@7 アンパンマンを観ているとバカになる

 

最近は、いろんなことにお金がかからなくなってきている。

洋服も、古着屋やネットを使えば安く手に入る。家具家電などもそう。引越しにあたっても、タクシーなどを使った移動に関しても、最近は空いている個人と需要している個人をマッチングするサービスがある。住居にあたっては、敷金・礼金、初期費用を請求しないところも増えてきた。

一体、いつ、どこで、どんな時に「お金がかかる」のだろうか。

結局、お金が無ければならない、という場面は減っている。

そして、お金を使う場面はほとんど、贅沢支出になっている。

 

お金が必要だから、というよりは、「使いたいから」、という感じ。

 

飲み会とか、外食とか、そういうのも全部、贅沢支出。

お金は貯めなければならない、という場面は減っている。使いたいものに使うためにお金がある。その、本来の感じに戻ってきている。

そんな世の中。

 

 

 

【お金】

私は、人間をダメにするものの一つに、童話、昔話や子供向けのストーリー、幼児・少年向けの漫画、学校教育などが挙げられると思う。

世界観が悪い。現実に即していないのだ。

 

私は特に、アンパンマン的な世界観と、少年ジャンプ的世界観から早く脱した方が良いと思う。

 

アンパンマン的世界観というのは、絶大な力を持っている正義のヒーローが、何かあった時に自分を助けてくれるという感覚だ。人によっては、いい年齢になるまで、警察や弁護士、自衛官、消防官、行政機関などに「正義のヒーロー」のイメージを重ねている。

こういうのを世間知らずと言う。

人がトラブルに直面した時。警察や弁護士などに駆け込むが、その時の相手の対応に絶望して、反動でかなりひねくれてしまう人が多い。

自分のことは自分で救わねばならない。自己救済が欠かせない。

医者でも教授でも、著名な講師でも何でも良いのだけれど、知名度や権威、力がありそうな人に接した後、絶望する人がいる。それは少し違う。

 

生まれてきて、いい歳になるまで、面倒なことは全部「自分を守ってくれそうな人」にさせてきたような人間。

親、友達、彼氏、旦那、先輩、上司、こういうものに頼りっぱなしであった世間知らずの人間に、誤った世界観を持っている人は少なくない。

 

要するに、世界観、主に経済観念である。

社会で自立が促されるのは、この経済観念を育むことにつながるから、である。

 

まず、日本人はヒーロー像を修正した方が良い。

アメリカのヒーローといえば、

  • スーパーマン
  • スパイダーマン
  • バットマン
  • アイアンマン
  • チャーリーズエンジェル
  • サンダーバード

であるが、基本的に「民間人」である。おまけに、事業を成功させてお金持ちになった実業家が多い。

バットマンの主人公はゴッサムシティの大富豪。

アイアンマンは巨大軍需企業の御曹司。

 

アメリカは、中央政府や軍隊ではなく、私設の組織や個人が、世の中のために行動し、活躍することがかっこいいという価値観がある。

アメリカ人にとって、「中央」「ワシントン」「公的な機関」はどちらかというと、不信感の対象。

 

対して日本はどうか?

実は、日本のヒーローは公務員なのである。

(実際、学生たちは公務員を目指す)

 

ウルトラマンの科学特捜隊は、国際科学警察機構の下部組織で、公の機関である。ウルトラマンの父は宇宙保安官。宇宙刑事ギャバン、あぶない刑事、太陽に吠えろ、水戸黄門、暴れん坊将軍、遠山の金さん、スケバン刑事・・・・・・・・・・・・・

日本の名作は、「公的な機関の人間」を主人公にしたものが多い。

この刷り込みが悪い。

 

「公務員が悪を倒す」

「プライベートな組織に属さない公の人間が悪を倒す」

 

という価値観に染まっているのが日本人。

どちらかというと、民間で金儲けをしているのは悪と見るのが日本人である。

 

実際のところは、公の組織ほど怪しいものはないけどね。

 

公の組織は、活動にあたってかかるカネを税金から拠出している。

その税金の存在を意識しないまま、「正義」のために活動する公人を「ヒーロー」として崇めたてているのが日本人の悪いところである。資本主義向きでないところである。アメリカのヒーローは、民間で事業活動に成功し、裕福になった上で私財で人を助けている。格が違う。

 

アメリカと日本では、こういう些細なところから、マネーに対する意識が違う。

日本は、なるべく、マネーのことは「臭い物に蓋をする」ことで見ないようにする。

 

ホリエモンと元大王製紙の井川さんが、共著、「東大から刑務所へ」で、最高裁判所の裁判官は「民間で自分たちより金儲けをしている人間を、『何か悪いこと』をして儲けていると捉えているところがどこかにある」といったようなことに触れていた。

これは事実であると思う。

日本、特に関東は「公>民間」という意識がある。

日本の、「公」の組織のエリート、人を裁く側の人間は、「自分たちが至上である」という意識がどこかにあるのだ。

 

日本人はまず、この公務員至上主義を修正した方が良い。

 

人を助けられる力がある人というのは、その力に相応のコストがかかっている。力がある、魅力がある、何でも良いけれど、それを理解できないまま、助けられっぱなしであったり、あるいはその援助を常に受けられる状態にいる自分の力が優れていると勘違いし始めると、苦しいことが続々と起こる。

カネに苦労する。

現実で生きづらくなる。

世界観を修正した方が良い。

日本は、というか世界は、「資本主義」である。資本主義というのは、すべてのものが「カネ」で回る世界だ。

 

つまり、コスト感覚が欠かせないのである。

すべての物事にはコストがかかる。

 

スピード違反で白バイに捕まった時、

「何で隠れて監視していて、スピード違反を見つけてここぞという時に出てくるんだよ!事故を減らしたいのであれば、隠れてネズミ捕りをせずにパトロールすべきだろう!」

という文句をつける人間がいるが、これはおそらく、コスト問題であろう。税務署の脱税に関する摘発などにも言えることだが、社会を統治・抑制しようとする担当の仕事は相当な仕事量を抱え、人的資源の制限をくらっている。また、世の中にはどうしても優先的に抑えなければならない重大問題というのがある。大企業の汚職、殺人などだ。

どこから白バイが出てくるかわからないという恐怖感が、少ない警察人員で社会全体に抑止力を行使する手段なのである。きっと、やたら人員を増やせば、それはそれで税金の無駄遣いだの何だの、文句を言われる。

皇族や大物政治家の護衛などにあたっては、「これは無駄じゃないか?」というぐらいの人員を割いて警護にあたるのが警察だ。

つまり、コスト配分の意思がその辺りから見て取れる。

 

そもそも交通社会は、免許取得者同士の相互信頼で成り立っていて、スピード違反をしないように自制することなどは教習所で習っているはずである。信託があるから免許が付与されるのであって、捕まることに文句は言えない。また、社会も社会で、忙しい社会人の事情を考慮して、免許の更新の手間を最小限にするなど(そして高齢者はこまめに講習を受けさせるなど)、社会的コストを考えながら制度設計している。

 

時間も、金も、労力も、すべてのものには限界がある。

限界があるのなら、それらの資源量を増やす活動に注力するか、あるいは大胆な「選択と集中(決断)」が必要である。

 

アンパンマンや少年ジャンプを見ていると頭が悪くなるのは、「無限の力」というファンタジーを現実に存在するものと思ってしまうからだ。そして、日本的なアニメ、ドラマ、映画ばかり見ていると「公務員は正義」「民間で金儲けしている人間は悪」と思ってしまう。シャバには、無限の力は無いし、万能の神はいないし、コスト感覚を無視して動ける金満組織など存在しない。

どんな優良企業も資源の制約には困っているもの。

サッカーの世界でも、「クリスティアーノ・ロナウド」「メッシ」など、一人で相当なゲーム決定力を持っているプレイヤーがいるが、そんなスター選手を擁するポルトガル・アルゼンチンナショナルチームでさえ、2018年のW杯では成績がふるわなかった。

 

現実の社会は、構成員や組織の各々に限界があるし、一人では限界があって協力プレイが必要だし、神的な才能は存在しないし、絶対正義は無いし、たっぷりと社会的コストをかけた時に社会的報酬が返ってくるし、・・・・という、極めて「ファンタジー的世界観」とは離れた仕上がりになっている。

 

現実の社会において、大きな力や、大きな力がある人間というのはたっぷりとコストがかかっている。

現実世界のアンパンマンは、莫大な経費がかかっているのだ。だから、出動にあたって物凄いコストがかかるし、一人のアンパンマンを育て上げるのに大変な苦労が投じられている。そのコストを考えると、

  • もっと別の出動先があるのでは?
  • もっと他の代替手段があるのでは?
  • そもそもアンパンマンを呼ぶにあたってそれなりの金額をPayできるか?
  • アンパンマンは既に、お金持ちの御用達として抱え込まれているのでは?

という発想が出てくる。極めて、「現実的」になったと思う。子供向けのファンタジーの世界観から、大人向けのリアルの世界観になってきたと思う。

 

事実、社会正義だとか公共の福祉を実現しようとしている公的な機関であっても、常に背後にあるのはコスト感覚だ。むしろ、民間の人間から強制的に税で吸い上げたマネーで活動しているのだから、コスト感覚無く、「正義の味方」をひたすらにやっていては、一見、正義の味方に見えて、社会的な害悪になりかねない。

「弱者を救済せよ!」「格差を是正せよ!」などといろんなことが言われるが、世の中で並以下の生活を送っている者は、並以上の生活を送っている者が、過去にどのような努力をし、コスト負担をし、リスクを取ってきたかを無視している人が多い。経済格差などの結果の格差だけを見て、プロセスの格差をシカトしている。

アメリカが、「世界の警察」を降り始めたのは、コスト感覚が厳しくなってきたということでもある。逆に、日本がアメリカの庇護の下でぬくぬくとやってこれたのは、これまた、アメリカにとって重要な金主であり続けたからだ。

 

よりよく生きようと思えば、どうあがいても、「マネーの原理」から離脱することはできない。マネーとしっかり向き合わねばならない。

 

「男なんてもういいわ」

「女なんてもういいわ」

「お金儲けなんてくだらないわ」

というように、ひねくれている人たちは一定数いると思う。

 

結局、これも、「ひねくれれば親が、彼氏が、彼女が、親戚が助けてくれる」という幼児性から抜けられない発想で、おそらくその発想をする人は

  • 実家暮らし
  • 学生
  • 誰かに養ってもらっている

のだと思うけれど、ひねくれた先には何も無い。

そして、このひねくれをこじらせ過ぎた人なんかが、反社会活動などを行ったりするのだけれど、こうなればほぼ100%、国家権力によって抑えられて、また、健康的な生活を送る世の普通の人たちから集中攻撃される。弾劾される。

 

それから、少年ジャンプ的世界観について。

少年ジャンプ的世界観というのは、

  • 友情
  • 努力
  • 勝利

のようなものだけれど、それ自体は良い。ただ、多くのヒット作品の主人公は、「最初から強い」「生まれた瞬間から選ばれた血統である」「何か秘められた力がある」という設定がほとんどである。

そして、優れたメンターと出会い、自分の才能を発掘してもらって、無双を発揮し・・・・・という感じだろうか。

 

もともと、自分に特殊な能力があるだとか、恵まれた生育環境で得てきたものを当たり前だと思ってきている人間が、23、24で大学を出て社会に出ると、まず絶望する。

だから、現実社会でめっぽう強いのは、早くから甘やかされずにシャバで働いていたようなタイプが多い。あまり、ファンタジーの世界観に触れていないタイプが強い。

 

ただ単に、やることをやっていく。

そして、それなりに返ってくるものがある。割と、世の中はシンプルだ。

 

「努力は報われる」という言葉を使うのは躊躇する。

しかし、人生を楽しく生きている人は、それに近いような感触を持っている。というか、前向きに生きる過程を「楽しんでいる」わけだ。

 

キングカズが、「サッカーを楽しむ」という原点に帰ってから、物事がうまくいくようになったと言っていたが、まさにそんな感じ。

 

人生には保証が無い。

唯一保証されているのは、自分の行動によって得たこと、楽しんだこと、学んだこと、そのもの。

交流で得たもの、誰かに教えたこと、誰かから教わったこと。

誰もが先生になり、生徒になり、そして他者と経験を共有している。

 

こういった「プロセス」だけは保証されている。

 

 

 

【時間】

時間が無いのは、シンプルに、

  • 大学などに行き過ぎ
  • 対面で人に会いすぎ
  • 自分が働きすぎ

というのが大きいと思う。

一生懸命勉強して、会社に入って、靴をすり減らしていろんなところに営業をかけて・・・・・ということをやるのは辛い。

靴をすり減らして営業をかけるのは、自分が起業した会社を軌道に乗せるためで十分。

 

自分がやったことが、どこにストックされるのか。

どこでどうやってストック化され、それが資産となるのか。それが後の人生の支えになるのか。そこに対する意識が欠かせない。

ストックというのは、単なる貯蓄ではない。

継続的に収益を生む価値の源泉。

 

時間が無くて困っている人は、さっさとダイレクトマーケティングを活用するキャリアに移ってしまった方が良いと思う。特に、オンラインを活用した「オンライン・ダイレクトマーケティング」は最高。

ダイレクトマーケティングで、資産として積み上げた顧客名簿の価値は半端ではない。

また、ダイレクトメールは、病気、天候、気分に左右されない。Web上で仕組み化してしまえば、安定した稼働を続けてくれる。

 

 

 

【遊び】

基本的に、遊びというのは「悪ふざけ」「無駄」「寄り道」が多いと思う。

でも、これが自分を拡大することになる。自分を拡大することの何が良いのかというと、自分と世界のシンクロ度が高くなる。

結局、世界の中で生かされているのだから、世界のことは知っておいた方が良い。

 

例えば、ビジネス1つにしても、ほんの些細な違いが大きな成果につながる。

様々なレバレッジポイントが、あちこちに眠っている。

それをちょこっと押すだけで、経済状況は劇的に変わる。

 

人間が多様で複雑である、ということがそのまま、収益機会につながる。

 

そもそも、人は「1つの大きな人生」を歩んでいるのであって、大学の教授や研究者のように、「何か1つの分野に心血注いだ人生」というのは極めて稀である。

人は、常にMIXされた存在。

いろんなことをやっている。

人の人生にはいろんなものが必要になる。人は、自分のことをある種の専門性であったり、職業で定義しようとするから、固まった視座でしか物事を見れなくなる。

すると、物事の

  • 流れ
  • 繋がり
  • 全体観

のようなものが鈍ってくる。

結果として、チャンスを見失う。

全ては人間を相手にした人間活動であることを忘れてはいけない。

 

人の1日の生活が、何から始まり、何で終わるのか。人の人生が、何から始まり、何に終わるのか。

その過程でどんなことがあるのか。

 

人間はいろんなものを必要とする。

喜び、怒り、悲しみ、堕落する。

 

あと、リラックス。

肩の力は抜いた方が良い。

 

人間は、仕事中に自分の脳みそをほとんど使えていない。最新の脳科学の研究成果では、何もせずにぼーっとしていたり、横たわっている時に、脳が活発に働いているそうだ。

つまり、遊ばないといけない。

ダラダラしていないといけない。

 

現代社会人の生活は、実に慌ただしい。常にスケジュールがいっぱいだし、やることに埋め尽くされている。こういう状況では、脳みそは働かないのである。

 

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マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)@僻地で生きる





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お仕事は、無職です。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。