国を変えたら死刑

学生の時、『この国おかしいどうにかしたい』と思って、もし自分が国を作り変えるとしたら?って妄想したんだけど、まっとうなルートだと、どう考えても300年くらいはかかりそうな気がした。

結局、手っ取り早い方法として、

〈1〉もう一回戦争する、他国に侵略される

〈2〉息苦しい大多数の国民を味方につけて国家転覆を狙う

の二つしかありえない、みたいなことをボケーっと考えながら日本の刑法見てたら、最も罪が重い類の刑はそーゆー内乱、動乱系だと知って笑ってしまった。

もちろんやる気は無い。

まともな親に人並みに育てられて、『人様に迷惑をかけてはいけません!』と口酸っぱく言われて最低限の倫理を持って大人になったつもりだけど、学生時代、法の最高上位である憲法とか、刑法で一番重い罪に触れた時、なんとなく、

『あぁ、国民国家って結構アレなのね、、、』

って薄々感じた。

小学校の体育の授業の時から、なんとなく、この国で普通に行われてる思想教育全般、やばいよね、って言う意識はあった。

人殺したいとか、犯したいとか、盗みたいとか、放火したいとか思ったことは一度もなく、スピード違反すらしたことないし、何なら酒に酔って暴れたことも、学校の問題児だったことも無い(勤怠が酷いと言う意味ではある)んだけれど、権力に登りたいとかそーゆー意味じゃなくて、純粋に国を作り変えたいって思って、一旦制約条件を取っ払って自由にアイデアを出してたら、この国で最も重い罪に該当するのがそっち系なんだ、って思って衝撃を受けたのを覚えている。

思うに、法曹や官僚の人たちで『まともかつ純粋』な人ほど、国に対する疑問とかおかしいっていう気持ち、絶対抱いてるはず。スケールのしょぼい犯罪じゃなくて、本気で国の実権取りに行こうとした連中を仕事上は裁きながら、感じてはいけないシンパシーとか感じてそう。

介護苦で親殺しの事件とか、もう、俺なら裁けない。

だからもう、正義とか、何が正しいとか、わからん。

 

正しさみたいなものを信じた先である絶望みたいな、理想と現実のギャップみたいな、あるじゃん。それは、崇高な理念かもしらんし、お金かもしれないし、社会的な地位かもしらんし、正義かもしらんけど、その先で待ってるものが、案外、虚しい。

だから、もう、正しさみたいなものから抜け出して、自分個人に根付く『楽しさ』を追い求めて生きよう決めた。自分を喜ばせることをしよう、って。

 

就活とか学校教育では、社会とか会社とか、公的なもの、向社会的なもの、愛国心的なものを意識させられるけれど、その先でもずっと、そーゆープライドというか、仕事の矜恃というか、理念理想みたいなのを持ってられる人はスゴイわ。

個人的に、政治腐敗とか官僚腐敗、警察腐敗って、ピュアすぎたがゆえの反動だと思ってる。

崇高な意識持って、意気揚々と突入して行ったら、現実見たときにギャップがでかいでしょ。そのあと、働き続けるモチベーション、どっから持ってくるの?って話よ。仕事自体を純粋に楽しいと思ったわけではなくて、ビジョンとか理念に魅せられてスタートしたわけだからさ。

そして、そーゆー権力組織が腐敗した時の社会的影響って、でかいでしょ。

飲食店のバイトが、ちょっと食材奮発してつくるイケナイまかないが、彼らの場合はニュースになるわけだ。ある意味、かわいそう。みんな人間だからね。

高学歴お坊ちゃんは社会に絶望するのが遅い。現実を見るのが遅い。

おれたち地方の低学歴はもう、中学からろくな世界見とらんわ、っていう話。

 

古今東西、クーデター起こすのって上級官僚とか軍部の偉い人でしょ。

まあ、成熟した国家ほど、そういうのは絶対に起こさないように手を打っているハズであって、特に日本みたいな歴史が長い国なら尚更ですよ。

変わるもの、変わらないものはちゃーーんと見極めた方が良いし、変わらないものにエネルギーを投下しすぎたら、人生が終わってしまう。

面白い人生、有意義な人生を送るためには、じっと粘って耐えるべき場所、さっさと逃げ出すべき場所、こーゆーのの見極めはすごく大事だと思う。

計画経済は人間にやらせたから失敗したわけで、人工知能か何かにやらせたら、社会資源は効率的に運用されるはず。そうしたらヒトモノカネの全てが上手に使われるから、効率化されるから、みんながもっと楽に生きられる世界が来るはず、、、って思ってるけど、そこまで待ってられないから、今世の中に存在するテクノロジーを利用して、

『いち抜けた』

を一人でやってる。

 

自分のことしか意識が向かない人、特に自分の衣食住とかしかにしかアンテナが立ってない人は、もっと社会に関心を持て、と言われる。

逆に、社会に関心を持て、とばかり言われてきた人は、もっと自分を大切にして、世間体とかシカトした方が良いと思う。

そもそも、大方の人にとっちゃ、世間とか社会なんて、テレビの中にしか無いからね。元来、庶民にとっての世間なんて、家族とか、自分の商店にやってくる客とか、そーゆーこじんまりとした範囲だったはず。

なんか、一部の組織とかがデカくなりすぎて、ろくなことになってない気がする。

公的な組織に三権分立持ち込むのなら、民間の組織も一定規模以上はデカくならないように制限しても良いのでは。独禁法とかもあることを考えると、あんまりおかしくない発想でしょ。

なんか、人間の本来の暮らしを考えると、都心のどでかい組織とか、不自然なんだよね。

 

===


マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





800px-LineartPresRev


お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。