死刑囚(究極の失敗作)になった人間には共通点がある。
まず、親ガチャに外れている。
- ど貧乏
- 虐待
- 謎教育
- ど田舎
- どブサイク
など。
そして、モテない・金ない。その不遇な生活を続けて、限界点がくる。すると、社会に対して逆恨みを発動する。
基本的にこの感じ。
ポイントは、結構、無駄にプライドが高いということ。
だから、謎に自己表現欲求とかがあったりして、死刑囚になった後、なんか「俺の持論」みたいな書き物を残そうとしたり、変なラップ・絵を描いてみたりする。
実は、こういう傾向は、成功者とちょっと紙一重だったりする。
成功者の中には、そういう辛い境遇の中から、一念発起して出てきたタイプが結構いる。
だから、本当に、紙一重なのである。
では何が違うかというと、やはり決定的なところでは、「手段」である。
手段で暴力的なものを採用しないということ。
たとえば、サッカーをして、イライラして、その鬱憤を
暴力で返す
タイプと
サッカーで返す
タイプがいるがいるが、後者は建設的であり成功者になりやすく、前者はやっぱり落伍者になりやすい。
大抵どの世界でも、前者パターンは、相応の情状酌量の理由があっても、追放ということになる。
なぜこうなるか?
やはり、道を逸れるタイプは「自己保身」が強いのである。
厄介なのは、「自己保身とは、DNA保存」のようなものであるが、DNAに恵まれていないくせにDNA保存しようとするのだ。
家柄、DNA、顔面、それらに恵まれなかったくせに、それらを強く保存しようとする衝動が強いのである。
取り返しのつかない過ちをするタイプは、やはりこのタイプが多い。
そして、このタイプは、要するに、本質的渇望は、
- 自己を破壊することなく
- 自己を否定することなく
- 自己を変えることなく
- きついトレーニングをすることなく
誰かに愛されたい、認められたい、成功したい、存在価値を感じたい、みたいなものである。
そして、これはたいていの凡人が持ち合わせる衝動であり、大抵の凡人はこれを、
- サラリーマン生活
- 結婚
によって埋め合わせるのだ。
ところが、死刑囚コースパターンは大体、家柄大失敗、就活大失敗、結婚もできないのでこれらが満たされない。
承認欲求、性欲、物欲、あらゆるものが満たされない。
その状態で、親の呪いにかかったまま、個人を責められる。劣等感を植え付けられる。
「持たざる者」であり、「満たされない者」なのだ。
家族愛的なモノに欠けた、成仏できない亡霊みたいなもの
である。
そのため、このタイプは、縁に恵まれて、結婚して子供なんかをこさえると、意外と落ち着く。
死刑囚が獄中結婚して急に反省し出したり改心するのもそう。
そして、本来、彼らは多いなる凡人の魂を秘めていたのだ。
一方で、成功者は、
あなたの赤ちゃん産みたい、大好き
と異性に言われて家庭をこしらえても満足できず、コンフォートゾーンにいてもそれで人生を終われないタイプ。
自己を保存するだけで終われない。
自己を超越したい。
あえて苦しい試練を突破したい。
サッカーの試合で煽られたら、暴力ではなく、結果で見返してやりたい。
そういう魂。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



