親に感謝しなくても、結婚できなくても、子供産めなくても、いーーんです(ジョンカビラ風)

昔、終身雇用と年功序列というものがありました。

大方のサラリーマンは、安定した長期雇用と年功序列型の明るい未来が約束されました。

なので、ふつうに働いてる男は結婚適齢期の女を見つけて結婚すればよかったのです。女はサクッと寿退社しました。なので、その分、若い世代に席が空くし、ババアになってまで会社に居座って、更年期障害をこじらせたお局となり若い世代をいじめることも無かったのです。

かわいそうなことに、今の世の中には、お局ババアにいじめられて泣く泣く事務職をしながら、昔のように寿退社できるわけではない現実を見据えて、副業でソープをやっている女の子がたくさんいます。

老後資金作りのためです。

こーゆー普通の女の子が、今のソープにはたくさんいます。今時、ソープ嬢叩いてる人はアホです。特に、30歳以上でソープ嬢叩いてる人はアホです。今のソープ嬢はみんな堅実な生活をしてます。働く理由が、『将来を見据えた貯金』だったりします。

結婚相手に年収800以上を求めてるブサイクな人や専業主婦志望の人よりはるかに経済観念がしっかりしてます。

若い女性は、もっと年配女性を恨むべきです。

コンビニや家事代行、便利な家電が無かった時代は奥さんが家事をしてくれました。また、奥さんは子育てに集中できたのです。

これが、昔の偏差値50の生き方でした。

今はどうでしょう?

 

終身雇用と年功序列が無くなっただけではなく、非正規社員も増えました。若者には、年寄りを支える負担がのしかかっています。

病院に行ってください。ゾンビがうようよしています。彼らの医療費の自己負担額は1割です。しかも彼らは年金をしっかりもらってます。今年金をもらってる世代と、今の子供世代では社会保障費の差が2倍とか言われてます。

ゾンビの医療費を負担してるのは誰ですか?

若者は3割負担ですね?この差はどこで埋めてる?

若者です。もちろん、ゾンビたちも社会に貢献してきたとか、医者、看護師、薬剤師、栄養士、介護、薬剤メーカー、医療メーカーの労働需要を作っているという面もあります。

(余談ですが、少子高齢化の時代には、どんな需要があるかを考えて仕事を選ぶのは良いですね。葬式関係、医療関係、薬関係、介護関係etc)

給料は減り、安定雇用は無くなり、未来の明るさは無くなったのです。1990年以降は失われた20年といって、成長率横ばいの時代です(それ以前は年5、6パーで伸びてました)。

バブル崩壊が1990年代前半ですから、その時期以降に社会に出る羽目になった人たち、つまり1970年代以降に生まれた人と、その前に生まれた人の間には大きな壁があると見るべきです。

今の40代以下の人たちは、それより上の人たちとは違うルールで生きてるのです。

バブルの時代、アメリカの一等地を日本企業が買い占めたりとか、社費でバンバンMBA行かされたりとか、テレビでバブル芸能人がいろいろ語るように、いろんなことがあったのです。昔、確かに日本はすごかった。終戦1945年から1990年までのおよそ45年は黄金期だったわけです。

時代の波というのはシカトしない方がいいです。昔、日本の専業主婦が、ドル円を一方的に買い建ててるだけで儲かった(一時期、集中的に脱税の摘発が起こった)とか、株の世界でもアベノミクス相場のように『バカでも特定の時期を狙ってやりさえすれば恩恵にあずかれるバブル』というのは歴史的に繰り返されてきました。大衆が乗れる波ですね。

一般サラリーマンの生活においても、『このレールに乗っとけばなんとかなる』っていうのがあったはずです。私の世代でも、『ポケモン』『遊戯王カード』『ワンピース』『スマッシュブラザーズ』『ハイパーヨーヨー』など、とりあえずやっとけばお友達作りはなんとかなるみたいなネタがあったものです。

1990年以降、日本の力は、国際社会の中で相対的に弱まっています。

2018年現在、それは40代以下と、50代以上の壁となって立ちふさがっています。実際、私も50歳以降の人の話は、半分くらいは聞き流すようにしています。ネットやSNSがそんなに栄えてなかった時代は、テレビでガンガン宣伝されたものが素直に伝播するようなところがありました。世の中の価値観や方向性がわかりやすかったのです。

2000年代の成功と、2010年代の成功もだいぶ違うと思います。

あまり行き過ぎると年代差別になりますが、50代以降の人の昔話であったり、基礎的な人生感覚を聴くと、やはりおかしい。少なくとも、自分には使えないような気がするのです。

(お笑いのダウンタウンのように、常に時代を読んで、若い世代と触れ合いながらやっていかないといけない特殊な職業の人、実力主義の人などは話が別です)

無差別に年寄り差別してるわけではありません。80代、90代は戦争で苦労してるからか、やっぱりすごい人が多いです。

彼らの子供世代が、やはり、甘やかされて育ったのでしょう。そして、時代が良かったのでしょう。

何より、世代別の代表的な人間の人格というよりは、その時代を象徴する経済の構造、その当時の価値観、そして、過去の問題が今現在、どのような深刻な問題として尾を引いているか…..

を私は、日本史を紐解いて見ているのです。

日本の経済は、明らかに過去の失敗のツケがまわってきてる場面があります。

年功序列、終身雇用システムに乗っかった世代かつ逃げ切りに走ってる人間の話など、ほとんどあてになりません。人生観の全てが、『会社が定年まで面倒見てくれてなんとかなる』という考えに基づいています。

例えば銀行の不良債権問題とかやばいですね。政治の失態、金融の失態、社会保障制度の失態、税制の失態、こういうものは確実に捉えて分析することができます。

特徴的なイベントがいつ起こり、その年代はいつで、それを主導した人間たちは誰で、どんな勢力で、彼らの年代は、、、、

ということを調べれば良いと思います。

 

念のために言っておきますが、どの業界も、どの世代も、偏差値80以上の人間は常に成功し、ハッピーです。

時代とか年代とか関係ありませんね。

私が今、お話していることは、偏差値50かそれ以下の人に向けた人の話です。

「自分は普通」「普通以上」だと思っている人は、日本人の平均年収を調べてみてください。日本人の平均年収は400〜500ぐらいです。このぐらいのゾーンか、あるいはそれ以下なら別に特別に優れた人材ではありません。

株式で当てたとか蓄財した、みたいなのは自分の人材価値ではありませんのでご注意を。自分自身のキャッシュフローを生み出す力、すなわち給料や事業で得られる収入をベースに自分の立ち位置を理解し、その上で考えてみてください。

(学歴も学生時代までの指標なのであまり関係ありません。所得で考えるべきです。しかも、地域別に生活コストが違いますから実質的な可処分所得を考慮して自分の位置を考えるべきです。地方なら年収400、東京なら年収5〜600ぐらいが平均でしょうか。)

まずはそれを踏まえた上で、偏差値50の生き方が時代によってどうやって変わってきたかはわかっておくべきです。

 

団塊世代〜バブル世代という言葉があります。1947年〜1970年生まれは、少し特殊な時代を生きた人たちだと私は思っています。この時期の常識は、それ以降に生まれ育った人にはあまり通用しない気がします。私は大真面目に、この世代の大半が死ぬ、もしくは現役世代から消えるのを大転換期と捉えているぐらいです。

ちなみに、私の親もこれに該当しますが、自分の親ながら客観的に見て「この時代を生きた人間の感覚や常識、アドバイスを真に受けると自分らの世代ならうまくいかないな」と思います。

未来予測というのはほとんど当たりませんが、人口動態に根付くものは当たります。ですから、私は真剣にそーゆー未来予測を立てて、人生の勝負時を狙っているのです。

 

昔の人たちは、焼け野原でも貧乏でも、結婚して子供を育てたなどと言って、今の若い世代に『子供を産み育てないのはエゴだ』というおじいちゃんがたまにいます。

自分より先を生きる年寄りが寿命や戦争でボンボン死んで席が空くありがたさ、年寄りが長生きしないありがたさがわからないのだろう、無駄な年金を払う苦労もなく、成長時代を生きただろうと突っ込みたくなりますが、『貧乏な時代』というのは皆貧乏だから良いわけです。

一億総中流時代を謳歌した世代も同じです。

今の40代以下に突きつけられているのは、圧倒的な格差です。格差があると、究極的には『あの人は子供が産めるのに、私は産めないんだ』『●くんのおうちはお金持ちなのにうちは貧乏なんだ』という現実を突きつけられます。

物が買えるとか、広い家に住めるとかは、上に行けば行くほど効用が逓減するので良いです。一般人にとって、年収80億と年収100億の違いはあってないようなものにしか見えません。

叙々苑に月1で行くのか、週1で行くのかは大した差ではたりません。

どうせ高額所得者は税金取られまくります。

問題は、人間の尊厳を揺るがすような部分です。

下層の人たちです。

平均年収4〜500に届かない人、ワープア(正社員なのに年収200に満たない人たち、が定義だそうです)、あるいはギリギリ400に届く人、正社員になれない、などの人たちです。昔なら、余裕のよっちゃんで人並みになれてたはずの人たちです。

格差がひどくなると、底辺層は恋愛ができません。一人暮らしできません。結婚ができません。女性の身体に触れられるぬくもりや、愛される喜びを味わえません。子供を産み育てる幸せを感じられません。自尊心を奪われます。

そして、大事な子供に、他の家庭と比べて自分の家は劣っているという不憫な思いをさせることが増えます。ある程度貧乏だと子供を産むのは諦めます。子供を産む人たちはある程度、豊かな層ですから、当然、子供は学校で、エリートの家庭、勝ち組の家庭を知ることになり、劣等感を覚えます。遊び方が違う、生きる世界が違う、人脈が違う、進路が違う、可能性が違う、人生体験が違うと思い知るのです。

学校で夏休みの思い出を発表させられた時、友達は家族で海外旅行に行ったことを発表するのに、自分は貧乏なシングルマザーの母親と金のかからない遊び方をしていたことを公衆の面前に晒されることになります。

 

よく、「人に幸せの価値観を押し付けるな」「人の家庭は人の家庭だ」という意見を目にしますが、「家庭」という視点で捉えれば、家庭全体が同じ価値観を持てているとは限りません。

本当の意味で自分の所有物というのはこの世にはありません。

預金残高が自分のものだというのは幻想です。預金は銀行に勝手に使われているし、お金(日本銀行券)自体も政府が信用保障しているだけ。自分が所有している車も、道路という公共インフラ、燃料インフラ、各種税金、メーカー・ディーラーのアフターサービスなどが無ければ回りません。

夫婦は究極、どこまでいっても他人です。親子も、本心では違うことを思っています。貴方が自分の親と話や意見、ビジョンのベクトルが合わないように、自分に子供がいたとしても意思の統一は難しいです。

「人の幸せに口を出すな」「人に幸せの価値観を押し付けるな」というのは、各々が個人の主観で幸福を感じているということをベースにしていますが、これは、一人で孤独に生き、かつ一人で食い扶持を回している人間だけが持論として掲げられるものです。

「自分の家庭」と「よそ様、世間様、社会」の間に一線を引くのは不可能です。エリートや社会的に成功している家庭ほど、それはよくわかっています。自分の家と外の世界に境界を引いても大丈夫のは、よっぽど財産を築いた一族・一家だけでしょう。それこそ、ロスチャイルドのような。

社会的に成功しないから、生きがいや逃げ場を家庭に作ろうとする人がいますが、彼ら・彼女らはヒステリック気味に「自分の家庭」というものをぎゅっと握りしめて自分のコントロールの範囲に置きたがります。そうやって内向きになっても、家族を苦しめるだけです。家族を構成している各々の人員はまた、社会的に迎合しつつ、よそで「親とは関係のない自分の幸せ」を見つけて生きます。子供だって、親同様、成長して異性に興味を持ったり、買い物したいと思ったり、旅行行きたいとか、あんな仕事したい・こんな仕事したく無い、貧乏にはなりたく無い・・・・などと、当たり前のように思うのです。子供の幸せは社会とリンクしています。

会社に勤めていれば会社の価値観にフィットせねばならず、会社も社会の価値観にフィットしなければなりません。夫婦でもそれぞれ違う思惑がありますし、元はと言えば両家は交わりの無い別の家庭です。親子もそうです。親は子供を自分の所有物、自分の「所有している幸せ」と思っていますが、子供は子供で物心ついた時から、学校という社会、実社会という社会を意識しています。年々社会に迎合します。

生きている限り、社会的価値観とは縁を切れません。出家しても、資本主義の原理、つまりマネーの論理からは逃げられません。

 

どこまでいっても、「完全なる主観に基づく幸福論」には、限界が付きまといます。親から離別し自立し、税金を納めて自活し、かつ家族を作らないで自分の食い扶持を自分で作って生きている限りは自由度の高い生活がありますが、それでも個人の主観に基づく幸福論で回せる範囲は80%ぐらいで、残り20%ぐらいは社会的な物差し、尺度を無視できません。

結局、全ては芋づる式につながっています。

 

会社の中で、ダメな人間は排除されていきます。

経済の中で、ダメな会社は排除されていきます。

国際社会の中で、ダメな国は排除されていきます。

 

日本は下降フェーズです。落ちてます。誰も日本経済が上向くなんて思ってません。

もともと人口密度も高く、人口多めな国、ニッポン。日本人は同調圧力に強く、我慢強いので、みんながやってることをやろうとします。意地でもやろうとします。

海外ならやらないでしょーね。仕事も育児も割とテキトーですから。

 

昔の『普通』が普通じゃなくなったことに気づかず、上の世代に煽られることを鵜呑みにして苦しむ若者。一億総中流が終わり、二極化が進んでいるのに、自分が下層に落ちてることを知らず高望みして苦しむ人たち。

高望みの定義は、絶対的なラインがあるわけではなく、自分の身の丈に照らしてどうなのか?です。人間は、自分のことを普通と思いたがります。偏差値50だと思いたがります。そして、今のように『普通』が変化し、揺らいでいる世の中では、自分を見失ってしまう人が多いのです。

 

今の日本は二極化です。

相当頑張らないと従来の普通は無理です。

電話がタダになった(LINEなど)、高性能のスマホが誰でも手に入れるようになった、amazon primeで安値で映画がたくさん見られるようになった、音楽が安くなった・・・・などの時代の恩恵はありますが、その一方で別の部分でハードさがましています。

具体的には仕事です。

事実、現代のサラリーマンは昔のサラリーマンに比べてIQが高いという統計データがあります。労働時間は減っているそうです。肉体負荷は減りましたが、昔より情報処理上の負担が大きいのです。昔と比べて、人間が1日の間に目にする広告や情報の数は増えてると言います。あらゆる物事がスピードアップしました。

現代は忙しいのです。脳に対する負担も増えてます。

 

日本は、人口削減フェーズなのです。

日本は衰退して然るべき。人口減って然るべきです。まず、国全体がオワコン化してることに気づいて下さい。

日本人は、オワコン化する国の中で、仕事も育児も根性で乗り切ろうとしてるのです。

 

共働きの家庭において、女性は、『子供の世話があるから早退しまーす』と言って退社します。子供がいない同僚は、それを見てイライラを募らせてるわけです。子供がいる人も、その空気を感じ取って、なかなか退勤を切り出せないのかもしれません。

サラリーマンの給料が減ってるとはいえ、ダブルインカムなら夫婦は豊かになります。しかし、子育ては厳しい状況になりました。

 

昔のように、偏差値50、40ぐらいの人が簡単に子供を産める時代ではありません。今の5〜60代以上は20歳の頃、ネットが普及してなかった、ケータイが無かった世代の連中です。ご存知のように、IT化とグローバル化は雇用を奪います。非正規社員も増えましたよね。

生涯独身率の上昇や、少子化は必然です。

有名な話ですが、コンビニの成長と生涯独身率の上昇は重なるそうですね。

 

おじさん世代に、『たしかに、若い頃、コンビニあったら俺も結婚しなかったかも知らん』と言われたことがあります。胃袋を掴めとか、花嫁修行という言葉は死語になりつつありますが、これも結婚のリアルだと思うのです。

 

昔は、親が死んでたり、毒親であっても、普通の正社員をやって嫁を専業主婦にすれば子供を育てられたかもしれません。しかし、今は共働きの夫婦の場合、両家の支援も重要かもしれません。子供の面倒を見てくれる人ですね。

日本は一夫多妻制を認めてません。

所得が高い男子、すなわち専業主婦になれそうな結婚相手は限られています。競争が激化します。これも結婚が難しくなる要因です。

昔は、女性にとって、結婚こそが社会進出の手段、経済的自立の条件でした。昔は求人に、容姿端麗のこと、なる記載があったと聞いたことがあります。

今は別に、結婚しなくても働けば、一人でやっていけますね。

 

IT化、グローバル化が進み、社会の厳しさ、格差をわかっている人は、子供を産むことだけではなく、育てることまで見通していることでしょう。

自己満足主婦ブロガーが、お金が無くても子育てできることについて情報発信してたりしますが、満足してるのは本人だけで子供は不満タラタラかもしれません。

親と子供は特別な関係ですが、全く別の人格です。

例えば仮に、いい年齢になった子供が、親に愛想をつかして家を出たとします。「縁を切る」と宣言して、子供が親と全く連絡を取らず音信不通になったとします。そして、親が捜索願を警察に出したとしましょう。もし、その子供が警察に見つかった場合、「捜索願が出ていますが?」と問われるでしょうが、自分の意思で「気にしないで下さい。親が勝手に・・・・」と事情を説明すれば、別にそれ以降、何かが起こることはありません。

つまり、親と(いい歳した)子供は、全く別の人間、社会的な生き物なのです。

現在は就職活動においても、例えば面接官が家族のことを根掘り葉掘り聞くのは(それで採否を左右するのは)ダメというのが、一応、建前としての社会のルールになっています。

子供は親に首根っこを牛耳られてるし、学校で親に感謝しなさいなどと教えられるのでおとなしくしていますが、物心ついた時から社会の格差をヒシヒシと感じ、親の経済力をよそと比較しています。そして、食べたいものに関しても、進路についても気にしているものです。自分の生まれ育ちを考慮して、自分の可能性を探るのです。

私は、これまでに、進路に悩む10代の話をたくさん聞いてきました。

自分自身も進路に悩む10代でした。しかも平均以下の家庭でしたから。

結婚や出産、長生きというのは、割とふてぶてしさや図々しさ、根拠なき自信、楽観性が無いとできないものです。親が毒親だと、そして周りの親に比較して劣ると、子供は苦労します。

現に私は苦労しました。

 

親に育ててもらったという考えは間違いです。親に感謝する義務はありません。

親は産みたくて産んだのです。勝手に。

親は育てたくて育てたのです。良い年代になって、結婚適齢期になれば、意味がわかるはずです。結婚・出産・育児は自己本位でやるものです。

子供が結果論的に親に感謝することはあっても、「感謝しなければならない」「育ててもらった」という考えは間違いです。むしろ、親のステータス、知力、経済力、考えなどの足枷に嵌められ、ただでさえ苦しい人生というものの難易度を、さらに上げられたハードモードの状態で産み落とされたのですから、親の方が子供に気を遣うべきです。

国家や社会情勢を読んで、「この国で子供を産んだら不幸だ」とか、「自分が子供を産んだら不幸だ、かわいそう」という判断だってあったのですから。

そして、あなたが、結婚しなかった、子供を産めなかったのなら、むしろ誇って下さい。あなたは思慮深くて、愛情があって、賢明な判断をしたのかもしれない。「産んだら存在したかもしれない子供」に対して、気を遣って愛情を示したが故に産めないという選択が今のそれかもしれないのですから。そういう見方もできます。

 

テキトーに就職してテキトーに寿退社したような専業主婦は、現実の社会でまともに上を目指してキャリアバトルした経験がありませんから、男の子の人生なんてわからないわけです。息子のいる母親は、男の子を育てることに精通していても、『男の人生』はまったくわかってません。

小5でちんぽが急に勃ち始め(朝勃ち)、小6で友達でそそのかされた情報を元に風呂場でこすって白濁液を出して罪悪感と快感を覚え、中学でエロ本をコソコソ見出し、スクールカーストとモテとの関係性、家柄の違う友人達との人生の違い、社会の格差、経済力と恋愛の密接な関係、これらを学習していくストーリーなど、サッパリわからないわけです。

普通は早くて小学校後半、遅くて中学には進路を意識します。そして社会を意識します。この頃から、「貧乏な家庭」の子は、ハンディを背負って苦労します。学校の先生も進路を考えさせますから。

教育熱心な家庭は、小学校から子供の才能発見と投資に熱を注いでいます。

私も小学生時代から、何度も教師に、『将来を考えろ!』と言われました。当然、今ちゃんとやらない奴は将来詰むぞ!みたいな話もたくさんされました。

私の小学生時代、同級生の中でずば抜けて貧乏な家庭の子がいました。原因は母親です。母親がちょっと男に奔放で、人生で学業とか受験とか仕事で頑張ったことがないタイプ、元ヤンです。

この子は、家庭環境のせいか、いつも問題行動を起こしていました。私は、この子といつも仲良くしていたのですが、学校の先生に、『あの子と友達するのはやめなさい。あんたはちゃんと勉強すれば上に行けるわ。』とコッソリアドバイスを受けたことがあります。今考えれば、とっても良いアドバイスです。先生は私のためを思って、『あの友達を捨てろ』と言ってくれたのです。でも、見方を変えれば残酷です。その学校の先生は、両親が日本舞踊かなんかのすごい人で、なかなかの裕福な家庭に育ち、当然のことながら公務員試験を突破して先生になった人で、旦那も良い会社の人でしたから、まあ中流と呼べる世界の住人だったのでは、と思います。そんな先生の目から見た親身なアドバイスがソレだったのです。

 

社会のリアルです。

 

子供にスポーツの環境を用意するため、引越しをする家庭だってあるのです。小学校からゴルフを教えたり、習い事をたくさんさせたり、海外旅行をたくさんさせたり。

いつの時代も、子供を産みたがるのは女ですが、女は女の人生はわかっても男の人生は知りません。男の子は男になるのです。散々、自分が過去にあしらってきた男たち、捨ててきた男たちのように将来、自分の子供がなるのです。母親である自分のスペックが低いせいで。

自分が社会的にうまくいかなかった、不幸だった・・・・というのを反動に、家庭にエネルギーのベクトルを向けるのは諸刃の剣です。

往々にして母親の思想は、その人がキャリアで何かを成してない限り、自分勝手、世間知らずです。

自分の体内に命が宿れば自分のもの、となる気持ちはわかりますが、本田圭佑の言う通り、『子供は社会からの預かりもの』が正解です。いずれリバースすることになります。社会にリバース、リターンです。20代〜30代になった子供を経済的に支援できますか?相続する財産はありますか?無いでしょ。子供をニートにしたら、本人も苦しみますし、世間からも攻撃されます。

もしかしたら、子供が犯罪者になるかもしれません。犯罪者の家庭環境は大体複雑です。世界各国、貧困と治安の悪さは結びついています。

自分が受験を頑張らなかった女親ほど、子供にお受験教育を強いるものですが、そんな母親の教育など説得力がありません。教育というものは子供を口で洗脳するものでもありません。確実に母親の過去の生き様を、子供は見ます。

いい男を捕まえればいいや、ではありません。夫の方が立派であればあるほど、格差が大きいほど、子供の気持ちは偏ります。子供は両親を平等に見てません。

 

お金がない、若さがない、時間がないと言って結婚を焦る人がいます。

しかし、人生は付け焼き刃の対処でどうにかなる世界ではありません。一夜漬けで人生の試験は通りません。

人間のステータスは習慣の賜物です。土壇場で、一夜漬けによる誤魔化しをして、人生の関所を通過しようとしても無駄。仮に裏口入学をしたとしても、レベルについていけないでしょう。

 

家訓の押し付け、親の思想の押し付け、強めの縛りなどが通用するのは、名家だけです。財産のある由緒正しい家だけです。

ただの一般人家庭の子は、由緒正しい家系のファミリービジネスの末端労働者として組み込まれて、一族経営に泣かされながら、親の貧乏DNAの再現か、親以下の人生を送ります。

親は親で、子育てについて『頑張った』という意識がありますから、上京して頑張ってる子供に電話をかけて『Uターンして私の面倒を見ろ』とか『仕送りをしろ』とか言うわけです。

問題は、それが良いか悪いかではなくて、社会の中で相対的にどうなのか?です。

職場の人は、同僚の家庭の事情など、『知らんがな』状態です。じゃないとリストラとかしないでしょ?

ダメな親を抱えている子供は大人になると苦労します。社会に出て、ほかのライバルたちが、立派で強い親がいるほど、余計に不利なわけです。荷物な親がいると、子供の不幸は生涯続くのです。この不幸の始まりが、「みんなが結婚したから自分もしたかった、なんとなく子供が欲しかったから産んだ」という母親の意向であったならばなかなか悲惨です。

社会は常に相対評価です。

ほかの人のレベルが高ければ、自分の価値は下がります。すると、用無しになるし、それ以前に、居場所が無くなるのです。居づらくなる。残念ながら、世の中の人というのは他人の家の事情など考慮してくれず、平気でイジメや口撃をします。

子供がいたら、

『あら、大変ね、私が手伝ってあげるわ』

なんて手を差し伸べてくれる人がいるどころか、むしろ、『なんでこんなに貧乏なのに産んだんだよ!私は子供諦めたのに!』と嫉妬されて冷たくされる現実。

あらあら。どこにも味方がいません。

でも諸悪の根源は、この母親の20代、10代の過ごし方にあるわけです。男がキャリアの自己投資、仕事関係に費やしていたエネルギーをディスコで踊ることや、服やバッグを買うに費やしていたに違いありません。

男は、小学校後半から母親がうざったくなります。中学では完璧に母親を嫌うと同時に、同世代の女に意識が向いています。家に親がいなければラッキー。

いかに家に女を連れ込んでキスするかとかエッチするかとかを考え始めます。

高校卒業、大学卒業まで親と仲睦まじくしてるのは、演技です。いい歳になっても親子仲良いことを自慢する親がいますが、不自然です。子供の自立を阻害してるだけです。いずれどこかで反動が来ることでしょう。

子供は自我が芽生えていき、親に侵害されたく無い領域が増え、自己の権利を主張し始めますが、そのくせ自立できていない自分の惨めさや情けなさにアンビバレントな気持ちを覚えます。コンプレックスになります。そして、自立したいと言う欲望に変えて社会に迎合していくわけです。こうやって社会人になっていきます。

親と険悪だと自分の人生運びに不利だから合わせてるだけです。精神的には小学校後半から離別が始まってます。

女親はこんなことをまったく知らないのです。

この溝を埋められないから、古今東西、女親と息子は喧嘩するのです。

ネットで、『うちの家庭、こんなにうまくいってるのよ♡』『貧乏でも子育てできる♡』『主婦の節約日記♡』などと情報発信してる母親を見て、息子は影で恨みを募らせ『ハズレ親の元に生まれた』と思ってるに違いありません。

結局、息子は親の遺伝子と経済レベル、教育レベルを引き継いで社会の底辺に食い込まれていきます。そして、老後、毒親になった元専業主婦母親という荷物と、高額な奨学金を両肩に乗せるに違いありません。

そして、この男の子が、好きな人ができて結婚したいと思った時、結婚相手の女性にスペックを品定めされ、親のレベルを匂われて、結婚が破談になるに違いありません。

結局、『鼻の穴からスイカが出るほどの痛みを通して、出産をするという大事を乗り越え、これまでパッとしなかった自分に、何かをやってやったという充実感が欲しい、母親になったという称号が欲しい』という女のエゴに、旦那と子供は振り回されることになるのです。

 

そもそも、世の中には産みの親より育ての親という言葉があります。

産むこと自体は誰でもできると言われます。痛いかもしれませんが。

年齢の問題から子供を諦めた人とかの発言を聞くと、『卵子凍結は?』『養子は?』『シングルファザーとの結婚は?』と言いたくなります。生物学的に、子供を産めないからといって、『母になること』を諦めることには繋がりません。代理出産だってあるはずです。

結局、本能的な部分で、『産みたい!』という思いが強いだけの場合もあると思います。これは男の、『中出ししたい!』と、類似のものです。

 

結婚、出産、育児は合理的に考えれば考えるほど、割りが合わず、厄介なものです。非効率です。しかし、社会は合理でまわってるわけです。結局、社会の合理にうまくフィットして、社会的に成功をおさめることで、非合理や無駄を許容できるほどの豊かさ、余裕が無ければ恋愛、結婚、出産、育児などはまわらないわけです。

人が豊かさを求めるのは、無駄や非合理を許容したいからです。

贅沢とは無駄なのです。楽しさ、幸せ、喜びとは非合理、非効率、無駄な領域にたくさん落ちています。一度、ミニマリズムだの、合理主義だのを突き詰めて生きてみてください。心が乾くのに気付けるはずです。

かといって、並以下の人が非合理、非効率、無駄にエネルギーを割くとバランスを崩して荒廃してしまいます。

 

まずは合理を突き詰めて社会に迎合することを頑張り、余裕ができた社会人が、その余裕力を使って非効率をなんとか吸収し、結婚や子育てなどを行なっていく。

 

結婚、出産、育児などについて、コスパの概念を持ち込んだり、疑問を持ったり、躊躇する人。安心してください。向いてないのです。やる人はやります。迷わずやります。適格な資格を備えているか、あるいは自分を潰してでもなんとかうまく行かせてやるという覚悟があるのです。

二人とも並みの力がある夫婦が、力を合わせて、お互いのことを常に後回しにし『全ては子供のために』を最優先に、本気でやりきれば、自分が潰れれば、人並みの水準で子供を育てられるだろうという確固たるものがあるわけです。

 

芸能人、著名人、有名人、身近なエリートが、割と軽いノリで結婚、子育てに突入するのは、根本的に、所得や生活水準が違うからです。あるいは親の力強い支援があるのです。

もちろん、下層で『特に何の考えもなく』というタイプもいます。

 

経済学の観点から見て、失業というのは社会的に許容されています。倒産もそうです。

技術進歩が起これば、失業、倒産が起こるのは当然です。

たとえば、アマゾンのせいで潰れる書店が出ますね。

 

社会が前に進むとき、必ず、膿を出すものです。つまり、社会で失業者が出る、負け組が出る、倒産が起こるというのはむしろ健全です。

わかりやすく人体で例えると、熱が出ているのに熱を下げる冷却ばかりやってるとよくありません。本来、体温が上がるのは菌への対抗です。下痢も、下痢止めで止めるのはよくありません。下痢は菌を出そうとしているのです。

 

世の中には死なないといけないもの、潰さないといけないもの、負けないといけないもの、止めないといけないもの、いろいろあります。

膿出しを止めると、余計に物事が悪化します。

 

会社が潰れても、その会社だけが悪いとは限りません。人の人生に関してもそうです。自己啓発などは、『全部、原因を自分に求めよ』と教えます。これは、成功と成長を目的にしたマインドセットです。しかし、真理を捉えるのであれば、どうにも抗えない理由でダメになることはあります。

 

人間が不老不死にならず、寿命に限りがあるのは、個体としては有限な命であったとしても、種としては無限の存続が担保できる可能性が高いからと言われています。

つまり、死は画期的な発明なのです。

ずーっと、個体が長生きしていたらダメなのです。長生きしすぎる年寄りがいたらダメなのです。私はこの観点から不老不死の薬などもってのほかだと思います。全ての人間は必ず死ぬべきと思います。

 

倒産する。

失業する。

老化する。

結婚できない。

子供産めない。

出世競争に負ける。

経済的に負け組になる。

 

これらは、実は全然悪いことではありません。社会的に、意味のあるプロセスの一部です。社会の循環を考えれば当然です。むしろ、これを許容しないことが悪い。「普通の人は仕事につけて当然」「普通は結婚できて当然」「普通は子供産んで当然」という考えが人を苦しめます。

仕事が見つからない!稼ぎが増えない!パートナーが見つからない!物事がうまくいかない!これらについて、悲観的になる必要はありません。

そもそも、全員はうまくいかないのです。構造上、そうなります。

昔から、結婚できない層はいました。子供産めない人はいました。仕事がない人はいました。

 

苦しい人生を生きる人は、『勝ち組、負け組なんてない』『普通の人生』などの考えを言います。私は、この考えは洞察が甘いというか、ひどいと思います。これこそ、苦しむ理由です。人が一番苦しむのは、人並みに達しないことです。

普通なんて概念を作ったら、普通以下の大量の人たちが苦しみます。

普通とか引き分けという概念は、大勢の人を苦しめるのです。下流を抑圧し、中流が戦国時代並みに荒れて荒れまくります。泥沼戦争です。

これは大衆を不幸にするのです。

勝ち負け、成功と失敗、一流、二流、三流などの区分けは絶対に必要だと思います。多くの人は、これでようやく安らげるのです。

なぜなら、勝ち組というのは少なくとも上位20%ぐらいの世界であり、残りの80%の負け組はそもそも眼中にないわけです。一流、二流、三流もそうです。J1のサッカー選手や、日本代表選手はJ3に興味ありません。

80%、すなわち大衆。

大衆への興味の無さや線引きの意識というのは、境界を設けることによって優しくなれることにも繋がります。私は20%を選んだけど、あなたは80%を選ぶだろうから、そんなに無理しなくていいんだよ、もっと楽に、簡単に生きていいんだよ、と癒してあげることができます。甘やかしてあげることができる。あなたは80%の人間なのだから、テキトーでいいんだよ、と。

圧倒的大多数の負け組と、ごく少数の勝ち組というパラダイムはほとんどの人を救うことになるのです。しかし、「平均はこんな感じ」「普通はこれぐらいできる」みたいなパラダイムは多くの人を苦しめます。自分は普通以下なんだ、並以下なんだと思うからです。

平社員に優しいけど、幹部に厳しい社長っていると思います。小学生に本気で怒る大人はいません。小学生相手に本気でプレーするサッカー選手は本田圭佑ぐらいです。優しい、甘やかす、叱られない、厳しいことを言われない、ってことは、ある意味期待されてない、高い水準を求められてない、諦められている、80%の人間と思われている、レベルが違いすぎると配慮されてるということかもしれません。

逆に、望んで20%に来る人には、愛情を持って圧をかければ良いわけです。

普通の人は、80%を意識するでしょう。80%というのは、社会の大半です。そして、ここにおける普通がどーだこーだいうて、安心したり不安になったりする。この8割を負け組とし、残り2割を勝ち組とする考え方は多くの人を救います。

上位20%の世界に生きる人は、「マジョリティ(社会の多数)」を気にしていません。

私も気にしていません。

そもそもほとんどの人がこちらに該当してないことを前提の上で、物事を考えたり、言ったりしてるわけです。逆に言えば、80%の人には、『あれは一握りの世界の話だから』『上の世界だから』『自分は無縁だから』と逃げる余裕を与えます。

20%の世界で生きる人は、狭い世界の住人でいること、マイノリティであることを重々承知なので、ほとんどの人に通じないってことをわかっています。だから、外から見るとぜんぜんうざくない。拡声器で大声叫ばないし、街宣車を回さないし、全員に話を届けようとしない。最終、押し付けし過ぎないのです。普通という言葉を使わないからです。「自分は勝ち組です」というのを堂々と喋るからです。

一番嫌味な奴は、偏差値60〜ぐらいでありながら自分を「普通」と言い張ったり、偏差値30〜50くらいの人に「これぐらいできて普通」というのを押し付けるパターンです。

 

上位の人はみんなにわかってもらおうとしない。

むしろ人を選ぶ。

 

成功者、上位者という自負は、人を救います。

人は平等ではありません。

上から目線で物事を喋るのは良いことです。

 

人が一番焦ったり、嫉妬するのは同級生や同年代、周りのリーマンなどと自分を比較した時です。逆に、成功者の話はすんなり入ってきます。なぜなら雲の上だからです。自分とは比較にならないレベルだからです。

 

結婚も就職も出産も育児も、普通という概念が人を苦しめます。

世の中には階級があります。

違いがあります。

格差があります。

 

偏差値50でも、昔と比べて生きづらくなった。

偏差値40や偏差値30は尚更。偏差値20なんてもう当たり前に苦しい。

こーゆーことを踏まえて、『じゃあ、どうやって楽しみ倒すか?』と考えれば良いのです。

 

ちなみに私のような偏差値100超えの人生もなかなか生きづらいです。

 

社会は平等、命は平等みたいな教えが、苦しみを助長させるだけです。

世の中には明らかに上下があります。それをさっさと認めることです。

自分が下になることが嫌だ、劣ることが嫌だと思う人は多いのですが、下になる、劣るというのはそれなりのメリットがあるのです。もしかしたら、将来的に何かで上に行くことにつながる準備期間を与えてくれるかもしれませんよ。

もし仮に、自分自身が『普通の生活ができてない』『負け組だ』と思っていても、落胆する必要はありません。

神様はそんなに残酷ではありません。

ニートには時間があります。フリーターは正社員ほどの責任はありません。独身者は気楽さと金と時間があります。子供がいない人はいつまでもフラフラしてたり、リスキーなことができます。

(子供がいたら、ユーチューバーになるかどうかについても、悩むんですよ!自分一人なら自分の気持ちと相談すればいいだけですが、家族がいるとそうはいかない!!)

 

日本のトップは内閣総理大臣ですが、あれやりたい人いますか?

もちろんたくさんいるでしょうけど(私も割とやりたい派)、やりたくない人の方が多いでしょう。社長業に関してもそうですよ。社長って楽に思うかもしれませんが精神的なオンオフ無いですからね。しかも肩に背負ってるリスクたるや、ですよ。

上というのは、絶対的に優れているとかそういう話ではなくて、普通はやらない・できない仕事を要求される世界です。

私の知り合いのITベンチャー社長は、経営幹部はNo.2以下はみんな子供がいますけど、社長は子供いませんよ。結婚もしてません。彼の口癖は、『この業界は明日、何が起こってもおかしくない』です。

 

日本人の悪いところは、みんなを同じにすることです。そして、格差や階級を認めないことです。時代がこれに合わなくなってきたから、みんな苦しいのです。

「上」が全方位的に良いことだらけではありません。その地位特有のリスク、コスト、苦労はあります。

そら、何年も世代を超えて引き継がれてきた、良家や名家のDNA、経済力にポッと出は敵いません。しかし、気楽さや自由さ、社会的責任の軽さはあるはずです。

明らかにハズレ親を引いていて、明らかに不遇にあって、明らかに苦しい状況なのに、変に責任感を持って、メディアや周りに流されて『立派な社会人』になろうとする人がいます。

でも考えてみてください。

親の責任って、意識の問題でしょうか?

 

私の先輩に、18歳で同級生を孕ませてそのまま親になった男がいますが、当人も、相手の女性もお金持ちの資産家であったため(人を使っている自営)、両家の親に時間とお金の余裕があり、余裕綽々で子育てに成功しています。難しいこと考えず、本当に何も成り行きに任せてますがなるようになってるのです。

このカップルは、結婚前も後と、そんなに変わってません。別に苦労してるそぶりも見せないし、二人とも、子供がいるのに金遣いとか遊びの感覚はずーっと一定です。

 

ちゃんと責任を持つとか、ちゃんと考えるとか、どうでもいいのです。

 

対して、私の同級生に、同じように若くして妊娠させた人がいますが、女の子はふつうにOLをし、男はふつうに営業の仕事をしています。両家とも、親が奔放でかつ片親です。結婚当初から、二人の口からは『責任』とか『苦労』とかそーゆー重々しい言葉が出てきてました。性格も金遣いもガラッと変わって、なんかカツカツしてます。

 

まぁ、要するにそういうことなのです。

 

ちなみに、『一人暮らしは大変だ』『税金は大変だ』『税金を食い漁ってる死刑囚は早く死ねば良い』『生活保護受給者は許せない』というような意見を、私は若い頃から、身近な大人に聞かされてました。

実は、私はそんなことを思ったことがほとんどありません。

私自身の感覚としては、そんな感じなのです。

それはやはり、若い頃から社会で生きるリアルを現実的に捉えて、それなりに準備して、修行を重ねてきたからに他なりません。

『人生甘くない』『人生は楽じゃない』『元来、人生は苦であり面白いものではない』『自分は自分にテコ入れしなければ、生きていけない』

というような人生観がベースにあり、もともと生きててつまらなかったので、意識的に自己否定、自己改造を続けていたら結果的に、楽になった感じです。

お金稼ぐことも、成功することも、独り立ちすることも、ビジネスをうまくいかせることも、そんなに苦労したなぁという感覚はありません。

私の場合、一番疲れるのは人間関係なので、この人間関係を自由にできたら、だいぶ楽になるタイプです。

あと、それなりに、やることはやったなぁ、とは思います。苦労話はウケが良いので積極的に出しているだけです。実際、苦労はそんなにしてません。リスク背負っただけです。

 

お金に関する収支も、そんなに気にしてないです。

自分が毎月いくら使ったか、データは残してますがそんなに確認してないのでわかりません。

 

結婚できなくても、出産できなくても大丈夫です。

仕事につけなくても、年収が上がらなくても大丈夫です。

家を買えなくても、車を買えなくても大丈夫です。

親に感謝しなくても良いんです。

 

昔の偏差値50と、今の偏差値50は違います。

頑張って昔ながらの偏差値50に無理して合わせてる現代の偏差値50もたくさんいます。

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。