三島由紀夫が指摘した、若者が陥りがちな誤った読書

まだ仕事を持たないまま、青春の倦怠にいる彼・彼女たち。彼ら・彼女らは一見、誠実のように見える。人生について真剣に考え、真面目に向き合っている。不正を許すくことができず、一点の汚濁も容れることができない。いわゆる大人を憎み、大人たちの不潔さを弾劾する。 (まぁ、学生とか専業主婦、シャバから離れた定年退職老人の世の見方ってそんな感じね。公務員とかもそうかな。) しかし、この種の倦怠は要するに、単なる自己弁護で、自分が傷つかないようにしている。 それが三島の指摘。 若者の読書は、この種の孤独と倦怠を埋めるために存在するんだと。   自分が気にいることだけを集めた読書、自己正当化のための読書、自分を補強してくれる意見を得るための読書ばかりしていては意味がない、と。 真実の読書は、読者にNOを突きつける。サクサク土を掘れていても、最後でカチンと硬いところに当たるように、読者に対してNOを突

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