評価社会と好き

たぶん、人生って、やるかやらないかのニ択だと思うんよね。

中途半端なゾーンで、『私に合った、、、』とかゆーてるから金も女も逃げてくわけね。

冷静に考えても、母親なんてなれるのは、ごくごく一部の適性があるエリートのみ。本来はね。繁殖に適してるのは本当にわずかだと思う。生物界ならそれでバタバタ死ぬけど、人間はなんとか生かそうとするから、苦しみの連鎖がネズミ講で子々孫々なんよね。たいてい、一般の家庭とやらは誰かにしわ寄せがいってますわ。女の幸せをマルチに掴めるのは本当は一部のみ。体力、若さ、遺伝子、能力、美貌、いろんなものが求められる。サラリーマンもイケメンサラリーマンらしい街道で醍醐味を味わえるのは総合商社みたいな一部のみ。アップルやマイクロソフト、グーグルの素晴らしい福利厚生環境で、ダイナミックな環境で働けたらサラリーマン人生も楽しいかもしれないけれど、多くのサラリーマンはつまらないってわけ。性と生を謳歌できるのは本来一部なわけ。それを目指して頑張るってのが社会の基本なんだけど、なんていうか親が甘やかしすぎたのか、普通の基準が狂っちゃったのが戦後に増えちゃったのかもしれない。

人の人生相談たくさん乗ってると、マジで気づきが多いからラッキーだわ。

人の悩みはシンプルに集約できる。ダメになって悩んでる人たくさん見てるとパターンは一緒でわかりやすい。

 

ずばり、高望み。

高望みの定義は、自分の立場や身分、能力と求めることのバランス。だから、自分を上げるならどこまでも高望んで良い。当たり前の設定をどこに置いてるか?食えるのが当たり前と思ってるか?自分はどのゾーンだと思うか?人は不思議と無自覚。そしめ、なぜか、自己否定の痛みを避けて、成長痛を避けて、多くを得ようとしてしまう。高みを求めてしまう。それが人間。

自分が低いことに気づいてないから、現実にイライラする。怒る。ひねくれる。他責する。分を知ってたら、その範囲でニコニコして生きるからね。もし、多くを望むなら自分を高めないといけない。当たり前の話。環境にイラつくなら、いい環境を買えばいいんだ。代償を支払えば良い。

人にイラつくなら?人から離れれば?

車運転してイラつくなら?乗らなければ?運転させれば?タクシーに乗れば?

モテないことにイラつくなら?モテるようになれば?

就活や転職でイラつくなら?会社を選べるようになれば?シークレットオファーを受けられるようになれば?起業できるようきなれば?

結局、その資力が無くて人は悩んでいく。

その悩み、イライラを、中途半端に処理するから悪い。

 

全部自分のせいにしろ。

正確な分析という題目では場合によっては他責も重要だけど、自己啓発という題目ではなりふり構わず自責にするのが正解。なぜ自責か?理由は単純でその方が伸びる。5年、10年経つと全然違う。もちろん、激烈な成長痛が襲うけど、これは未来への投資。自分の将来に賭けるかどうかはその人次第だけどねー。他責ばかりやってたら、5年経っても10年経っても何も変わってないよ。間違いない。

 

そして、この自分ってやつが、時間の経過とともに劣化していくのが普通なんだから。こりゃー、人生は厳しいね。

どんなことにも、特殊がある。デフォルトが不幸なら、特殊を目指さなきゃね。1%を追いかけていく、ぐらいの勢いで生きなきゃね。高みを目指さなきゃ。1%の当たりを追い求める。仕事も恋愛も結婚と、普通に成功できると考えるなら大間違い。

諦めるなら、とことん諦めて、ニートの極みをいったほうが幸せになれる。

1%の当たりと、99%のハズレぐらいの歪な構造で捉えてもいいのに、ふんわりざっくりと中間をとって普通になろうとするから苦しむんだ。普通の人間がそんな、ちやほやされて、理解者がそばにつくわけない。

 

もし、努力したくない、自己否定したくない、成長したくないなら、シンプルに楽しいことを見つけたらいいと思う。趣味とかね。幸せそうな人は、純粋な好きとか、癒しとかを見つけてるよ。

でも、ここで仕事や恋愛のような、他人からの評価を受けるものを持ち込めば、そりゃあ傷つくことも増えるだろうよ。みんな、愛が欲しい、評価が欲しいと思うのだけれど、それは自分が率先して与えて、なおかつ自分を高めることでありえるもの。

評価社会は、露骨だから。むき出しだから。

社会人になって、やみくもに求めてるなんて、ファザコンかマザコンをこじらせたようにしか見えないぜ。コピーライターの矜持は、その残酷な現実を見てるところにある。3つのNotだね。

 

評価社会を諦めて、純粋に心踊ることでも探してなさい。

それが嫌なら。評価社会で成功したいならただ一つ、自己改革だ。少年漫画じゃないんだから、『ふむふむ、君の腹の中には特殊な化け物が宿ってますねぇ』とかにはならないから。少女漫画の逆、少年漫画の逆がリアル。

 

プライドは完全に捨てられない、恥の意識がある、でも頑張る気はない、自分のことを正確に評価せよと世間に叫んでまわる、それを恋愛でもこじらせる、うーん、どうしようもない。

 

二つに一つだ。

やるか、やらないか。

やらないなら、いかなるボロクソの評価も恥も覚悟しろ。そして、純粋に好きで生きればいい。好きな居場所があればいい。評価を気にしてるのか?好きがわからないのか?どっちなんだ?

評価されたいのに、己を変えない、それは無理だ。

 

世界は広い。

時間は有限だ。

若さもそうだ。

喧嘩と他責はしてる暇がない。

 

よくあるダメな感じになりたくなければ、時間について考えねばならない。

もっとも時間とお金を消費するのは人間関係だけど、高みへ登る努力を怠れば、低いレベルの輪の中でひたすら時間とお金と若さを無くす人生の底無し沼から抜けられなくなる。後々思うだろう。もっと若い時に、頑張ればよかった、愚かな傲慢さを捨てれば良かったとね。

 

ハッピーであるために。

高みへ。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。