元はと言えば、お金にも女にもビジネスにも興味は無い。

私は、元はと言えば、お金にも女にもビジネスにも興味は無い。

 

ビジネス書や自己啓発本を読む人は気持ち悪いと思っていたし、

友達にはじめてアダルトビデオを見せられた時は吐きそうになった。

 

あー、思えばはじめてタバコ吸った時は気分悪くなったし、はじめてバイクに乗ったときは怖くてちびりそうだったし、はじめてパチンコに行った時はお金の消え方にびびったし、はじめてチューした時は「さっさとチューしろよ!」と友達に煽られてたからだし(それで前歯を相手の唇に当てて出血させたし)、はじめてエッチした時も「さっさと童貞捨てろよ!」と周りから煽られてたからだし、はじめてバイトした時も誰かがやってたのと女に対する自意識みたいなのが絡んでいたし、はじめて自己啓発本を読んだのも劣悪な労働環境に疑問を持って導かれるようにだったし。

 

ふう。

一体、元の自分はどこにあるのだろう。

もともと、ワレは何者なのだろう。

 

そんなことはどうでもいいや。

 

世界と直面する。

世界はこういうものなんだと理解する。

そこから、どうやってフィットして行こうかを考える。

 

その素直さ。

これが若い頃には存在する。

でも、歳をとると無くなっていく。

 

素直さがあるうちが鍵なんだと思う。

だって、素直さを失ったらどうなるの?大抵の大人は無能で無力なんだし、素直さを失って自分の意見を大声でワーワー行ったところでどうにもならないわけで、うじうじ愚痴っているのは無駄じゃん。

だから、素直さを持って、常に自己改革していくこと。それを面白いと思うこと。これが大事なのだと思う。

 

それ以外、活路は無い。

生物も企業も、外部環境に適応して自己改革できない人間は生き残れない。

 

生き残れる者は変化できる者のみ。

これ、鉄則なり。

それと、変化は若い世代からやってくる。

 

結局、ネクストジェネレーションが新しい風を吹き込む。

年寄りは若者の無知さを責めるけれど、無知だからこそ、新しい変化が起こる。そして、新しいマーケット、新しい産業、新しい売上、新しい利益、新しい出会い、新しい恋愛、・・・・・・

新しいものは全部、若い人たちからスタートする。

 

もちろん、外からやってくる新しい風も重要だ。外からやってくる新しい風は、この国を常に変革してきた。今、日本で爆発的な人気を誇るものも、そのほとんどが外からやってきているじゃないか。

結局、「へっ、冬ソナなんて・・・・ヨン様なんて・・・・」とか言ってずーっと静観していた人間が、ハッと気づく頃にはもう、K-pop一大産業は日本のみならず世界を席巻していた。海外の人にとって、日本語は「韓国語のついでに学んでやるか」みたいな言語に成り下がっている。

個人の人生においても、ブレイクスルーは外からやってくる。

 

そして、変わっている人(変人)。変えていく人。

人は35歳以上になると、新しいものと変わっているもの、それからよそ者に強烈な抵抗を示すらしい。ゲーテ曰く、「誰もが歳をとると、貴族主義者になる」とのこと。なるほど。

変わっている人、変えていく人に対する抵抗は強い。圧は大きい。しかし、結局は変わっている人・変えていく人が停滞した世の中を切り裂いていくのだから、そこへのキャッチアップが遅れるとその分、まだディスアドバンテージを食らってしまう。そもそも、伝統主義の中で行きたいのなら、すでにその路線でエスタブリッシュメントの上層に食い込んでいるはずであろう。不変な古典的世界というのはある。行きたきゃ、行けば良い。伝統にがんじらめになっておけば良い。そこで上澄みに食い込んでいないのに、変化に抵抗を示すとはセンスを疑ってしまう。頭が悪いんでしょう。仕方がない。

 

いちいち怒る必要はない。

いちいちキレる必要はない。

いちいち文句を言う必要はない。

 

結局、ブーブー文句言っているのって、総括すると、「俺のやり方や考え方が否定された!!」って感じ。

もう、私に関して言えば、本来のありのままの自分は一体どこに残っているのか。ごくわずかしか残っていないのではないか。

 

自分が生まれ持った瞬間に持っているもの。

これが原液だとしよう。

 

言わずもがな、この原液は親から引き継いだものだ。

そこには、両親という原液がミックスされる。

そこに、学校の先生、学校教育、社会の常識、友達・・・・いろんな原液がミックスされていく。

 

そして出来上がっていく。

ある程度、「こうあるべきだよね」みたいな味付けは、勝手になされてしまう。

 

でも、ある段階からは自分で考えて、自分の志を持たねばならない。

自分の方向性を決めなければならない。

 

どうなりたいのか。

どうしたいのか。

幸せになりたいのか否か。

とりあえずテキトーにやれればいいのか否か。

そういうのをじっくりと考える必要がある。

 

幸か不幸か、私は、人生を楽しく過ごすためには、「仕事」と「人間関係」「異性関係」は外せない要素だとわかった。

特に、仕事だ。

 

だから、仕方なーーーーく、お金とか儲けとか、ビジネスとか、そういうものに興味を持って行ったのである。

この、「仕方なく」というのがポイント。

本当に仕方なーくである。

 

仕方なく洗脳されていった。

もともと持っていた自分の興味関心、好きなこと、どれだけ手放したことだろう。

 

でも、どうせ、ある程度の年齢になれば、経済面で現実を見なければならない。それは避けられない。どうせ避けられない問題とは、宿題のようなものだ。夏休みの宿題だ。

選択肢は色々ある。

  1. 先に片付ける
  2. 後回しにする
  3. 忘れて現実放棄し、今を楽しんで後で苦しむ
  4. 毎日少しずつ取り組む
  5. むしろ宿題を好きになる
  6. 宿題の取り組み方に卓越してしまう
  7. 宿題を捨てて白紙提出、底に落ちる
  8. 宿題があるのはおかしいと抗議する
  9. 友達の宿題をパクる、見せてもらう、真似させてもらう
  10. 誰かにやらせる

多分、こういうのは人間性が出ると思う。人の個性が現れると思う。

 

私は、お金に関しても、仕事に関しても、プライベートのことに関しても、今この瞬間の事象がどうだ、ということを感じていない。いや、感じているけれど、別の視点も持っている。一つの大きなストーリーを楽しむような感覚で行きている。自分で自分の人生という映画を楽しんでいるような感覚だ。一個一個に対して、感情的にリアクションをするというよりも、大きな高い視座から捉えた時、文脈の中でどう意味づけされていくのか、どう次に繋がるのか、そして大きな傾向としてどうなっていくのか・・・・というのが気になる。

気になってしまう。

 

自分のことを、ある種の他人事だと思っている節がある。

 

昔、ゲームが好きだった。RPGゲームが好きだった。RPGゲームがなぜ面白いのか。一つは、自分のことを他人事のように捉えられるからだと思う。自分のことを、俯瞰的に見られるからだと思う。

多分、きっと、自分ごとを自分ごととして見ているだけでは、「面白くない」。

テレビは、他人の不幸や、他人の変な部分や、他人の弱みや、他人の欠点を晒して、ちょっと笑いものにしたりネタにする部分がある。それで閲覧者が笑えるのは他人事であるから。つまり、自分の人生も笑えるようになるためには、ある程度、自分のことを他人事のように見る視点が大事だと思う。

もちろん、そればかりをやっていたら疲れてしまう。オンオフはいる。

 

===


マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





800px-LineartPresRev


お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。