子供を産むとか産まないとか、結婚するとかしないとか、ドッチデモイイ

この社会に蔓延してる可哀想な発想として、どっちがいい?』って感じで正解を探そうとするのがあるけれど、個人的には、絶望的に向いてないとか明らかな不適格みたいなのさえはずせば、ドッチデモイイと思う。

何に関しても言えるけど。

大凶以外は、大抵、選んだ後の努力で大吉にするものであって、選択自体で全て決まるみたいな思想は無努力主義の甘えかもしれない。

例えば結婚とか子育てとか、このご時世、すべきかどうかで激しく悩んでる人たちがいる。こんなもの、合理不合理とか越えて、本能的・人間的な営みなのだから、直観を信じて清水の舞台から飛び込む気持ちでやるのも全然あり。

昭和的な発想で行くのなら、かなり肩に負担がかかるかもしれない。でも、パートナーの力を借りれるなら、話は別だ。そもそも、人間は環境との相互作用の産物だから、一緒にいる人間次第で、感じ方も趣味嗜好も変わる。モチベも精神性もね。

そもそも、自分が選ぶ前に、相手も自分を選ぶ。だから、相応の縁やチャンスがあるのなら、向いてる可能性があるってこと。自分がしたいかどうかの前に、求められてるのかって結構重要。

何にしても。

結局、私も川の流れのように生きてきてる気がする。

人生における悩みにはいろんなパターンがあるけれど、仕事にせよ、結婚にせよ、恋愛にせよ、人から求められてる状態なのか、それとも自分が勝手に悩んでるだけなのか、っての差はデカイ。求められてる場合、向いてる可能性大である。

結局、稼げるのか、モテるのか、みたいなのも全部他人が決めることであって、自分が悩んでるテーマについて、外部からどのような要請をされてるのか、どのように判断されてるかってのは結構重要。

例えばこの俺様は、どっちかっていえば、浮ついた異性交遊とか恋愛よりも、結婚向きの人材としてマーケットに判断されてきたフシがある。もっと言えば、起業なんかよりもサラリーマンとして出世する道が向いてると判断されてたフシもある。意外でしょ?笑。昔から求婚に近いものは多くあって、10代の時も一回早婚しかけたし同棲まがいのことしてたんだけど、まあ、こーゆーのは相手があってできること。女も相手を選んでる。

だからまあ、『この人は口ではこう言ってるけれど、しかるべき状況になったらやるでしょ!』みたいな風に思われてると、そーゆーチャンスは寄ってくる。会社内で仕事を振られるときもそうだね。

子育てなんてのは、想像するまでもなく、相当にシンドイプロセスであって、これに対して、やるか?やらないか?の二択で問いかけること自体が、奥行きが無いと思う。結婚についてもそう。しなきゃいけないみたいなのに囚われてる人もそうだけど、する流れになればそれで良いし、そうじゃなければそれで良い。

ドッチデモイイと思う。

どっちでもいいと言うと、すごくいい加減のように思えるけれど、物事は自分で選ぶという反面、外から選ばれるという相互選択の作用がある。これを世間では、運命とか、運とか、成るように成ると言ったりする。

 

どっちにせよ、選んだ後の世界でどうしていくかがすごい大切であって、何が正しいのかってよりも選んだ道を正解にする努力が何よりも大切。

初期の選ぶ選ばないは、ウェイトとしては軽いと思う。生みの親より育ての親なんて言うけれど、はるかに、瞬間的な選択よりも、継続的な奥行きの中でどうか?というのがめちゃくちゃ重要。こうなってくると、選択する事項が将来のどの程度の期間を拘束するのか?っていうことを把握することの方が重要かもしれない。

就職問題、金の問題はどう考えても一生問題だと判断した若き日の私は、これを優先的に取り組んだ。そして、起業という道を選んだのも、40代、50代、60代、70代とかを想像したときに、これは若くして取り組むべきことだと思った。

それが正解かどうかというよりも、時間的奥行きを考えると、そうせざるを得ない、そうするしかないという判断だった。

だから、選んだ後は、それについて迷うとか悩むってよりも、正解にするための努力の日々だったって感じ?

当たり外れはどうでもいい。

何年問題なのか?ってこと。

子育てなども、雑な見方をすれば、22年ぐらいしか拘束されない話であって、23歳とかで子供を産んでれば、55歳には早くも子育てが終わり始める。定年まで10年ある。そこから新しいことを始めることだってできる。人生100年とか言われてるのだからね。50歳は折り返し地点でしかない。そう考えると、結婚や出産育児はもう少し軽いノリで取り組んでいいかもしれない。

ただ、人生でやりがいを求める心理が家庭にベクトルを向けさせるように、あるいは子供を二、三人産んだママが限界を感じるように、若くして産みの苦しみとして人生を投じる何かにチャレンジした人間は、ある程度、燃え尽きてしまう現象はある。

人一倍、どこかで疲弊しきってる人は、普通の人ができることに対して、億劫さを感じることはあるかもね。

案ずるより産むが易しでもあるんだけれど、たとえば、どうしても未来永劫変わらなさそうな要件として、

  • 自分自身にフィジカル的な問題がある、遺伝性の懸念がある
  • 国家の先行きについて絶望的である
  • 自分の家系の問題がある

みたいなことがあるなら、前もって予測事項として入れておいてみても良い。これは就活も同様。就職するにあたって、仕事はやる前から選り好みせずやってみたらいいとか、とりあえずやれば嗜好が変わる、発展的な展開がある、なんて話はある。それは本当にそう。だけれど、例えば生まれ持って体の一部が動かないだとか、身体に問題を抱えているだとか、そーやって未来永劫何やるにしてもついてくるであろう事項があるなら、選択する前に予測として織り込んであれこれ悩むのもアリだと思う。

 

社会のことはわからなくても、さすがに20年も生きてたら、『自分のこと』についてのパターンぐらいは、少しは見いだせる。20年の自分についての過去データがあれば、その先20年もおおよそこうだろう、みたいな自分についての未来もわかるものである。この軸みたいなものはすごく重要。

これがわかるために、20歳ぐらいまではめちゃくちゃしておいた方が良いんだけど。

自分のことがわかれば、今度はある程度、社会や経済についても調べ始めるようになる。そして、

  1. 自分
  2. 社会、経済
  3. 国家
  4. 世界

の4つについて擦り合わせながら、『絶対につきまとうこと』と、『変わりそうなこと、変わりうること』、『定数として捉えて良さそうなこと』などについて考慮し、ある程度、レンジでシナリオを立てておけば良い。

ちなみにだけれど、昔の家庭では、親が朝から晩まで働きづめで、子供を育てるなんてことがざらにあった。昔の家事育児は今以上にしんどかった。そういうものだった。だから、本来、普通の幸せとか普通の暮らしなんてものは相当にシンドイもの。芸能人や、メディア、広告ばかり見てると発想が歪んでくるけれど、普通は普通の営みは相当しんどいものである。

学校教育の中で、あるいは普通の労働の中で、みんなが当たり前にできることをできないだとか、相当にしんどさを感じてしまうとか、かなり死にたくなるだとか、そーゆー、ネガティブ要素を感じたことがない人は、ある程度、テキトーでいいかな、という気はする。しかし、自分を周りと比較して、常識的なモデルと比較して、

『あれ、もしかして俺って落ちこぼれかも』とか、

『あれ、俺って普通の人ができることが苦手かも』とか、

『人と違うかも』とか、

『もしかして俺の生まれって、人並み以下かも』とか、

『もしかして俺って、普通に染まりきれないかも』とか、

『もしかして俺には一般論が当てはまらないかも』とか、

そーゆーフシがあるのなら、たしかに、少し立ち止まってみたり、不安になってみたり、熟考してみたりするのは意味があるかもね。人一倍不安になるとか、考えることがあるってのは、腹の奥にあるセンサーが反応してるのかもしれないからね。

家系が持ってる持病を自分も発生させる可能性は大だし、自分の家系に存在した家庭的問題や自分の親がやってた過ちを自分が繰り返す可能性も実は大きいからね。

 

===


マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





800px-LineartPresRev


お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。