#1 俺の死生観 年寄りはなかなか死なない

15〜18歳の頃。

夜空を見上げて、いろんなことに悩んでいた。

けれど、「今が人生のピークだ」ってのは常に思っていた。

 

いずれ自分も大人になり、仕事に就き、結婚し、子供ができる。

幸せな家庭を築き、歳を取り、孫ができる。

そして老いて行く。

 

誰もが当たり前に思うようなことを思っていた。

 

18歳のスターたち (同年代が有名になり始める)

人は歳を取るとどうなって行くのか。案外忘れることだから、書き残しておきたい。

まず、18歳頃になると、同世代のスターたちが現れる。全国区のスターたち。例えばサッカー選手、甲子園投手。

大学生年代になると尚更だ。社会に出るともっとそうだ。

自分が初めて、「あっ、老いてる」って感じるのはそういう時。だんだん、自分が歳を取っていっているんだなぁ、って感じられる。それは、学生のうちはまだ、「自分は学生だ」っていう免罪符で生きられるから。

テレビの向こうにいる人たちと、一線を引ける。

俺はまだ若い。俺にはまだ可能性がある、って。

 

ハタチぐらいの頃、総合病院で思ったこと

ハタチぐらいの頃、真昼間から総合病院に行くことがあった。その時、なんかゾッとしてしまった。目の前に、ゾンビがウヨウヨいると思ってしまった。そして、いつか自分も、こういうゾンビになって行くんだっていうのがリアルに感じられた。

彼らの医療費の負担は1割。

対して若者は3割。

年寄りの医療費は、若者から吸い上げられたお金で回っている。

 

年金も、健康保険の制度もオカシイ、と若い俺は思った(そして安直に年寄りが早く死なないことが諸悪の根源では?と思った)

よく、年寄りが「若い世代にはチャレンジ精神が足りない」などと言っているのを耳にする。

その時、

「いやいや!老害がいなければ若者は羽を伸ばせますよ!」

といつも思っていた。

学生時代もそう。大人になってからもそう。若者の羽を抑えるのは先輩や先生、上司的な立場の人たち。

世の中ではジョブズやゲイツのようなアントレプレナーが賞賛されるけれど、私は独自の分析で、「そもそも彼らのような破天荒な人たちが活躍できたのは、ゾンビがいない世界で戦えていたからだ」と思っていた。

経済に元気が無い原因は、すべて年寄り。

若者が搾取されて、生産性の無い年寄りに金が回る。年寄りに圧政される。若者が苦しい状況にあるから、なかなか子供も生まれない。少子化が加速する。世の中に新しい産業が生まれない。

海外で、若い世代が多い地域に行くと、その活況に驚かされる。

 

医療、介護の現場では死生観と倫理について日々直面する

人は、何歳まで生きられるのだろう?

どんな状態までなら、生きていると言えるのだろう?

管をたくさん通されて、自分で食事をできず、排泄も自己完結できない人を「生きている」と言えるのだろうか?

現代の医療では、あまりにもテクノロジーが進みすぎて、「生きてるかどうかわからない人たち」を現状維持のまま、延命することができる。

 

ゾンビで飯を食う人たち

大量のゾンビという需要があって、医療施設が成り立っている。そこには医師・看護師がいる。薬局には薬剤師がいる。もしかしたら、病院の食事には栄養士が一枚噛んでいるのかもしれない。医療事務だっている。

病院に機材を売る人たちがいる。MRもそうだし、薬剤メーカー、介護施設なら介護職員・ヘルパー系の人たちが仕事についている。

日本は地域格差が大きい。

首都圏、名古屋県、関西圏に仕事が集中している。そんな中、医療や介護は、全国各地で仕事を生んでいる。

大病院は、地方にも必ずある。

 

命について考えていたら、本当の寿命は「31歳」だと知った。

縄文弥生の平均推定寿命は、なんと31歳。

でも、感覚的になんかわかる。

だって、15歳ぐらいでもうだいぶ大人だし、楽しいことは30歳までにほとんど起こる。体力の低下は20代半ば〜後半から始まる。そうやって考えたら、31歳が本当の寿命と言われても、納得できる。

戦前までは、人生は5〜60年の感覚だったらしい。織田信長あたりの時代の人は、人生50年の感覚であっただろう。

 

人生80年の前提はオカシイ。人生は50年。

無駄に栄養状態が良くなり、医療が進んでしまって、人生80年になってしまった。

年金制度が始まった当初、老人たちは長生きしなかった。だから、安易な見通しで今の年金制度が始まったけれど、完璧に構造破綻してしまった。

まさか、こんなに人間がゾンビ化するなんて。

でも、本来それはオカシイんだ。人生は、もともと50年程度の持ち時間しか与えられていない。

 

早く死ねない社会が老後負担を生んだ。

早く死ねないから、老後問題が出てくる。老後問題が出てくるから下手に貯金に励む。年寄りがゾンビ化して連なるから若者を圧迫する。経済が重たくなる。すべて、不幸の連鎖だと思った。

そもそも、人類はなぜ、「死」を発明したか?

アメーバのように死なない生物がいる一方で、人間はなぜ死ぬか。それは死ななければならないからだ。全ての生物は死ななければならない。死ぬことによって、種全体の保存が担保される。

人間は、それぞれの個体が死んでいきながらも、子孫を残して行く仕組みによって、環境に適応しようとした。いつまでものさばる老害がいたら、世の中はおかしくなってしまうのである。

 

死を肯定し、許容する。自分の死を、ポジティブに受け止めると、どうなる?

死ぬことは悲しいことじゃ無い。むしろ、死ななければならない。これは課せられた十字架だ。

著書を何冊も出す、某ビジネスインフルエンサーが、「死にたく無い」って言っていたけれど、俺は違う。

死にたい。

ちゃんと死にたい。

むしろ早く死にたい。

50で死にたい。

こうやって、死について意識をする。そして、「いや、50どころか、もっと早く死んでしまうかもしれない」「いつか、ポックリ逝ってしまうかもしれない」と考えてみる。例えば、こんな質問はどうだろう?

 

あなたの余命は、1年です。

あなたの余命は1年です。そう言われたら、どうだろう。どうしたいだろう。どうやって残りの人生を生きたいだろう。どういう感情であれば、満足できるだろう。若いころ、いつも思っていたのは、

「もう死にます」

と言われても、全然後悔しない生き方をしたい。しかも、それをなるべく早いうちに。命を激しく燃やして、「もうあなたは死にます」と言われても、「はい、大丈夫です、僕がやり残したのは死ぬことだけですから」と思えるような心境でありたいと思った。

 

23歳から、俺の体は確実に蝕まれていた

10代の時、私は無茶苦茶な働き方をしていた。徹夜で先輩と遊びまくり、その後、昼前に学校へ行く。単位の問題からヤバい授業だけを優先的に受けて、その後、学校の外に置いていったバイクのところへ駆けて行く。学校を抜け出し、バイクを走らせて寿司屋に行く。そこでは、エリアマネージャーと部長が待っている。一緒に寿司を食いながら仕事の話をする。そして、本社に行ってカードキーを刺して中に入り、諸手続きを終わらせた後に店舗に行く。そこには眠たそうな店長がいて「おはよー」とか言ってくる。雑談しながら、卸売業者と納品チェックをして、今日のシフトを確認し、別の店舗に「ちょっと人貸して」とか「こっちビールの樽が足りてない」とかなんやかんやのやり取りをする。新しく入ってくる新人のユニフォームがとか、照明設備、内装設備の故障が、とかいう瑣末な仕事も、会社内にある別の部署の担当者とやり取りして調整する。

一通り作業を終わらせると本社に行ってデスクワーク。Excel芸人を発揮する。で、会議に参加させられる。新商品を発表するにあたって、メニューのデザインがどうのこうのとか、価格設定がどうのこうのとか、そういう話をする。で、終わった後はバイクを走らせて今度はエリア内の別店舗へ。そこでも、店舗の料理責任者の人と、「あれが足りてない」だの「これが無い」だの話を受けて、先週末の時点での売上がいくらだ、レジの金(小銭)が足りてないだのそーゆー話をする。

そして、現場の仕事を手伝い、「誰々が遅刻して来ない」とか「この時間帯に人が足りない」なんていうとっさのトラブルに対処する。

気がつけば、すっかり日は落ちている。大型店舗だったから、ホテルのフロントのようなポジションがあって、そこでかかってくる鬼のような電話に対応しながら、座席表とスケジュールを前に、クロスワードを解くような客の配置をする。当然、店のオペレーションレベル(キッチンの設備、その日のキッチンスタッフの技量、メンバー構成、接客スタッフの人員、出すコースメニュー)などを考えながら、可能な限り、売上を取れるような設計を考える。詰め過ぎてもパンクするし、収益を逃し過ぎてもいけない。一つでもズレがあったり、ミスがあれば、大変なことになる。つまり、うっかり客の予約を取り間違えてブッキングでも起こしてしまえば、大変なことになってしまうのだ。売上に直結し、店舗全体のオペレーションに影響し、下手すれば顧客からのクレームに繋がる。というか会社のブランドにモロにダメージを食らう。これを私がやる。その後、店長に引き継ぎをして、その後本社に行き、今度は本社のお偉いさんのメンツと外に呑みに行く(仕事なのか遊びなのかわからない)。これを2時前に終わらせて、その後に彼女の家に遊びに行く。セックスしたりなんやかんやして、5時前になり、そのまま24時間営業のマクドナルドに行って資料作りを行い、そのまま3時間居眠り。その後、学校に行き・・・・・

みたいな謎のハードワークをこなしていた。

要するに、寝ずに酒を飲んで、そのまま働いて、遊んで・・・・でも全然平気だったのである。

しかし、23歳ぐらいの時に思った。

あ、もう無理って。

確信したのは、階段の上り下りをした時。息が切れた。

 

命のロウソクは、どんどん溶けている

老人になるのはまだ先、まだ若いなんて思ってはいけない。こうやっている間にも、自分の命はどんどんと溶けていっているのだ。死のリアルを感じられるかどうか。

1年後死ぬなら?

3年後死ぬなら?

5年後死ぬなら?

細かいことはどうでも良い。

貧乏な人は、時間感覚が短いらしい。「その日暮らし」という言葉があるらしいけれど、貧乏な人は本当にその日暮らしらしい。今日1日しか考えない。でも、普通の人はざっくりと、中期のスパンをとって考えてしまう。でも、「超長期」で考えると、どうしても老人化した自分や、死ぬ自分が頭に浮かぶ。

 

舘ひろしのようにカッコよく老けないから。気持ち悪い老け方するから。

オヤジになって、セクハラする人が多い理由。それは、若い時と同じことをやっているから。セクハラというのは女性側の、極めて主観的な問題だ。若さとカッコよさが無ければ、簡単にセクハラ認定されてしまうかもしれない。

自分が舘ひろしのようにカッコよく老けるわけがない。

そう見積もっておいた方が良い。

鏡の前に立って、自分が老けて行くリアルを想像する。「まだまだ先」だなんて思ってはいけない。だって、いつの前にか20歳になり、25歳になり・・・・って老けてきたでしょ。そうやって30を突破すれば、もう特急列車だ。

 

命は大切にし過ぎたら、腐る

命をQuantity(量)の意味で大事にし過ぎたら、Quality(質)の意味で腐ってしまう。

だから、やりたいことをやらねば。

一度しかない人生なのだから。

まず、死生観を考えないと、何が価値なのか、何が意味あるのか、何をしたいのかなんて見えてこないね。

 

忙殺と空白の間で、高速に行き来したい

「生きてる」って、「死んでる」ってことなのかも。今こうしている間にも、俺の一部は徐々に死んでいっている。そして、未来の死を意識しながらも、生を大事にしようと動くこと。これが、生きてるってこと。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。