結婚式挙げるのと、Youtuberになるの、どっちが恥ずかしい?

私の中で、恥ずかしいことランキングをつけるならこんな感じ。

  1. 結婚式
  2. 葬式
  3. 授業中に自分のスマホからアダルトビデオの音声が流れる
  4. 就活で全部落ちる
  5. 母親にオナニーを見られる
  6. 子供との写真を載せるアフィリエイターになって質の低いコンテンツを垂れ流す
  7. 駅前で歌を歌う
  8. ハタチ越えて暴走族
  9. チャック開いたまま歩く
  10. Youtuber
  11. 彼女との情事をネット配信する
  12. 50代になってもナンパする
  13. ブログで自分語り
  14. 背景が炎のセールスレターページに腕組んで登場する
  15. 学校の先生をお母さんと呼ぶ
  16. アキバファッションをして街を歩く
  17. 基礎的な漢字を間違える(きよきよしい、など)
  18. 御中を「WANT YOU!!」と書く
  19. 下手くそな英語で喋る
  20. 高校受験で全部落ちる

結婚式あげられる人は、本当になんでもできる人だと思う。駅前でアキラ100%みたいなネタもできるだろうし、裸踊りも、なんでも。

「自分主役」で、参加している人は1ミリも楽しく無いイベントに、忙しい社会人を招集して時間だけじゃなくてお金も取って、「人生で一番幸せ!」「私は今日はお姫様!」と思えるぐらいの自己主張能力がある人(もしくはその家系)が20代前半とかで相当のコストを1日で溶かせる財力があるってことを、経済的理由で結婚式を諦めた人は直視した方が良いのかもしれない。また、そういう人ほど結婚にまで至れるという現実を暗示しているのかもしれない。ある程度、自分主役欲、自己主張・自己顕示欲、自己中心性があると人生はうまくいくのかも。知らんけど。

別に、悪いことだと思わないし、普通にやれば良いけれど、シンプルに「へー、すげー!」って、疑問心+尊敬だと思ってしまう。悪気は1ミリもなく、本当にすごいと思う。15歳ぐらいから自己啓発・ビジネス書読んできて、思考回路が完璧に「結婚式を売る側」の発想(他人を引き立ててお金をもらう発想)だからかわからないけれど、自分にスポットライトが浴びてただそれだけで気持ちいいという感覚がわからないし、「関係者に対する感謝を伝える場」という説明も全く理解できない。

 

「ブログ書くの恥ずかしいです・・・・」

「ブロガーなるの恥ずかしいです・・・・」

「アフィカスって友達にバカにされるの恥ずかしいです・・・・」

「youtuberになるの恥ずかしいです・・・・」

「駅前で歌うの恥ずかしいです・・・・」

「駅前で大道芸やるの恥ずかしいです・・・・」

 

っていう人がいて、

「結婚式やったことある?」

って聞いて、

「あります!」

って返ってきたら、

 

「えっ?じゃあもう、大丈夫じゃん!!」

って思ってしまう。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。