#2 どうしようもない人向けのゼロからの再興講座

どの世代にも、「何かを成した先人に、必死にアドバイスを求めようとする若者」っています。

一生懸命、名刺交換会に出かけたり。なんか変なセミナーに行ったり。あるいは泣きつくような形で人生相談をしたり。

 

こーゆー際にかけられるのは甘い言葉の連続。

それで何か変わるか?

変わるわけない。

 

人間は感情の生き物なので、感情の葛藤を整理するのは大事です。

しかし、こういう人たちって、なんというか、「結局何もやってない」「何もしてない」みたいなパターンが多いわけです。こう、自分の範囲から抜け出せていないというか。

 

そういう人に言いたいのは、

「引っ越ししろ」

です。

しかも、なるべく遠いところに行け、です。

 

とにかく、ニートとか、本当に何もやってないのだったら、何も考えずにボーンと遠隔地に行って働けば良い。短期間の住み込み労働でもすれば良い。そこで何かを感じ、得て、まとまったお金と共に帰ってこれば良い。

ニートがブログでマネタイズ?無理でしょ。失敗する確率の方が高い。その頭を世間に晒して何になるというのか。まず、なんかやれ、って話。

 

本当に何も無い人に、私がおすすめするのは、遠隔地に行って住み込みで働くことです。普通なら、踏ん切りをつけるのに勇気がいるはずですし、「キツそう」「嫌だ」とか思うはずですが、そうやって新しい一歩を踏み出して人は変われます。

その決断、行動力、勇気が大事です。

こういうのが自分の中にあると、強くなれるわけです。

 

根性論や精神論は嫌われますが、その先の議論をして良いのは、それを乗り越えた人間だけです。

戦略、ノウハウなど崇高なものに手を出して良いのは、根本のマインドが据わっている人間だけ。どうせ、そういう人たちが価値ある叡智を知っても、ひ弱なメンタルゆえに実行しきれない、信念を通しきれないのは目に見えています。

 

遠隔地への普通の就職、となってしまうと、そこに就職した後、結局そこに安住するようになって、「で、次どうするよ?」状態になります。最初は気分高まるでしょうけどね。何より、普通に就職しちゃうと、またそこから抜け出せなくなる。だって、会社は一生懸命、心地良い空間を提供して、安住させようとしているのだから。

その点、住み込みや季節労働、リゾートバイトというのは、ある程度期間が区切られているので良いですね。流動性がある。

 

要するに、「期間が決められているところに、辞める前提で飛び込んでいく」わけです。すると、飛び込みの瞬間も、退出の瞬間も、また変化があることになります。まとまったお金もできますよね。

冷静に考えてみればわかると思いますが、クソみたいなサラリーマンやって、ダラダラ働きながら、ダラダラ貯金をしたところで、一体、何が蓄積されていのかサッパリわからない状態になります。お金を貯めるにしても無駄な時間を使う、経験という点でも別に大したことがあるわけでもない、もはや何がしたいのかわからない状態です。ただ、呼吸するための行動です。酸素を得て、飯食ってウンコするためだけの行動。

 

変化が常にある状態、不安定な状態を人は嫌いますが、まず、これに慣れることです。変化や新しいものへの対応を、普通だと感じるようにしていく。

言い方を変えれば、「面倒なことに対するノリの軽さ」を身につけるわけ。

 

はっきり言いますが、腰が重い人は何もできませんからね。

面倒なことに対して、ノリ良くポンポン行けない人が、一体、何ができるというのでしょうか。そもそも、人生、全部面倒ですよ。面倒の連続。

 

ニートとか引きこもりの特徴は、

「快適な状態(comfortable)」なところから動かない、

「腰が重い→だるいが定着→惰性で今の場所から動かなくなってしまった」

という感じ。

 

あえて、不快なところ、自分の限界をストレッチされる環境、何もかもがガラッと変わるような状況に飛び込むことが大切です。

そういうものに対する反発心・違和感というのは、だいたい、親、先生、恋人などから吹き込まれた思想に起因するものが多いです。親と同じ人生送りたいの?定年まで同じカリキュラムをロボットのようにリピートして教え続ける人生送っている人と同じことやりたいの?安定的な食い扶持を確保して「結婚・出産・育児」と普通の幸せを求めている人の養分になりたいの?

 

私は、30代、40代になって、

「親の言うことなんて聞かなければ良かった・・・」

とか、

奥さん・子供に逃げられてこれまでの人生の全てを投じたものを失った喪失感から

「もう俺の人生終わりだ・・・」

的なこととか、愚痴を吐きながら、酒に飲まれている馬鹿な大人をたくさん見てきました。

 

アホ。

 

世の中には、

「決めきれない大人」

で溢れかえっています。

 

企業の経営陣ですらそうです。特に、サラリーマン社長、サラリーマン役員なんて、その最たるものです。自分で何かを決めたくない人で溢れかえっています。

アホみたいな出世競争に精を出して、会社の経費で銀座で飲み食いして、定年退職した瞬間にあれほど人間を引き連れて夜の街を闊歩していた人間が音沙汰無くなり、地位の喪失と共に人がいなくなり、偉そうに決裁を下していた人間がおじいさんになると普通のバイトすらままならない状況に陥り、そこで初めて「あっ、俺ってただの何もない人間だったんだ・・・」と気づく。

そんなくだらない人生送りたいですか?

 

何か事業を起こしたとか、人生を変えた人間たちは、自分で決めて、変えてきた人間ばかりです。決断と変革の人間です。

 

決意を新たにするとか意味無いですからね。

居住環境、人間関係(及び情報チャネル)、時間の使い方、お金の使い方、これらに革新を起こさない限り、何も変わりませんから。

 

東大の名誉教授かな、養老孟司さんが、

「若い人の欠点は、その時の思考で世界を見ようとすること、自分が変われば世界は変わる」

みたいな話をしていました。

これは一理あります。まず、今の時点で「何も浮かばない」「何もできない」と思うのならば、世界を変える必要がある。自分を変える必要がある。

 

たとえ、どれだけ思考が優れていたとしても、その思考がダメな結果が今な訳です。自分の思考を捨てないと話にならない。

どれだけ思考が優れて結果が伴う人であっても、本当に賢ければ、思考の限界に気付いています。それは、人体の限界に気付くことでもあります。身体性とか、五感で検証できること、直観などを重んじる重要性などにあとあと気付いていく。

そもそも、脳みそがまともに機能するかどうかは、どんな栄養をとっているか、どんな環境で考えているか、身体の状態はどうか、メンタルの状態はどうか、外部からどんな情報を得て刺激を受けているか・・・・といった条件に左右されるのです。つまり、「思考は絶対では無い」のです。

 

ですから、いくら考えてもわからないこと、答えが出ないことというのはあるのです。

その時、何をすべきか?

考えないことです。考えても、どうしようもないなら、時間の無駄でしょう。それよりも、行動して、視座や視野を移しながら、新しい世界を見ていくことは大事です。

何を買うのか、何を好むのか、何を選ぶのか・・・という、自分の周りに置くものは全部「自分の考え・思想・趣向・嗜好」が反映されているわけです。だったら、それを捻じ曲げる必要がある。強制的にです。

別に興味が無い所に行ってみる。欲しく無いものを買ってみる。全く未知なる分野に足を突っ込んでみる。人の誘いに乗ってみる。他人の世界観に乗ってみる。

 

そうやってはじめて、変わることってたくさんあるはずなのです。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。