「原因における自由な行為」の民刑の扱いの違い 〜「酔っ払ってたから無責任」はどこまで?〜

結論から言うと、「原因において自由な行為」の法理は、民法と刑法の両方に共通する考え方です。
ただし、刑法では「判例法理(明文なし)」であるのに対し、民法では「法律(条文)に直接書かれている」という大きな違いがあります。
それぞれの扱いを整理すると以下のようになります。
1. 刑法における扱い:条文になく、判例・学説で認められた法理
刑法には「原因において自由な行為」という言葉はどこにも書かれていません。
  • 刑法39条には「心神喪失者の行為は、罰しない」「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」としかありません。
  • しかし、お酒を飲んでわざと理性を失くして人を殴るようなケースまで無罪にするのはおかしい(責任主義の潜脱になる)ため、最高裁判所の判例(最決昭和43年2月27日など)によって「飲む時点で犯罪の意思や予見があったなら、実行時に泥酔していても罪は免れない」という法理が確立されました。
2. 民法における扱い:ばっちり「条文」に明記されている
民法では、わざわざ判例を持ち出すまでもなく、法律の条文(民法713条ただし書)にこの考え方が直接組み込まれています。
民法第713条(責任能力)
精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者は、その賠償の責任を負わない。ただし、故意又は過失によって一時的にその状態を招いたときは、この限りでない。
お酒の席のトラブルは、まさにこの「ただし書」に該当します。
自分で進んでお酒を飲んで一時的に「意思無能力(責任無能力)」になった場合、「故意または過失によって自分でその状態を招いた」ことになるため、民法713条ただし書により、相手に対する損害賠償責任(不法行為責任)を免れることはできません。

💡 まとめ(なぜ民刑共通なのか)
民法でも刑法でも、「自分で自分をコントロールできない状態にした(原因行為)」のであれば、その後にやらかした結果(結果行為)についても自分で責任を取りなさい、という根本の「自己責任の原則」は共通しています。
  • 刑法: 明文がないので、判例法理でなんとか処罰できるようにしている。
  • 民法: はじめから条文(713条ただし書)に書いて、損害賠償を逃れられないようにしている。
だからこそ、前回の話の通り「酔っ払って契約を無効にできたとしても、相手に損害を与えたら結局は民法713条ただし書(不法行為)で賠償責任を負うことになる」ため、「酔っ払ったら勝ち」にはならないのです。

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@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




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説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。