【儲からない法学生・司法試験受験生を集客するシリーズ#1】 LRAの基準、厳格な合理性の基準の違い

 

ちわーっす。

 

オワコン法学生、司法試験難民のみんなちーっす。

 

 

若き日に、この本を読んで

法律と会計は勉強しとけ

っていうから、弁護士や会計士レベルのテキスト買い漁って勉強して、ファイナンシャルフリーを手に入れた異端児が贈る至極のコンテンツ★★

 

(アンド、いかにちゃんと勉強してきた人間かを自慢して見せびらかすコンテンツwwwwwwwww)

 

 

https://youtu.be/Rse61Qi7_AE

平均年収が600万円台に落ち込み、横領事件が増えるなど、貧乏になってしまった弁護士の世界。

昔の威厳や権威は何処へやら。

youtuberにならないと飯が食えなくなったこの世界で、

 

公務員や司法書士、行政書士を目指すのもなぁ・・・

 

と思っている彷徨える法学の徒を、大学時代、法学のGPAが満点だった西園寺の圧倒的知性とリーガルマインドでメロメロにして誘惑するシリーズ第一弾。

 

 

LRAの基準と厳格な合理性の基準の違い

 

結構この、

「LRAの基準と厳格な合理性の基準の違い」

って検索されてるんですよね!検索需要があるんですねー!

 

 

うわー、懐かしいですね!

若き日を思い出します!LRAの基準!厳格な合理性の基準!

昔勉強したわ!!!!

 

 

要するに、これって、違憲かどうかを審査する技法として、厳しい順に、

  1. 厳格な基準 → (厳しい)
  2. 厳格な合理性の基準 → (緩め)
  3. 合理性の基準 → (緩め)

で階層があるんでしたよね!

そして、LRAの基準は厳格な基準にカテゴライズされるやつ!

Less Restrictive Alternativeの略、つまり「より制限的でない代替手段(オルタナティブ)」のことですけれど、憲法の中で特に守らないといけない価値を制限するようなやつ(法律とか)はLRAで厳しく違憲審査してくぜ!ってやつでしたよね!

うわ!さすがGPA満点男、よく覚えている!!

 

 

このなんとかの基準みたいなのは六法に書いてないです、判例からくる慣習。

(これが何故なのかは後述します)

 

 

厳格な基準には、

  • LRAの基準
  • 明白かつ現在の危険の基準

みたいなのがありますけど、要するに、早い話、

よっぽどのことがない限り認めない、必要最低限度しか認めない

ってやつでした!!

 

 

何を認めないかって?

守りたい大切なものを害する危険があるものをさ!!!!!!

 

憲法の番人、最高裁がな!!!

 

 

言わずもがな、憲法と言えば、

13条個人的人権の尊重が頂点の価値

であって、

(これ憲法を勉強する上で一番重要)

これを守るための手段として、各条項が位置付けられてるんですけど、特にそのために民主主義というのがかなり重要で、民主主義という制度を機能させるために欠かせない

  • 思想表現の自由

とかを害するやつは厳しくやらなあかんわけでした!

法律にしろ、政令にしろ、なんにしろな!!!

 

 

 

憲法と法律は違いますよ?

早い話、憲法は僕ら国民の味方法律は権力者が国民をいじめる道具、です。

 

 

悪い法律から私たちを守ってくれるのが憲法です。

そしてその憲法が一番大事にしているのが個人的人権(13条)です。

 

 

素人と法学やった人の違いといえば、

素人は

憲法=9条と思ってますが、

 

法学やった人は

憲法=13条って思ってます。

 

 

憲法が、最高裁が、やばい法律を審査するとき、「どういう基準で審査するのか」というのが今回のお話。

 

 

もっと言うと、

憲法が13条の個人的人権という至上の価値を守るために、人権として、

  • 精神的自由
  • 身体的自由
  • 経済的自由

の3つを考えるとき、精神的自由と身体的自由というのはかなり優先度高く守らないといけません。というのは、一度、精神的自由や身体的自由が破壊された社会ってのは元に戻らないわけですね。

国家権力が国民の精神思想弾圧したり、特定の思想者を逮捕・拘禁し始めたり殺し始めたらもうどうしようもないでしょ!

プーチンに支配されてるロシア、金一族に支配されてる北朝鮮、今の中国(中国共産党)、戦前の日本、ナチスドイツとか見てたらわかりますね。

 

ゲシュタポとか特高警察とかやばかったじゃん

https://youtu.be/wUX7IO0uSmQ

 

ってなわけで、

「精神的自由を踏み躙るもの」

は厳しくいきます。

 

LRAとか、明白かつ現在の危険の基準とかが言ってるのは、

「本当にそれしかないの?本当に?もっと小さく制限できないの?他あるでしょ?それじゃないといけない理由は?」

ってやつですね。

超厳しいわけです。

 

基本許す気ないです。

 

 

 

緩やかな基準には、

  1. 厳格な合理性の基準
  2. 合理性の基準

がありますが、

厳格な合理性の基準の場合は、

目的との関連性でその制限手段を認める

みたいなやつですね。

 

 

一番緩い合理性の基準は、

よっぽど非合理とかやばいのが明白じゃない限りは許しちゃう感じ。

 

 

 

要するに、一番厳しい審査基準は「手段そのものを規制」にかかりますが、

中間の厳格な合理性の基準は「目的との兼ね合い」でまぁ辻褄が合ってたらいいよ、ってやつで、

一番緩い合理性の基準のやつは「よっぽど非合理とかじゃない限りはいいよ」ってやつでした。

 

 

で、厳格な合理性の基準と厳格な基準(LRAの基準)って何が違うんだ?って思ってる人が結構いるみたいですけど、

これ、仕組みを理解したらわかるとおり、

LRAの基準は基本許す気ない

んですよね。

 

これが、「合憲性の推定が働かない」ってやつですね。

 

 

 

最近、政府が侮辱罪を作るとか言っててこれを賛成してるアホがいるけど・・・・

 

平均的日本人はバカばっかりで無知蒙昧、歴史知らずの無教養、半分は非大卒というおばかちゃん大国なんですが、

コロナの件をきっかけに、

  • 政府の規制力をもっと強化した方が良い

とか、

木村花さんの事件をきっかけに

  • 侮辱罪等、言論の自由の弾圧を多少許していい

とかアホなことを言い出してるんですけど、

これに乗じて自民党とかがウハウハになってますね。

 

いや〜、アホですね。

 

歴史を繰り返すつもりですかね。

 

いいんですか。経団連、医師会、そのほか上流階級と世襲議員の塊であるアッパー金満連中たちの思い通りにさせて。

彼らはいかに、「自分たちに都合が良い国づくりをするか、そのために下層国民を使いっ走りにするか、砦にするか」ですよ。

労働兵力の確保、国防兵力の確保。

 

あのね、

  • 精神的自由
  • 身体的自由

って重いんですよ。

 

先の対戦で先祖が守ったのは国土とかだけじゃないですよ。

あの多大な犠牲を通して、先祖は、

「人権」

という概念を戦後日本に作った。

これを守ったと言える。

そして私たちはこの恩恵の下で生きてる。

 

ただでさえ、監視社会っぽい同調圧力が強い日本で、お上追従のこの国で、

少しでも精神的自由や精神的自由について、

権力者サイドに規制自由を許したら大変ですよ?

 

民主主義は壊れるのは一瞬ですよ?

 

 

メディアが忖度してるのはスポンサーじゃなくて国家権力だしね

https://twitter.com/AokiTonko/status/1469994164247228416?s=20&t=Ob2YDE5D7BrqjBMidAo6SA

https://twitter.com/AokiTonko/status/1115693451293499392?s=20&t=Ob2YDE5D7BrqjBMidAo6SA

 

 

まー、侮辱罪が創設されたとしても、これ、違憲じゃないですかね。

まぁ、ゆーて、所詮最高裁は公務員だし国の犬だし、一票の格差是正とか全然無視されてるし、怖いところですけどね。

 

 

 

思想信条の自由、言論の自由につけ込むマーケター

 

さて、少し腹黒い闇の話をしましょう。

 

書店の本って、クソみたいなタイトル詐欺の本とか、クソみたいな内容の本って溢れかえってますよね。

 

例えば、同級生の首を切り取って校門に置いた殺人鬼が本を出したり、

宗教家がめちゃくちゃなイタコ芸の本を出してたり

効果があるのかないのかよくわからない健康法を謳う本を医師がバンバン出してたり、

「儲かる!」みたいなタイトルの本がFXコーナーにたくさんあって、

ネットを広けばクソみたいな話、悪口、下ネタ、陰口が溢れかえっていますよね。

 

あと、えげつないエロビデオとかエロ漫画とかも溢れてるでしょ。

レイプとか痴漢とか、性奴隷とか。

 

 

↓バトルロワイヤル名シーン

 

 

こういうのが何故許されているか。

それは、思想信条の自由、言論の自由、憲法との兼ね合いが大きいのです。

 

憲法は、思想信条・言論の自由を守り、これを阻害するものを厳しく排除しています。それこそ、LRAの基準とかで厳しく排除している。合目的性とか考慮せず、合憲性の推定を働かせず手段をバサバサ規制している。そういう法律を作らせないよう、機能させないようにしている。

 

 

もちろん、あれですよ、私人同士の言論による名誉毀損トラブルとかは民事裁判化しますよ。

しかし、政府とかと私人の間にあるもの、法律・規制は憲法がブロックするんです。守ってくれる。

 

 

そしてまぁ、

我々のような教養水準が高い大卒マーケター

ってのは(出版社・編集者・著者なども含め)、この表現の自由にかなり付け込んだ存在でもあります。

 

要は、大抵、いろんな物事ってルールが張り巡らされているんですが、歴史的兼ね合い、そして民主主義国家において、かなり厳しく保障されているのがこの言論と表現の自由なのです。フリースペースなのです。

 

 

なので、腹黒い商売人は、

  1. ビジネスを用意する(キャッシュポイントを用意する)
  2. 洗脳的書物を出版する
  3. 洗脳的書物を読んだ人がビジネスに流れてくるようにする

という手法を取ります。

(この辺りの生々しい話は、あんまり公に語るとやばいので、外資系ECLMシリーズなどの独自企画とかでディープな内容にタッチしています)

広告関係は法律規制が厳しく、特に薬事法絡みの領域は特に厳しいので、頭の良いずる賢い人たちは、

「本で宣伝」

して、バックにサプリメントとかそういうものを用意したりする。

 

 

なので消費者としては、なんか怪しい健康法関連の商品を取り扱っていて、本を出したり、思想信条的な発信が強烈な人というのはかなり怪しいというかずる賢い人だと思っていると良いでしょう。

 

 

資格者というのは、特に士業や公務員なんかは、もっぱらなんらかの法律を勉強して試験に受かりますが、基本的にこの世界は頭の悪い順

  1. 資格の勉強を始める人
  2. 資格をとって使いこなす人
  3. 資格を持ってる人を雇う人
  4. 資格自体を創設する人
  5. 資格が取り扱っているルールの裏をかく人

がいるのですが、最後の方ほど頭が良いのですが、一番頭が良いのは「ルールの裏をかく人」で、世の中の成功者と呼ばれる人が大体資格を持っていない無資格者なのは理由があるのです。

1~5のうち、数字が大きい方が儲かります。金稼げます。頭が良いからです。AI時代になってますます顕著になってきましたが、基本、テキスト読んで暗記してペーパーテストに答えるってのは一見頭良さそうで、知能・知性の使い方としては次元は低いです。コンピュータで代替できます。

余談ですが、士業と公務員の試験に法律が出るのは、そもそも士業というのは官公庁仕事のアウトソーシングだからです。だから官公庁で働いていた人、税務署で働いていた人たちは行政書士や税理士に無試験で天下りできるのです。

頭悪い人は一生懸命に行政書士や税理士試験を勉強しますが、実際は「4」の人たちは無試験で天下ってきます。

 

経営者、起業家も、

自分で資格の勉強なんかせずに

資格者に仕事を振ったり雇いますね。

 

 

 

話を元に戻しますが、現代社会においては、世の中で一番頭が良い人たちは思想信条や言論の自由というフリースペースを活用して商売をしている傾向にあります。

大川●法とか東大卒らしいですけど、同期でトップレベルで稼いでいるんじゃないですか。頭良いですよね。法を熟知している。東大法学部出身ですから、「計算づく」の上でわかりきってあのイタコ芸をやってるはずです。天才です。スーパービジネスマンでしょう。一代であれだけの宗教を築いてあれだけの帝国、年収があるのは流石だと個人的に思います。息子は散々叩いてますが。

yahoo知恵袋で、

大川隆法は東大法学部を出ているのになぜああなっちゃたんですか?

という質問がありましたが、質問者は何も分かっていないですね。東大法学部を出て最も稼ぐ方法を実践してるのは林修か大川隆法じゃないですか。そんじゃそこらの公務員、法律家じゃ大して稼げませんよ。最高裁判所長官は年収3000万円くらいですよ。

 

 

私も含め、頭が回る人は、憲法や法体系を理解すると、

「民主主義」「思想信条の自由」「言論の自由」と、

刑事実体法、刑事訴訟法、民事実体法、民事訴訟法の体系、ネットワークが見えてきたときに、

ルールの裏

というか、踏み外してはいけないライン、暴れ回れるラインというのが見えてきます。

 

 

 

法学を勉強するとやっていいこと悪いことのギリギリのラインが知悉でき、

会計を勉強するとビジネス・会社が潰れる・潰れないのギリギリのラインが知悉できるのです。

 

 

 

話を戻しますが、

 

戦前・戦時中のナチスドイツや日本では、

焚書とか、検閲があったでしょう。

手紙の内容は監視されてダメなものは取り上げられたり修正されたりした。

本を燃やされたりした。

 

思想信条も厳しく弾圧されたでしょう。

思想信条の弾圧ってのは江戸時代の鎖国とかもそうですけど、支配者が支配のために徹底してやりがちなんですね。

 

 

もうね、

一度、

思想信条とか言論の弾圧を認めちゃうと、

そこから権力は暴走するんです。

 

あれですよ、

緊急事態条項とか

軍隊動かして戦争するとかもそう。

 

プーチンの暴走ぶりを見てたらわかるでしょ。

 

安倍晋三の言うこと聞いて憲法改正とか緊急事態条項とか認めたらいつの日かなし崩し的に戦争始める日が来ますよまじで。

 

 

 

 

なんで判例は重たいのか?

 

法学を勉強してた時、

純粋に疑問に思ったのは、

 

「どうして判例は重たいのか?」

 

ということでした。

判例はなぜ重要なのか、ですね。

 

 

法律の勉強をディープにやろうと思えば、実体法・条文だけの勉強では終わりません。必ず判例に触れないといけなくなる。

 

 

英米法系のやり方(判例主義)がどうこう、コモンローがどうこう、とかそういうことじゃなくて、

実体法に色々書いておけば良いのに、

マニュアル化しておけば良いのに、

割と裁判所が好き勝手にルールメイキングしているように見えたのです。

 

 

LRAの基準とか

厳格な合理性の基準とか、

そういうのも判例・慣習です。

 

 

当時はよくわかりませんでしたが、

今ならわかる・見えることがあります。

 

 

おそらくこれは、

一貫性を保つため

だと思われます。

 

 

裁判官って言っても所詮公務員なんですね。

公務員って、前例主義じゃないですか。

 

官僚とかって、末端であっても、外部に対して何かを発信するときにはかなり慎重になるそうです。言葉を濁すそうです。というのも、末端の発言でもかなり公的なアナウンスとして取られるから。

だから上位下達、上の命令は絶対、文書主義、前例主義。

 

で、長年運用してたら、中にいる人も入れ替わりますよね。そんな中で安定性を欠いてはいけない。上から下に至るまで、そして長年にわたって安定一貫としていないといけない。その意味で、実際のところ判例等々ってのは

内部を縛ってる

ってのが大きいと思います。

 

拠り所、みたいなものがあった方が良い。

どんな会社もマニュアルとか規則創りがちですが、まぁ、そういうことですね。

 

 

それと、ちょっと矛盾しますが、

ドイツ人とか日本人って形式主義的というか、木を見て森を見ずというか、定規杓子的というか、階層主義というか、そういうふうになりがちだと思うんですが、

英米の場合はもっとオープンディベートでいろんなことを戦わせて相対化させながらベストなものを出していこうという精神がある結果、判例の方を重んじているのだと思います。

 

もし実体法、制定法にウェイトを置くと、それが行きすぎると結局それは、「条文」という新しい神様を盲目的に追従することになって民主主義の精神からは乖離してしまうわけですね。そもそも民主主義において条文は民衆の多数決原理から生まれてくるものですからね。間接的ですが。ということは民意を反映して然るべきなのです。ところがいつの間にか、権力者の道具になってしまう。法律が新しい神になってしまう。そうではなくて、それぞれの法体系が守りたい価値のために使用末節の条文があり、柔軟に解釈していく必要があるということですね。

大体、あらかじめ想定してあらゆることをルールとして条文化させておくというのは思わぬ想定外や事件を招きがち、偏りを生みがちですし、そもそも無理です。

その柔軟性、民主主義性と、一貫性や安定性を両立させるのがコモンローなのでしょう。

 

 

あと、

ここからは勝手な推測ですが、

第一審、第二審など、要は地方裁判所とかでは割と、

斬新な判決

とか出たりするけれど、最高裁になると保守的な判決に戻ったりすることって結構あると思うんですよね。

 

これってまぁ、あるあるじゃないですか。一般社会でも。

階層が低かったり、若いところほど、斬新なことやるけど、上とかoldな人たちが保守的に判断するってのは。

 

 

老人にしても、

時の試練に耐えたものにしても、

そういうものって多角的な視点から色々熟考して、

結果「それ」ってのが多かったりするんで、結局それに回帰するってのはありがちです。

 

 

 

 

西園寺憲法第一条は特定の女性を目的にした人生設計と意思決定はしない

 

私は若き日に学んだ法学にかなり思想的に影響を受けました。

 

そして色々とそこまでの人生経験を踏まえた結果、

二十歳前後の頃には、

西園寺憲法第一条として、

「特定の女性を目的にした人生設計と意思決定はしない」

という最上・至上の価値を決めました。これは憲法でいう13条に当たります。私はこれで、自分の経済的自由、精神的自由、身体的自由を守ってきたのです。

 

 

目的と手段の整合性は?

より、Less Restrictive Alternativeな選択肢は?

ということはよく考えてきました。

 

 

恋愛や結婚は身を焦がす。

人生の背骨を折りかねない。

下手な女との出会いや関係性は人生がぶっ壊れる。

そう感じたのです。

 

 

第一次西園寺恋愛大戦、

第二次西園寺恋愛大戦は凄まじい犠牲を出しました。

 

そして、個人的経験、諸先輩方からのアドバイスもあり、

日本の女性の大半は私にとってクソである

という結論に至り、恒久の平和・心の安寧を願って憲法が制定されました。

 

 

 

この世界には狂気、暴君、低知能、嘘が蔓延っており、

いつ何時、魔の手が迫ってくるかわからない。

 

 

 

女という危機は、言論統制、思想信条の介入に始まり、財政の掌握、身体的自由の剥奪などを経て、徐々に人生を蝕んでいきます。

如何様にも解釈できる様々な政令を乱発し始めます。やり方や生き様が政治家そっくりなのです。寄生階級という意味で同じでしょう。

  • 「店員さんに言葉遣いが悪い人は嫌い」
  • 「余裕」「清潔感」「包容力」

https://twitter.com/fakegidmtf1111/status/1524876993887469568?s=20&t=Ob2YDE5D7BrqjBMidAo6SA

 

 

 

 

西園寺の恋愛史には、Hiroshima、Nagasakiがあるのです。ピカドンされたのです。全てを焼き尽くされた。

特攻もした。鬼畜JK、鬼畜JD。「欲しがりません、勝つまでは」してきた。

そこから復興してきたのです。

そして高度経済成長してきた。それが私の人生。

 

 

 

よって、結婚の危機が近づいてくると、

 

  • LRA (もっと制約がない関係維持方法や女はいないか?)
  • 美人聡明良妻賢母が明白かつ現在捕まえないと逃す危険がある基準 (この女を今捕まえないといけないか?)
  • 比較衡量基準 (こっちの方が幸せじゃないか)

という基準によって、

戦後の人生を統治してきた。

 

 

もちろん、「西園寺憲法改正」も吝かではありませんが、その際には、西園寺脳内国会が開かれ、西園寺上院、西園寺下院両方での議決が必要になります。

下院(衆議院)は多数決的であり、マーケティング的であり、その時の多数派に支配されます。その時の気持ちとか、勢いとかそういうものです。もちろん、そこには財務、国土交通、文部、厚生労働、外務などの担当大臣級やその下も脳内国会に参加しています。ただ、大多数は、その時の多勢です。

一方で上院は保守的であり、教養的であり、良識の府です。

 

 

 

つまり、リーガルマインドとは、意思決定のメカニズム、システムなのです。

 

 

物事を決めるときも、

  • 弁護側
  • 検察側

と相対するものを戦わせていく、

「一審、二審、三審」

と段階性にしながらも、

コスト等々の兼ね合いから三審まで、しかも事実審は二審までで三審は解釈審にもっぱら専業するとか、

ファクト集めて、証拠能力考えて、それの解釈を考えて、評価を考えて、価値判断をして・・・・

という視点とか、そういうものは法学系の学習で学んだことです。

 

 

一番大切にしたい、守りたい価値を考えて、

その価値を守るために各ルール群でどんな価値の対立があって、

枝葉末節のルールやポリシーがあるのか、

そしてそれに照らしてどういう判断ができるのか。

 

 

 

そういう階層というものをしっかりと自分の中に作り上げていく。

だから、各々の場面で参照できる条文が存在する。

拠り所にあるものがある。

 

判決を下せる。

 

道を進んでいける。

 

 

 

そういうことですね。

 

 

 

 

 

 


===

西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。