マーケティングとリーダーシップと信頼と

Jay Abrahamというマーケティングの大家がいます。彼は、マーケティングはリーダーシップである、という話をするんですよね。彼の哲学ってすごく深遠で、マーケティングってものを哲学的に語るから、すごく難しいんですけど、腹落ちして理解できるようになる頃には、すごいマーケターになることができます。

 

彼がマーケティングをリーダーシップと呼ぶ理由。

それは、自分のことを少し抑えて、自我を置いて、お客さんのことを優先し(少なくともお客さんのことについて深く考えを巡らせ)、お客さんを高みに導くことを理念として行動することにより、お客さんにとって「特別な存在」になることができるから。

私はそう解釈しています。

 

多少の思慮深さでもいいから、
それがあるだけで理念への共感が生まれます。

そこに信頼とフォロワーが生まれてくるから、ではないかと思っています。

私はそう解釈しています。

 

一体、どれだけのプロダクトやサービスに、
商売人の精神性が込められ、そこに共感が生まれているでしょうか。

ブランドと呼ばれ、認められているビジネスが少ないことからも、そういう思慮深さが感じられるビジネスはあまり現存しないことはよくわかると思います。

 

「ビジネスでは信用が大事です」「お客様から信頼を得ましょう」そういうことは、言葉としてはあちこちで言われます。しかし、実際、どれだけのビジネスマンがお客さんから信用・信頼を得られているでしょうか。これは、西園寺も含めて、全ての商売人が心に問いかけるべきポイントです。

お客さんは馬鹿ではありません。自分の意思と考えを持っています。

なので、お客さんの前で、うわべを取り繕って良いことを言っていれば良いように思われるってもんでも無いし、お客さんの前でアロガントなことを言ったり偉そうに振舞っていたら嫌われるってもんでも無いと思うわけです。

人間って、そんな単純じゃ無いでしょ。

 

だからこそ、「信用」とか「信頼」というのは、決してお客さんを丸め込むようなマインドセットで得られるものではないと思います。あれこれ言いくるめて、信用させるとか信頼させるってものではないと思います。

・・・・ということで、西園寺は以上の考えを逃げ口上に、自分の態度の悪さや口の悪さを正当化しています。笑

 

巷のコピー界隈で言われている信用獲得のテクニックは、正直「錯誤」の誘発に近いわけです。

 

結局、信頼されるってのは

「まぁ、こいつに賭けてみていいかな」

って、ちょっとばかし、思ってもらうことでしょう。

 

コピーライターやマーケターを自称する人間たちの奢りは凄まじく、まるで自分の神業的なセールストークにより、お客さんの思考回路を書き換え、それによりお客さんがついてきていると思っている人は多いわけですが、これは傲慢甚だしいわけです。

 

むしろ、西園寺さんは、

「うわー、これ、バカにされてるだろうな」

「うわー、これ、痛いって思われているだろうな」

「うわー、こいつ、頭悪いって見下されているだろうな」

っていう思いをどこか胸に秘めつつ、赤面しながら、面の皮を厚くして、

「厚顔無恥」と書かれた日の丸ハチマキを頭に巻き締め、

「KAMIKAZE」の特攻精神のごとく、

Copywriting界や
マーケティング界で言われているセオリーに沿い
「お約束」のフォーミュラや決まり文句で目先の人心にAttackを仕掛けます。

 

煽り文句を子供心・いたずら心の延長線上でツラツラ書き綴りながら、

「もっと深層の部分」

が伝わることを願って、営業をかけているわけです。そして商売人らしく都合の良い言葉を並べ立てているわけです。

 

しかし、西園寺が発した言葉の上っ面は、その大体がシカトされているのは

さすがに私も「百も承知」と言ったところです。

 

女性を口説く時と一緒です。

「好き」

「可愛い」

「おしゃれだね」

って言ってればいいってもんじゃ無いでしょう。

 

もし今後、あなたがコピーライターやマーケターを自称している人間を見るときは、この人間が女性にモテているかどうか、モテているとしたらどういう手口を使っているのか、女性とどのようにして接しているのか、どういう扱いをされているのかを見ることで、その人間の技量の本質というのは大体見えてきます。多分。口説きの気質というか性質は、共通して滲み出るものです。

笑。

 

自信満々である姿を見せて女を惹き込むタイプもいれば、

カッコつけたりいいとこを見せて高揚させるタイプもいるし、

自然体に接して徐々に関係を詰めていくタイプもいれば、

共通の趣味や話題で仲良くなるタイプもいるでしょう。

 

西園寺さんがどんなタイプであるかは、あなたの目で見極めてください。

ヒントを差し上げますが、
西園寺さんに好意を持つ女性は、
私を賞賛するどころかdisってくるタイプが多いです。苦笑。

 

思うに、信用とか信頼というのは、
姿勢から滲み出るものによって、獲得できるものです。

 

マーケターは、売り上げと利益を上げるために活動しているけれど、その下心は存在するけど、でもそれは取引によって獲得しようとしているということ、そしてそのために、お客さんの求めるものについて競合他社よりも深い考えを巡らせ、アウトプットをお客さんにお届けしているということ。

その姿勢を、お客さんに開示して、理解してもらうことで、

少なくとも、他社よりはこいつに投資する価値、賭けてみる価値がある

と思ってもらうこと。

 

これが、リーダーシップであり、信頼であり、マーケティングの真髄なんではないかと西園寺は思っています。

 

ドナルドトランプを観ながら大方のアメリカ国民が

「愛人問題、暴言問題、色々あるけどお前のサクセスストーリーはよく知っているし、お前が言われてるほど馬鹿でも軽率でもないのはわかるし、言うて凄まじい力量や頭があるのわかるし、何よりお前の力強さとリーダーシップは他にはないものだから、ちょっとしばらくの間は大統領頑張ってくれや、強いアメリカを取り戻してくれよな、俺たちの誇りと威信を取り戻してくれ」

って思われているかのごとく、

 

大方の日本国民が安倍総理を見て

「前の時はお腹壊したり色々あって大変だったけど、再チャレンジする気概は素晴らしいし、現に今すごい頑張っているし、特に外交とかではこれまでの政権に無かったぐらい精力的に仕事してて、まぁ、色々問題もあるし政治に完璧はないけど、そのままもうちょっと頑張ってみてや」

って思っているかのごとく、

信託の一票が投じ続けられている状態。

リーダーがリーダーたる所以、リーダーとしてそのポジションを与え続けられている所以はそういうところではないかと思うわけです。

 

本質的に、リーダーシップには賛否両論あって当然、不完全で当然、正解が無くて当然、なわけですね。

 

政治の世界を見てりゃわかりますが、

本当に仕事ができるリーダーってのは

愛人問題だの、失言問題だの、記者への対応だの、色々ありながらも

「他の人間にはない大きな器」なり「能力」なり「優位性」なりを買われて、

よろしく頼むぜ的な感じで仕事を受託している状態でしょう。

 

なので、表面的に対応や態度、言葉が良いからと言って、

リーダーとしての気概がない人間にリーダーとしての地位を与えれば、それなりに問題が生じます。

 

最近の日本の問題は、表に立つ人間、上に立つ人間の、

表面disりや揚げ足取りばかりをして、

本質を見れなくなったことにあるのではないでしょうか。

 

吉田茂元首相が、記者に

「なんでそんなに元気なんですか」

って新聞記者に聞かれて、

「人を喰ってるからだよ」

って答えたっていう有名な逸話があります。

 

いい話です。グッときます。

 

昔の政治家にはそういうことをスッと言える人たちがいたのです。

 

今だったら、

失言問題として総スカンをくらうのでしょうか。

 

とはいえ、今も昔も、本物のリーダーは

多少の失言や私生活の粗がありながらも、

それを「まぁ、しゃーない」と受け入れられて、

フォロワーに清濁呑み込んでもらえているという共通点があります。

 

プーチンなり、ベルルスコーニなり、トランプなり、

本物のリーダーシップと、
本物の信頼ってものは
そういうところから見て取れると個人的には思うわけです。

つまり表面的な言説云々ではないということです。

 

(ここまでの言説は、個人的に特定の政治思想を強調する意図があるわけではなく、単なる人物論なので悪しからず。)

 

盲目的についてきてもらうとか、こっちが言うことを鵜呑みにしてもらうとか、そういうものではありません。それは、依存とか洗脳とかそういう次元の話になってきます。

こうやって考えると、自分の短所とか、腹黒い本音とか、隠しても意味がないことがわかります。そんなことで、信用性とか信頼性とかって、大きく上下動することなんて、多分無いです。

 

「少なくともこいつは、こういう性格、理念、信念、生き様で生きていて、こういう資質や能力があって、こういうダメなところがあって、・・・・」って、そういうのを総合的に認識してもらうこと。

そして、「他よりもこいつには『投資してもいいかな』と思える」という状態が、おそらく、信頼を得ている状態だと思います。

未来にはいつも不安やリスクが伴いますが、こいつなら同じ船に乗ってやっていいと少しは思える・・・・って状態が信頼でしょう。

 

投資という言葉にはリスクがデフォルトで含意されています。購入に際して、リスクを感じないお客さんはいません。リスクを全く感じずに、ドキドキもせずに買うお客さんなんていない。

 

そういう意味で、いつだって、買い物は投資的です。

 

だから、信用・信頼されるってのは、

「ご心配な気持ちはわかりますが、胸のざわめきがあるのは承知ですが、それをゼロに抑えてどうぞ、完全に安心しきって、思考停止でこちらの商品をお買い上げください

ということではなくて、そのお客さんのドキドキや懐疑心を所与の上で、

「でも私は、私なりのやり方でやってますけどどうですか、こんな私ってどうですか」

って提案することだと思います。

少なくとも、私はそう思うわけです。

 

これは、女性を口説く時にも全く同じことが言えます。

西園寺さんについてくる女の子は、好意が大きい人ほど、私のダメなところを多く見てます。というか、西園寺さんは基本的に、disられまくることが多いのです。最近一番言われた強烈な言葉は、

「整形して」

「服がダサい、ってかお前がダサい」

でした。笑

でも、その言葉を発した女の子は、西園寺さんと寝ました。おそらく、西園寺さんのことを完璧に良いと思ったわけでは無いでしょうが、少なくとも、「こいつは99%の粗と1%の良いところで成り立っているが、この1%に関しては、まぁ、寝てやる価値がなくも無いな」と思って頂けたことと、西園寺さんがこの女性を優しくOMOTENASHIして、奢りまくったことで、達成された成果だと思われます。

(おい、誰だ今、「お前、ただのメッシーじゃん」って言った奴)

 

ケネディ元大統領の言葉で、好きなやつがあります。

 

“My fellow Americans:
ask not what your country can do for you,
ask what you can do for your country.”

(アメリカ国民諸君、
国があなたに何をしてくれるかではなく、
あなたが国に何をできるかを己に問うてくれ)

 

私は、これこそマーケターにあるべき信念、姿勢だと思います。

 

お客さんがいくらくれるか・いつくれるかではなくて、

自分がお客さんに何ができるかを問うのです。

 

そして、その上で面の皮を厚くして、

堂々と価格を提示し料金を請求することです。

 

本当に信頼されてたら、そこで変に躊躇する必要も、ビビる必要もないはずです。

 

女の子との大事な場面でも、ここぞと言う時に

「ホテル行こうぜ!」

って恥も外聞もなく、ケロッとした顔で言ってやらねばならないのです。

 

「そろそろ休憩する?」とか言うから怪しいのです。

 

揉ませろ!!

やらせろ!!

しゃぶれ!!オラ!!

 

って言ってやればいいのです。(嘘です、これはやりすぎ)

 

もちろん、無理に誰かれ構わずやらなくていいです。

お客さんは選んで良いでしょう。

無理な営業なんて続けなくて良い。

 

私から言わせると、大規模なビジネスになるというのはその営業はある種の詭弁です。

普遍愛なんて、神じゃ無い限り、無理でしょ。

万人受けって無理くないですか。

 

西園寺は神じゃない。

だから全ての人を愛せない。

 

でも、少なからず、私のターゲティングの範囲に入っていて、

私のマーケティングを面白いと思って遠目に眺めている人たちに向け、

自身の怠惰な身体と重い尻を持ち上げた結果としての、

可能な限りのGiveを踏まえた上で、

怪しいセールスレターを送りつけてやるのです。

 

そして、

 

「まぁ、こいつに投資してやってもいいか」

 

と思ってくれる人間が多少なり現れてくるのを祈って待つ。

 

人事を尽くして天命を待つ。

 

これが私が考えるマーケティングなわけです。

 

 

・・・・・・・・・・っていう都合の良い話を思いついたので、急いで書き綴ってみました。


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。