すぐ役に立つものは、すぐ役に立たなくなる、の代表例は資格試験

 

すぐ役に立つものは、すぐ役に立たなくなる、の代表例は資格試験

合格のための勉強という偽物の勉強📖のリスクこれ

 

受かれば資格が手に入り、人生変わり、仕事が手に入る、みたいな

即物的な下心満載の勉強

というのは、結果出せばすぐ役に立つが、受からなければ何もない。

 

これがわかりやすい、

『すぐに役立つものはすぐ役立たなくなる』

の代表例。

 

『すぐに役立つものはすぐ役立たなくなる』の代表例。

資格取得を目指す勉強は、まさにこの典型だ。試験に受かれば、確かに扉が開く。新しい仕事、昇進、年収アップ——明確な報酬が待っている。だが、落ちればその努力は水の泡。時間も金も、ただの思い出に変わる。それでも、多くの人はこのギャンブルに飛び込む。即物的で、目に見える成果を求めて。

でも、考えてみれば、この「すぐに役立つ」勉強が役立つのは、資格が有効な間だけだ。業界が変われば、技術が古くなれば、資格はただの紙切れになる。AIが台頭する今、特定のスキルや知識は数年で陳腐化するかもしれない。実際、2025年の今、プログラミングやデータ分析の資格はまだ需要があるが、生成AIの進化で「誰でもコードを書ける」時代がすぐそこまで来ている。じゃあ、何を学ぶべきか?

逆に、すぐに役立たない勉強——哲学、歴史、文学、基礎数学——は、時間が経つほど価値を増す。なぜか? それは「考え方」を鍛えるからだ。資格やスキルはツールだが、哲学はツールの使い方を教えてくれる。歴史は人間の愚かさと賢さを映し出し、文学は人の心を理解する力をくれる。基礎数学は、複雑な問題をシンプルに解く論理を磨く。これらは、特定の試験や仕事に直結しないかもしれない。でも、10年後、20年後、人生の岐路で「そういえば、あの考え方が役立つな」って気づく瞬間が来る。

即物的な勉強は短期の勝負。すぐに役立つけど、賞味期限がある。すぐに役立たない勉強は長期の投資。地味だけど、人生を豊かにする土台になる。どっちを選ぶか? それは、何を「役立つ」と定義するか次第だ。

 

ペーパーテスト対策の勉強で「頭の良さ」が一義的に測られているように見えるのは、実は錯覚に近い。社会や教育システムがペーパーテストを「頭の良さ」の代理指標として使ってるから、そう感じるんだ。なんでこうなってるのか、理由を分解して説明する。

1. 測りやすさの罠

「頭の良さ」って、実はめっちゃ曖昧だ。論理的思考、創造性、問題解決力、記憶力、適応力——どれも「頭の良さ」の一部だけど、全部を公平に測るのはほぼ不可能。ペーパーテストは、特定のスキル(暗記、論理パズル、時間内での処理能力)を数値化しやすいから、採用や入試で「頭の良さ」の簡易指標として使われる。たとえば、大学入試の数学や国語の問題は、論理や読解力を測るつもりだけど、実際は「テストの解き方」をどれだけ訓練したかが大きく影響する。これが、「テスト=頭の良さ」って誤解の根元。

2. 公平性の幻想

ペーパーテストは、見た目上「公平」だ。同じ問題を同じ時間で解くから、誰でも平等に評価される——はず。面接やエッセイだと、評価者の主観やバイアスが入りやすいけど、ペーパーテストは点数でバッサリ。社会はこれを「客観的」だと思い込んで、頭の良さの証明として受け入れる。でも、実際は、塾や予備校に通える経済力、テストテクニックを磨く時間があるかどうかで差がつく。2025年の日本でも、受験産業は数百億円規模で、富裕層が有利な構造は変わってない。つまり、テストは「頭の良さ」より「準備の良さ」を測ってる側面が強い。

3. 歴史的・文化的背景

日本だと、ペーパーテスト信仰は特に根強い。明治時代から始まった科挙的な試験文化や、戦後の高度経済成長期に「学歴=能力」の方程式が定着した影響だ。企業や政府が、大量の人間を効率的に選別するために、ペーパーテストを重宝してきた。東大卒=頭が良い、みたいなステレオタイプも、この流れから生まれた。今でも、企業の人事や学校の入試担当は、テストスコアを「頭の良さ」の簡易チェックとして使う。だって、他に手軽でスケーラブルな方法がないから。

4. 短期的な成果への執着

ペーパーテストは、短期間で「誰が優秀か」を決めるのに都合がいい。企業は即戦力を求め、大学は優秀な学生を確保したい。テストスコアは、その場限りの「頭の良さ」の証明として機能する。けど、これが本当の知性や潜在能力を測れてるかは疑問だ。たとえば、クリエイティブな発想や、複雑な問題をじっくり考える力は、時間制限のあるテストじゃほぼ評価されない。2025年のAI時代でも、ChatGPTやGrokみたいなツールが暗記系の知識を瞬時に提供できるのに、ペーパーテストは「覚える力」を重視しがち。これ、時代遅れ感あるよね。

5. 社会の慣性と自己強化ループ

一度「ペーパーテスト=頭の良さ」の構図が定着すると、みんなそれに合わせて動く。学生はテスト対策に全力を注ぎ、親は塾に金をかけ、企業は高スコア者を採用する。このループが、テスト至上主義を強化する。実際、Xのポスト見てても、「TOEIC900点取った!」「司法試験合格!」みたいなのがバズるけど、「哲学書を10冊読んで人生観変わった」なんてポストはほぼ見ない(笑)。社会が「テストの点=頭の良さ」を称賛するから、みんなそこに飛びつく。

じゃあ、本当の「頭の良さ」は?

ペーパーテストが測るのは、せいぜい「特定のルール内で効率的に解く力」だ。IQテストですら、知性のごく一部(論理やパターン認識)しかカバーしない。真の「頭の良さ」——たとえば、未知の問題に適応する力、異なる視点をつなぐ創造性、倫理的判断力——は、テストじゃ測れない。ハーバードとかMITがSATを必須から外したのも、「テストだけじゃ潜在能力が見えない」って気づいたからだ。

なぜこうなる?

要は、ペーパーテストは「手軽で、見た目公平で、すぐ結果が出る」から、頭の良さの「代用品」として使われてる。でも、それは本質じゃない。社会が複雑化して、AIやグローバル化で求められるスキルが変わる今、テスト依存は徐々に減るかもしれない。実際、2025年の採用市場では、ポートフォリオや実務経験を重視する企業も増えてきた。

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。