【売り論】作家になるには? → 奇策:作家にならず、作家的なライフスタイルを探す

書店で、職業図鑑を見ていた。

「仕事探しコーナー」には、不安気な学生たちと、そこそこの年齢の人たちが群がる。

ふと、手に取った本にこんなことが書いてあった。

作家は成功すれば儲かる。作家は自由度が高い。作家には偏差値が要らない。作家には学歴が要らない。作家は博打度が高い。

良いことを教えよう。

作家的になる方法がある。

 

石原慎太郎、JKローリング、五木寛之、村上春樹、東野圭吾・・・・

 

私の中で、作家と言えば、

  • 石原慎太郎
  • 猪瀬直樹
  • JKローリング
  • 五木寛之
  • 村上春樹
  • 東野圭吾
  • 百田尚樹

と言った重鎮たちの顔が浮かぶ。

ここで私が言いたいのは、今、世の中で名が売れている重鎮たちは、大体年寄りですよ、ということだ。

つまり、昔の時代を生きた人たちである。世の中がだいぶ変革する前に出てきた人たちだ。

電車の中を見て欲しい。

昔は、その空間を埋め尽くす暇つぶしがジャンプだったが、今はスマホだ。作家として売れることを夢見ている人たちは出版社に持ち込みをする。それは出版社が販路を持っているからである。

しかし、メディアが変わってしまった。

 

ここ10年で最も変わったこと、それはメディア

 

2008年あたりの就活ランキングと今のランキングを比べると、わかることがある。メディア界に変化が起こっている。10年前、ブログで稼ぐとか、youtubeで稼ぐという人種はいなかった。

つまり、旧来の作家業のお客さんたちは、ネットメディアに食われている状態と言える。

ここに、書物で情報を得ることの欠点がある。

書店で職業探しなんてしちゃいけない。

そこにある情報は古い。書いている人間の技量、力量を超えられない。そして、書いている人間は大体、いい歳なのである。

職業名鑑なんてものは、すでに確立した職業である。

例えば、今世間で、食える高給職業として扱われているものは、1960年頃に資格団体が設立されて、その当時から約60年にわたって歴史がある、みたいなものがあったりする。日本は一度、戦争でゼロリセットし、そこから積み上げてきた国だ。ということは、昔、20歳だった人間は今80歳である。こういう手に職系は引退しない。だから、

  • 10代
  • 20代
  • 30代
  • 40代
  • 50代
  • 60代
  • 70代
  • 80代

と全世代にわたって、人員がパンパンだったりするのだ。

時代の変化を捉えないまま、昔の情報ばかり拾っていてはどうしようもない。

 

ジャンプ、マガジン、サンデーの発行部数の推移をグラフで確認して欲しい。

https://mangaseek.net/post/6.html

漫画家の技法が落ちたのでは無い。むしろレベルは上がっている。競争は激化しているのだから。なぜこうなったのかというと、メディアが変わったからだ。エンタメが多様化したからだ。

 

私は、「マーケター」「プロデューサー」「コンテンツライター」「コピーライタター」としてのキャリアを歩んできたから、クリエイター・アーティストが作る作品がマネタイズされるまでのプロセスに詳しい。

だから、業界の動きはよくわかるけれど、最近は、漫画アプリを配信する会社が個別に漫画を募集したり、クリエイターたちが作品を売買できるプラットフォームを運営する会社が出てきたりしてその上でコンテンツの売買が行われている。

メディアが変わり、消費のされ方が変わっている。

そして、課金スタイルも変わっている。

 

何より、今はスマホがエンタメを牛耳り、手のひらでかなり高度な、ミックスされたエンタメを楽しめる状態だ。

こういう時代環境を理解せずしては、打ち出すものも空振りしてしまう。

 

純粋に良いものを作り込めば良いという時代では無い

 

どんな業界でも言えるけれど、純粋に良いものを作り込めば良いという時代では無い。何をするにしてもそう。

もし、「圧倒的に良いものを生み出せる技術」があるのなら、もう、世の中が才能を放置しないはずである。

時代がどうとか、メディアがどうとか、消費者の価値観がどうとか、そういうものを超越する圧倒的な何かを世の中にブチ込めるのなら、難しいことを考える必要は無い。ただ作れば良い。そして、大方のクリエイター志望者はそこを目指していると思う。そして何なら、下品な営業活動や、商業主義に偏ったものは「アートじゃ無い」という感じで、AKBを非難するかのごとき目で見ているかもしれない。

もし、圧倒的に良いものを純粋に生み出せるのなら、進路に悩まないはずだ。そして、今は無理でも、将来的にそういった大作を打ち出せると思う、確信しているのであれば、不安は無いはずだ。大抵、そういうクリエイターは10代、もしくは20代前半で世に出ている。

ほとんどの人にとって、考えなければいけないことは、ビジネス的な視点である。

良いものを作り込めば良いというわけでは無い。

売らねばならない。広めなければならない。需要を察知しなければならない。奇抜なアイデアを考えねばならない。つまり、マーケティングしなければならない。

 

百田尚樹氏は元放送作家であり、営業にスゴく力を入れるという

 

比較的最近売れた作家というと、百田尚樹氏を思い浮かべるが、彼はもともと放送作家としてのキャリアバックグラウンドがある。つまり、別分野で、従来の作家たちが持っていない視点でのコンテンツ制作を学んできたということだ。

テレビメディアの特徴は、企画されてから消費されるまでのサイクルが短いことと、視聴率主義、スポンサー主義といったような、資本主義の原理を間近にしながらディレクション、クリエイションすることだと思う。

簡単に言えば、

  • ウケる
  • 見られる
  • わかりやすい

みたいなものに対するプライオリティの高さが高いと思う。

そして、彼のメディアでの振る舞いを見てもわかるように、話題に事欠かない。

芸能人的な立ち位置もある。

それから、本を売るにあたり、書店に対してかなり営業回りをするという。

近年売れた作家たちは、良い本を作ることだけではなくて、プロモーションに力を入れている人が多い。

先ほども、書店で彼の新刊を目にしたが、ずば抜けてテーマ選定のセンスが良いと思う。

停滞した出版産業で、あれだけ連続的にヒットを出せているのは、彼のバックグランドが成せる技だと思う。商魂たくましいと思う。そして、それが物議を醸すことになってはいるけれど、やはり、これまでの作家業の中にはいなかったタイプなのである。消費者目線で見れば、なかなか面白い。

 

作家的な成功ルートは、あまりにも、あまりにも輝かしい。輝かしすぎる。

 

典型的作家の成功ルートはあまりにも輝かしい。

文章の執筆自体は誰でもできる。空いた時間に文章を書き、それをしたためて、然るべき場所に送る。才能が認められる。表彰される。記者が集まる。本が出る。バカ売れする。地位も金も手に入る。自由気ままなライフスタイルで稼げるようになり、石原慎太郎氏や猪瀬直樹氏のように次なるキャリアが見えてくるかもしれない。

・・・・・凄まじいサクセスルートだ。

妄想するだけでよだれが出る。

だから、書店では、

  • FX
  • 仕事探し、自分探し
  • 自己啓発
  • 作家になろう系
  • 文芸

に、ものすごく困った人たちが、困った顔をして集まっているのである。

しかし、環境は厳しい。

特に最近は、すでに別の分野で名前を売った人たちが、パラレルキャリアのような形で本を出す。ジャニーズアイドルもそう、芸人もそう。

漫画家として売れなかった人、デザイナーとして売れなかった人、作家として売れなかった人たちが、あまりの仕事の無さに、請負業のようなスタイルになって、株ネタや自己啓発ネタで、鉄板コースで売上を上げる方法に熟知したプロモーターやインフルエンサーに巻き込まれる形で、そっち系のネタを書かされていることも多いのでは無いかと感じてしまう。

むしろ逆に、ビジネスマンとしてガリガリやっていた人たちが文芸の方に流れていったりもする。そして、世の中にはブログが量産されている。顧客参加型の活字メディアもあるし、コミュニティを形成して、何らかの活字を販売していく人も多い。

 

本質的に、ビジネスは全て、顧客の創造である

 

全ての職業は本質的に、顧客の創造である。

作家志望の人は、まず、本屋でパッケージ化された状態で自分の本が並ぶことを夢見るのであろう。

しかし、いかなる形を取ろうとも、結局は「客」である。

だから、あなたが独自に「●●研究所」というビジネスを始めて、あるテーマについてリサーチしたレポートをニュースレターのような形で配信していたとしても、それは作家的なビジネスをしていることになる。つまり、出版社と作家の両方を兼ねた活動をしていることになる。

これはつまり、自分の客を創っていることになる。

 

趣は違うが・・・・

 

「自身の作品が世に広まって欲しい」だとか、「自由なライフスタイルを手に入れたい」だとか、「創作活動がしたい」、「お金が欲しい」というのであれば、方向性はたくさんある。

数ある作家業のメリット。

その中で、どれが優先かを自分で見極めることができれば。

もしかすると、別の道が見えてくるかもしれない。

仕事というのは、憧れる以上は、何かしらのメリットの集合である。

  • 作業が好きか?
  • 得られる名誉が好きか?
  • 肩書きに惚れ込んでいるのか?
  • 生み出す価値が好きなのか?

何かを特定すると良いだろう。

自分の書物で食っていきたいというのであれば、まずはその夢を傍らに置いておき、社会的に価値あるメッセージを発せられるような経験を積みにいくことを優先しても良いかも無い。

村上龍氏の言うように、「何歳からでもなれる職業」「人類に残された最後の職業」であるからだ。

シンプルに、「自分の文章が世に受ける」ということを目指すのであれば、今の時代、ブログやサイトをインストールすれば、公衆の面前に自分のコンテンツを放り込む機会が得られる。そこで、反応を得る、人気を得るというトレーニングをしたり、広告でマネタイズをしていくという路線も考えられるはずだ。

 

小説家になりたい人たちは、小説を読んでいる人たちの話を全く聞いていない

 

私は、昔から「販売」の最前線で生きてきた。あらゆる形の「成果連動型販売」に携わってきた。

だからわかることがある。

小説家になりたい、作家になりたい、と夢を抱いて活動している人たちは、生産者側の視点ばかりに囚われていて、実際に消費している消費者の視点が全くわかっていないのである。

人が、何かしらの商品・サービスに惹かれる理由は三者三様である。

桑田佳祐が好き!

と言っている人は、

  • メロディーが好き
  • 声質が好き
  • 歌詞が好き
  • 曲のスタイルや路線が好き
  • パフォーマンスが好き

と様々である。そもそも、音楽というのは、

  • 元彼が大好きだった
  • お父さんが大好きだった
  • 中学校の運動会のテーマソングだった
  • 友達が好きだった
  • 昔働いていた職場でよく聴こえてきた

というように、好きになるきっかけも多種多様である。

だから、自分が何かに惚れたルート、惚れた理由の感覚だけでクリエイター活動をしていると当然行き詰まる。だからこそクリエイターにはプロデューサーやマーケター的な人種がセットで付くというわけである。

これは、「車が好きだから車メーカーに就職する」と言っている学生と同じである。

消費と生産は全く違う。

私はスターバックスコーヒーが好きだけれど、スタバで働きたいとは思わない。

本屋や図書館が好きだけれど、書店員や司書になりたいと思わない。

世の中にはいろんなタイプの「活字で食えている人」がいると思うが、活字で食えている人と、食えていない人の間では、活字で食うことに対する認識や捉え方がそもそも違うかもしれない。

世の中の職業は、だいたいそんなものだ。

その職業で成功している人と、していない人では、その職業が一体、「誰に向かって何をするものなのか」という定義が違ったりするのである。

 

全ての商売に通ずる大原則。客を一定数集めろ、客の声を聴け。

 

私は昔、

  • 営業
  • 接客、店頭販売
  • クレーム処理

などの経験を通して、世の中には「ものすごい色んな奴」がいることを嫌というほど学んだ。

おまけに、ナンパばっかりしまくっているから、世の中には、ありとあらゆる趣向や性質や、家庭環境、職業・居住状況、感性、信念、性癖があることを知っている。

売る・売れるを理解するためには、営業経験が必須である。

会社が文系社員をまず営業にぶち込むのには訳がある。

最前線に立って、客をあらゆる形で見続けることが原点なのだ。

偉くなったり、キャリアが積んで、現場から離れていけばいくほど、企画することや考えることが「どれだけ現場経験に根付いているか(客の視点)」が重要だったりするから、店頭に立っていた時代、泥臭い営業をしていた時代に「早くここから離脱してー」と思っていた人も、後々になって、「もっとちゃんといろんな情報を収集しておけば良かった」と思うものである。

人は目の前にあるものの価値を、それが見える視座に固執している限りは捉え損ねる。

目の前に落ちているチャンス、金、情報、こういったものは、往往にして見逃される。こうやって人はだいたい、年数が経つと後悔すると共に、「あの時、あれはチャンスだった」と気づく。

私は、昔から、なぜかやたら人生相談をされるのだけれど、人生相談というのは、うまくいくと相手がベラベラと喋り出すようになる。背景事情もたくさん語ってくれる。そして、事の成り行き、その後の顛末、そしてその人の個人的なネタもボロボロと出てくるようになる。

つまり、基本的には話を聴く側である。

聴くというのは、情報をもらうことだ。

世の中には、人の話を聴くのが嫌いな人が多い。しかし、私は結構、人の話を聴くのが好きである。

それはイコールお金なのである。

公園で話しかけられたおじいちゃんの会話をめちゃめちゃ広げまくって、最終的には「家に来い」と誘われる始末である。

人の話を聴けば聴くほど、

「自分では理解できない特別な趣味、趣向、好意、嗜好、信念体系、行動体系」

が世の中に存在することを実感させられる。

 

極論、誰でもアーティスト、クリエイターになれる。誰もが結婚できるように・・・

 

今の世の中では、比較的多くの人が結婚できる。東大に受かるとか、資格を取れるとか、起業に成功するとかと比べれば、多くの人が結婚はできるとされている。

ちょっと事情が変わってきているかもしれないけれど。

なんで、できるのだろう?

それは、

  1. 一定の年齢になれば、結婚しなければならないというある種の思い込み、焦り
  2. 個々人の選好のマッチング

の2つによるものである。

「1」の力が大きいとはいえ、多くの人は結婚できるのだとしたら(そして結婚そのものが内面の評価がウェイト重くされているとしたら)、ある種の人間性や思想の表現であるアート、クリエイションというのは、一人や二人、ファンはついて然るべきなのである。

誰もが、彼氏、彼女、結婚手前まで行った人が数人いた、という経験があるのならば、純粋に個性や感性を体現することによって、一人や二人、ファンがついてもおかしくない。

実は、誰もがアーティスト、クリエイターなのである。

産まれながらにして、誰もが芸術家だ。

よって、自分の個性を体現すれば、必ず、誰かファンになってくれる。

 

人気を拡大するには?

 

では、人気を拡大するにはどうしたら良いのだろうか?

量的な拡大を狙うには?

世の中には普遍的な価値がある。それは、「特別な家の生まれ」「超難関試験をいくつも合格した」「国際的に表彰された」「めちゃめちゃ美人」「巨乳」「イケメン」というものだ。

要するに、テレビに出るような人たちである。

こういう人たちは、多くのフォロワーを集めることができる。

つまり、人間誰もが生まれながらにクリエイター、アーティストだとした場合に、それを拡大できるのはどんな人か。それは、輝かしい舞台の上で活躍している人たち。種を大きく拡大している人。その拡大の秘密というのが、彼らの特殊性や普遍的な価値の保有性である。

タレント、という言葉がある。

talentとは、才能のことである。

だから、そういう人たちは、スカウトを受けることが多い。言い換えれば、変なのである。昔、人間の人権が尊重されていなかった時代、奇形の人や、人種が違う人などを、まるで「びっくり人間ショー」のように扱って見世物にしていたことがあると聞く。

つまり、見方を変えれば、稀有な人、変な人だ。

では、才能が無い人はどうしたら良いだろう?

 

風俗のポータルサイト、キャバクラのブログを見てみよう

 

1つのパターンとして参考になる事例がある。

風俗のポータルサイトを見ると、ごく普通の一般人だった女の子に、ファンがたくさんついていることがわかる。自分の書いた日記などに、アクセスが集まり、色々とコメントが寄せられていたりするのだ。これはキャバクラも同じ。

なぜこのようなことが起こるか?

そのための舞台が用意されているということも言える。

ただ、本質的には、間口を開いているからだ。

それは、「性の商品」になっているからである。全ての男には性欲が組み込まれているから、「誰とでもエッチしますよ」「誰にでも性的な魅力を振りまきますよ」ということになれば、人気を拡大することができるわけである。

もちろん、世の中には、性的な魅力では無いスタイルで勝負している人もいる。ただし、原点が性的な欲望に根ざすものであり、多くの同業プレーヤーがそうであるからこそ、逆に振ったタイプが受けるのであって、みんながみんな、「いい人キャラ」「会話上手」「性格良し」のようになれば、逆に色気がある「らしい」キャバクラ嬢、風俗嬢にまた人気が戻ってくるに違いない。

 

たくさんの人に貢献する

 

さて、ビジネスというのは簡単に言えば、たくさんの人に貢献することである。

専業主婦になるとか、お金持ち社長の愛人になるとか、マルクスみたいにパトロンを確保するとか、そういうのは「特定の人にガッチリコミット」してお金をもらう状態であるけれども、ビジネスというのは本質的に、オープンにしなければならない。開かなければならない。

そして、開いていくということは、多くの人のことを理解していくということになるのである。

多くの人のことを理解していくということは、千差万別である人間に対しての経験を増やしたり、いろんな情報を取り入れたり、あるいは社会について詳しくなることである。接点を増やしていく。簡単に言えば、最大公約数を取っていくということだ。

 

どこまで裾野を広げるかは自由

 

どこまで裾野を広げるかは自由である。ただし、一般的に書店で流通しているようなものは価格帯が決まっている。というか、コンテンツビジネスとしてのマーケティングモデルが決まっているのだ。

つまり、

  • Product (商品形態)
  • Price (価格)
  • Place (場所)
  • Promotion (流通)

がある程度決まっているのである。

ということは、当然のことながら、「作家業」がビジネスとして成立するためのコンテンツのテーマであったり、出し方というのは逆算して決まってくるものなのである。このあたりの感覚がわからずに、闇雲にクリエイター活動をしている人が多いが、こういう人は売れない。根本的に、テーマや作風を間違えてしまう。

もちろん、少年ジャンプという少年誌で、「デスノート」という異色の作品が掲載されてヒットを飛ばしたように、チャレンジングな営みが受ける場合はある。ジャニーズなのに、丸刈りのアイドルが受け入れられる場合がある。

しかし、多くの漫画雑誌において、「このテーマで」「この路線で」「この年代に向けたもので」というように指定があるのは、仕方のないことなのである。ジャニーズ事務所のアイドルが、ある程度、枠にハマったルックスをしているのも仕方が無いことなのである。

(私は、チャラ男集団だったキスマイが、Jrからメジャーデビューに当たってバッサリと髪を切ってイメチェンした経緯を忘れない。ジャニーズすげぇ、と思った。)

世に、NARUTOを送り出した岸本氏の弁を聞いていても、

「激戦の少年漫画で生き残るためにはインパクトが必要だった」(NARUTO第一話にて、影分身の術が使われた理由について)

「本当は描きたい漫画が別にあるけれども、少年誌ということであえて・・・」

というように、ある程度、調整をかけていることがわかる。

 

正直、創るか見抜くかだと思う

 

正直、私は、「創る」か「見抜く」かだと思う。そして、この記事では「見抜く」よりの話をしているつもりである。今、様々なマネタイズのモデルが出てきているいるけれど、最も重要なのはこの「見抜く」だと思う。これからの時代に、求められるものだと思う。

これが、生きる力と直結している。

はっきりいって、「創る」の場合、連続して当てるのは困難である。ハリーポッターの作者は大当たりさせたけれど、多分、同じようなヒットは出せない。ドラゴンボールの鳥山明は、それ以前に空振りをいくつか経験している。確か名探偵コナンの青山剛昌もそうだとお思う。つまり、世に出て定着してしまっている圧倒的なもの、クレヨンしんちゃんとか、サザエさんとか、ちびまることか、ああいうもを産み出した作者はきっと、また自分を再度超えることが難しいはずである。なぜならそれは創っているからである。

ホームランか、ヒットか、みたいな話にも繋がってくる。

現場でPDCAサイクルをどれだけ回しているか、どれだけ経験値を上げているか、これは重要だ。

売れる、売れないの最前線に立ち、営業し続けること。

たくさん失敗しても良いけれど、その経験をどれだけ積めるかはセンスに繋がる。

一生モノのセンス。

そして、その売れるか売れないかについて、自分の私財で組んだビジネスでチャレンジしていると、びっくりするほどの技能・センスが身についてくる。この域に達してくると、お金のことが1ミリも怖くなくなると思う。自分の将来に対する恐れが無くなってしまうと思う。

 

今後の作家志望者に求められるのは、枠組みを越えること

 

今後の作家志望者に求められることは、枠組みを越えることだと思う。

旧来の立身出世コースが使えないのでは無いだろうか?

比較的最近売れたような人たちは、ブログでファンとコミュニケーションをしていたり、コミュニティをやっていたり、メディアミックスしていたり、関係各所にめちゃくちゃ営業をしていたりと、創意工夫や情熱を感じるのである。

もちろん、純粋に良いコンテンツ、ぶっ飛んだコンテンツを創ることを突き詰めていっても良いとは思う。ただし、才能を商業ベースに乗せていく人たちが、ビジネス的な算盤を弾いていることは忘れてはいけない。

 

 

最後に一つ言っておきたいことがある。

売れる売れないとやり甲斐は別次元という話である。

私からすると、世の中に何かを出したい人間というのは、世の中に届けたい熱い想いとかパッションがあるはずである。たとえ、それがみんなから支持を受けなくても、そのメッセージを世の中に投じたいという熱い想いがあるはずである。

私は、昔の劇作家や文豪と呼ばれた人間に政治家を兼ねている人間が多いのは偶然では無いと思っている。

私の場合、何かを産み育てる、世話する、創り出すということは、信念や生き様の体現である。何か伝えたい、言いたいことがあるという魂がある人間が、創作活動に従事すると思っている。でも、それはむやみやたら投げても届かない。

だからこそ、売れよう、と思うのでは無いだろうか。

売れることによって、本当に伝えたいことが届くようになるのである。

私の中で、ビジネスというのは、

売らなければいけないけれど、最終的には自分が届けたいものが大事になるもの

だと思っていて、後者はうまく届くようになれば根強いものになるが、前者は割と移ろ気というか、ミズモノのように感じるのである。

これは売れなくても良い。

だけど、リリースしたい。

そんな想いは、製作者であれば、必ず出てくる。

そこに、後々の評価が追いついてきたり、最終的に一番長くファンがついたりする。うーん、難しいものですね。

売れることばかりが正義では無い、絶対では無い

ということだ。

ここまでズラズラと述べてきたように、売る、売れるというのは結構、悲しい部分があったりするのである。

桑田佳祐の代表作はこれ。一番売れたのはこれ。でも俺はこれが好き。・・・・・・・ファンならそういうものがあるだろう。

B’zもそうである。一番売れたもの、代表作・・・と、ファンが個人的に好きなものはまた別であるはずだ。


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。