【西園寺先生と学ぼう!】貯金しても意味がない理由を1から丁寧に説明する(人生ハックのカラクリ)

貯金しても意味が無い理由を1から丁寧に説明する。

人生には正解が無い

と、ある程度の年齢になれば気付くし、人の生き方は加齢に連れてそれぞれになっていく。それはそれで良い。ただし、社会の構造はある程度、固定的で、変化するにあたっても緩やかである。そして、人間は自然の摂理に逆らえない。

この世界には、逆らえないものがある。そこには従うしかない。

そういうものを、「押さえるべきポイント」と呼ぶのなら、押さえるべきポイントを押さえた人間には、「残りは自由」という恩恵が与えられる。逆説的であるが、従うべきものを最初に見つけ、率先してこうべを垂れた人間から自由になれるという皮肉な構造がこの世には散見される。

逆に、最初から「自由奔放に、好き勝手に」ということを優先させて、自己都合を爆発させていると、抗えない枠組みとコツンとぶつかってしまい、めぐりめぐって自由が得られなかったりするのだ。

 

この記事では、

「貯金がなぜ意味がないのか」

というのを説明するために、若干迂回するような助長な説明をするが、それをトータルで理解しないと、私の主張は見えてこないので遠慮なくさせてもらう。

 

個人的には、「生きる」ということを考えることは、

  1. 死 (=人生の有限性)
  2. 老化 (=生物学的摂理)
  3. 税金 (=VS国民国家概念)

の3つについて考えることだと思う。

なぜかこの3つをあげたのかというと、若いうちほどこの3つは実感が無いから、である。

 

私たちの人生は60年、80年、100年とあるが、量としては等しくても、質としては「フェーズ」によって大きな違いがある。

別に高齢者を差別するつもりはないが、20代の1年と90代の1年は意味が全く違う。

一般論として、ある程度の年齢までは親に養ってもらい、各種の法律によって自由を規制される。それが、ある程の年齢になると、「自力で食っていかねばならない」「あらゆる規制から解放される」という状態へと移行する。

20代以降は自力で食っていかなければならないことのが普通である。そして、食っていくためには、基本的には「時間を差し出してお金(生活の糧を得る)」という行為をしなければならない。よって、20代以降は時間が無い。選択肢や可能性も減っていく。よくいうように、「二十歳を過ぎたらあっという間」なのである。

だから、先んじて手を打っておかないと、「その日暮らし」のような日常が続く。

人生ゲームは生活できなくなると「ゲームオーバー」であり、その最低ラインを守らなければならない。しかし、その最低ラインを守ることに必死であると、すでに述べた人生原則の

  1. 死 (=人生の有限性)
  2. 老化 (=生物学的摂理)

にどんどん蝕まれて、逃げ道が無くなっていく。

そして、厄介なのは「税金」である。歳を重ねれば給料も増えるかもしれないが、税金だって増えていく。

  1. 死 (=人生の有限性)
  2. 老化 (=生物学的摂理)
  3. 税金 (=VS国民国家概念)

この3つには逆らえない。

私は、「逆らえないもの」「動かしようがないもの」を最初に炙り出して、人生の枠組みみたいなものを自分の中で明瞭にし、そこを対策してから、「自由な領域を見つけてそこで自由を謳歌する」という発想で生きてきた。そのため、私が若年期に熱心に学んでいたのは、法学・税務・会計分野だった。

その選択に間違いは無かった。

 

人の人生は、若いうちに下した決断や行動で決まる。

例えば、イチローや本田圭佑はスーパースター(成功)だが、彼らの人生は小学生時代の決断や行動にまで遡っていくと「原因」が見つかる。今の日本で政治的リーダーを務めている麻生太郎や安倍晋三は、生家から人と違う。皇族とかもそう。官僚とかになる人も、家柄は平均より良いのでは?

じゃあ、普通の人は?

若いうちから、「恵まれてるコース」に乗ってた人は別として、そうじゃない人がなかなか織り込んで考えないことが、

  1. 死 (=人生の有限性)
  2. 老化 (=生物学的摂理)
  3. 税金 (=VS国民国家概念)

の3つだと言える。

最初から、成功コースに乗っている人は良いのである。この3つを考えなくても良いようなコースに乗っている人は大丈夫だ。しかし、普通はそうではない。

この3つをシャバでは、「現実」と呼んだりする。

この現実に向き合わないU-22の世界は、「非現実」である。非現実世界で生きれば、非現実思考で生きることになる。

そして、すでに述べた人生における諸条件を考慮した時、若いうちの選択は人生の中盤・後半まで尾をひくことになるから、これで決定的な過ちを犯すことになる。

ほとんどの人間は、

  1. 会社
  2. 銀行

の奴隷になると私の師匠は言っていたが、私はここに嫁やマイホームも付け加えたいところである。

大人は、「楽しかった時期はいつですか?戻りたい時期はいつですか?」と問われて、非現実に生きていた時期をあげる。

そして彼らは、非現実に生きていた時代に人生の進路の大枠を決めてしまっている。だから間違える。

 

ある程度の年齢になると、人は「現実」を直視する。

直視せざるを得なくなる。

その際、人は稚拙な対抗策を取ってしまう。

その代表格が、「貯金」。

勉強不足が招く、最も愚かな対策である。貯金がなぜ愚策なのか。それは、「豊かさ」の指標の捉え方が表面的であるからである。

この世界には3つの税がある。

それが、

  1. 所得課税
  2. 消費課税
  3. 資産課税

の3つ。

つまり、この世界では、「得たお金」「使ったお金」「蓄積したお金」に税金がかかるようになっている。この3つを押さえ込まれたら、基本的に逃げ道は無い。

見方を変えれば、「富」を見つめる着眼点は、所得・消費・資産の3つにある。所得の方は「生産」と言い換えても良いかもしれない。

国家権力というのは、この3つに課税して、「国を運営する」という建前のもと、私利私欲も満たそうとする。もし、国家権力側に生きる人間が一定数になると、それそのものが「国の利益」になってくる。例えば、徴税権力や特権で生きている連中が万、数十万という単位になってくると、こういった特定の界隈を保護することが「公的な意味合い」を帯びるようになってくる。

権力を私物化している連中も、民間世界に降りて、そこで消費したり、取引したりする側面があるから、影響は連鎖する。

過去の日本・アメリカにおいて起こった「金融危機」の際、金融業が

大き過ぎて潰せない

ということで、公金によって救済される事件があった。

放送業にしても、金融業にしても、監督官庁(権力サイド)の許認可や免許制度などによるルールメイキングによって参入障壁の恩恵を受けている側は、権力側と見ても良い。

権力サイドが肥大すると、権力サイドに生きる人間が多くなってしまうために、それらを救済することが「私利私欲=公的利益」として正当化されてしまう。

これは、飛鳥時代とか奈良時代から変わってない。戦国乱世の時代、武将たちが命をかけて戦ったのも、アメリカのワシントンがイギリスと独立戦争を戦ったのも、「徴税利権」を得る立場につくためだ。徳川家康が大政奉還したのも国を想って自分たちが引いたのではない。次の時代を見据えて、徳川家を高い位置に置き続けるために取った先手がそれであった(事実、徳川家は後の時代で、貴族院の院長も務めている)。

金はこの世界で最も強いものじゃない、最も強いのは権力である。

特に、徴税と法律はめちゃくちゃ強い。

権力さえあれば、金なんぞ、蛇口をひねるように生み出せるのだ。

「税金ください。違反したら脱税です。監獄ぶち込みます。」というパワーは計り知れない。民間が企業努力している傍ら、権力サイドは、「無理矢理金を巻き上げる」ことができるのである。もし、給与水準を、「一般の大企業の●●と連動して・・・」という設定にしていたらどうだろう?民間が頑張っている傍ら、権力サイドは特に知恵を絞ったり創意工夫をすることなく、民間指標と連動した報酬を得られるのだから、非常に楽である。

法律に関しても、

「この事業は、法律に則って認可を受けないとできません」

と決めておき、身内のような人間がその認可を受けやすい構造を作っておき、そのリターンを得て、後にルールメイク側がプレイヤー側に降りやすい構造を作っておくなどすれば、利権を牛耳れる。

こんな感じで権力は暴れることができるので、さすがに民間は不満が募る。また、民間自体が衰えると、権力サイドは寄生対象を失うのだから自分たちも不利益を被る。

つまり、ある魚が絶滅すると、その魚を食ってる魚も絶滅する。

そこで、養殖の発想が出てくる。

これが、いわゆる権力サイドと、民間の大資本サイドの癒着構造である。

一般庶民が上を見上げて、「高いところにいる連中はどうやら癒着して利権を貪っているようだ」「大きな連中はつながっている」と思うのは、こういうところに依拠する。実際、民間の上の方と権力サイドは、結託する。

それは、「国」という単位だ。民間は、国を拠り所に活動していて、例えば諸外国と揉め事があった時に、国がバックアップしてくれると助かる。例えば、三菱重工が韓国の最高裁で無茶苦茶な判決を下されたら、国がすぐバックアップしている。政治問題に棚上げして、外交関係問題として圧力をかける。つまり、政治問題として扱っている。何より、国内活動は、国内の治安維持などがしっかりしていないと話にならない。要するに、ケツモチである。経済というのは、自由意志に基づく自由な取引であるが、必ずそこに暴力的な威圧をかけて歪めようとする輩が、国内にも、国際的にも存在するから、バックアップが必要である。

アメリカのビジネスが世界で躍進するのも、背後にとんでもない軍事力があるからというのは見逃せない。アメリカのドル箱であるネズミーランドの会社に関しても、国がネズミーランドの利益を守るためのルールメイキングをして、それを同盟各国、友好関係のある各国に協定のような形でレギュレーションを共有させている。もし、そこに違反があったら最後は軍事力に訴えれば良い。国と産業は一心同体なのである。

たまに、暴力団関係者と警察関係者のいがみ合いの映像がニュースとして流された時、「どっちがどっちなのかわからない」というコメントがされることがあるが、「アングラ産業ーケツ持ちとしての反社会的勢力」「国の代表産業ーケツ持ちとしての権力勢力」の構造はそっくりである。帝国主義が幅を利かせている頃は、国家が一団となって、軍産複合体のような形になり、諸外国に侵略していた。いわば、昔は「グローバルヤクザ」としての国家があちこちにあったのだ。

戦後、GHQが財閥解体を命じたのにもワケがある。

https://matome.naver.jp/odai/2140436353168944501

ヨーロッパで大戦が起きていた頃、資本家が権力サイドにお金を融通して戦争を支援していたが、それはなぜかというと、「国」という単位で結託し、「外国勢力を蹴散らす」「自国の利益を守る」という目的に向かっていたからだ。

権力には、利益がある。これらを権益と言う。

これは歪んだ利益である。

ただし、権力は脆い。商品・サービスの対価として財を得ているのではなく、「命令」で無理矢理お金を巻き上げているために、不満が向かって崩壊させられやすい。実際、日本の今を見ると、江戸時代からの系譜を持つ商家の名残は現存しているが、権力サイドであったものは滅びている。

簡単に言えば、暴力的な利益は長持ちしないのである。

さて、今の日本を見てみよう。

「消費税反対!」「法人税率を上げろ!」などといろんな議論がなされているが、基本的に、

  • 消費課税
  • 所得課税

について議論されているものと捉えて間違いない。

「所得税」や「法人税」は、生産の対価で稼いだお金にかかる税金で、消費税は消費に対してかかる税金である。

今、日本で議論されているのは、

  • 消費に課税すべきか?
  • 所得に課税すべきか?

というテーマであることが多い。

これは結局、フロー課税。

ところで、今の政治を見ていると、特定の層を優遇しているように見えるかもしれない。

なぜ、政治が富裕層を優遇しているように見えるのかというと、これは端的に言えば、

「国際文脈」「国という単位」

を意識しているからである。

もし、日本の政治を見て、

庶民の生活は苦しいのに(国民生活を圧迫するような税制を通すのに)、平気で外国から高い兵器を買い付けたり、海外で税金ばらまいてきたり、富裕層を優遇して庶民の生活はないがしろだ

と思ったのならば、その政権においては、

  • 国際関係、国際競争力
  • 国という単位
  • 代表的ビジネスのバックアップ

に重点が置かれていると考えて間違いない。

世界の経済は繋がっている。そして、国というのは常に外敵によって脅かされる。もし、自国の中にある大きなビジネスが倒れた時、民間の大資本サイドと権力サイドが共倒れになってしまう。その余波は、中小零細や一個人にも及ぶ。取引関係は連鎖しているからだ。大なり小なり、どこの国にも「代表的なビッグビジネス」というものがあって、それらは国を代表して、外国から稼いで来ていたり、国の威信に関わるビジネスとなっていたりする。

「生かすか殺すか」という判断をする時、利用価値があるものは殺されないものである。歴史を見た時、破壊行為である戦争の中でも、「利用価値がある建物」「利用価値がある人材」などは殺されずに敵側に吸い込まれて利用されてきた。将棋で例えるなら、敵の駒を取るような形である。

国を代表するビジネスというのは、外国からしても、それが優れたものであれば生かしておいて取引したいものである。例えば、今韓国が沈めばK-POP産業やアイドルは全滅するし、アメリカが沈めばアップルもyoutubeもハリウッド映画も無くなってしまう。それを嫌だと思う日本国民はいるだろう。このように、国を代表するビジネスというのは、国の立ち位置上も大事だ。韓国は、芸能ビジネスに政治が肩入れする政府下の組織もあるぐらいだ。

つまり、軍事力と同様に、代表的な国際ビジネスは安全保障にもつながる。

政治を見上げた時に、

「国民をないがしろにしているように見える政権」

は、一般国民をないがしろにする代わりに、国の上層や国際的に強いビジネスを優遇して、それらの国際的な利益や国内的利益を確保することによって国全体を強くしたり、国全体にプラスの波及効果をもたらすことによって全体を豊かにしようとしている場合もある。

この視点は、そもそもこの世界になぜ格差があるのかというものを読み解く上でも使える。

なぜ、この世界には格差があるのか。格差が許容されているのか。大事にされたり恩恵を受けられてる層がいる反面、ないがしろにされている層がいるように見えるのか。

これは、スポーツチームで考えるとわかりやすい。

ここにAというスポーツチームがいて、メンバーが50人いるとしよう。レギュラーとして試合に出られるのは11人だ。有能な選手をレギュラーにするのではなくて、平等な待遇を与えるために毎回くじ引きでレギュラーメンバーを決めるとする。給料も平等だ。他方、他のチームは実力に応じてレギュラーメンバーを決めて、給料も傾斜的に配分していたとする。

するとどうだろう?Aチームは他のチームにボロボロにされる。なぜなら、有能な選手が試合に出るのではないからだ。そして、Aチームの優秀な選手は、より良い待遇を求めて他のチームに移るから、Aチームはボロボロになる。無能しか残らなくなる。結果的に、Aチームは壊滅的な状態になり、チームごと消失してしまう。

簡単に言うと、世界で格差がある理由は、「そういうことを防ぐ」ためにある。

人は、

  • やりたいこと
  • やらなければならないこと

の2つでしか動かない。

そして、社会全体を回すためには、人の「やりたいこと」だけで回すことが困難である。「やらなければならないこと」によって人をドライブさせたりする必要もある。結果的に、社会にはありとあらゆる強制力・ペナルティ、格差などが用意されている。

報酬を傾斜配分しないと、人は頑張らない。何より、有能な人材が逃げてしまう。有能な人材がやってこない。そして、そのグループとして対外的な争いに負けてしまうのである。

もちろん、格差は全面的に肯定できるものではない。

格差が開きすぎると、下の層は逆にやる気を失う。また、格差が「固定化」しても同じようなことが起こるし、上の層が腐敗したりするのである。

いよいよ、本題である。

なぜ貯金が愚策であるか、であるが、結論から言おう。

それは、散々お金を貯め尽くした後に、「資産課税」される恐れがある。

いわゆる貯金税だ。預金封鎖だ。事実、日本政府には前科がある。

この話をすると、『富裕層だけでしょ?』と思う人間がいるが、富裕な人間よりも普通以下の人間の方が多く、『税収』という観点から見るとそっちの方がターゲットになる。

例えば、年収1億円の人間1人から6000万円とるより、年収600万円の人間99人から100万円とった方が9900万円になって税収が大きくなる。

加えて、貯金に励む連中ばかりになると世の中の「経済が崩壊」する可能性があるからだ。

もう少し抽象的にまとめるならば、

「一庶民が貯金という貧相な手段で対抗しようと、その人たちの豊かさはおろか、普通水準の生活も担保されない」

のである。必ず、別の方法で狙い撃ちされる。あるいは自然とどんどん苦しくなっていく。自分の首を絞めることになる。

資産運用で対策、もハッキリ言って弱い策だ。そもそも、セカンダリーマーケットに金を置くのは本来的な投資ではないことを覚えておくべきである。

もし、世の中の人間がみんな貯金したとしよう。

すると、経済は回らない。

結果的に潰れるビジネスも出てくる。貧しい社会になっていく。

先ほど、課税には3つあるといった。

  1. 所得課税
  2. 消費課税
  3. 資産課税

もし、消費課税でお金が取れなくなるとなると、所得課税が引き上げられたり、資産課税される展開になる。資産課税されるようになったら、最悪だ。人生80年のうち、50年、60年をひたすら節制に捧げて、人より我慢した先で資産を狙い撃ちされたらたまったもんじゃないだろう。また、もし仮に世の中の人が消費を控えると、あらゆる産業が潰れていくことになる。

表沙汰に資産課税しなくても、「別の方法で課税」すれば良い話だ。

よく言われるように、インフレは、税である。代表例が、通貨の価値を下げる、である。ここに、20歳のAさんがいて、50年かけて4000万円貯金したとする。でも、その時に4000万円の価値が今の1/10になっていたら、その貯金はその世界で通用しない。これを意図的に起こしていけば、世の中の人間はお金を使うことになるだろう。貨幣価値のサイドから経済に刺激を与えるのは金融政策と呼ばれる。円の価値を切り下げるのは、日本国全体を対外的に安くしていくことでもあるから、輸入品の物価は上がる。結局、それは購買力が弱くなることを意味する。昔、1ドル300円台の時代があったが、それは日本円の価値が相当に弱かったことを意味する。

そんなことが起こるわけがない!と思うだろうか?

いや、ありえる。

世界は繋がっている。

A国が、金回りの悪い国として停滞している中、周りのB国、C国などがどんどん経済発展するとしよう。A国では、あまりにも金回りが悪くて、人間が生きる上で必要最低限大事なものに関するビジネスしか通用しなくなってるとしよう。その一方で、B国、C国などはどんどん豊かになっていく。すると、A国から外国に抜け出す人も出てくる。また、A国が必要な資源などを外国から買い付ける際・国際取引する際、A国の生産物や通貨はワールドマーケットの中で評価されて価値が決まる。B国やC国などが優れた資源を大量にもち、優れた生産をしている中で、A国がしょぼいままであるならば、相対的にA国は弱くなる。より多くのマネーを差し出したり、諸外国から安値で買い叩かれたりする。A国の輸入あたる実質的な支出が上がるのならそれは当然国内流通価格にも転嫁されるわけで、それは国民生活を圧迫することになる。

世界を考えると、ありえるのだ。

そこまでいかなくても、権力が、貨幣価値を切り下げるような施策を打てば、「金を貯めるのは馬鹿らしい」から、結局お金を使う・使った方が良い世の中になるし、そしてそういう経済の中で「お金を稼ぐ」ということに駆り立てられることになる。お金を稼ぐためには、その時代における消費のセンスや、時代の流れをわかっていないといけない。例えば、未だにパソコンやスマホなどを持たず、非常に質素で原始的な生活をしているような人が、都会人のお金の使い方を理解してビジネスを展開することなど不可能である。

現代のように、

「スマホが当たり前」

「LINEが当たり前」

のようになれば、強制的にそこに参加しないといけなくなる。

もし、世の中の人がみんな、ドラム式洗濯機やお掃除ロボット、食洗機、家事外注などを当たり前のように使いながら働いている中で、一人だけお金をケチって全部自分でやっているとどうなるか。疲労感が積み重なり、時間がなくなり、他者に対して遅れを取る。仕事の生産性や能力も下がる。遅れた人材になる。

消費しない、貯金するで対抗するのは無理なのだ。

もう少し、生々しい話をしよう。

あるビジネスを運営しているとする。

どんなビジネスでもそうだが、

  • 金にならない客
  • 金になる客

がいる。

金にならない客とは、例えば、「試食コーナーをハシゴしてて最初から食べる気が無い人」とか、「試着するだけして買わない・最初から買う気が無い人」とか、「一定期間の無料お試しを、その期間だけ入会して後は脱退する目的で入会する人」とかである。

企業は、運営にコストがかかっている。そして、金にならない客にコストを使いすぎていると、普通に倒産してしまう。そこで、金にならない客を無視したり、テキトーに流したりするような行動に出る。

タダより怖いものはない、という。

金にならない客に向けられるのは、無視か、あるいはわざと強制的に需要を発生させる行為だ。ナイフで刺し、絆創膏を提供するというような目に遭う時が必ずくる。

何より、アドバンテージもない。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

「人生を変える」にフォーカスしたブランド
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。