絶対に何があっても個人的に喧嘩しない、むしろ議論すらしない

昔読んだ本に、意外なことがあって、「人とは議論するな」ってのが書いてあった。それは人を動かす系の本だった。

え!議論って!した方が良いんじゃないの!学校でそう習ったよ!

と思ったけれど、学校で習ったことがシャバで使えないのはご愛嬌。個人的には、「平等なんてない」「むしろ発言権すらない」「下手に議論したらやばい」「反論すらやばい」と思っていて、昔クレーム処理に最前線にいた時は、研修で、

絶対に反論するな

って言われたのをめちゃめちゃ覚えている。

要するに、プロ同士で最適解を求めていくようなプロセスなら、ガンガンやりあっても良いけれど、自分がやっていることが「営業だ」と思うのなら、絶対に直接反論するなってこと。何なら、マネジメントやリーダーシップを発揮するなら、よほどのことが無い限り、特定名指しで個人攻撃するなと。

もしするのなら、「こいつは人間的におかしい」っていうのを周りがわかっていて、ある意味、理性的な人間としては終わってるけれど、芸人的な、キャラクター的な感じでそう認知されているなら、それはアリだっていう。

全方位的に尖っていることが、攻撃を受け付けないことにもなるけれど、でも、それをそれで突き詰めすぎたらどこか悲壮感が漂う。

だから、結局、コンテンツとパーソナリティで何か、しっかりとしたモノを立たせて、何者かにならないといけないんだってこと。

難しいことに、何らかのグループや組織の中でやっていきたい場合には、それなりの理性がある社会人としての振る舞いが求められる。一方で、個人的に自分を売っていきたい場合には、ある程度、セールスを意識する必要がある。セールスは感情だから、早い話、変な嫌われ方したら終わり。

 

めちゃめちゃ難しいと思う。

この辺りの人間関係の築き方というのは、内側と外側では全然違うと思うんだよね。

オギャッと生まれた瞬間から、死ぬまで人間関係か。はぁ、人生って疲れるぜ。


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。