大殺界なう

どうもこんにちは、大殺界にかかっている西園寺です。

占いとかを受けると、今年は何もしない方がいいですねとか、来年は新しいことをするのはやめましょうとか予言されてしまいます。

私も物凄い剣幕で、『今はダメな時期です!』みたいなことを言われてしまいました。

こういうとき、人間の反応パターンは、2つに分かれるでしょう。

パターン1 『ええっ!?大殺界なんですかぁ!怖いですぅ、何もしないですぅ、タラちゃんですぅ』

パターン2 『大殺界なんて知らないよ、なぁワカメぇ』

前者をタラちゃんスタイル、後者をカツオスタイルとしましょう。大抵の健常な男性は、わんぱくなカツオスタイルを採用することでしょう。

あっ、『人に大殺界なんて予言する占いなんて仕事はけしからーん!返金しろー!』と逆ギレする波平パターンもありますね。

、、、、ちなみに、私はどうするかって?

実は私、割とこういったスピリチュアルなことを信じてしまう傾向があるのです。信じてしまうと言うより、そこから受ける影響を甘く見ていないといったらいいのでしょうか。

ふつーに、影響受けますからね。

たとえば、美人な女性に、

『うわ、お前おもんな』

とか言われたら、グサリと刺さるでしょう。そして、心の中にささくれのようにして、残るのです。じわりじわりと、面白くない自分へのコンプレックスが加速することになるはずです。

ほかにも、

『お金なさすぎだろ』

とか、

『短小包茎だな』

とか、

『口臭いな』

とか、

『服ダサいな』

とか、

ささくれワードはたくさんあると思います。

私のキャリアは、活字のキャリアです。言葉の影響力というものを身をもって体験してきた人生。

そう、暗示の力って半端ないのです。

一度、ろくでもない話を聞かされてしまったからには、これが潜在意識のどこかで刷り込まれてしまって、私の行動パターンを規定してしまうに違いありません。

大殺界だと言われたら、本当に大殺界になるのです。

逆に、身近に、あなたは大丈夫だよ、とか、あなたは天才だよ、とか、あなたならできるよ!とか、あなたのおちんちんおっきいくて誇らしいわとか、あなたのことが大好きだよ!言ってくれる人が身近にいれば、その暗示のパワーもまた凄まじいのです。

残念なことに、そーゆーポジティブワードを息を吐くように呼びかけ合う怪しいコミュニティがあったりします。

およよ。

結婚したくなってきましたか?

常に傍で、魅力的な暗示をかけてくれる異性を見つけたら、すぐさま役所に婚姻届を提出しに行くのもありかもしれません。アゲマンっていますからね。

個人的に、運気は女に左右されると思っています。

『うわぁ、俺調子わりぃなぁ』って思ってる時、身辺環境を検証すると、変な女に捕まっていたりするのです。ちなみに、人生でトップクラスに不調だった時期は、変な女に捕まるどころか、変な女に『あなたには霊が付いている』とかわけのわからないことを言われていました。

私が何を言いたいのかわかりますか?

 

、、、そう。

気分って大事だよーってことです。

 

そしてもっと言うと、信じられる言葉って大事だよーってことです。

むしろ、信じられればそれで良いのです。

 

10代から20代前半では、人はやたら正解に固執していたりしますが、中高年とかになると信じられるかどうかが重要なファクターになります。だから、細木数子の勉強会には人が絶えないのです(私もたまに見ます)。

今よりもさらに若くてさらに愚かだった頃には、正解とか真実みたいなことに執着していましたが、今となっては、言葉の力みたいなものが好きです。あっ、この人の言葉にはパワーがあるなとか、響くなとか、信じられるな、とかその類のものです。

たとえば、ジョブズがセミナーをやる、みたいになると耳を傾けたくなります。

何を言うのか?何を語るのか?それがどうしても気になる相手ですね。

 

大人になると、10代20代でやりがちな浅はかな思考、たとえば『どっちを選んだら正解か?』みたいなものは現実に即しておらず、むしろ『選んだ道を正解にする』みたいな、実用的な発想をするようになります。

そこで大事なのが、信じられることなのです。

都合の悪い話でもいいです。なぜかスッと信じれてしまう言葉ってあります。

心の中に、じんわり沁みてくる。

心を犯される。

運命の出会いってやっぱり、あるはずなんです。

誰にでも、神の概念はあります。

アメリカナイズされてて、日本的価値観をシャットアウト気味な私は、日本人の無宗教ぶりが謎です。無宗教なのはいいですけど、変な宗教染みた信念あるでしょ、ジャパニーズって。

私には信仰心があります。

独特の思想があります。

特定の宗教には入っていません。

しかし、端から見れば宇宙人のような私の秘密はそこにあると言えるでしょう。

信仰心と感性が豊かなのです。

宇宙と交信はできませんが。

私が嫌なのは、『人生楽しんだもん勝ち』とかテキトーなことばっかり言っている人たちの楽観に巻き込まれることです。ほら、なんかいるじゃないですか。楽観的なワード、ポジティブワードをかけ合う人たちって。

あなたも、これまでに、ポジティブなワードをかけられて救われた想いがするような気がした反面、ポジティブワードが全然信じられなくて胡散臭く感じたことがありませんか?

表面的な言葉の良し悪しとかじゃなくて、なんというか、信じられる、ってすごい大事なのです。

この人の言葉にはパワーがある、って人を見たことがありませんか?

個人的に、信じられる力強い言葉をかけてくる人は天才だと思います。

大人になればわかります。

大人になればなるほど、右から左へといろんな言葉が抜けていきます。

人の話を全く聞く気が無いのなら、別に勝手にしとけよ、って感じですが、右から左へと流しながらもどこかで常に、言葉を求めてる人たちっていると思います。

彼らに足りないのは、信仰心でしょうねぇ。

たぶんきっと、頭でっかちで懐疑心にまみれてる人たち。現代的です。たしかに、ある程度はクリティカルシンキングは知性にカウントされるでしょう。しかし、私たちのような実践家、成功者は、しんどい道のりをクリアした経験から、信じる力の大切さを痛感しています。

信じられること自体が重いのです。信じること自体に凄まじい効用がありますから、信じられる言葉を紡ぎ出してくれる人は、本当に、貴重な存在なのです。

私が仲良くしている10代の女の子がいます。

自分で言うのもなんですが、この子は私のことが大好きです。すごい子供で、無邪気で、楽観的で、元気。いつも遊んでる。ノーテンキ。天然。

見てると、面白いなー、あほだなーという感じがして、癒されます。とっても良い子です。しかし、彼女の言葉は、右から左へと抜けていってしまいます。なんというか、ひっかかりが無いのです。どうせ話してもわかんねーだろーなーという気持ちというか、この人と話すテーマについては、ここまでだな、みたいな気持ちにさせられてしまう。

前もどこかで話をしたと思います。

人は人を選びます。打ち明けるレベルや、話す内容などを選ぶのです。

そして、この違いが、世界の違いを形作ります。

カリスマってなんだと思いますか?

個人的には、うわっ!この人と話したい!って人だと思うのです。なんなら、打ち明けたい!って人です。

そーゆー人を見つけたら結婚してきたつもりであるし(あっ、比喩的な表現です)、割と辛抱強くやってきました。

刺さる言葉。

見つけてますか?

そして、なぜ、それが大事か。

それは、大人になった私たちの、カチコチの心に、じーんと染み渡るからです。これすら、どんどん貴重になっていくのですからね!

ジョブズと会食したいですねぇ。。。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。