社会人は辛いことばかり

改めて考えてみて思ったんです。

自分の感情に逆らってたら生きる意味無いなーって。

 

夜道を歩きながら、思いました。感情を抑え込んで、理詰めで考えて、やるべきことをやる。我慢する。忍耐で乗り切る。

常識に従う。

・・・・・こんなことやってたら意味ねーって。

 

感情とか気分に従って生きてたら楽ですよね。好きなことだけやって生きてきました、みたいなのは判断にも苦労しません。

とことん自堕落に生きる、みたいなことを採用しようかと思った時期もありました。

 

いろんなことから逃げて、ホームレスだか、ニートだか、フリーターだか、世捨て人だかわからないゾーンを彷徨いながら、なんとか食い扶持を得て細々と生きていこうかと悩んだこともあった。

 

所詮、そーゆータイプの人間なんです。

 

ふと、夜道で色々考えてみた。

今後も、できれば脳みそ使いたく無いので、都合の良い生き方論を肯定化しようとグルグル頭を働かせていた。

そこで、あえて自分に反論を向かわせる。

『たとえ、感情的には嫌なことであっても、長期的は自分のためになることをやれば、あとあと、笑えるのではないか?』

たしかに。勉強が最たるものですよね。やってる時は辛いけれど、我慢して乗り越えたら将来笑える。そもそも、今の感じ方だけで全てを決めることはいかがなものか。昔刺身が食べられなかった私が、今は愛して止まないように、将来は違うことを感じるようになるかもしれない。

 

将来のために我慢する。

自分のために我慢する。

これの行き着く先が、老後のために生きるってヤツでしょうか。

 

ダウンタウンの浜田さんの本に、『今好きなことやってあとあと苦労するか、今苦労してあとあと楽するか、その二つしかない』みたいなことが書かれていたと記憶しています。

なるほどー。その二択かぁー。。。

 

じゃあ、実際、どんな生き方を採択してきたのか?

私は、好きなことだけやってきたとは言い難いですか、『耐えられない!もう無理!』という感情的な爆発には抗うことなく生きてきました。

この、無理!っていう感情的な爆発。

これって、生存本能とリンクしてると思うんです。

 

問題は、生きることへのスタンスです。

たぶん、生きることって、美味しいもの食べるとか、快適なところで暮らすとか、遊ぶとか、そーゆーものだと思います。しかし、私は若い頃から、どーも、リア充メンバーと一緒に遊んでおきながら『なんかなぁ、なんか違うなぁ』みたいなことをコッソリ思ってるタイプでしたし、美味しいもの食べても、美味しい酒呑んでも、『たしかにおいしいけどなんかなぁ』って感じのことをよく思ってました。あんまり、いわゆる世間の休日的なもので満たされる思いがしなかった。レジャーやっても旅行行ってもね。

なんていうん?

俗的なもので満たされないっていうん?

 

これやばいですね。怪しいカルトに一番ハマりやすいタイプ。

 

ただ、これだけは思ってたことがある。

それは、生きることは、感動だってこと。心の奥底から、ブルブルと、特別な感情が湧き上がってくるようなあの感じ。すっごいワクワクしてる感じ。これが無いと、死んでるのと等しいよなぁ、ってずっと思ってきたのです。

極論、スイッチ切って淡々と生きれば、なんでもできる。

そして、それは生きるため。

でも、なんで生きるのか?なんで生きたいのか?それは死にたくないとか、生きたいとか、ご飯食べたいとか、遊びたいとかそーゆーもの。でもこれも結局、感情的な何かなわけ。特に貧乏になりたくないとか惨めな思いをしたくない、みたいなのはね。

でもさ、そしたらオンオフの振り幅がスゴイわけよ。

オンの時は死んで、オフの時はかろうじて息を吐き返す。オンの時はオフのためにある。こーやって、振り幅があるから疲れる。

日曜の夜が憂鬱で月曜の朝が悲しいのはなぜ?

金曜が最高に嬉しいからかもしれない。

 

そこでおそらく、妥協策として、なるべく辛くないオンを探していくのだろう。

そーゆー意味で、仕事楽しいと思える、楽しい仕事が見つかる、そんなに苦じゃない仕事を見つけたみたいな人は最高だね。

もう人生、特に不満なんてないし、これでいいって思える人は最高だ!!

人生に不満が無い人は、それで良い。

変えない方が良い。

現状維持で満足なら、絶対それで良い。

将来落ちるかもしれないけれど、それはその時考えるみたいな生き方をしても全然良いと思う。

 

今すぐネットをやめて、テレビを捨てて、別の世界や高い世界を見るのをやめたほうがいいと思う。知らない幸福を突き詰めるべきだね。

 

自分の場合はどうだったか?

残念ながら、知的好奇心に抗えなかった。知りたい欲求が止まらなかった。高い世界を見てしまった。行きたいと思ってしまった。世界に存在するのなら、そこに行かずにボーッと無縁でいるなんて、耐えられないと思ってしまった。

 

明らかに勝者がいる。

明らかに感動がある。

最高の世界がある。

 

ほら、目が死んでる、っていう言い回し、よく言うじゃないですか?

目が死んでるって、感情が死んじゃってる状態ですよね。無感情ロボット状態。

 

これで、数十年暮らせ、ってのは私には無理だったんです。無理。これを埋め合わせするために、彼女とか家族とか作っても、なんか無理な気がしてたんです。

なんたって、彼女と過ごしておきながら、定期的に一人で夜景とか見に行かないと耐えられないタイプでしたから。。。

 

一応ね、なんとか自分に嘘をついて、ごまかして生きることを採用してたこともあるからわかるんです。

そのときは、THE・まともみたいなのを突き詰めてたなぁ。実際、洗脳されてたと思う。

 

社会的に好ましい価値観に沿ってる人、立派な人、優れた人や立場がある人たちも、酒を一杯酌み交わして本音トークすれば、みーんな悩んでる。

偉そうなあの人だって、あの人だって、みーんな悩んでる。

 

厄介なのは、本を出すとか、誰かに意見したがるとか、広めたがるとか、力強く主張するとか、そーゆータイプに限って心底迷ってるのが多いってこと。

迷ってるから、そーゆーことしたがる。

そして、いつもは強がっていろんなところに自信ありげに通すけれど、本当はどこかで誰かに打ち明けたり相談したいと思っていて、でも弱みを晒すのが嫌で、、、、みたいなのがゴロゴロいるってこと。

 

問題なのは、『悩んでなさそうな人』すらみーんな悩んでるってこと。親とか先生、中間管理職みたいに、『こうこうこうするべきだ!こうなんだ!これなんだ!』って何かを指導してる人も言いながら、みーんな悩んでいる。

 

びっくりするほど、みんな悩んでいるんだ。

でも、相応の立場があればあるほど、それを出せない。

 

私だって耐えてきたんだとか、

私だってわかんねーわとか、

私だって不思議だわとか。

 

そう思いながら、仕方無しにやり過ごしてる人がたくさんいる。

 

この真実に気づいたとき、私は世の中の闇を見た気がしたんです。

うわ!みんな嘘つき!って。

思想のネズミ講!って。

 

確信的な嘘、仕方無しの嘘だけではなくて、そもそも自分で自分についた嘘すらわからなくなってる人もたくさんいる。

自分の中で思ってることは、果たしてどこまで、本当に思ってたことなのか?

 

たとえば、人類の歴史を調べたら男はレイプ魔なんだけれど、現代的にはみんなそうじゃなくて、むしろ同性の男たちが性犯罪者に、チンコをちょん切れ!みたいなことを言っているような現象が、あちこちにある。

これは、一体何なのか?

 

レイプ系ビデオが売れまくってるのに?

大抵の女の子は人生で一度は痴漢に遭ってるのに?

俺は我慢してるのに悔しい!という気持ちなのか、

そーゆー発言してる奴が個人的に嫌いなのか、

性欲を発露させるのは悪いことという刷り込みなのか、

まともな大人を演じすぎた結果、本当にそういうものが嫌気を指すようになったのか、

気分的に今は常識人モードで受け付けないのか、

本心でそーゆーものが嫌なのか。

 

あっ、今、相当やばい話をしてるよね。かなりアブナイ話。

こーゆー話をすると、確実に頭おかしい人と思われる。なぜなら、こういうのは、議論の余地がない当たり前のレベルでおかしな話とされてるのが一般的だからだ。

いや、おかしな話ですよ。ほんとに。

 

でもね、たとえば漂流ネットカフェみたいな漫画を読むとわかるけれど、人間の本性とか煩悩を描き出した漫画だとね、無人島設定とかになると必ずそーゆーシーンが描かれるんだ。極限状態の閉鎖空間?

ほら、エロサイトの広告バナーでも、『叔母さんと禁断の、、、』とか、そーゆー襲う系のネタがたくさん扱われているし、定期的にニュースでも、やらかした人たちが捕まるよね。

 

こーやって、丁寧に、当たり前とか常識レベルから検証していく。

たとえば、なんで俺は犬みたいに野外でウンチしないんだ?とか、なんで俺は服を着て外に出るんだ?とか、なんで働くんだ?なんで彼女を作るんだ?、、、、、というように。

なんで、猿のように野外で発情しないのかとかね。

 

こーやって、いろんなことを検証して、いろんなものを着脱していった結果、可能な限りの煩悩と感情をむき出しにして生きているのが今のボクなわけです。ハイ。

いろんなことを一旦ゼロベースにして、そこから一個一個丁寧に、検証しながら、積み上げてる。

 

数学の勉強とかでも同じことやってるからね。

なんで円周率は3.14なのかとか、なんで円の面積は半径かける半径かける3.14なのか、とか、なんで1+1は2なのか、とかね。

 

しっくりくるまで理解しないと腑に落ちない。

理解しないことをやりたく無い。

そして、大抵の常識とか普通が理解できない。

 

正直、世間的な尺度をふるい落すためにゼロベースになってるから、こわいぐらいにむき出しなんだよね。狂気。

自分でも、どのラインからアブナイのかよくわかっていない。

石原慎太郎がデビュー作、太陽の季節で障子をチンコでぶち破る描写をして文壇を沸かせ、芥川賞審査委員たちを賛否両論真っ二つに分けてしまい、トンデモナイと批判も相当くらったらしいけれど、社会的にアブナイ思想を持ってないと、枠組みから出れないのかもしれない。ほら、ハリーポッターのJKローリングだってドロップアウト気味だったし、ジョブズはヤク中だったじゃん。

 

素直。

本音。

まっすぐ。

実は、大人になって言われたんだあ。

こわいぐらいに素直で、本音で、まっすぐすぎるぐらいまっすぐだねって。不器用だねって。

褒められてないよ。

怪訝な目を向けられて言われたんだ。

 

でも、たぶん、そうだと思う。

我慢できるような器なら、徹底して偽りの仮面をかぶって、社会という仮面舞踏会で『Tonight Ya-Ya-ya-ya-ya tear!』とかやってるわ。

 

ただね、思ったよりも、社会は柔軟性と寛容さに溢れてる場所だった。

自分の狭い了見で、思い込んでるだけだった。

 

あれができない、これができない、やってはいけない、できるはずがない、おかしい、間違ってる、無理だ、恥ずかしい、馬鹿馬鹿しい、胡散臭い、痛い、怪しい、おかしい、、、、、

こーゆーものは、相当、自分の狭い世界の範囲であって、一度ゼロベースにしてみると、なんでもやってみると、意外と道は拓けた。

 

まあ、自分の望む理想みたいなものに近づけそうなことは、たいてい試してみたよ。

だいぶテストしてみたと思う。

 

結果的に、今は社会人サイコー!って感じなんだけどね。お金持ちの親元に生まれてたら子供時代に戻りたいとか思うんだろうけど、明らかに大人時代の方が自由で豊かだからね。

働かないでいい、みたいな思想を盲目的に広めようなんてことは思わない。だって、そんなことをしたら社会が崩壊するからね。まあ、働かない人間ばかりになったらそれはそれで進化しそうな気もするけどね。ブラック企業が無くならないのも働く人がいるからだし。

 

ただまあ、ほんとに、生きがいみたいなものをストーンと失ってしまって、未来に完璧に絶望して、ただただ、この先を真っ暗な心境で歩むみたいな状況にあるのなら。

それは、意外と、どうにかなるのかもしれない。

 

さっき、いっときの感情を抑えて生きるのは意味ねーみたいな話をしたんだけど、実は、スキルとか能力とか、思考が違うと、見える世界が変わるんだよね。

あきらかに、私たちが世界と呼ぶのは from a point of viewだよね。

 

私は、とりあえず、自己投資って概念を大事にしてて、これについていちいち突っかかってくる人がたまにいるんだけど、別に、単純な話で、自分を捨てるためなんだよね。

狭い了見を広げるため。

多角的な視点を持つため。

 

今自分が考えてることや感じてることって、自分の枠内でしょ。

だったら、それを変えるなり、広げるなりしたら、なにもかもが変わるはずなんだよね。

 

だから全然、昨日の俺と今日の俺は違っていても良いと思うし、他人に洗脳されたいと思うし、自分を手放したいと思うよね。

 

オレが世のほとんどの人と違うこと。

それは、元々の自分が好きじゃないってことだ。

元々の自分の原型を留めてないってことだ、

元々生きてて不幸だったってことだ。

 

元からハッピーで、ポジティブで、ウキウキの奴らとは前提が違うから、話にならない。

生きるために自分を捨ててるという皮肉な感じ。

自己肯定とか、自己正当化とかどうでもよくて、シンプルに感動できるかどうかってこと!

 

読書するときも、

『オレと同じ考えだわ、、やっぱオレ合ってた』

とかそんなことは本当どーでも良くて。

面白いかどうか、感動するかどうか。

 

だから、本当はデートとかも向いてないんだよね。オレのデートプランどうよ?とか、オレのセンスどうよ?ってゆーのが無い。どっちかっていうと、面白いもの見せてくれよ、っていう女子的思考。

楽しいもの見せて欲しい。

面白いもの見せて欲しい。

 

実際、自己顕示欲みたいなのが働かない領域の方がうまくいってる気がするわ。負けず嫌いは全方位的に良いことだとも思えない。アスリートの世界とかじゃないとむしろ害がありそうだわ。

別に負けても良いーんです。

お金無くなっても良いーんです。

昔っから、平均的男性と比べると負けず嫌い度が弱く、ボーリングしては負け、ビリヤードしては負け、トランプしては負け、、、、。それでも全然悔しくならなかった。

出自とかに関しては、お金持ちの家庭と比較すると、悔しいとかゆーより悲しいかっただけ。

 

唯一、ズバ抜けてたのが性欲ぐらい?

 

ただ、『うわ、本当に、お先真っ暗、絶望、生きる意味が見出せない』みたいなアレは、本当に勘弁。

あれだけは本当にやめてほしい。

 

生きる意味を見失ったみたいな、アレだけは本当に勘弁。

 

オレはただただお金が欲しい人だったことは無く、もとからビジネスに興味があったわけでも無く、仕事なんてどーでも良いタイプで、特に自負心がある領域も、負けたくない分野も無かった。

 

シンプルに、生き方に彷徨ってただけだせ。

生きてて、面白く無かった、つまらなかった、悲しかった。

 

世の中は、負けず嫌いや、虚栄心の強いタイプや、物欲が強いタイプや、エゴイストや、洗脳されやすいタイプが生きやすいようにできてる。

負けず嫌いなら、ゲームの勝敗、点数の多寡、他人との競争とかを人生の糧にして頑張れる。オレは昔から、スポーツ選手の毎度の勝負にこだわる姿勢が不思議でならなかった。ゲームに熱くなれるのは才能だよ。

虚栄心の強いタイプもそう。見栄とか世間体とか、社会的評判が気になるタイプも、住む場所とか、乗る車とか、役職とかそーゆーものを糧にして頑張れる。

物欲が強いタイプはそこらへんの俗的なもののために頑張れる。買い物、旅行、食事のために頑張れる。

エゴイストは、自分の家系の繁殖とか、自分のワガママを通すとか、自分にスポットライトを向けるとか、注目を浴びるとかそーゆーののために頑張れる。

洗脳されやすいタイプは洗脳されて普通に生きれる。

 

生きることそのものから悩んでるとか、何を羅針盤にして生きたら良いんだろう、みたいなところが悩んでる人間には、この世界はあまりにも生きづらいところだった。

 

まあ、一番これが厄介なタイプなんだけどね。

 

刺激中毒だし、崇高な何かを求めるし、圧倒的なものを求めるし、変化を求めるし、揺らがないものを求めるし、俗的なものに満足できないし、ゲームをどうでも良くなって逃げ出したくなるし、結果が出るまで粘りにくいし、競争してモチベ維持できないからね。

とんでもない化け物だよ。

コスト高。

 

『普通の幸せが得られたらそれで良いんです、普通の幸せな家庭が築けたらそれで、、、』みたいな感じで、控えめな願望しか持っておらず無欲だと自負してる女の子が頭の中に描いている理想の家庭ライフスタイルを実現するのに世帯年収1000万円必要で、それを当人が自覚しておらず、自身はお金について無知無欲で勉強も何もしてきておらず、旦那も好きという理由だけで選んで結婚する。

でも、理想の家庭生活には旦那の稼ぎでは届かず、だんだん不満を貯めたり、イラつきはじめる。そして家庭内が不和になり、当人は自分のことを、普通の幸せを求めただけなのに!と思ってるから、お互いのすれ違いが根深くなる。。。

破綻する、、、みたいなケースが、日本の各地で起こってそうだけれど、自分が何を求めてるのかわかってない人とか、自分が求めてることは実は金だってことに気づいてない人とかは不幸になりやすいんだよね。

そう思わない?

何が欲しいのかわからず、これかな?って思ってるのが違ってて、その道に進みながら苦しみに耐える中で、なんかモヤモヤし続けて、一緒にいる人とすれ違うみたいなね。

無知無欲を自負するのもなかなか罪が重いぜ。

 

生き方に迷うのもそう。

生きがいとか、生き方に悩んでる人って、金との関係をクリアに見出してなかったりするけれど、もしかして、モヤモヤ消すのに年収1000万円いるんじゃないの?

 

『わっ、わたし、ただただ生き方に彷徨ってるだけなんですっ』みたいなおとなしめ小市民みたいな人に限ってめちゃめちゃお金が必要だったり、逆に、『金欲しいーーーーー』って思ってる人が欲しいものは時間だったりね。

 

ちなみに、私の知人の某女性は、『シャネルのアレ欲しいーーーー!』っていつも思いながら生きるような生活をずっと続けてたタイプだったのに、海外の貧しい地域などを旅するデンジャラスな放浪を体験してから、パッタリと物欲が止んで、家賃が安いところに引っ越して、質素に暮らして、旅費貯めるようになったそうな。

面白いよね、この話。

俺も経験あるわ。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。