メルマガ3

 

▶︎第0部:西園寺のつぶやき

 

どーもー!

平日の昼間から観光客(韓国人)に挟まれて焼肉を食べていた西園寺です。

 

今、ネットで面白い記事を見つけました。

勉強時間の割には平均年収が高くなる資格の一覧だそうです。

(時間対効果が高い)

 

  • 高圧ガス製造責任者
  • TOEIC900点
  • 危険物取扱者
  • 宅地建物取扱主任者(これって士になったんだよね?)
  • マンション管理士
  • 行政書士
  • 通関士
  • 建築士1級
  • 気象予報士
  • 土木施工管理技士1級
  • 応用情報処理技術者
  • 建築設備士
  • 総合旅行管理者
  • 衛生管理者1種

 

へー。

(モグモグ)

 

「僕は君たちに武器を配りたい」ってい私の好きな本があるんですけど、あの本の中で「必死に知識をつけても買い叩かれる」という現象が世界的に起こっていると問題提起されていました。

高学歴ワープアですね。

 

ワープアの定義はよくわかりませんが、

<1>週30時間以上働いていて

<2>年収400万円ない

のどちらかに当てはまる場合には、個人的にはワープアだなぁ、と思います。

 

時間とお金が基本資源じゃないですか。

この2つが乏しいのなら、ワープアですよ。

(でも、世間的な尺度ではお金があれば、時間がなくてもワープアじゃないんだとか)

 

そして、背後にあるのは、自分の価値が低くて買い叩かれている、仕事がないという現実です。

 

さて。

あの本の中では、世界中の先進国で、高学歴・高スキル人材がニート・ワープアになってしまう潮流が押し寄せていると話されてました。

 

知識をたくさん頭に詰め込んで、専門家になれば良い会社に入れる

そして良い人生が送れる。

一生安泰に過ごせるという立身出世ストーリー。

 

これが世界規模で崩壊しているという話でした。

 

医師も弁護士も会計士も建築士も英語喋れる人も大変している・・・・みたいな話。

 

背後にあるのは、コモディティ化、グローバル化。

 

グローバル化に伴って規制で守られてきた産業は徐々に競争力を失い、世界マーケットで負けてきました。今後、これは個人の人生レベルでも、同様のことが起こり、加速します。

本物の資本主義の到来。

 

そもそも国レベルでビジネスモデルが陳腐化しているのに、その渦中で四苦八苦して、自分のキャリアも修正できないまま国ごと地に堕ちていく・・・・・っていうのはあまりにも辛すぎますね。

 

スペシャリティになるしかない。

グローバル化に対応するしかない。

 

そんなことを普段から思う次第です。

 

で、話は全く逆方向を向くんですが、私は持論として「戦略的キャリアダウン」の重要性を信奉しています。

なんか、世の中では「キャリアアップ!キャリアアップ!」っていう風潮じゃないですか。

でも、あえてキャリアダウンするのも面白いと思うんですよ。

 

  • 多少給料は下がっても楽な仕事にシフトする
  • 多少給料は下がってもQOLが上がりそうな仕事にシフトする
  • 売上や収益が落ちることになっても、手間暇がかかるビジネスを手放す
  • キャリアでの成功は諦めてフリーター・ニート生活で楽しく生きると開き直る

とかね。

 

人生を幸福追求のプロセスだと考えた時、一体何が幸福かなんて人それぞれだと思いません?

別にキャリアで成功しないことがイコール不幸とは限らないし。

 

だから好き勝手やればいいと思うんです。

 

まー、こうやって個人主義を煽る私みたいな人間が増えた結果、日本人の取り柄だった、一致団結して一つの方向に向かってスーパー努力する・・・・・っていうのが無くなり、国力の低下につながっているのは間違いないんですが。

(でも、ゆーてそのやり方で勝てる時代でもないし)

 

私の場合、ニートだったこともあるし、最悪フリーターなってもいいやー・・・・みたいな感覚を持って生きてきた部分があります。

もともと、エリートでもなんでもないので、失うものもありません。

 

年収高ければいいのか?

稼いでさえいればいいのか?

社会的地位が高けれりゃそれでいいのか?

みんなからチヤホヤされればそれでいいのか?

 

・・・・・・・・。

 

自由である、ということはしがらみがない、ということですよ。

 

「いいよなー、お前はしがらみが無さそうで」

みたいなことを昔から結構言われてきたんですが、

そーやって言ってくる人は例外なく、「異性」「友人」「親・親戚」の目を気にしすぎですね。

 

格好がつくことがファーストプライオリティっていうんですか。

 

You are already naked. ですね。

 

だからねー、

もう、どっちかに振り切った方が良いと思うんですよね。

 

 

 

▶︎第1部:お金について

 

前回、何の話しましたっけ。

えーーーーっと・・・・・あぁ、そうそう、見込みがない人に営業かけてもしゃーないよ、っていう話でした。

 

  • お金ない人
  • 興味ない人

に営業かけてもハッキリ言って無駄ですからね。

無駄。

 

ちなみに、お金がない人に対して「お金持ちになれるかも!!」っていう夢を低額で売る方法は結構、数が捌けます。宝くじにせよ、ヤフオクで見かける怪しい情報商材・ネットでよく見かける商材にせよ、チープなビジネス書にせよ、です。

で、夢を売って終わりです。

世の中で本当に稼いでいる人たちは、一定期間、相当な金額をそれなりに自己投資して稼ぐようになってるのが真実なので、稼ぐ人はそういう人たちをスルーしてシコシコとやることやってきてるもんです。

 

お金を稼ぐようになりたいと思って自己投資するのは普通だと思うんですよ。

 

でもね、稼ぐ人って、3桁万円、4桁万円で自己投資してきてたりすると思うんですよね。専門職についている人とか、それなりの高等教育を受けてきた人、ビジネスを成功させている人ってそんな感じ。

そこまでいかなくても、それなりに稼いでいる人たちって、それなりのコストを負担してやることやってきていると思うんですね。

 

私は、お金を稼ぐということは、

<1>経済的リスク・コスト
<2>時間的リスク・コスト
<3>精神的リスク・コスト
<4>肉体的リスク・コスト
<5>社会的リスク・コスト

のどれか、あるいは複数・全部を背負って、人のメリットのためにリスクを背負いリターンを得ることだと思っています。

 

基本的に、仕事は人がやりたがらないこと、できないことをやるからこそ、対価が生まれるものでしょうしね。

 

フリーランチは無いですね、世の中。

タダ飯が食えるなんて思わないことです。

 

私も、営業の芸をシコシコと磨いてきた長い歴史があります。

おかげさまで、医院さんからクローズドに高額報酬案件を頂いて彼らの新規客開拓に貢献をしたり、面白いメルマガを書いたおかげでそのメルマガのフォロワーに対して商品を広告するだけで儲かったり、独立して商売している人に一言アドバイスして収益状態をドカンと変えたり、自分でオウンドメディアをつくって収益化に成功したり、マッチングサイトのプロデュースに携わったり・・・・・

とかいろんなことができるようになった歴史があります。

 

要するに、私は「マーケティング」を磨いてきた人生なんですね。

 

マーケティングってよく聞く言葉だと思いますが、「投資」にしろ、「マーケティング」にしろ、「コピーライティング」にしろ、そのフレーズが都合の良いような使い方・乱用されているので誤解しないようにしてください。

(マーケティングできない、やってない、マーケティングじゃない、ものとか溢れかえってますし。コピーライティングとか投資に関してもそう。)

あぁ、あとコトラーとか、アカデミックな界隈で指南されているマーケティングも一度、横に置いた方が良いですね。

 

マーケティングとは何ですか?と問われた際に、一番良い答えになるのはドラッカーの考え方です。

  1. 顧客の創造
  2. セールスに負担をかけずに売る活動

つまり、マーケティングとは、お客さんを創造し、かつセールスに負担をかけずして売上が上がるようになる活動を行うことなんですね。

 

私が考えている「営業」というものの方向性は、全く持ってソレなんです。

 

I am a marketer.

 

「Yes,but法」とか「応酬話法」とかそういうのをシコシコやってクロージングするとかそんなことは一切考えてません。

とりあえず、私がこのメルマガであなたにお伝えしたいのは、営業の方法ですね。

 

あなたは、私から

<1>マーケティングの手法を学び
<2>それを独自のフィールド・分野でそれを実践し
<3>顧客の創造をしていく

ということをやっていけば、とりあえずお金の問題は解決されると思います。

 

ネット広告業で実践しても良いし、

中国から何かを仕入れて輸入ビジネスを展開しても良いでしょうし、

イベント・セミナー業、コンサル業、カウンセリング業、

情報販売業、営業代行業、・・・・・・

何をやっても良いと思います。

 

やりたいことをやってください。

練習してればそのうち上手くなります。

 

少なくとも、サラリーマンレベルのお給料は自分の手で稼ぎ出せるようになるでしょう。

もちろん、私のように、もうちょっと頑張って稼いで、自分のやりたいことが大体全部できるような生活を目指しても良いと思います。

 

私はフラッと旅をするのが好きで、

国内に関しては手ぶら&片道切符だけであちこち大陸移動をしたりします。

 

こーゆーことはまぁ、お金稼いで良かったなぁ、と思えることの1つですかね。

 

繰り返しますが、営業しないとなると、

  • 天才作曲家、天才漫画家、天才発明家、天才イノベーター、天才科学者、天才芸術家、天才アーティストになる
  • ジョージソロスのように世界経済の動きが見えて、投機マネーを投じるだけで市場から莫大なお金を引っ張ってこれる
  • アベノミクスとかビットコインバブルとか、そういうたまにやってくるイベントで小銭を稼ぐ
  • インデックス投資で老後を楽しみにする
  • たたき上げの社長、人を率いるカリスマになる

みたいな方向性でしか稼げそうにありませんよね。

 

他、なんかありますか?

 

あぁ、ちなみに。

なんか、トレーディングとか投資っぽいもの、仮想通貨とかに夢を抱いている人とか結構いるんですけど、そーゆーので生計立てられている人って、先物とかバイオプとかバブルとか、「一時性」「投機性」が高いものに乗っかっているだけです。そもそも投資ではない。

投資と投機の混色・・・とも言える株トレードについても、確かにそれで着実にお金を増やせている人はいますけどみんなサラリーマンしています。自分年金の延長みたいなものですね。

 

不動産に関しても、黄金期は終わった感はありますよね。

そもそもマクロ的に人口が減っていて少子高齢化ですよ。

土地の高度利用が進んで、床面積の供給が増えているのにこの状態、そりゃー不動産業も厳しくなりますって。

第一、回収率悪くない?

 

このまま、日本人全体がジリ貧になっていったら、不動産ビジネスもなかなか厳しいものがあるのではないでしょうか。

そもそも、東京の土地が高いことからも見て取れるように、不動産価値というのは商業的価値というものと密接な関係があります。

今の世の中、見てください。

土地とか不動産とは無関係に大きな粗利を出しているビジネス、都心から離れて稼いでいる個人・・・・などが出てきているでしょう。

 

日本は確かに不動産至上主義みたいなところがあって、土地転がしとかで財を成した人も多く、保守的な頭をしている人が多いので不動産信仰は強い。

そういう感じの考えしている人が多いですけど、私からすると、ソレ、もう古いですよ。

うむ。

 

私が好きな洋書に、こんなフレーズがあるんです。

 

ーーーーー

most business people have a modest to extensive understanding of investing, whether it’s in real estate, stocks and bonds, or options. The concept of investing is to have capital at work, earning roughly 12 to 20 percent in a good market or 5 to 7 percent(If you’re lucky)in a bad market. Certainly, you never want to lose capital. If an entrepreneur could make an investment that was virtually guaranteed to return 10 to 15 percent, wouldn’t that be a wise move?
Marketing is so powerful that, if done correctly, it can provide an ROI of more than 100 percent on a consistent basis, and sometimes even multiples of 100 percent of higher. Now, that’s a wise investment!

 

不動産、株式、債券、オプションなど、ほとんどのビジネス・ピープルは、投資について多少の広範な理解を持っています。 投資のコンセプトは、良い市場では約12〜20%、悪い市場では5〜7%(あなたが運が良ければ)の資本を稼ぐことです。

マーケティングは非常に強力で、正しく実行されると、100%以上のROIを、場合によっては100%以上のリターンがある。 賢明な投資とはまさにそれだ!

ーーーーー

 

当たり前ですけど、商売(営業)することが、世界で最もリターンのでかい投資だってことです。

 

はい、今日はここまでね。

 

 

 

▶︎第2部:世界について

 

個人的な見解ですが、成功する人間は、

  1. 政治・宗教的センス
  2. 哲学的センス
  3. 科学的センス
  4. 技術的センス
  5. 芸術的センス
  6. 対人的センス

の全てをバランスよく備えつつも、何か突出したものを持っているような気がします。

「賢い」って言われている人はだいたい何かに特化してますけど、他の部分が致命的に欠落してたりしますね。

例えば

  • 哲学にハマりすぎて、哲学的な考え方ばっかりしてモテない
  • 対人センスはめちゃめちゃ高いけど科学的考えが全くできない
  • 政治・宗教的センスはあり、行動力はあるけど学が無さすぎる
  • 技術はあるけど、芸術性が無さすぎて面白いことができない
  • 芸術性はあるけれど、政治・宗教的センスが無さすぎて趣味と化してる
  • 芸術性皆無すぎてコモディティ
  • 学はあるけど信じる力が弱すぎる、信仰心が皆無

とかね。

 

なんで上記列挙したようなものが必要なのでしょうか。

理由はなぜかと問われれば、「それが世界だから」の一言に尽きます。

 

この世界は人で構成されているので、人に対する洞察が深かったりコミュニケーションセンスが悪いと苦労するのは当然ですね。

科学的センスというのは、考え方や方法論です。科学的方法が絶対とは言えないですが、宗教にとって代わるような形で地位を上げてきたのは、やはり業績・実績があるからです。

しかし、「Science without religion is lame,religion without science is blind(宗教なき科学は欠陥であり、科学なき宗教は盲目である)」と20世紀最高の科学者が言ったように、宗教がない科学はこれまた欠陥です。方向性が見えませんから。

技術がない・技術がわからないと何もできないし、芸術性がないとコモディティ化します。

哲学的センスがないと自己概念とか、自己を疑うことが無くなります。「意味の世界」や「主観で生きている」ことへの自覚を持てません。人生は全て主体・主観で勝手に完結しているし、究極的には自己満足が全てみたいなところもありますから、そこらへんのセンスが鈍いとこれまた苦労するかも。

 

重要なことは、「知識」ではなくて「センス」と言った点です。

知識があればセンスがつくとは限りません。逆も然りですけど。

 

多面的な感覚・感性があった方が良いですね。

人生は。

 

・・・・と、低学歴の私は、生きる中で悟ってきましたとさ。

 

ちゃんちゃん。

 

別に私は真理の追求とかたゆまない知的好奇心の充足とかに興味はそこまで無いですよ。

多少はあるけど、そこまで、です。

 

ただ、人生で成果を上げたい、幸せに生きたい、楽しく生きたい、役に立つ知識や知恵が欲しい、お金欲しい、セックスしたい・・・・・・

 

とか考えて生きてきてたら、あらま、そんな感じになってましたとさ。

 

私が見ている限り、成功している人間は全部に一通り通じている感じがします。

成功というか「強い人間」ですね。

 

指標化できる成功というのはある種、スパンの区切り方次第なところはあります。

成功・成果というのは、一定期間で区切ったものにすぎないのであって、20代で成功していた人が30代で落ちぶれるとかあり得る話です。

 

人生の長きにわたって、あらゆる場面で強さを発揮する人。

そういう人は、上記したようなことに一通り通じている感じ。

 

その上で国際経験が豊かだったり、実体験が豊富だったり、ユーモアセンスがあるとか、寄り道いっぱいしているとか、そんなんだと尚強い。

で、そのモデルとして代表的なのはSteve jobsだと思います。

 

「レオナルド・ダヴィンチに並んで後世に記憶される」と、孫さんに言われるだけありますよね、ジョブズは。やっぱり。

 

まぁ、ダヴィンチはダヴィンチで、同性愛者だったとか、好奇心が多方面に及びすぎて未完の作品が多すぎた、とか色々問題はあったようですが。

 

確かに、あらゆる分野に精通するのは無理です。

無理だし、器用貧乏になる可能性が高い。

何もできない人になる可能性は高い。

 

しかし、「センス」は多方面に開いておくべきだと思います。

 

個人的には、「知識」にはそこまで重きを置いていません。

 

なので、私の発している情報や知識には気をつけてください。

基本的には直感&思いつきで喋ってますし、気分で言うこと変わりますから。

 

テキトーですよ。

 

さて。

今日は、「革命と信仰」について語りたいと思います。

 

今の私は、宗教を信じている人とか、信じることとか、信仰とかについてとても大切なことだと思っています。

フラットな感じ。

 

私自身は、特定の宗教には入っていません。

 

しかし、街角で配っているような勧誘のパンフレットにも目を通すし、キリスト教の外国人に、教会に拉致られたこともあります。

サウジアラビアかどっかの奴に、地元のイスラム関係の施設の写メだったり、指導者みたいな人間の説法音声を送られて

「美しいだろ!?な!?な!?お前もイスラム教徒になれよ」

的な勧誘をされたこともあります。

 

さて。

そんな私は昔、典型的な「科学厨」みたいなところがありました。

 

そもそも科学の何たるかを知らないくせに、

「科学的に証明されたこと以外は信じない!」

「宗教はスピリチュアル!オカルト!」

「信仰持っているヤツは情弱!」

みたいな風に思っていました。10代の頃。

 

まー、世の中のマジョリティってこういう思想の人多くないですか。

私はそう思ってました。

 

でも、大体の場合、宗教信者の方がハッピーでメンタルタフネスな安定した人生を送るのに対して、そうじゃない人は大体人生のどっかで鬱病になるんですけど。笑

 

神にすがる代わりに女にすがって振り回されて病むとか、

神にすがる代わりに会社とか会社での出世概念にすがって疲弊して病むとか、

神にすがる代わりにアルコールにすがってアル中なるとか、

神にすがる代わりに自己啓発にすがってカード破産するとか、

神にすがる代わりに結婚にすがって結婚生活が事実上の破綻になってフラリーマンになるとか、

神にすがる代わりに友達との傷の舐め合いにすがってマイルドヤンキーになるとか、

すがるものがなくて一人で夜中泣くとかゲロ吐くとか鬱になるとか、

 

まー、人生色々っすよね。笑

 

西園寺さんは無知・無学・無教養で低学歴なので、

世界のこととか世の中のこととかは自分で感じてきたこと、

考えてきたこと、思うことをベースにツラツラと喋っている、と言うのは忘れずに読み進めて頂きたいのですが・・・・・

 

この世界で、「宗教」がなぜ必要だったかと言えば、私は、

  • 人生というものが基本的には辛く苦しいもので、難しいから
  • 答えや正解のないものについて誰もが指針を欲しているから

の2点が重要なポイントだと思っています。

 

必要は発明の母、と言いますね。

 

宗教や信仰というものに対して非常に懐疑的で偏見的だった私が、

それに対して心を開いて見方を変え、寛容になったきっかけは、

私が人生の中で本当に難しいことや苦難に直面して、

 

「あぁ・・・・これは信仰とか信念とか神とか、そういうものがないと乗り切れないわ」

 

って感じたからです。

 

きっと、昔の人はそういうものにまみれた人生を送っていたはず。

世界は悲惨だったはず。

 

そんな中では、信仰とか宗教無くして生きていけないでしょう。

 

神の必要性、信仰の必要性を感じないというのは、ある意味、良い生活を送れているということなのかもしれませんね。

 

自分が今まで、どれだけ余裕な環境で生きてきて、人生の難しさに直面してこなかったのか。

自分がどれだけ守られた環境でイージーな人生を送ってきたのか。

 

私は、人生のある時期に、それを痛感しました。

 

基本的に、個人の人生も社会も、「信用とか信頼」で成り立っています。

信じることがスタートなのです。

 

異性を信じることができなくなって心を完全に閉じたら、異性関係は終了です。

人間を信じることができなくなって心を完全に閉じたら、人間関係は終了です。

自分の将来の可能性や希望を、信じることができなくなって諦めたら、試合終了です(安西先生が言っている通り)。

クレジットカード会社が、自分のことを信じてくれなくなったらクレジットカードライフは終了です。

自分のチャレンジについて、将来の成功や希望、前向きな効用を信じられなくなったら、それでチャレンジ終了です。

国民が明るい将来を信じることができなくなったら、景気は終了です。

会社の明るい未来や会社での将来の希望が見えなくなったら、サラリーマン生活は絶望ライフに変わります。

 

・・・・・・・・・。

 

という風に。

 

で、「信じる力」ってものすごい大事なんですね。

 

論理的に分析して出した結論にせよ、

みんなで会議して決めた結論にせよ、

数学的に処理して出した結論にせよ、

神の啓示や教示に従って出した結論にせよ、

自分の経験則から導き出した結論にせよ、

 

信じないと行動しないんですよ。

 

人間って、

<1>興味・関心を持つ
<2>信じる
<3>行動する

の3ステップに沿って動く生き物です。

 

行動するためには、「信じないといけない」んです。

つまり、行動する力というのは、信じる力、と言うことができます。

 

アメリカの実業界における成功者には、
この信じる力の重要性を力説する人間が多いです。

 

ドナルドトランプは自伝で、

「母からもらった言葉で、人生で一番役に立ったのは『信じなさい』だった」

みたいなことを言っていました。

 

スティーブ・ジョブズは、

「なんでもいいから信じることで、他の人とは違う道を歩んでもそれでいいんだという勇気がもてるし、信じることで行動できて、あとあと大きな絵になる」

みたいなことをスタンフォード・スピーチで言っていました。

 

人生を変化させようと思えば、

「行動」

しないと現実は変わらないですね。

 

ウンウンうなったり考えるだけで変わるのであれば楽ですけど、そーもうまくはいかないですよね。

 

だから行動しないといけない。

でも、その行動は信念とか信じる力によって支えられている。

 

「自信」という言葉も、そういうことですよね。

 

ただし、

  • 信じる
  • 信念
  • 思い込む

みたいな概念について、非常に懐疑的な姿勢をとるタイプがいます。

昔の私もそうでした。

 

「それって根拠あるの!」みたいなことを口癖のように言うタイプの人たちです。

科学厨です。

 

まぁ、そういう人たちに対する、

「科学の最後の一線も結局は信じるという部分じゃん・・・」

というツッコミはさておき、その姿勢はよくわかる。

 

学校のお勉強ができた、

良い大学に行けた、

学問的お作法を身につけてきた、

IQが高い、

こういう人たちがそういうスタンスになる理由は、わかります。

 

なぜなら、

  • 信仰
  • 信念
  • 行き当たりばったり

みたいな発想は、「思考停止」を招くからですね。

 

もう少し考えを深められるかもしれない場面で、

「神!」とか「信仰!」とか「信念!」みたいな概念を持ち出すと、

そこで思考停止してしまうフシはどうしてもあります。

 

まぁ、この思考停止ってのも悪いことばかりではなくて、

程よく思考停止しないと、

  • ストレスたまる
  • 鬱っぽくなる
  • メンタル病む
  • 無駄に脳のリソースを消費する
  • 考えても意味がないことを考える愚を犯してしまう、スピード感が失われる

などなど、問題もいろいろありますが、

「思考停止」

という言葉を持ち出す人は間違いを犯すのがこわいんですね。

 

人類が、思考停止することで引き起こしてきた、

歴史的な過ちとか問題とかもよく知っている人たちですから。

 

そして何より、自分の直感に自信がない人が多い。

 

学校の勉強をしすぎたり、

身体性をおろそかにした学習をしすぎたり、

本を読みすぎたせいで五感が死んでいる人も結構います。

実践から学ぶってことができなくなっている人が多い。

 

この辺、西園寺みたいな低学歴タイプ・行動派タイプは優秀で、

とりあえず行動しながら何かを学習したり、感じ取ったり、見出したり、

間違いながら修正したり・・・・・・

っていうのができるんですね。あと、「知識」に頼らないでいられる。

 

 

知識と思考は別です。

知識はニアリーイコールで固定概念とか既成概念でもあるので、

平気で思考の筋道を捻じ曲げてしまいます。

 

実際、専門家になればなるほどビギナーの頃には見えていたものが見えてこなくなる「専門家病」みたいなものがあることも確認されています。

ある種、知識は毒でもあります。

 

とはいえ、「信念を持って・・・」「自分を信じて・・・」「直感を信じて・・・」「未来を信じて・・・」

という感じで突っ込むのはコワイといえばコワイですね。

 

科学革命以前は、人類の文化のほとんどは、進歩というものを信じていませんでした。むしろ、黄金時代は過去にあって、どんどん衰退している・停滞していると考えていたほどです。

人生は苦難の連続。

世界は問題だらけ。

ムハンマドやイエス、ブッダ、孔子は飢餓や疫病、貧困、戦争を無くせなかった。

多くの信仰では、いつの日か救世主が現れて、これら全ての問題に終止符を打ち、死さえもなくすと信じられていたそうです。

 

ある意味、信仰という思考停止が、人類の進歩を止めていた。

 

だからこそ、科学によって問題に対処する必要がある。

 

科学革命が起きて、人類史は大きく変化しました。

 

そして、科学というのは「方法」です。

科学は魔法のように思われがちですが、人類史の中で見ていくと、一番衝撃的だったのは諸問題や宇宙・世界に対して知的に向かいあう際の、その「姿勢」にあります。

 

科学的姿勢が、人類を変えた。

 

まず研究をする。

研究によって力を得る。

力によって資源を得る。

資源によってまた研究ができる・・・・。

 

というサイクルの繰り返しにより、科学は進歩し、文明は前に進んできました。

 

科学は政治や経済の支援なしには生き残れません。

金がないと科学的研究はできないし、

政治の支援がないと危ない。

 

メタルギアソリッドという有名なゲームがありますが、
科学者が政治・時代情勢に翻弄される姿が描かれてますよね。

特に冷戦時代の科学者は大変だったと思います。

科学研究について正当化したり、優先を決めるのも政治的な役割です。

 

上記のことは、個人の人生においても全く同じことが言える、応用的に捉えて見ることができると思います。

 

人生で直面する諸問題に対して、

「科学的姿勢」で取り組むことは、

新しい知識と技術をもたらし、ブレイクスルーが起こります。

 

しかし、研究(学習)しようとするとお金が必要だし、

自分という最高意思決定機関による政治的判断が必要になります。

 

科学、経済、政治は相互支援的なのです。

 

人類の発展は、

  • 研究→力
  • 力→資源
  • 資源→研究・・・・・

というようなサイクルを回すことで進んできました。

 

歴史的に、科学研究に投資することで自らの能力を高められると信じるようになっていったのが人類の歴史。

これにより、諸問題を解決できるようになると信じられるようになっていったのが人類の歴史です。

 

私の人生も全く同じです。

 

  • 金欲しい
  • 自由が欲しい
  • 好きなことしたい
  • 行きたいところに行きたい
  • 欲しいものが欲しい
  • もっとモテたい

とか俗っぽいことを色々思ってきましたが、

「自分なりの研究」
「自分なりの力の獲得(実践で通じる実力)」
「自分なりの資源獲得(成果)」

のサイクルを円環的にまわすことで、

「人生変えられるじゃん」

と確信を深めてきた。

これが私の人生史です。

 

個人の人生で、科学革命的なことを繰り返してきたのでした。

 

森羅万象を理解したいとは思わなかったけど、

少なくとも自分が自分の目的を達成して自分の世界観の中で

必要と思われることは諸法則を発見しようとチャレンジし続けてきたつもりです。

 

科学革命というのは、解決不可能なはずであった問題が一つ、また一つと解決していく歩みでした。人類は、新しい知識を獲得して応用することで、どんな問題も克服できると確信を持つようになっていった。

貧困や病気、戦争、飢餓、老齢、死・・・・といった、普遍かつ不変の「問題」に対しても克服ができるかもしれない・・・と。

実際、我々は科学の力で、貧困やら、悪天候やら、飢えやら、病気やら、老齢やら・・・・だんだんと解放されるようになってきました。

 

ただし、科学は自らの優先順位は設定できません。

自らが発見した物事をどうするかも決められないのです。

同じ科学的知見や技術を、自由主義の政府や共産主義の政府、ナチスの政府、資本主義の企業がそれぞれ全く違う目的に使うであろうことは明らかでしょう。

科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ、栄えることができるのです。イデオロギーは研究の費用を正当化するし、イデオロギーは科学研究の優先順位に影響を及ぼし、発見された物事をどうするかを決めます。

 

まさに、Science without religion is lame,religion without science is blind(宗教なき科学は欠陥であり、科学なき宗教は盲目である)ですね。

 

自己啓発書ばかり読みまくって、

その日だけ「うおーーー!!」ってやる気出して

テンションを上げているだけの人は「盲目」です。

 

逆に、延々と観察して法則性を導き出そうとしている人とか

情報中毒になっている人は「欠陥」です。

指針、方針、リーダーシップ、世界観の確立、理念の皆無ですね。

 

 

 

▶︎第3部:人生について

 

私の独自教材を購入した方が閲覧できるVIPルームに、補講をアップしたんですけど、そこに今後需要のあるスキルというか、キャリアの方向性みたいなのを書いておきました。

こう、大学生になるとみんな一度は考えますよね。

「TOEIC、行政書士、会計士、弁護士、司法書士、中小企業診断士・・・・何かを取ればなんとかなるかな・・・・」

みたいな。18歳〜19歳ぐらいの時期に、みんなそういうことをよく考える。

(会計士目指したことがある人って意外と結構多いと思う)

 

断言しましょう。

2年〜5年かけて受かるか受からない資格を狙うってのは終わってます。

 

せめて1年じゃないですか。

本当は数ヶ月とかでいいと思う。

 

その辺で取れる資格・スキルをとって、まずは基本給を上げるってのが賢い選択だと思います。できれば、海外でも働けるやつ。

それで実務経験・実践経験を積んだ方がよっぽど良い。

なんでこの沈み行く島でしか通用しない、時代遅れの古い資格に、長時間かけて博打打ちみたいな賭けをするのでしょうか。

 

謎です。

 

グローバル化ってありますけど、自分が望もうと望むまいと、必ず巻き込まれます。見てくださいよ、コンビニの店員を。外国人ばっかでしょ。

田舎の方だとわかりづらいですけど、今、コンビニ店員は外国人多いですね。

 

給料安くても働くし、文句言わないし、仕事選ばないし・・・・ってなれば賢明な経営者は外国人を採用します。

 

こんな感じで雇用は奪われていきますね。

 

コモディティ化してたら給料下がって、時間なくなって、将来危うくなって、外国人に負けて・・・・ってのは当然、巻き込まれるわけです。

なのに18〜22の間にのほほーんとして、女のケツばっかり追いかけたり、行列のできるパン屋に並ぶ方式で「シューカツ」とかやってたらそりゃ、23歳以降しっぺ返し食らうのは当然ですわ。

 

マジで、シンガポールとか韓国のエリートと話すと「ゾッ」とします。

 

個人的には日本のエリートと話しても特に何も思わないけど、海外のエリートと話すと「ゾッ」とします。

絶対に同じレールには乗ってはいけない、ということがとてもよくわかる。

あいつらヤバイ、やばすぎる。

 

狂気じみた努力、狂気じみた根性を感じる。

韓国の大学生が、「大学の図書館が24時間営業」って教えてくれて、ゾッとしました。修羅のように勉強している人たちがいるわけですね。

あはははは。

 

世界には本当、狂った勢いで勉強している人とかいるわけです。

 

「会社で自己実現が〜〜〜」

とかぬるいこと言っているジャパニーズとは違う感覚で、

マジで生死をかけて勉強してる人とかいるわけです。

 

そんな人たちとこれからどんどん競争になるなんて。

恐ろしすぎる。

 

こう・・・・・人生で悩んでいる人って、

「うわー、サラリーマンキャリアも捨てがたいなー」

とか考えているんだと思いますけど、私の場合、そもそも視点が違うんですね。

 

もう、ジャパニーズの中間層の将来が終わってるのは目に見えてます。

 

だったらもう、最悪、新聞配達とかコンビニバイト覚悟で、勝負かけるしかないんですね。

 

みんなが「これは捨てがたい道だ・・・・」って思っているものの大半が、その行く先には崖が待っていることを私は知っている。

で、背景にあるのはグローバル化です。

あとコモディティ化。

 

会社に寄生しながら、

株にしこしこお金をシフトして、

ヤフーファイナンス見ながら生命時間をすり減らしている人を見ると

「マジでメンタル強い、尊敬する」

と心底思っています。

 

拍手送りたくなる。

 

西園寺さんはチキンなのでそんなこと、できません。

 

グローバルマーケットでは、

就職にあたり、まずは「国選び」から、というのは基本です。

彼らの就職活動を見ているとそのダイナミックさに驚かされます。

話すたびに思うわけです。「わー、日本ってぼっちだなー、置いてかれてるなー」って。

 

日本に働きに来ている英語圏の友人は、

「アメリカ行きたかったけど競争率高いから(≒日本人雑魚いから)」

「生産性の悪い働き方にドン引きしている」

とか色々言って来ます。

 

今後、グローバル化が加速して、外国人がどんどんやってくる将来とかも想像すると・・・・・もう、ねぇ。

わかる。

言いたいこと。

 

だから、私は社畜の友人の人たちと話すたびに、彼らの考えてることとか悩みのレベルに引くというか、笑いが出て来ます。

 

社畜・公務員というぬるま湯に浸かれる度胸は私にはない。怖すぎる。先行きが。

 

今の20代、30代はマジで覚悟した方がいいですね。

 

  • 根性
  • スキル
  • ドメスティックなキャリアプラン
  • ドメスティックな発想
  • コモディティ化度
  • マジョリティ化度

などを総合的に勘案して、身の振りを正した方が良いと思われます。

 

日本はもう、詰んでます。

 

どういう視野、選択肢で物事を捉えるかっていうのは大事ですが、「日本」という枠内で物事を考えているか、「外」を踏まえて「内」を見れるかでは話はだいぶ違うと思いますよ。

 

転職ではなくて「転社(勤務場所変更)」して、

就職ではなくて「就社」して、・・・・・・・・・・。

 

まぁまぁ、もう、今後は、日本でビジネスで成功するか(特にフロンティアで)、グローバルマーケットで通じる人材になるか、しか無いんじゃないですか。明るい未来があるのは。

本当にそう思います。

 

商売全体を動かして(あるいは商売の上層にコミットして)稼げる人間になるか、需要がある分野でスキルがある人間か。

 

もう、本当その2択。

 

で、個人的には専門家になる道は嫌いです。

すごい消耗するんですね。大変だし。

40年くらいしか働けない人生のうちで、2年〜6年費やして、さらにその分野の専門家とワールドワイドで競うのはやだなーって思う。

すごい思う。

専門家になるとまたコモディティ化と戦わなあかんしねー。ジャンルにもよるけど。

 

だから、マーケター、イノベーター、リーダー、インベスターになるしかないというのは私の選択ですね。

事業・商売の収益の源泉はそこなのだから。

 

とりあえず、時間がない、金がないのスパイラルは最悪ですね。

そこからさっさと脱出した方が良いと思います。

 

1週間に40時間以上働いている人は負け組です。

負のループにはまっている。

 

 

PS

日本で職歴がボロボロの人はラッキーですね。

海外じゃカウントされないですから。

多国籍企業や外資系以外。


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。