こんな思いをするくらいなら
出会わなければよかった
恋とは相手にトラウマを植え付けることである、と誰かが言った。トラウマになるくらい誰かを好きになる。でも届かない。1人だけ空回りしている。悔しい、と思う。こんなに想われて幸せな奴だ、と恨めしく思う。でも、他にこんな気持ちを向ける対象はいないから、その相手によっぽどの魅力があることも事実で。嫌なことばかりじゃなくて、楽しかったこと、幸せだったことがあったのも事実で。こんな思いをするくらいなら恋なんてしない方が良かったのだろうか。でも、いざその出会いが無かったらと考えると変な気がして。関係を終わらせようとしてもなかなか切れなかったりして。ただ一つ言えることは、世の中にはそれほど強い誘因力を持つ存在がいて、苦しいほどに抜け切れない感情的な葛藤があるということ。
あまりにも悔しくて、「ハマらせる側に回りたい」と思ったことがあった。実際やってみた。最初は良かった。でもだんだん気付いていった。ハマらせるよりも、ハマることでしか満たされないことがあるということに。私たちは、何かに「沼る」と、まずいと思う。関係性を清算しないといけないと思う。依存してはまずいと思う。だけれど、そういう経験をいくつできるかが、人生の醍醐味なんだと思う。そういうものがない人生は、あまりにも退屈で、無味乾燥としていて。
“make you feel, make you think.”
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
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"make you feel, make you think."
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説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。