基本的に上位10%、最低でも20%に入らない限り持論は捨てる

上位10%に入らない限り報われない、上位20%に入らないと意味が無い。これ、現実だと思います。例えば資格なんかも、取ってそこそこ意味があるとか報われるのは上位10%群だけですね。転職マーケットでも、わざわざ名指しで評価されてるのはそーゆー資格群で、しかも実務経験求めてきます。イケてる経験。簿記二級とかAFPとか行書とか取って、わちゃわちゃやっててもあんまり報われないでしょうね。プラスαが必要条件になると思います。学歴に関しても同じ。私の周りのエリートの方々は意味があるのはせめて早慶ラインからだそうで、『そもそも、東大生でも、人数何人いるよ?』って話をよくされてます。うんうん。俺もそう思う。今なんか、ゆとり教育だのなんだの、偏差値の弊害だの色々ゆーてますけど、資本主義って競争原理なのでそこらへん意識できないと意味無いですよね。意識ゼロはやばいよ。たぶん、西園寺さんって偏差値やばいです。年収と年齢で偏差値叩き出せるサイトがあるんですけど、それ見ても偏差値ヤバい。高い。それでもなんで謙虚でいられるか?

日本を見てないからです。海外見てるからです。

はっきり言います。海外やばいです。

もう、なんか、あいつら見てたらスッて力抜けちゃう。やる気なくす。勝てる気がしない。そんな感じ。海外はヤバイ。世界はヤバイ。

なんかこう、世の中見てて思うんですけど、『バランス』とか『普通』とか言って、みんな振り切らないですよね。アクセルメーターを振り切らさない。だから、限界突破できない。よく言えば、何事も当たり障りなく上手にこなせる。要領とバランスが良い。平凡に合わせる能力高いから、コミュ力も高い。でも、なんていうかネジを外してない。ぶっとんでない。30歳までに年収500は1つのラインです。越えなかったらまずパーフェクトに凡人です。この段階でブログとか開けて、自己肯定の駄文綴っててもしゃーない。基本的に600越えたらそこそこ満足できます。800越えたら『中流には入れたかな?』という意識は持てるでしょうし、持論なるモノも多少価値を持ち始めます。1000万越えたら『Welcome to 税金 and 社会保障費の奴隷World』という感じです。ここらへんから、働き方改革とかワークライフバランスとか考え始めるはずです。

もちろん、月々30万円しか稼いでなくても、脱力に走っても良いし、持論ぶち上げてもいい。ただ、ものさしというか前提を無視した議論は自分を苦しめることになります。ビジネス書とかキャリア本とか手を出す際、筆者と読者間にあるバックグラウンドの差を理解できないとかは典型例だと思います。お大卒と高卒の間には川が流れてるし、有名大と無名大の間にも川が流れてる。外資と国内の間もそう。実質高卒と大卒の間で、地方出身のディスアドバンテージくらって、あれこれ資本主義のドブ沼で泳いできてて、いろんなポジション覗いて心底思いますもん。

自分のものさしと心中するか、一旦そのものさしをリストラクチャー・リエンジニアリングするか、ここらへんは賭けだと思います。高い世界、高みを覗くこと。自分をぶっ壊してみること。世界を覗いて見ること。いろんなことをやってみる、考えてみる。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。