時代が俺のようなビジョナリーを求めている。

日本の経済史をサクッと解説する。

1945年に、終戦。焼け野原。

まさにゼロの時期だ。

そこから立ち上がった人間たちがゴロゴロいて、まだ未成熟な経済だったのもあって世の中にはイノベーターが溢れていた。

 

世の中が順調になったら、どうなる?季節には「春・夏・秋・冬」あるんだけれど、経済もそういうサイクルがある。ゼロから誰かが撒いたタネが実をつけるようになると、今度は「その仕組み、ルーチンを回す人材」が求められるようになる。

そこで必要な人材って?

  • 毎日、定時に黙って出社して、黙って仕事をする、そのワンパターンをずっと繰り返せる人間(例えば学校生活のような)
  • ロボットのように性格に仕事をして、仕事にソツやアラが無い人間、ミスが少ない人間
  • 法務、税務、当局との関係、経理処理、人事労務管理に詳しい人間
  • 創造性をこじらせることなく、与えられたことをこなせる人間
  • 計算、事務処理が得意な人間
  • 何かを作るのではなく、あるものの中でひたすら問題解決をしていく人間

そう。

おわかりのように、これがエリートだ。つまり、学校教育レールの覇者。MBAなんかは通称、「管理職養成学校」である。

 

はっきり言って、すでに出来上がったルーチンを大きくしていくフェーズでは、ビジョナリーやアーティストは煙たがれる。邪魔なんだ。つまり、この時期は「クリエイターよ、引っ込め!!!」のターンなんだ。

謳歌的な生活してんじゃない!ふらつくんじゃない!真面目に学校行け!みたいな。

 

ところがどっこい、ルーチン回すだけで、エリート的組織が溢れたらどうなるかおわかり?同じことしかしなくなる。最終、パイの奪い合いをする構図になるんだ。分かりやすい例を出そう。エリート組織に勤めた人間の回顧録なんかを読めば良い。そこにはイノベーションはない。シェアを●%と取るとか、認知率を上げるとか、そういう話ばっかりだ。商圏をいかに拡大するかとか、海外に出るとか、戦略な撤退だとか、そういう話ばかり。漸進的な話ばかりがされている。

数字屋の世界。

昔、軍事が栄えた時にはエリートは軍事産業に集まったのだけれど、冷戦が崩壊して彼らは金融にどっと流れた。その後の金融界の肥大は凄かったのだけれど、まぁ、見ての通り、数字ばっかりいじらせると何が起こるのかって、「いかに利益を追求するか」であって、そこには創造が無い。競争と潰し合いの世界観。

投資が無い。投機しかない。略奪しか無い。パイを広げてない。新しい市場を耕してない。

こういう輩が支配する世の中が進むと、どうなるか。停滞してくる。世の中に重い空気が漂い始める。前に進まなくなる。でも、過去の成功に引きづられているから、「もっと!もっと!」のmoreの精神で進もうとする。

 

違うんだ。ここでエリート引っ込めのターンだ。

スティーブ・ジョブズは、セルゲイやラリー(google創業者)、マーク(facebook創業者)に説教していたらしい。そしてご存知のように、若い頃はゲイツ(microsoft創業者)と犬猿の仲だった。ジョブズが金を持て余すようになってから、「どこに投資した方が良い?」とバフェットに連絡を取った話は記録に残っているが、ジョブズとバフェットが懇意だった話はあまり出てこない。ご存知のようにバフェットはゲイツとズブズブだ。

ジョブズの気持ちがわかる。

ジョブズはビジョナリーだった。アーティストだった。未来を描いた。未来を作って市場を作った。新しい世界を広げた。その土壌を耕すようなことをした。でも、それ以外のエリートIT産業プレーヤーたちというのは、どちらかというと、ゲームをしている。ビジネスゲームだ。ジョブズは違う。アート、クリエイションをしていた。

 

世界を作り変える、新しい世界を創る。

これは、一歩間違えればテロリストの発想に近い。

 

正直、「産む」という行為は効率が良いように見えない。出産に関しても同じことが言えるけれど、産みの苦しみは半端じゃ無い。画期的な発明とともに創業した人間の回顧録を読んでも、割りが合わないことばっかりやってる。これはエリートや数字屋には切り捨てられる領域なんだ。

でも、みんながそうやって、利益や効率に追われた結果、世の中の全体が停滞していって、最終、どこも効率や生産性が悪くなるんだ。掘る場所が無くなる。もう、全部食べ散らかした状態になる。種を蒔いていないからね。

そう、実は効率や生産性というのは、「どのスパンで見るか?」で景色がガラッと変わる。今の関東の繁栄は、徳川家の壮大な時間をかけた治水工事と投資の上に成り立っている。

 

停滞感漂う世の中というのは、「冬」に入っている。

この偉大にはカリスマが求められる。ビジョナリーが求められる。新しい世界が要る。新しい世界観が求められるんだ。カリスマ批判や個人崇拝批判はエリートの得意技だけれど、彼らはわかっちゃいない。「新興宗教教祖ばり」の人間が必要な場所、時代は必ずある。

カリスマは頭がおかしい。思考回路が普通じゃ無い。学校教育で教えられる論理なんて頭で回ってない。社会の常識に染まってない。普通では無い。

だから見えないものが見えている。

一番最初にテレビゲームを考えた人間は頭がおかしかったに違いない。一番最初に飛行機を飛ばそうと考えた人間は頭がおかしかったに違いない。

 

晩婚化が!

既婚者の浮気と不倫が!

少子化が!

みたいな時代になって、世の中が「まずいよね!」ってなっている時に、いくら旧来のやり方を推し進めても何にもならない。

抜本的にシステムを改革する必要がある。

そこで西園寺みたいな頭のおかしい奴が

「セックスシェアリングエコノミー」

みたいなことを考え出す。つまり、隣の奥さんとうちの奥さん交換してセックスしましょう、みたいなやつだ。結婚後も、「あの人ともあの人ともセックスし放題!」こうすることでマンネリは打破される。

女性に対する貞操感の締め付け及び一夫一妻の強化は、妊娠した子供を誰の子か特定できなかった時代に生まれた法律や倫理観をベースにしているけれど、今はDNA鑑定がある。避妊技術は、コンドーム、そしてピルなど、進化してきた。

テクノロジーはビジョンについてくる。

倫理は時代によって平気で書き換えられる。法律も同様。

セックスをシェアリングしつつ、子供をシェアエコノミーの中で育てていく、みたいなクレイジーな世の中も面白い。つまり、テラスハウスのような空間の中で男女が乱交をして、誰の子供なのかわからない状態で、とりあえずボンボン生んでしまう。夫婦生活というよりも、シェアリングコミュニティーの中でみんなが生活をしていく。子供達はそのコミュニティの中で育っていって、思春期になると、コミュニティの男女の中でまた、乱交をし出す。

こんなことを言うと、

お前は頭がおかしい!!

と言われるのだけれど、でもそれを壮大なスケールでやってるのが国家なのだから、あながち間違ってることは言っていないんだ。そもそも、「自分の子供が欲しい!」とか「家庭を持って一人前!」みたいな意識が希薄化したからこそその逆張りをするのだし、どうせ子供は社会にリバースすることになっていて、その養育にかかる経済的負担などが足かせになっているところが数多く存在するのなら、もう、家庭の範囲を拡大して一つのミニ社会にしてしまえば良い。多分、保険も株式もシェアリングの発想でできている部分が多くて、多分、今後は、老人ホームの話のように、あるいは病院の話のように

「集合的な場所で育てられる」

「個室で育てられる」

の2分化が始まるかもしれない。

バーベキューの延長のように、みんなで集まって、寝食を共にして、乱交して、そのコミュニティで育って。

 

ま、「1対1」のペアを否定したら、福山雅治とか、ジャニーズアイドルみたいなところに女性の行列ができて、明らかに偏るんだけれどね。実際、過去の歴史を見てもそういう場面は多くて。1つに集中していたのを、再分配する仕組みとして世の中が正されてきたのだけれど、それが停滞してきたら、今度はまた、どこかに集中させるか、もしくはシェアさせるしか無くなる。

停滞した世の中になると、やたらと愛人とか妾を抱えている人であったり、既婚者の不倫とか加速するんだけれど、ある意味、それは新しい時代のシステムを示唆している。最近、「既婚者合コン」がトレンドワードに上がっていたのだけれど、結局、昔と違って、奥様方がアプリを開いて、別の男と繋がって疑似恋愛をしたりしているわけだ。

 

ビジネスやってるとわかるけれど、「売れる」ってバカにできない。需要があるんだ。

アシュレイマディソンが伸びた例を挙げるまでもなく、インターネットビジネスに関連するコンテンツやインフルエンサーのオンラインサロン、私学が売れる例を挙げるまでもなく、「旧来的な就職」「旧来的な結婚」「普通の幸せ」が崩壊しかかる時代に売れているものを追いかけると、常識や倫理、法律はいつも「遅い」と感じさせられる。

世の中が「儲からない!」「不況だ!」と言えばいうほど、別の場所でやたらと金が回っていて、平日の昼間の美容整形外科の活況や、駅前のカウンセリングルームの予約待ち、ホストビジネスのリッチ化やマネジメント層の台頭、風俗人材斡旋カーの登場、ネット上で儲かるバブリーな人たち、オーバードクター・ポスドクの貧乏なんかは、新しい時代の到来を示唆している。

 

停滞した世の中になると、相対的に、こういったクレイジーな案が、むしろ画期的な解決策に思えてくるようになる。最初は抵抗があるけれど、馴染んでしまえばこれが平気で普通になっていく。24時間のうち、大半を嫌な仕事に取られてそれでも黙っている人間が大半で構成されている世の中なのだから、セックスシェアリングエコノミーなんて、導入されて時間が経ってしまえば普通になっても全然おかしくない。

あんまり年寄りの言説を真に受けてはいけない。昔は結婚も子育てもサラリーマン仕事も、まぁまぁイージーだったのだよ、きっと。

まぁ、話を戻そう。

個人を崇拝しないで、全体が回る仕組みとか組織が強くなるシステムなんてのは、一時の時代にしか通用しない。全ての制度は疲弊するからだ。組織は改善しない。改革できない。限界がある。断言しよう。ビジネスモデル自体が陳腐化していたら、組織をいくらいじっても無駄だ。根を下ろしている土地が腐っていてはどうしようもない。

要するに、エリートの思考法は、既存の何かの上で運用されているのであって、前提が陳腐化している時には使えない。そのまま、多くの人がそれに邁進すると、あまりにも消耗の激しい戦争のような世の中になり、世の中全体が暗くなり、あちこちで敗北者が生まれ、格差・二極化が進む。

ここでクリエイターやアーティスト気質のビジョナリーがいる。彼らの頭にあるのは「こうなったらいい」「こうすればいい」「こうなるといい」という圧倒的なwantとwillに根付く世界観であって、ここに関する「効率」とか「収益採算」とか「割りが合うか」とか「前例に照らしてどうか」「常識的か」はどーでもいい、と思っている。思い切りクレイジーだったり、逆行だったりするから、「おかしい」と思われるのだけれど、結局新天地はそこにある。もちろん、誰も手をつけないだけあって、ペンペン草の世界を耕すのは相当な苦労なのだけれど、こういう輩がいるから、次代にバトンが渡される。こういう輩がいなければ、必ず、みんな苦しむ。

努力は、報われる時代と報われない時代がある。いつどのタイミングで、何をするかでそれは大きく変わってくる。

 

もはや、多くの社会人が、「働きたくない」「働く意味が見出せない」「頑張って働いたってどうなるんだ」「この国はオワコンだ」と思い始めてきていて、「どうせだったら、今の時代は手抜きしていい加減に生きた方がいいんじゃないか」というメインストリームへのアンチテーゼ的なことを思い始めている。

もちろん、偏差値85とかのエリートは良いんだ。上澄みは。あと仕事大好き層もいい。

問題は、偏差値40〜79ぐらいまでの層。このあたりは、上の層に感化されてすっごい頑張っていたり、自分の仕事を自分で好きだと「思い込ませている」ところがある。つまり、必死に上に迎合して、自分と重ねてセルフイメージを高めている。ところが、ある年齢から徐々に気付き始める。生き方や働き方を再考し始める。このあたりが「うーん」と真剣に頭を悩ませながら、苦悩している。中間管理職もそう。ビジョナリーやリーダーがいなければ、その悩みは深くなる。

すると、いよいよ、民族大移動が起こる。

「手抜きした方が良くね?」

「海外の方が良くね?」

「全く新しい生き方を模索した方が良くね?」

こうやって、これまでずーーーっと手をつけられて来なかった潜在的なイノベーション可能性領域である、「生き方・働き方」の分野で革命が起こり始める。すると、それ自体がまた、次代の大きな産業になっていく。ここから経済の再興が始まるかもしれない。皮肉にも、エリートや政治家・権力者たちが構成し、進めてきた従来のパラダイムは疲弊し、徐々に、徐々に、限界を露呈し始めている。

年金の受給年齢を引き上げます・・・・

確定拠出型に移行します・・・・

副業を解禁します・・・・

税金を上げます・・・・

新しい税を設立します・・・・

 

ずーっと働かせる人材を欲しがってきたのが支配者たちだけれど、ITや人工知能が出てきたら、「えーっと、今抱えている人たちの老後どうしよ・・・・」「えーっと、今抱えている人たちを働かせても利益出て来なくなったけどどうしよ・・・・」「えーっと、ぶっちゃけいらなくなってきたけどどうしよ・・・・」となる。

ここで思いっきり、急なリストラが断行される時もあるんだけれど、まぁ、困っちゃうよね。今更学校教育をひっくり返せないし(なんたってその上でいろんな人が稼働しているし既得権益もいっぱいあるから)、今のパラダイムで生きている人たちに「もう無理です−!!制度が限界ですー!!」って告知したらパニックになるし・・・・。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。