、わかれば、多分大丈夫。

 

アングラな世界とか魑魅魍魎の世界に足を踏み入れる際の鉄則なんですけどね、ラインを見極めるというか、「こっからここはやばいよな、こっからここまでは大丈夫だよな、そして俺は今、この位置で、周りからはこう思われているよな」っていう感覚があるかどうか。

 

あ、話戻すけど。

仕事上でベタベタするわけでもなく、媚びへつらうわけでも無いけれど、お互いにいい感じで仕事回せて、阿吽の呼吸で通じ合えた時。無言の連携が出来た時。

すると、特別な感情が芽生えるわけです。お互いに。

私の場合、自分の仕事をやること、横と足並みを揃えることはもちろんなんですが、「要(カナメ)は上との関係にある」という感覚が、過去の就労体験から強く持っている。

良い仕事というのは、自分の範囲の仕事をちゃんとできるかどうかはもちろん大事なんですが、決定的な場面、大きなことをやろうとすると、判断が要る感じがする。良い仕事には良い判断がある。思い切って、ちょっと、ここは例外的対応をするとか、上の裁量を動かしてなんとかしてもらうとか。なんか、うまく説明できないのだけれど。

横同士はもちろん、上下での関係性というのが、結構、重要なポイントになってくる。

 

なんだろうな・・・・・・

うまく説明できないのだけれど、上の人が、提案に乗ってくれたり、動いてくれたり、サポートしてくれたり、あるいはこっちがサポートに回れたり、上に貢献できたり、みたいな部分で、気持ち良い連帯感がある時がある。

 

そういう感じを持ち合いながら、どっかの場面で、お酒などを酌み交わせる時。

ちょっとまぁ、評価などを頂けると、嬉しいし楽しいですよね。

 

もちろん、横との繋がり、下との関係性も重要。

 

あーーーーー懐かしいなーーーーー。

楽しそう。いいね。サラリーマン。羨ましいぜ。

 

でもね、私は思うんだよね。

 

結局、どんな仕事をするにしても、誰と仕事するか、そして自分がどんな人間であるかだと思うんだよね。結局、人間って感じ。

惚れ込める人間がいて、その人間と一緒に仕事できてる・・・・とかなら、十分、いい人生送れてるんじゃないのって思う。惚れ込んだ人間がいて、その人との生活のために、今の仕事を選んだとかなら、それって十分いい感じじゃないのって思う。

 

サラリーマンやってて、「楽しい!!」って思うなら、十分勝ち組でしょ。

きっと、サラリーマンをやっている人たちは、サラリーマンdisりのブログを見ながら、「いやいやお前、面白くなさそうだし!!」って思っているはずです。いやいや、お前、サラリーマン以下じゃん!!って。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。