平日の昼間から硬直した肉棒を泡姫に口淫してもらう生活

「どういう生活をしているんですか?」と問われると、

「平日の昼間から硬直した肉棒を泡姫に口淫してもらう生活です」と答えるのが一番、実態に合っているのかな、とか思う今日この頃です。

企業寿命が人間の寿命よりもだいぶ短くなった今日、個人がスキルを身につけて独立し、サバイバルをしていく重要性は語っても語り尽くせません。西園寺はそういう生き方を、時代に先駆けて実行しているだけです。

平日の昼間から硬直した肉棒を泡姫に口淫してもらっているのは、そういった先見の明が吉と出た人間が、かろうじて得た神様からのご褒美であって最初からそれだけを期待してきたわけではありません。

(ただ、性に溺れた人生を送りたいと思ってはいたけど・・・)

 

世の中では、成功者は人格者だ、みたいなことが喧伝されがちです。

しかし、アメリカのプレイボーイ誌の創業者である、ヒュー・ヘフナー氏は、「スケベ過ぎ」「女好き過ぎ」という自身の特性(?)を活かしてプレイボーイ誌を創業し、爺さんになっても若い子をたぶらかす生活を続けています。たくさんの若い女の子と共同生活しているそうですね。

うーん、夢があります。

西園寺さんも決して人格者などではありません。人間的には「薄汚れた」「ダメ人間」「クズ」を自負しております。もちろん、人として立派になろうという努力も片手間で行なっておりますが、「無理なことはするべきではないな」なんていつも思うわけです。

街行く女性の谷間、太ももばかり見てますから。

 

ところで先日、オーストラリアから日本に移ってきて、東京で社畜生活に身を捧げている友人が、私に対してこんなことを言っていました。

「日本に来て、すごくせっかちで怒りっぽい人間になってしまった。時々、駅で『どけよ、馬鹿野郎』とか思うようになって自分でびっくりしている。」

おおお・・・・・。

 

東京と、東京の人のことがちょっと嫌いになった、って言っていました。

「だから言っただろ!」って突っ込んでやったのですが。

(全然聞く耳持たれなかったのですが、今となっては「その通りだね!」って共感されてます)

 

彼は、東京に対する憧れを持って東京に移り、東京で疲弊しているという点で、日本で繰り返されてきた典型的な消耗パターンを、ワールドワイドスケールで実行してしまった人間です。

(北海道か、関西か、福岡か、せめて神奈川あたりに移れよ!っておせっかいながらアドバイスしてやりましたけど)

 

他人のことが程よくどうでもよくなって、心地よい個人主義で生きられるのが東京の良さではありますが、とはいえ日本での社畜生活に身を埋めるとオーストラリアのゆったりとした世界から移って来た人間も、そうやって簡単に染まってしまうということですね・・・・。

 

自己啓発セミナーとか、ビジネス書などを「洗脳」と呼んで切り捨てる人はたくさんいますけど、はっきり言って、学校教育とか会社の方が「洗脳」だと思いませんか。他所から来た人間を、これだけ変えてしまうのが「東京社畜生活」の恐ろしさなのです。そりゃー、あんな満員電車生活に染まったら、誰だって染まるでしょう。

みんなが信奉している街道から逆行して生きるのはそれなりに勇気がいりましたが、メインストリームで消耗している人たちを遠目から見ていて、自分の判断は間違っていなかったと思う今日この頃です。

もう、みんなが何をやっているかなんて気にして生きることはしません。

自分の見たまま、感じたままに行きます。

 

そもそも、この世界で生きる上で、洗脳から完全に回避するなんて不可避だと思いませんか。生きてりゃ、必ずどっかの誰かから洗脳されているはずなのです。でも、その洗脳ということを反射的に嫌がって逃避しまくっていたら、ただのニートみたいになるはずなのです。

ということで、西園寺さんはいつからか「俺は大いに騙されている。うむ。それでよし。騙されるならとことん騙されてみよう。そして騙される相手を選ぼう・・・・。」という心境にシフトしました。そしてrobert kiyosakiやdan kennedyには大いに騙されて参りました。その結果、どうなったか。

 

・・・・・・・・・・欲しいものが手に入ってしまった。

うーん、洗脳コワイ。

 

気をつけてください。

洗脳は確かに、人と、人生を変える破壊力があります。

 

さて。

私が日々を楽しく生きる上で大切にしていることがあります。それは、過去の記憶にあまり縛られないということです。他人の人生を生きないということ。

生きていると、「ムカつく!」とか「あの時ああしていたら!」みたいなことを思うことがあると思います。でも、そうやって過去の記憶に縛られ、他人に対する嫉妬や憎悪などを膨らませて生きている時点で、他人の人生の奴隷だと私は思うわけです。

いちいち、カリカリして生きるほど、不自由な人生が待っています。

西園寺さんは、日常の生活の中で「ぼったくられた!!」と思うことはこれまでに何度もありましたが、そういうことに対していちいち怒ったことはほとんどないです。そうやって、お金や過去にひどく執着する生き方を私は嫌っているのです。そういうことをすればするほど、どんどん息苦しい・不自由な人生が待っています。

終わったことに執着している時点で、なんと無駄な生き方だろうと思いませんか。

そもそも、お金なんてのはタダの紙切れなので、お金に関することで激昂したり焦ったりして、機会を失ったり、人間関係を損ねたり、時間を無駄にすることバカバカしいことはありません。どうせ、お金なんてのは大なり小なり・遅かれ早かれ必ず流れ出ていくものです。

お金に関しては、各種固定費、家、車、保険、それから結婚、この辺りだけに対する慎重さを残しておけば、あとはどテキトーにやってても全然大丈夫です。変動費出費というのは完全にコントロール下にありますし、後悔したら来月から修正すればいいだけなのです。

 

西園寺さんは、若い頃に学んだ会計リテラシーの中で、最も大事にしている英知の一つに、「変動費」「固定費」という考え方があります。

損益分岐点って、固定費が高くなるほど高くなっていって、採算を合わせていくのがとっても難しくなるんですね。また、将来に向けてのリスクもガンガン高まっていきます。

個人ベースでも、企業ベースでも、やたら経済的破綻に陥る人というのは固定費を積み重ねて行き過ぎなんですね。特に、固定費の判断ミスは、後々長きに渡って影響を及ぼしますからね。

変動費なら、いくらミスってもそれほど痛くはないです。

 

一見、金遣いが荒くなさそうな堅実そうに見える人に限って、シコシコ節制した後に、「家」「車」「保険」「結婚」とかに走って、それで経済的に窮屈になる道にどんどん突き進んでいきます。

西園寺さんはマーケターなので、人間が買っているものは深層心理の現れだということがよくわかっています。

家、車、保険、結婚、こういうものを好む節制・堅実型人間の深層心理にあるのは「安心の希求」です。「自分に対する自信の無さ」です。

実は、世の中ではこの「安心」というものほど高い値付けがされるものはありません。

だから、自分の城を築いて、万が一のための保険を買って、なんとなくの安心のために結婚するのです。そして、一見節制・堅実・まともに生きているように見えて、どんどん固定費に縛られて人生を窮屈にしていくのです。

 

ね?

 

西園寺さんの金遣いの荒さを見て、色々注意をしてくる「自称:堅実屋さん」が周りに多いのですが(特に女)、西園寺さんのファイナンシャルリテラシーをなめてもらっちゃ困ります。私は馬鹿ですが、「計算された馬鹿」なのです。あらかじめ計算された枠内でしか馬鹿やってない点で、ぶっちゃけプロですよ。

 

金遣いの荒さは変動費に集中させましょう。また金遣いの経験は変動費の中で磨いていくべきです。毎月毎月、コントロール可能な変動費の中でいろんなことを得て学び、そこから得たものを回収していかに自分の固定的な収益に還元していくかがプロの技です。

変動費から固定収益につなげるのが最強の会計マジックです。

 

西園寺さんは、女性と駅ビルでプラプラしている時に、ちょっと小洒落たお店でテイクアウトをし、しばらく歩いた後に「あー!●●が入ってないよ!!」と、店員のミスに気づくことがあります。その際、一緒にいる女の子は「戻ろう」とか言ってきますが、私は「いいよいいよ」で済ませます。昔からこうなんです。だって、時間がもったいないじゃないですか。

若い頃から、自宅の玄関に大量に傘が並んだり、ライターが大量に散乱していたり、高校生の頃からタクシー乗り回したりしていましたが、それは「お金に縛られていなかったこと」「お金はツールだって思っていたこと」「時間を大切にしていたこと」が現れた結果でした。

西園寺さんが同じ本を3冊買ったりするのにもワケがあるんです。

絶好のタイミング、絶好のロケーション、何かアイデアが降ってきそう、この偶然見つけたカフェで勉強したい・・・・って思った時に、「明日本を持ってここで勉強しよう」とか思ってちゃダメなんですね。近くの本屋に行って、すでに持っている本を再度買って、その絶好な機会を逃さないようにするのが西園寺流です。

おかげさまで、

「無駄遣いが多い」

とか言われることは多いのですが、そう言ってくる人間よりもはるかに経済的豊かさや自由があるのですから、どっちが正しいかは一目瞭然だと思うのです。

 

私を指して「無駄遣い」と言ってくる人に対して、

いつも「お前がな」って思っています。

 

お金の使い方で人生、決しますからね、結構。

まぁ、この話は何度言ってもなかなか理解されるものではないので結構諦めているんですけどね。

 

お金に苦労している人は、お金のために良かれと思ってやったことが巡り巡って裏目に出ている印象です。

世の中にはヘラヘラしながら散財してビクともしない人間と、シコシコ節制しながら全然豊かにならない人間がいること、その違いはどこにあるかはよくわかっておくべきだと私は思いますよ。

 

人生は時間とお金のゲームですよ。

 

芸能人なり有名人なりの不祥事をみて、無関係な人間なのに勝手にイラついたり2chに文句を書き始めたりしたら、それこそもう他人の人生のために生きています。ホリエモンが、キングコング西野さんとの対談の中で、「他人にどうやったら働かせられるかを考えたら、炎上に行き着いた」みたいな話をしていました。そうです、今世の中のインフルエンサーなどがやたらと炎上したがるのはわざとなのです。インフルエンサーの愚痴をネットに書いている人は、その人たちの認知度向上のために無料で奉仕労働をしているようなものなのです。

 

だから、他人の人生を生きないことですね。

そして、過去の記憶にあまり縛られないこと。

 

そもそも、コンテンツクリエイターとか、情報産業従事者とか、コピーライター、マーケターとして生きたいのであれば、芸人のようなスピリッツを持っていなければなりません。日常の中で起きたトラブル、ムカつくこと、騙された話、痛い目にあった話などは格好のネタであるワケです。これが、後々、どれだけの人を勇気付けたり、笑わせたり、お金にかわったりするのか・・・・ってことを考えず、短期的な視野・一時的な思考で、カリカリカリカリと窮屈に生きている人間、ガチガチガチガチと節制して硬直的に生きている人間に面白さなんてあるワケがありません。人生に遊びがない。こういう人間にブログやメルマガを持たせてフリーズするのは当然です。だって、何も話すことがないのですからね。真っ白いキャンパスを前にして、手が止まってはじめて、自分の人生の窮屈さに気付く人は多いはずです。

 

人生で起こることは、全部ネタです。

喜怒哀楽全部含めて、ネタです。それを楽しむ余裕がない人は、面白い人間になれません。この「面白い」ってのが、今後の人生を生きる上で大事なキーワードになるんですよ。

そもそも、物事について「それが良かったか、悪かったか」というのは後付けであり、時間が流れていくにつれて評価は変わっていきます。人間万事塞翁が馬ですね。だから、一時的な視点・短期的な思考を持って、目の前で起こるイベントをいちいち断罪していって、体験するパターンを固定化していったら人生に振り幅が出ません。

イノベーションも、予期せぬ成功も、大いなる感動も、サプライズもないはずなのです。

 

正直、何がどう転じるのかなんてわかりません。

だから、私は大いに変なことを続けて生きていこうと思っているわけです。人生なんて、自分の強みを活かすことを軸に持って生きていれば、ぷらぷらした分、また何か面白いことが起こるものです。

人生に、「遊び」、足りてますか。

 

人生は長いのです。

計画的な一手、勝ちにこだわりすぎる一手、短期的な視座に基づく一手、硬直的すぎる一手、そういうものばかり打ち続けていると長い目で見て非効率になっている場面だって多々あるはずなのです。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。