#3 西園寺的キャリア設計

個人的な人生哲学として、

「悪貨は良貨を駆逐し、
世の中には悪貨が溢れかえるので、
悪貨を拾わない能力」

が重要だと思っています。そして、その能力には自負があります。

 

先ほど、インターネットで「年収650万円以上は増やしても意味が無い」っていう記事を読んでいました。

多分これ、多くの人にとっては意外だと思うんです。

 

「幸福と経済」というテーマで、よく、年収と幸福感の関係というのは各種の調査結果データがあります。昔からよく言われているのは、

年収1400万円以上は、それ以上稼ぎが増えても大して幸福感は変わらない

っていうやつです。これを裏付ける有名な調査結果データがあるんですよ。

これは、世界各国の高所得者を調査した結果であり、世界中、だいたい同じような結果が出るそうです。1400万円以上は稼いでも大して幸せになれない、ストレスが増すだけ、みたいな。

 

私の仕事(稼ぎ)のストーリーは15歳の時にはじめたアルバイト経験に端を発するわけですが、一番最初は月給5万円でした。月5万円から始まった職業史。

我が人生のストーリー。

(余談ですが、「プロ(お金をもらって仕事をするという意味)」としてのキャリアが長ければ長いほど、職業観は成熟すると思っています。)

月5万円から始まって、その後、どんどん稼ぎは上昇しました。また、一度ニートなどの無収入状態を体験したこともあります。

だから結構、若い間に経験値溜まっている方・・・と自分では思ってるんですね。

 

個人的には、月の稼ぎが50万円を越えたあたりから、収入の上昇と幸福感の上昇は比例しないことに薄々気付いていた感があります。

(とはいえ、私が単に庶民上がりの貧乏性だからかな、なんて片付けていたのですが。)

私は20代の早期で既に、事業家としても雇われとしても、月給50万円以上の人材としては出来上がっておりました(ちなみに、まだ20代ですけど)。

 

だからこそ、

「あれ、そんなに稼がなくても人生って楽しめるじゃん」

「っていうかある程度のラインからは、稼ぐ金額よりも働き方の方が重要なんじゃないの?仕事内容がハードすぎないこととか、ワークライフバランスが取れることの方が重要なんじゃないの?」

「そこそこの稼ぎをいかに自動化させて保つかが重要なんじゃないの?」

って感じてきた部分があります。

 

今回、まさに「我が意を得たり」という感覚です。

 

世の中には、「年収」をテーマにしたビジネス情報とか出回っていますけど、年収500万円を越えたことがないサラリーマンがビジネスメディアの記事を執筆していたり、転職エージェント・リクルーターとして仕事し情報発信していたりってのはザラにあることです。

なので、世の中に出回る情報では果敢にキャリアアップが促されていますが(ある程度、「わざと」というか思惑があるのかもしれませんが)、私からすると、

キャリアアップ、年収アップってそんなに重要?

って感覚なんです。むしろ、「戦略的キャリアダウン」を勧めたいぐらい。

実際、自分の年収上がったらわかりますから。

普通、大方の人は年収が上がるのに時間がかかるはずです。で、年収が上がって、歳を取ってからでは色々手遅れなことってあるはずなんです。

 

若いうちは金がない金がない・・・・って感じですが、

歳を重ねるにつれて給料が上がると今後は時間がない時間がない・・・・責任が重い・・・・って感じになる。

特に中間管理職ぐらいになるとすごいストレスだらけ。

 

キャリアアップが正義だ、みたいな風潮は世の中にあるんですが、私はやっぱり、昔っからマジョリティに逆行してきていることもあって(学校の勉強とか早期に放棄したし)、結構自分で考えて決めたり、自分の感覚を大事にしています。

そして、それが報われることが非常に多かった(自分の主観の範囲では、あとあと「自分の判断は正しかった!」って感じることが多かった)人生なんですよね。

ま、自己満ですけど。

 

で、そんな私が人生の早めに気づいてしまったのが、ひたすらキャリアアップや出世、年収アップに邁進するのってなんか違くね?ってやつですね。

そんなに稼いで意味あるの?みたいな。

 

まー、そういうのって、そのレールに乗っかって激進してて、30後半、40代ぐらいになって気付いたところでどうしようもないから、その時期くらいに気付いたって引き返せない。これまでの努力も無駄にできないし、そのままガムシャラに突っ切る人っていると思います。

でも、30代のサラリーマンって、まだまだ、経営者になるキャリアとかに憧れている時期でしょ。「自分ももしかしたら役員まで・・・」とか思っている人とか、ごまんといるでしょ。

 

でも、雇われ経営者になったとしても、稼げる額なんて知れているし、超激務なのは間違いありません。それまでの厳しい競争の道のりを考えても、割りが合うかどうか。

本を読んでも、実際そういう立場にいる人に話を聞いても、超忙しそう。

(医者とか、プロフェッショナルプレーヤー、専門職についても言わずもがな)

 

そもそも、「オーナー経営者」と「雇われ経営者」の区別がつかない人だってたくさんいるだろうし、小規模スモールビジネスのオーナーより、大企業の役員の方が絶対年収が高いとか信じている大人だってあちこちにいるはずです。

(実際は違います)

 

基本的に、資本主義の階層は

資本家(オーナー) > 経営者 > 従業員

であることは絶対の真理であり、経済的にも時間的にも報われるのは、オーナーの方であって、これは上場企業からそこらへんの町工場やカフェに至るまで変わらない事実です。

資本家、経営者、従業員のそれぞれの間には猛烈に高い「年収の壁」「自由度の壁」があることを理解しておきましょう。

都心の大企業役員より、地方で飲食店を3店舗成功させているオーナーorオーナー事業家の方が稼いでいてしかも暇して遊びまくっている・・・なんてザラです。

オーナーというのは、どうなるかわからないことにリソースを投じ、失敗したら自分がその損失を丸被りですが、うまくいったときはそのリターンの配分についてある程度自分で自由にできる立ち位置です。

そのビジネスの所有者ですから。

 

こういうのは若いうちからわかっておいた方が良いです。これを17歳で知るのと27歳で知るのとでは圧倒的な差が生まれてきますよ。

 

こういう資本主義への理解があってはじめて、方向性の設定があり、方向性の設定があってはじめて努力っていうのがスタートすると思いますが、自分の中にある理解と願望、そして方向性がミスマッチを起こしているとあとあと、

「こんなはずじゃなかった」

ってなると思います。

スティーブン・コヴィー博士言う所の、「成功のハシゴを登り終えた後にハシゴをかけ間違えていたことに気づく」というやつですね。

 

基本的には、

  • 外資系か否か
  • どの業界か
  • どの会社か
  • どの階層か(資本家?経営者?従業員?)

によって、ワークスタイルも自由度も稼ぎも、競争率も難易度も、大きく変わってくるということを忘れないでおきましょう。

そして、自分が欲しいのは

  • 社会的地位なのか
  • 名誉なのか
  • 都心でバリバリ働く自分の姿なのか
  • 時間的余裕なのか
  • 仕事のやりがいやダイナミックさなのか
  • 家族との時間なのか

などによって、取るべきコースが違います。

もっと言えば、

  • 自分は出世向きなのか?
  • 自分は起業・独立向きなのか?
  • 自分は作家、芸能人、スポーツ選手、ユーチューバーなど、特殊な世界向きなのか?
  • 自分は海外向きなのか?国内向きなのか?
  • 自分の学歴は?
  • 自分はどこで、誰と、いつまで働きたいのか?
  • 自分はどんな役割を担いたいのか?

などによっても取るべきコースが違います。

 

それから、転職や応用可能性、発展可能性についても、

  • 35歳を過ぎてもマネジメント経験と実績がある人は転職しやすい
  • 有能な技能者・技術屋は転職しやすい
  • 会社専属的、業界専属的なスキル・知識を手にしているのと、ポータブルスキルがあるのとでは話は別
  • 年収、職能、技能・技術の有無や種類・程度によって話は違う
  • ベンチャーや中小零細企業で働くのと大企業で働くのは違う
  • 新卒と中途採用で求められていることは違う
  • その時々の、経済状況(人材市場の活況ぶり)によって話はだいぶ違う
  • 出身大学によって可能性が異なる
  • 会社の平均年齢・世代別構成、勤続年数、平均年収、人員数、人材登用スタイルはだいぶ違う

ということもわかっておく必要があります。

 

私、こういうことがわからないまま、あとあと後悔するのが怖いので、日頃から情報収集や自己投資にめっちゃ金をかけてきたタイプなんですけどね。

 

努力はしますが、その努力の方向性はよーく考えておくタイプ。

で、その上であとあと「失敗したなー」って思ったら、それはそれで受け入れてうまいこと次に繋げていこうって考えるタイプです。

 

まぁ、いろいろ語ってきましたが、やっぱり一番良いのは自分が活きる環境を選ぶことだと思います。

自分にとって有利な環境を選ぶこと。

あと、自分にとって「楽だな」とか「楽しいな」って思えるのが一番じゃないでしょうか。

 

組織で働くというのは、自明の理ですがチームプレイです。

そして、組織に入ってハシゴを駆け上がるキャリアの醍醐味というのは、ダイナミックなビジネスに携われるということ、自分の資本だけではどうにもならない、自分の現状の力と人脈、器では手が届かないようなでかいスケールの仕事ができること。

また、チームプレイなので、個人として何をしたかというよりも、その人が組織的にもたらした成果の度合いで評価されます。

 

サッカーで例えるならば、

A:ボールを持つ度に「おおっ、面白い展開になるぞ」と観客に期待させ、観客を沸かせることができる、華がある個人プレーテクニシャン(後半残り15分で投入されることが多い)

B:テクニックは尖ってないけれど、チーム全体を意識しながら動いたり声かけができ、キャプテンシーを発揮しながらコンスタントに試合に出続ける黒子タイプ

だと、サラリーマンキャリアで出世しやすいのは後者の方と思われます。

 

会社に勤めていて、「自分はこれだけ会社に貢献しているのに給料が報われない」と嘆く人がいます。

でも、これは当たり前の話です。会社にもたらした利益以上の給料をもらってしまえば、会社からすると雇う価値が無くなってしまいます。

このような不満は営業マンが抱きやすいでしょうが、営業成績自体は会社の看板、ブランド力、名刺パワー、会社の商材、その他の部門の力があって成り立っているものです。なので、本当に営業で稼ぎたければ、フルコミッションで働くか、代理店ビジネスなどで独立するか、マージンの大きい商材の営業マンに鞍替えするか・・・という戦略的判断が必要になってきます。

 

もっと言えば、会社からすると、会社で雇う人材に関しては、個人プレーの人材よりも周りとうまく協調し、時には部門別の利害対立をまとめ、周りを説得し、巻き込み、組織的に成果をあげられる人材を求めています。

学歴も資格も何も無いのに、若い頃遊びまくっていて、30歳手前ぐらいから、ようやく平社員としてスタートしたのにも関わらず最終的に役員まで上り詰めるような人とか稀にいます。こういう人、若い頃にヤンキー集団のトップだった・・・みたいな感じだったりしますからね。笑

求心力とか統率力があるわけです。

私の知っている人に、そういう人いるんですけど。もう定年間近のおっさんですけど。

何か知らないけれど、世の中には人が集まるところに行くとなぜか仕切る立場になる人、周りから頼られる人、ボス猿として崇められる人・・・そういうタイプの人がいます。学生時代でも、中学、高校、大学、どこでも中心的な人物になる人っていますよね。

 

もちろん、技術系企業とか、エンジニアが幅を利かす組織とか、特定の職能が華型として持ち上げられる会社とか、色々、事情の違いはあると思います。

しかし、基本的には、出世する人というのは

  • 人を育てる
  • 人に教える
  • 人を率いる
  • 人を動かす
  • 人に愛される
  • 人に信頼される
  • 人に頼られる

というような素質がある人が、既存の集団を駆け上がるのだと思います。

 

なので、組織に勤めていて一番報われるパターンは、上層に食い込み、会社の方向性や意思決定に携われるリーダー・マネジメント層です、そこまで出世できる人です(なので、例えば、一部の業種などを除けば、凄腕営業マンよりも営業マネージャーの方が稼ぎが良くなります)。

ビジネス本で、

「出世する人は話し方を学び、中間管理職止まりの人は資格を学び、ずっとヒラの人は何の勉強もしない」

とか書いてあったりするのは意味があります。

 

会社というのは一つのビジネスモデルです。

このビジネスモデルの中において、上に登り、ビジネスモデルの中にいる人材、物資、情報などを上手に動かしてリーダーシップを発揮できる・マネージできる人材、それにふさわしい人材、あるいはあらかじめそういうコースに行く候補生として採用された人が上に行きます。

そのビジネスモデル自体を設計した人、構築にあたりリスクを取って投資した人が起業家・投資家(資本家、オーナー)になります。

 

企業立ち上げ時から中核メンバーとして参画していたみたいな例を除き、組織のハシゴを一番下から一番上まで登っていける人って、もともとごく一部。また、時の運も経済状況も左右しますが、それでも、上がれる器ってあるんだと思います。

 

学歴がある(それがその組織内における発言権や求心力の源泉になる)、新人時代から武勇伝がある、会社の飲み会で目立つ、付き合いが良い、宴会芸がうまい、上に好かれる、エリートである、声がデカイ、学生時代スポーツで活躍した、部下からの人望がアツい、圧倒的な業績を出して社内で話題になった・・・・みたいな人が出世するのには理由があるんでしょう。

外資系と国内資本では話は別でしょうが、私が見ている限り、日本の会社で役員レベルまで登りつめる人は人を惹きつけ、束ね、統率する求心力があるタイプが多いです。

ある種、政治家的な。

人の集合が組織ですから、その組織の中で求心力がある、あるいはそれに相応する何かを持っている、目立つ、みんなが認める、なんと無くオーラがある、、、、、みたいな人は上に上がるわけですね。

 

見方を変えれば、自分には特に一芸は無くても、周りの人材をうまく使える人、会社の資源をうまく使える人、会社でリーダーシップを発揮できる人が、組織の中にいて「割りが合う」と感じるはずです。

そして、そのコースを歩む人を「総合職」と呼ぶのには理由があります。

文字通り、「総合」です。

 

ゼネラリストです。

スペシャリストコースで入って出世するパターンでも、出世するのであれば最終的にはゼネラリストの視点とスペシャリストの視点の架け橋になるようなポジションなはずです。

これは、「ビジネス」「会社」というものについて、統合的に理解する視点があれば必然的に見えてくることです。

 

まぁ、でも、今は総合職・一般職の区分が古いかもしれませんね。一般職の仕事内容はアウトソーシングというか人件費削減(非正規化)が進み、総合職に関しても社外にポンと出されたらスペシャリティが無くて困るという人もいるみたいで。

 

 

とは言え、ゼネラリストが転職に困るのか、と言われればそうでも無いような気がするんですよね。探せば割とあるんですよね、そういう求人って。

 

最後になりましたが、面白いインフォグラフィックを見つけたので、どうぞ。

https://www.truity.com/infographic/career-personality-type-hollandより


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。