作家や漫画家になりたい社会人はどうすべきか? → 時代が読めているか?

作家や漫画家になりたい社会人がいる。

彼らがまず始めることは何か。

それは、作品を仕上げて、編集者・出版社に対して持ち込みをすることだと思う。

 

既存のレールに乗ることだ。

しかし、そこがもはや混線していることにも気付いているだろう。

作家になりたい人は多すぎるのだ。

漫画家になりたい人も多すぎる。

 

もし、今現在、作家・漫画家になりたいと考えている人が25歳以上であれば。

人生を振り返って欲しい。

そして、時代の変化をなぞって欲しい。

25歳、30歳、35歳、40歳は、激動の20年間を生き抜いてきたことを忘れてはいけない。

インターネットが発展し、メディアが多様化してきたのがここ数十年だ。

週刊少年ジャンプの売り上げは落ちている。

人々の活字離れは進んでいる。

10年前の就活人気企業ランキングなどを見ると、「動いていない企業群」と「動いている企業群」があるけれど、後者はメディア系が多い。

 

youtuber、ブロガー、アフィリエイター、まとめサイト管理人、動画配信者、ティックトッカーや17ライバー。結局これらも、メディアの進化の副産物だ。

時代が読めているか?は重要である。

往往にして、「クリエイター」という人種は、創作に固執しすぎる。でも、それが世に出ていく過程では必ず、資本主義の試練を受ける。

・・・・・・現実とは何だ?

要するに、世に出るにあたって難しいことというのは、大抵、お金の問題だ。経済性、商業性の問題である。

 

そもそも、である。

Youtuberにしろ、漫画家にしろ、作家にしろ、現実世界でビジネス経験を積んだ人たちが続々とキャリアシフトしてくる領域である。横から参入してくる。小さい頃から、純粋にコンテンツを楽しんだ文学少年・文学少女ばかりでは無い。

彼ら、彼女らには人生経験がある。

社会経験がある。

事業をやっていた人には商売の才覚があるはずである。ドラゴン桜の作者は、もともと商売人である。ナニワ金融道にしてもそうだ。課長島耕作シリーズの作者も元サラリーマンである。

 

夢を追うことは素晴らしいことだ。

目標を追いかけることは素晴らしいことだ。

 

しかし、そこでもがき苦しみすぎた結果として、いつの間にか、無意味な時間を過ごしてしまいがちである。

やると決めたら、やること。行動を起こすこと。やり続けること。大事である。

しかし、中途半端なモチベーションでは、ダラダラと時間を消耗し続けることになる。挙げ句の果てには、宙ぶらりんの状態で無意味な時間を過ごしてしまう。どっちにも振り切れていないという状態だ。

 

漫画の世界でも、小説の世界でも、圧倒的な王道を突き詰めて、小さい頃から文学・コンテンツの純粋培養で育ち、王道でバカ売れした人間たちには、ある種のおかしさがある。他の世界で生きていけないような感じだ。

言ってみれば、描かずして生きていけない。書かずして生の実感を感じられない。そういう人たちだ。

そのおかしさが、彼らを支えている。

 

突出したコンテンツを世に出せるのなら、時代の動きは関係無いかもしれない。

ただ、トップアーティストと言われている人たちであっても、メディアが変革する前に世に出た人たちであって、その後のメディアの変革によって大きな影響を受けていたりする。

 

圧倒的で突出したコンテンツを出せないなら。

時代の変化をもろともしないコンテンツを出せないのなら。

もう少し、時代の変化や経済について、商業とは何かについて学ぶ必要がある。

 

結局、すべての活動はビジネスであることを忘れてはいけない。

需要者がおり、需要者に対して最適な形で繋がり、収益採算が合う形でのマネタイズが構築されていなければならない。時代性にフィットした形でなければならない。

メディアの変化とともに、エンタメも進化している。変わっている。

 

何かを感じているか?

学んでいるか?

 

もし、創作活動をしていて、面白く無いと感じていたら。

消化試合のような努力を続けていたら。

何となく、日々を消耗する毎日のように感じていたら。

 

同じようなことはサラリーマンも感じているはずだけれど、プロセスをなぞる過程で、自分なりの試行錯誤や研究、学びの過程があるかどうか、成長があるかどうかは重要である。

結果を出すことばかりが目的化してしまい、プロセスをおろそかになると、結果を消費した後で困ってしまう。

 

それは誰のための活動だ?

誰が手に取るのか、なぜ面白いと感じるのか、感じれているのか?

 

圧倒的天才は好きなことをやるだけでいい。

やり続けるだけでいい。

 

そうじゃ無い人間は、基本的に消耗と戦う必要がある。

仕事とは、消耗だ。

だから、その意味で、大方のプロフェッショナルは、好きなことと仕事を分ける必要がある。

仕事というのは、迎合していく行為でもあるからだ。

 

作家や漫画の世界で、純粋にクリエイションをして、行き詰まりを感じているのなら。才能の限界を感じているのなら。一度、そこからズレて、商売を経験して見るのも良いと思う。自分で商売活動をすることを通して、一度創作的な世界から抜け出す。商売勘を身につける。

逆に、商売の世界に浸りすぎた人は、もう少し創作的な世界に寄ってみても良いかもしれない。そこには、収益採算をある程度無視するというか、お金のことを忘れて、世の中に未だかつて無いものや独創的なものを産み出そうという気概が感じられる。技能や技巧を突き詰めていこうという魂が感じられる。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。