#4 どうしようもない人向けのゼロからの再興講座

はい、前回まではかなり厳し目なお話をしたと思います。

結構、意欲的な人はそこから立ち上がって何かやるでしょう。

 

でも、何もやらない人はどうなるか?

多分、変わりません。でも、それで良いならそれで良いと思います。

 

株とかFXとかやってみたり、怪しい不動産投資セミナーに参加して、今流行りの感じでシェアハウスとか建ててみたりすれば良いでしょう。

何かやっている気にはなれるかもしれない。

その「何かやっている感」のおかげで、サラリーマン生活をダラダラとやり続けていけるかもしれない。

 

そうやって、現実から逃げるのも一つの生き方だと思うのです。

目を塞ぐというか。

 

人は、やばい状況に追い詰められたり、危機になって初めて何かを考えるものです。それからだと遅いというか、打てる手が限られているのですが、そういう人がたくさんいるので、まぁ、それが普通といえば普通かもしれません。

では、「我こそは普通、我こそはやる気なし」、という人はどうしたら良いのでしょうか。

 

私が思うに、腰が思い・思い切ったことができない人は、小さなことを初めてみると良いと思います。

最初、スタートするにあたって、そんなに気が重くないことをやれば良い。

ブログ・メルマガ・youtubeなどは、ダラダラできることの中でも、筆頭のものです。

資格とかも、一人でコツコツ、ダラダラできるから人気ですよね。

私だったら、資格とかは時間とお金の無駄なのでやらないのですが、やっぱりみんな、ダラダラできて、なんか効果がありそうなのが好き。

 

だから、ダラダラそういうことをする。

 

でも、そもそもなんでサラリーマンなんかするのでしょうか?私から言わせれば、サラリーマンというのは結婚とか出産・育児のためにすることだと思うのです。要するに、自分の人生を諦めて、誰かに貢ぐためにすることです。

そして、結婚というのは当たり前の義務ではありません。人生の「贅沢品」です。

そもそも、この贅沢にうつつを抜かせるのは、本来なら、学生時代からもう、決まっているのでは無いでしょうか?大手マスコミ、商社、大手広告代理店、大手外資系消費材メーカー、国内大手電機メーカー、自動車メーカー、財閥・・・など、学生のうちから「ふるい」にかけられて、残った人たちが贅沢にうつつを抜かせるライフスタイルを送れるわけです。

若い時に頑張った人たち、遊ばず青春を返上した人たちが、リスク面でも給与面でもプライベート面でも、総合的にそれなりのバランスをとりながら、それなりの贅沢をしつつ、ぼちぼち生きていけるわけです。

ほとんどの人には本来、無関係なのです。洗脳されてます。

 

でも、無関係な人たちが必死こいて上流の真似をしようとする。そして、俗に言われるような「サラリーマンのお小遣い、いくらいくら・・・・」みたいな話になるわけです。そして、みんなそれをやっているから、それが当たり前と思い込んでいる。

サラリーマンでも、いわゆる「普通の幸せ」を満遍なく享受している人たちはいますよ。でもそれは上流です。多分、上記したような上位層とか、官僚とか、かろうじて税理士(でもこれからは危ない)とか・・・・のクラスが普通の幸せを享受している人たちです。

その下の層の人たちは、「普通の幸せ」を自分たちもそうすべきだ、と勘違いしているのです。これが、苦しみの元凶。

 

あっ、俺には、恋愛とか、結婚とか、子供とか、家とか、車とか、無関係なんだ、と思った瞬間に一気に気持ちが軽くなるはずです。

人生の5大コストは、結婚関連、子の教育関連、車関連、保険関連、住居関連です。これら全部を一気に手放し、そしてこれらのために必死になっている経済圏との交際を全部手放せば・・・・・

「あなたは、好きに生きていい」

のです。

学生時代のような、天国がまた、お迎えにやって来ます。

自由にやっていいのです。

 

パーフェクトに諦めるな、ということではありません。

自由にやって、成功したら、余裕ができたら、「ついでにそういった贅沢」をやるかどうか、その時決めれば良いのです。つまり、結婚するか、車買うか、家買うか、恋愛するか、子供産むか、親の支援するか、同窓会に顔を出すか、わかんないですけど、その時にそういう贅沢をすれば良い。

 

私、20代前半の時、周りの人たちを見ていて、「なんでこの人たちは、自分もいわゆる『普通の幸せ』みたいなものを当たり前のようにすることになる前提で喋ってんだろう」って不思議に思っていました。

19歳ぐらいの時に、スタバで、隣の席に座っていた28歳の女性二人が「28歳ってさ〜〜、自分が思っていたのより全然子供でびっくりしない??結婚して子供いるのが普通、当たり前って思ってたのに全然だわ〜〜www」みたいな話をしていたんです。

大人は何でこうなるのか?

何で目論見よりも常に下をウロウロするのか?

その「ギャップ」こそ、自分に対する「過大評価」と「客観視力の弱さ」です。

ちなみに、こういうのは古今東西繰り返されています。アメリカの人気ブロガーのブログでも、「25歳、理想と現実」みたいなネタが書かれてました。

ネットでよく言う話ですが、子供の頃にバカにしていた、クレヨンしんちゃんの家庭、野原ひろしが自分よりだいぶ勝ち組・・・・みたいなの、大人のあるあるです。

 

なんでこうなるのか?

もう、わかりますよね。

 

ーーー
※ちなみに、私は10代の時にロバートキヨサキの本を読んで、40代〜50代でファイナンシャルフリーになれたら良いな、と思っていたら20代で達成してしまいました。
ーーー

 

昔とは時代が違う。

親世代の時とは時代が違いますからね。

結婚すべきで無い人間が必死に結婚しようとしたり、家や車を買うべきで無い人間が買おうとするから、苦しいわけです。

常識に囚われているから、悪いわけ。

 

私は一旦、常識は捨ててましたよ。

 

何で、世の中の人が「クリぼっち悲しい」「彼女・彼氏いない歴長いと嫌だ」「就活失敗して自殺」「独身悲しい」とかなってるのか、さっぱりでしたもん。

 

成功したり、余裕ができれば、なんでも好きにやれば良い。

でも、そうじゃ無い段階から、ありとあらゆることを、「自分もやらなければならない」「それが普通だ」と思い込むことから、不幸が始まります。

これは、気持ちが楽になる考えです。

 

だって、そういう普通の幸せを望むのなら、学生時代からやることやって東大に行っていると思いません?むしろ、そういうことを望んで、「普通に生きよう」としている人たちほど、若い頃から計画的にやることやってるんです。

エリート層の子供は、若いうちから親の年収とか具体的に知っていて、どのコースを歩めば手堅くどのくらいの稼ぎが得られ、どういう生活ができるかなどはよくわかっています。いいとこの子は、親の額面年収、税引き年収とかも知ってたりしますからね。中学校で。ですから、エリートコースの人ほど、「普通に暮らせれば・・・」「人並みに・・・」みたいなことを言う。

対して、中流以下はどうかと言うと、親が稼ぎにコンプレックスがあるので、子供に暴露しなかったり、「お金のことは心配するな」とテキトーにうやむやにしたり、必死こいてお金を作ったり、両親の援助を受けたり、親の感覚で子供に子供時代の生活の仕方などを教えてしまう。結果的に、中流以下の子供の物差し・感覚は狂ったままで大人になってしまいます。で、大人になって苦しむわけ。口癖は「人並みに・・・」「平均以上・・・・」「まぁ普通よりはちょっと上・・・・」・・・・・気のせいです。

 

若い頃から、やることやって計画的に、既存の伝統的なレースで戦っていた人からすれば、

「へっ、学生時代、ヘラヘラ遊んでいた人間たちが、俺たちみたいな普通の幸せを簡単に手に入れられると思うなよ!!」

って感じでしょう。

 

シャバに出れば学歴関係ない、とは言いますが、高学歴の人たちですら「学歴関係ない」と思いつつ勉強してきた人が沢山いるわけで、高学歴の人の中に、お勉強以外の有能さの能力が無いとは限りません。私の知っている女医さんは高校時代セックスと男遊びばっかりしてたって言っていました。みんなガリ勉とは限らないんです。

 

たまに、若い子が、

「僕はただ、普通に自分に合った仕事をして、普通に幸せに働いて暮らしていければ・・・」とか「普通に結婚して、普通に子供産んで、普通におじいちゃんになって・・・・」

とか言いますけど、それって、やることやった人のコースですからね、っていう。

嵐の櫻井翔君が、同じこと言ってましたからね。笑。ご存知のように、親官僚で慶應ボーイ。

 

そうじゃない人たちって、何かしら、リスク取るなり、チャレンジするなりして、結果的に、地位が築けた・上に上がった人だけが、いわゆる普通の贅沢を享受するのでは?と思うわけです。

もちろん、成功しちゃった人でも、別に、結婚しなくても、子供産まなくても、家買わなくても、車買わなくても、良いと思いますし、実際そういう人はいますから。

 

常識、普通を覆せば新しい世界が見えてきます。

もちろん、「自分は貧乏だ」って思いながら、いわゆる普通の幸せをかき集めに行くのなら全然、良いと思うんです。

 

でも、「俺って、なかなかのラインだよな?」とか思い込んでいたりして、実際そうじゃ無いと、あらゆる苦悩が押し寄せてくるわけです。

身の回りのものに感謝できているかどうかも、それを当たり前と思うか、ありがたいと思うかで変わってきます。ありがたいと思えるかどうかは、「足るを知る」かどうかです。

 

大方のサラリーマンは、本来、「普通の・・・」なるものとは、無縁なんですよ。その証拠に、テレビ、街頭広告、パンフレットなどで散々見せつけられたような普通の幸せの家庭のイメージ像に、全然リーチできてないでしょ?にも関わらず、上流の文化・ライフスタイルに引っ張られて、無理にそれに近づけようとしているのです。そして、無理して子供を産み、貧乏の連鎖を加速させる。

まぁ、日本は良い社会なので、普通にサラリーマンやって、ちょっと頑張るだけでもなんとか、上流の真似事はできるようですけど。

家、車、人付き合い、結婚、子供の教育、保険・・・・こういった、いろんなものを諦めていけば生活にかかるコストはぐっと減ります。

月15万円あれば生きていけます。月15万円稼げない人なんていません。

 

そうやって考えて、チャレンジして、月の稼ぎが150万になったり、300万になったり、600万になったり、800万になったりしたらラッキーだと思いません?

私はそうやって生きてきたんですけど。

 

でも、案外、額面って関係ないと思いますけどね。

学生時代、アルバイトで月10万円稼いでいた人が、大人になって月30万になって、どうですかね。幸せ、3倍になっているのでしょうか。なってないでしょ。なってたとしても、それ、最初だけじゃないでしょうか。

結局、生き方、ライフスタイル、仕事、自分のスキルや腕、こういったものに満足できるか、楽しいと思えるか、得るところがあるか、だと思うんですけれど。

 

私から言わせれば、進路選択というのは正しくは、

結婚(及び家族形成) or 自分の幸福

の2大選択だと思います。

近い人間に対するFor youの人生か、For meの人生か、です。

まず、若いある段階で、はっきりと決断して、どちらか片方を下手したら失うかもしれない覚悟がいると思うんです。

 

結婚すれば自分もハッピー、相手もハッピー、バラ色、うふふふの生活・・・・とか思っているから、実際やってみたら、理想と現実のギャップでビービー言うんじゃないでしょうか。まさか、我慢、忍耐、妥協の連続とは・・・・って皆言うやん。そんなん、当たり前だと思いません?

理想像どっから来てるの?童話と、ブライダル業界のPRと、テレビでしょ。

 

私のファイナンシャルフリーに対する理想像は、昼間から女とラブホ行っている自営業の人、昼間から女引き連れてゴルフだの酒だのやってる人、自分のスケジュールを勝手に決めているオーナー社長、あちこちを自由に飛び回って自由に仕事を作っているオーナー社長みたいなのを、ふつーに見て来たからです。

そんなの、飲食・接客をやってみたり、ゴルフ場行ったり、実際に働いて人と触れあったりしてたらわかりますって。

 

で、「定時に、決まった場所に、決まった曜日(月〜金)通って、決まった時間働いて、先の見えない労働を続けて、自分の思うようにやれない人生は不幸だ」と思い、その逆にあるのは幸せそうだと思い、本などの情報、人から得る情報なども総合して、自分の理想像を確定して来た。

その理想を追って来た。

本当だった。現実化できた。

だからハッピー。

 

わかりますか。

この論理。

 

もちろん、両方手に入るパターンもあります。十分ある。

だけれど、それは結果論であって、初期の段階では絶対、「失うかもしれない」という覚悟がいるのです。

 

「生きる」ということを考える上では、自分一人、やっていけないということは無いのです。ありえないのです、そんなことは。

少し考えりゃわかる。

 

生きる意味とか、生きづらさとかについて深く思いつめている人たちも、普通とか常識の奴隷です。

だって、月10万〜15万円、稼げれば生きていけるってなれば、別に、後のことはかなぐり捨てて、好きなことできるじゃないですか?

例えば、コミュ障でも、工場仕事とかあるし。努力できなくても、テキトーにやってればそれぐらい稼げる仕事なんていくらでもあるでしょう。

 

絶対100%、好きに生きていけるはずなのです。

 

親の援助をしないといけない?え?日本で一番大きな格差は世代間格差ですよ。毎月シコシコ献上している健康保険は無駄に長生きしている年寄りにバカスカ使われ、年金も将来どうなるかわからないのに吸い上げられて、将来増税増税が待っているのにも関わらず、なんで親のことを一生懸命に背負い込もうとしているのですか?その親に、自分の老後を考えてこなかった責任は無いのでしょうか?

親が孫の顔を見たいというから産む?バカ言え。人の命、人生はそんな軽いもんじゃあないでしょう。

子供を産まないと将来の保険がない?まじで言っているの?子供を自分の老後保障にするんですか?

結婚しないと寂しい?え?結婚しても寂しいでしょう。離婚、死別、色々ありますよ。お互いのすれ違いとかね。そもそも、夫婦の共有時間って、お互い忙しいとほとんど無いでしょう。

 

こういう常識というのは、若い頃からものすごく堅実に歩んで、学生の頃から敷かれていたレールの上位に食い込んできた人(ギリ早慶ライン)か、リスクをとってチャレンジして成功し余裕ができた人・地位を築いた人か、特殊なキャリアで這い上がった人、企業社会でなんとか成功した人たちにとっての常識で、実は大方の日本人には関係がありません。そして、この関係ない層というのは拡大しています。昔より、中流がいなくなっているからね。

 

人のセックスは覗けないのと同様に、人の家の経済事情も覗けません。

世の中には、裕福な家庭で育ち、たんまりとお金を投じてもらい、またその子も親の背中を見て親と同等の社会階級に接続していく・・・・というのが起こっています。

階級の固定化ですね。

 

そして、よその家のことや、社会全体のことがわからない人。いろんな階級を覗いたことがない人は、なんとなく周りを見て、それに流され、引っ張られるのです。

そして、「そうやって苦しい思いをして生きるのが常識」と思い込む。

 

人によっては、どこかで限界が来て、体を壊したり、精神を病んだりします。

 

なんでそうなるのか?

要するに、「本当はできないこと、向いていないこと、自分のレベルじゃ無理なこと」に一生懸命に食らいつきすぎ。自分のレベルが見えていない。

 

つまり、「好きなように生きる」というのは実現できるのです。

サラリーマン社会から逃げれば良い。

常識を捨てれば良い。

 

それでも、ダラダラサラリーマン人生を送りたいということは、もう、洗脳されているんだと思います。繰り返しますが、結婚とか子育てみたいなミッションがあるのならわかりますが、そういうものが無いのに、一生懸命、企業社会で揉まれている人はちょっとよくわからない。

なぜ、生きる食い扶持を得るのに、企業なんかと労働契約を結ばないといけないのか?です。

 

とりあえず、そんなことを言われても、すぐは理解できないでしょう。

 

だらだらと生きられる能力はあるのですから、何かを初めて、だらだらとすることもできるでしょう。

だらだらブログ投稿を続けてみる、だらだらyoutube投稿を続けてみる、だらだら何かを勉強してみる・・・・・。

それをずっと続けていると、何か変わって行くかもしれません。もちろん、変わらない率の方が高いとは思います。

でも、何もやらないよりはマシではないでしょうか。

 

読書に関しては、行動を起こす気がある人は意味があると思います。

行動を起こす気があって、大量に読むとかなら。

 

でも、大量に読むこと自体がその人の中の行動の全てになっていたり、もう、もはやダラダラとyoutubeを観るような感覚で惰性で読書を続けている感じでは・・・・どうなんでしょう。

結局、最終的には行動が問われますからね。

 

唯一、サラリーマン人生を肯定できるとしたら、「そこから何かを学べること」です。

給料のために働く、みたいなのは近視眼すぎて、ぶら下げられた人参を追っているような動物的行動です。

でも、そこで何かを学べる、というのなら、やる価値はあると思います。

 

私の中では、結局、サラリーマンをやっていては老後問題や経済問題は解決しないという感覚なので、

「将来自分で何かを始めるのに必要なことを学べる」

「経験値を稼ぐ」

「自己投資するための費用を稼ぐ」

という目的でしか、サラリーマンをやろうとは思いません。

 

私は、今は余裕全開ですけれど、一度本当に底に落ちたり、現実ととことん向き合った結果、自分の身の丈を正確に測れることができました。

親とか、企業名とか、こういうものに頼らず、腕一本で稼ぐ経験をすれば、それはわかるようになります。

 

この世界に渦巻く不幸の源泉は何か。

生きづらい人の生きづらい理由は何か。

 

常識とか普通に流されすぎなのです。そのレベルに到達していないのに。

平等信仰とか真に受けすぎた結果ですね。

人間は平等ではありません。この世界は平等ではない。生まれた瞬間からの格差もたくさんある。明らかに階級の違いがある。このジャポンにおいても、です。

 

現実を直視すれば、一気に、身が軽くなります。

 

贅沢は、余裕ができてからやれば良い。

余裕が無いのに、贅沢するから、苦しくなるんです。


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。