若い頃の口癖は、『両親に感謝してる』でした。

若い頃の口癖は、両親に感謝してる、でした。

ちなみに、今、ツイッターで『両親 感謝』と検索すると、

親に新しいモレリア買ってもらった汗 こんな良いスパイクでサッカーさせてくれる親に感謝 汗

みたいなツイート見つけました。

なんか私も同じノリで、親に食べさせてもらって感謝、とか、親になんか買ってもらったら『感謝』みたいな感じのことを言ってました。

私も若い頃は、感謝感謝と、事あるごとに言ってたのです。

 

しかし、ふと思ったのです。

俺って本当に感謝してるのか?

 

自己検証すると、大半が罪悪感、そして感謝しなきゃという気持ちと、あとわずかにリアルな感謝の気持ちが混在する感じでした。実際に15歳ぐらいで働き始めて、『お金を稼ぐのってこんなに大変なのか』という思いを抱きましたが、働く場所が違うことによって、お金の稼ぎやすさが全然違うことを知りました。

そして、外の世界を知れば知るほど、、、、

世の中には、階級というか格差があることを知りました。簡単に言うと、貧乏な家庭では、親はお金のためにすごく消耗しながら、家庭ではその疲れを持ち込みます。場合により家庭で揉めてるわけです。

そして、必死になって稼いだお金を子供にどれだけ使えるかは稼ぎによるし、お金を出すにあたって親がどれだけ嫌な顔をするのか、そして家庭がどれだけ経済的に困窮してるのかによって、事情が違うことを知りました。

 

私は、裕福な家庭育ちではありません。

そして、経済的に飛躍したいと思い、上を見ればみるほど、貧乏というのは遺伝だと気付きました。親から経済性というのは連鎖する。

あったかくて豊かな家庭は、基礎が何もかも違う。

親の親が貧乏だと、親は当然貧乏になります。貧乏マインドも移ります。

 

私は相当貧乏というわけではありませんでしたが、平均以下というのは感じていました。

 

親が貧乏であればあるほど、子供の関心は外に移ります。早く稼がなければならないし、現実に存在する格差を見なければなりません。何より、家系に脈々と続く経済性の連鎖を目の当たりにして、世の中には裕福な家庭というものがたくさんある、親から子への承継や特別待遇というものがあることに気づきます。

家系にはそれぞれ事情がありますが、家系によっては、親の意向で無理矢理参加させられるイベントがあったり、親にいろんなことを無理強いされながら、そんなに豊かでは無い環境で育てられたりします。

つまり、よその家庭よりマイナスが多く、プラスが少ないというものですね。

 

こうなってくると、親と距離を置く事の方が、明らかにプラスが多くなってくるわけです。どうせ、経済的に自立しなければ迷惑をかけます。文句を言われるだけです。

社会に迎合しようとする過程で、親が邪魔になるのなら、多少親を無視しても、最近流行りのニートよりはマシでしょう。

そもそも親は自分より早く死ぬわけで。

 

私は、どちらかといえば、謎の縛りや強制があったり、強引な押し付けがある中で、平均以下の豊かさの中で育ちました。

そういう環境で育ちましたし、早くから現実を見ていたので、親というよりも外の世界に関心が向くようになりました。

 

正直な話、

親に感謝しなければならない

みたいな思想から解き放たれ、親の顔色を伺わず、好きなようにやるようになってからは、人生がずーっと絶好調でハッピーなわけです。

結局、総括すると、社会に出て行かねばならない、おまけにそんなに出自にアドバンテージが無いという状況下で、ひとまず親のことは忘れて、意識から消して思うようにやってから、大抵のことは絶好調なわけです。

それと同時に、いかに私が親から方向づけをくらっていたのかも思い知らされました。

 

私は、今もそれなりに親に感謝しています。

 

しかし、親と距離が近いといろんなことについて、調子が悪くなるのも事実です。親がいれば、助けてもらえるのでは、という甘えを完全に断つ意味でも、親からの自立は自分を強くしました。

若い頃から、どうやったら飛躍できるかを真剣に考え続けました。

調べ続けました。

 

世の中には、親に感謝しろ、親の言うことを聞け、先生の言うことは受け入れるべきだ、みたいなメッセージが蔓延っています。

一理あるでしょう。

しかし私は、膨大な読書、情報収集を昔から続けてきて、遺伝や家庭環境の子供に与える凄まじい影響力をデータで確認してしまったのです。

最近、ワープアの映像を観てましたが、どこにも行くあてが無い人が、就職先として狙い、狭くて暗い汚い部屋で勉強してるのが教職で愕然としました。

 

親への感謝と、人生戦略は別の話です。

社会に出たら、全部個人に帰責されます。親の教育のおかげで英語がペラペラ喋れる人と、そうじゃ無い人が同じ土俵に立たされ、前者はその個人として評価を受けるわけです。

この人は、こう言うでしょう。

お父さん、お母さん、ありがとう。

 

そのありがとうは本気のありがとう、です。

子供は親から、愛情や、情報や、思想や、教育投資など様々なものを受けて世の中に飛び立っていきます。現実問題、親のおかげで美味しい思いがたくさんできてる人もいれば、そうじゃ無い人もいるわけです。

親への感謝の気持ちは、人により濃淡あって当然です。感謝の気持ちが持てない人がいてもおかしくありません。親への感謝を強要する人は間違いなく、視野が狭いというか、世界が狭いでしょう。

 

親と距離を置いてからハッピーが増えた人、親と離別してから物事がうまくいってる人、親から解放されて楽になってる人は、アンビバレンツな心境にあることは間違いありません。

 

私が見る限り、いい歳になっても親とベタベタしてる人や、感謝フレーズが多い人、親が意識に登る回数が多い人は何らかの経済的援助を受けてる人が多いです。

あれでしょ?結婚したり、自分の子育てに親の様々な援助が介入してんでしょ?相続目当てで生きてるのゴロゴロいるんでしょ?22過ぎて実家なんでしょ?

そりゃーーーーーーーーー、ねぇ、意識は人それぞれ違いますわあ。

 

おっさんずラブってドラマが流行りましたけど、あの主人公みたいに、30過ぎてもママに世話してもらいながら社畜やってる人もいれば、10代からほとんど実家に帰ってない人もいるのだから。

社会でマスコミやらなんやら牛耳ってメッセージ流してるのは温室育ちの坊やたちです。

声が大きいというか、世の中に主張が激しいのも、それなりにそれなりの人でしょう。

 

親に感謝しましょうメッセージは、小学校の授業から、大人になって目にする広告のあらゆるもの、周りの人の会話に至るまで世の中をジャックしています。

これほど、一党独裁なものも珍しい。

 

だから、あえて私は逆に張ったメッセージを送り続けています。

親に感謝すべき、という呪縛がきつ過ぎて、荒れる人や苦しむ人がいるのです。だって、そのメッセージは自分の出自がハズレであることを毎度のように痛感させてくるからです。テレビのクイズ番組で高学歴をやたら持ち上げてるのもそうですが、世の中の体制維持のためには、まず、

皇室賛美、学歴賛美、家庭賛美

が欠かせないのです。家庭がある程度うまくいってる人は社会に迎合した人でしょうからね。

 

人間が生きていくためには、愛情と、教育と、ごはんと、保護が要りますが、それらを役満で揃えて長時間関係があるのは親です。

犬が餌付けされてお手を覚えるかのごとく、選択できない家庭環境により、遺伝子レベルからガッツリ影響を受けてるのは親です。

 

人生を劇的に変えてる人たちは、たいてい、親とベタついてません。

起業家の弁を聴くと、創業期は忙しすぎて3年会ってなかったとかザラです。漫画家の手塚治虫は、嫁と月に一回しか顔を合わせて食事しなかったそうですよ。

家族家族ウルサイのはいいですけど、赤の他人に優しくてしてますか?身内と他人に線を引きすぎてませんか?

大人になったら赤の他人に食わせてもらうのですから、仕事のせいで親の死に目に遭えないことをわーきゃー言うような神経は、僕にはよくわかりません。

 

怪しげなセミナーに若い頃、たくさん参加したんですけど、家族に感謝みたいなこと言う奴に限ってクソみたいな詐欺セールスしてきたので、家族第一の人間が信用できません。

ファーストプライオリティがそこなんですよね?

家族のためになんでもしそうで怖くありませんか?

そして、旦那がそうなるように仕向けてるかまってちゃん女もサゲマンでクソだと思うのです。

 

私は赤の他人に救われて、赤の他人に学ばされたり、赤の他人とのやりとりの中で成功してきたので、社会に対してそこそこな不満はありつつ、赤の他人をそこまで他人という感じで排除しません。

もし、私がそれを赤の他人にやってる時は、友達や家族にはもっとやってることになります。

 

PS

家族や友人、女の子に、いつも返事を返さないことで怒られています。

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。