薬剤師の時給がファミレス店員に負けそうである。
もともと薬剤師といえば、安泰なイメージがあったのではないだろうか。しかしインフレや、医療費抑制のムーブメントもあり、もうまずい兆しが見えてきている。
多くの人の進路選択において、
安泰そうだからそこに飛び込もう
という資本主義(自由市場主義)から逃げようとする行動が見受けられる。
- 大企業信奉
- 公務員信奉
- 薬剤師
- MR
- 公認会計士
- 弁護士
などはみんな同じだ。そして末路も同じだ。
MRは2013年ぐらいまでは高給で、安泰だとされていた。10年で一気にオワコンになった。エムスリーにやられた。マッキンゼーや医師のバックグラウンドを持つような人間が起業したビジネスに駆逐された。昔はMRの医師に対するスケベ接待もあった。飲み食いさせて、医師に食い込んでいた。そんなものも消えた。誰がやっても同じ営業は、「ノーパンしゃぶしゃぶ」的なノリになり、そして駆逐されてしまうのである。
特権、利権、規制に群がる輩の末路は同じ。自由市場の資本主義に生きながら、現実から逃げようとするものに対して降る鉄槌がある。
そもそも薬剤師は、「三権分立」ならぬ「医薬分業」の精神の元に制度化されたものであって、薬剤師自体は「全くもって無価値」である。薬剤師になるためには薬学部に6年間行かないといけないのだ、勉強たくさんしたのだ、などとあれこれ反論はあるだろうが、彼らの仕事は一切無価値である。完全に代替できる。
ではなぜ、薬剤師が食えたのか。それは、医師が
薬を処方しまくって儲ける
ということを防ぐためにある。
厚生労働省が作る保険点数の枠組みと、薬剤師の分離。これが医師の暴走を防ぐという理屈。チェックアンドバランスをしていただけである。
実際、処方箋を渡した後、薬剤師は、
お医者さんに何を相談しました?何を言われました?
と聞いてくる。奴らは、患者が医師に何を言われたか知らないのだ。渡されたのは処方された薬品が何かだけ。
つまり薬品のリストを見ながら、薬剤師が窓口でヒアリングをすることで、
この症状にこの薬はおかしくないか?
というチェックをする役割をしているのだ。
だから薬剤師が「食えていた」本質は、彼ら自身が市場で価値を生み出していたからではなく、制度と規制で守られていたからに過ぎない。医師と薬局を分けることで処方・販売のチェック機能を形式的に作り出し、そこに専門職という免許制度を被せると、外部からの競争が入りにくくなる。結果として「高い参入障壁=安泰」の幻想が生まれる。だが参入障壁は永遠ではない。技術、制度、ビジネスモデルが動けば、守られていた人々は簡単に風前の灯となる。
だが考えてみれば分かる通り、この「チェック」自体に高度な専門性はない。むしろシステムに落とし込んでしまえば最も相性が良いのは人間よりAIだ。電子カルテと処方データを照合し、既往歴・アレルギー・禁忌・薬物相互作用を瞬時に判定する。人間の薬剤師が数秒でできるわけもない作業を、機械は一瞬でやる。そこにヒューマンエラーもなく、コストも限りなく低い。
では、薬剤師が「人間だからこそ価値がある」と言えるのはどこか? 患者に寄り添った説明? だが、それも対話型AIと動画教材で代替可能だ。薬の飲み忘れ管理や副作用モニタリングは、むしろウェアラブル端末やアプリが得意な分野である。人間の薬剤師は、ただ「中継役」として残されているに過ぎない。
つまり薬剤師の本質は「制度の穴を埋める役割」であって、「市場に不可欠な職能」ではない。制度が変われば一瞬で消える。これが冷徹な現実である。
そしてこれは薬剤師だけの話ではない。公認会計士も、監査法人の形が変わればAIとシステムで代替される。弁護士も、標準化された契約書レビューはすでにリーガルテックに置き換わりつつある。MRもそうだった。つまり「規制や資格で守られた職能」は、テクノロジーと制度改革の波に極めて脆い。
ここで問うべきは一つだ。
「自分のスキルは制度に守られているのか、市場で必要とされているのか」
守られているだけなら、それは必ず崩れる。守りが崩れた瞬間に残るのは、ただの「誰でもできる作業」だ。そしてその末路は、冒頭に述べた「薬剤師の時給がファミレス店員に負ける」という光景である。
――「安泰そうだから」という動機で進路を選ぶ人間は、必ずこの罠に落ちる。
市場の博打から逃げる人間ほど、後で残酷な目に遭う。
現実に復讐される。
キャリアショックをくらう。
薬剤師という職業は、「医師の暴走を防ぐための歯止め」としてのみ存在している。制度の副産物であり、独自の市場的価値を持つわけではない。
つまり、制度が崩れた瞬間に存在理由も崩れる。医師がAIで処方プロトコルを作り、それを自動で薬局に送信し、物流が整備されれば、薬剤師は不要になる。むしろ「人間の薬剤師が介在することによるミス」の方が問題視されるようになるだろう。
ここに典型的な「安泰信仰の罠」がある。資格や制度によって守られている仕事は、一見すると強固だが、裏を返せば「守られていなければ即座に消える脆弱さ」を抱えているのだ。
かつての郵便局員もそうだった。電電公社もそうだった。守られている間は潤った。しかし自由化やテクノロジーの波にさらされた瞬間、ほとんどの価値は吹き飛んだ。
そして今まさに、薬剤師、公認会計士、弁護士といった「安泰資格職」が同じ運命を辿ろうとしている。AIと制度改革の二重の波に襲われているからだ。
人々は「努力して手にした資格だから」「高学歴だから安泰だろう」と思い込む。しかしそれは、資本主義における一番愚かな投資の仕方だ。なぜなら、資本主義の本質は常に「代替可能性の暴露」にあるからだ。
代替可能なものは淘汰される。代替不可能なものだけが生き残る。
では、代替不可能なものとは何か。
制度や規制に守られた地位ではなく、むしろ「制度や規制を作る側」「市場を作る側」に回ること。あるいは「人間の欲望や情動に直接つながる価値」を生み出せる者だけだ。
薬剤師が沈んでいく未来は、単なる一例にすぎない。これは「逃げの選択」の末路を象徴している。
――逃げ場に見えたものは、実は逃げ場ではなかったのだ。
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SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。