恋愛も仕事も、傷つくから、しない方が良い。負けの人生確定だけど。

恋愛も仕事も、大半のケースは苦しむ。意外と知られてないのは、この二つのそれぞれにおいて、たぶん、90%ぐらいが辛く悲しいことばかり、苦しいことばかりだったりするということ。実は成功はほんの少しだけなんだよ、ってね。この二つのプレーヤーには、本当に幸福になってるやつと、自分に嘘ついてるやつがいて、後者の方が圧倒的に多いってこと。

一部の成功者たちが、それらに興じることを良いものだと喧伝してやまないから、多くの人たちも自分の仕事や恋愛を、良いものだとして自分に自己説得をかけ続ける。自己洗脳し続ける。そして興じ続ける。

それらが絶対的に良いこと、営むべき事という社会的な洗脳があるだけ。この二つに興じてくれる人が減ると世の中的に困るから、積極的な洗脳が行われてるだけ。でも、この二つで圧倒的に成功し、幸福を得ている人がいるのも事実。成功してる人たちは、これ以上無い幸福を感じている。どんな人も、この二つから快感や幸せを得た経験を大なり小なり持っている。だから、みんな、この二つで幸福になりたい。だからこそ、希望を持ったり絶望したりする。

冷めきった心を持ち、距離を置いているとドンドンと自分の心が乾いていく。そして、自分なりに諦めをつけようとするのだけど、成功者を見てしまう。ふと、この二つのエクスタシーに誘われてしまう時がある。ふと、この二つについて希望が持てる出会いがあったりする。たまに、自分もちょいと成功してしまう。というか、逃げきれずにリングに引き込まれることだってある。だから、なおさら難しい。なにより、この二つで成功できない自分の現実、自分の欠点、自分の負けという現実が目の前に降ってくる。それを受け入れてしまうのか、それとも諦めきってしまうのか。それを自分で許せるのか。

間違いなく言えるのは、傷が付くということ。

傷つくし、痛むし、苦しむし、うまくいかないことはたくさんある。そこから、逃げて仕舞えば、心は楽になる。でも、不安になる。このまま、歳を重ねて、本当に良いのか。本当に終わりにして良いのか。時が流れて、いずれどうやってもひっくり返せない状況になって、自分は後悔しないのか。心底後悔した時の自分は、あまりの胸の痛みに、生きていけないのではないか。

希望を持たないのが流行っている。

絶望感に浸るのがクールだとされている。

斜に構えて現実を捉えるのが知的だとされている風潮がある。

でも現実は、希望をものにできない自分から逃げたいだけ。

自分の現実を見なかったことにしたいだけ。

絶望なんて概念がわざわざつくられるのは、人間が一喜一憂するのは、嫉妬したり羨望したりするのは、後悔したりするのは、明らかに世の中が絶望一色では無いことの証左。希望がたしかに存在する現実。だからこそ、痛くて苦しいのだということ、だからこそ、悲しくて辛いのだということ。

 

生きている限り、回避できないものがある。

巻き込まれてしまうものがある。

逃げるのももはや高度な何かが求められるものだと考えた方が良い。

 

絶望感と希望感。そして、それらから距離を置き、淡々と生きる中で虚無感や乾く感じ。

これらに心底浸った経験。

 

どうすればいいのか。

どうすべきか。

これで良いのか。

 

刻一刻と、時は流れて行く。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。