基本的に、パッとしない人間は、
- あれが欲しい
- これが欲しい
- こういう人が理想
などと、自分の願望・要望・理想を並び立てて、それに届かない。
理由は、「支払えない」からである。
たとえば、あれが欲しい。あそこに住みたい。
そして値段を見る。
無理だ、手が届かない(終了)
そして、日頃、金を払うことを
「苦痛」
と考える。
だから、できるだけ、その「苦痛」を避けようとする。
結果として、盗人猛々しい行為をする。
フリーライダー全開の動きをする。
一方で、彼らが届かないものに手が届く人生とはどういう人生か?
それは、その人たちは、
支払えることを喜び・誇り
としている人間なのである。
あれが欲しい、これが欲しい、よりも、
それらに対して、
「支払える余裕がある自分」
をよしとしている。
正直、買い物をして金が出ていくことを、
オシッコするかのような気持ちよさ
汗を出すような気持ちよさ
で捉えていたりすることもある。
そして、支払える自分になるために、
- 努力
- 労力
- 自己投資
- トレーニング
などの支払いを日頃からしている。
考え方のベースは、
「自分は何を差し出せるか」
「自分は何を支払えるか」
という観点である。
それがすなわち、
私に何ができるだろうか?
である。
基本的に、パッとしない人生は、
- 欲しいものがある
- 支払わないといけないものがある
が先行して、そのために「仕方なく」という感じである。
一方で、キラキラしている人生は、
- 支払える、が先行している
- 犠牲、代価が中核
- 「私に何ができるだろうか」「私は何をしているだろうか」「私はどれだけのことをやれただろうか」思考
である。
その結果として、社会経済的な報酬を得て、その
「グラスから溢れて溢れるような余ったお金」
で豪遊することを楽しんでいるのである。
もちろん、世の中には、
支払っても裏切られる
ケースがある。
代表的な例は、
- 女
- 子供
である。
これらに支払ったものは基本、裏切られる。
損失で終わる。
昔から「女・子供」という括り方をされるように、この枠の生き物は、特殊枠である。
おそらく、大抵の場合、ここに対して支払ったものは返ってこない。
(ただし、「無駄」とはいってない。)
私が言っている「返ってこない」というのは、社会経済的に豊かにならない、ということだ。
もちろん、経験値になって、何かプラスになることもあるが、
私が言いたいのは基本的に、
- 女
- 子供
は男から吸い取る存在、ということだ。
現に、多くのサラリーマンが貧しいのは、
基本的に大した支払いをしないが、
そのくせ、
- 女
- 子供
にだけは支払う人生を送っているからである。
この場合、貧しくなる一方である。
(それが悪い、とまでは言っていない)
一方で、
豊かになる男というのは、女子供以外の領域で、支払うものをガンガン支払っているから豊かになっている
という現実がある。
たとえば、会社に支払った。
未来の自分に、支払った。
出世する男同士の縁に支払った。
という、「尽くした」「粉骨砕身した」という何かがある。
女、子供以外に対して。
もう少し正確にいうと、
- 男だが、女々しい
- 男だが、ガキである
という、事実上、「女みたいな男」「子供みたいな男」が世の中にはいる。
そういうのは避けるべきである。
社会においては、
- 男の約束
- 男同士の
- 男になれ
みたいなことがよく言われる。
そして、事実、男は女より稼ぐ。
では、女の稼ぎ方とは何か?
女というのは、
- 女子枠を設けなさい
- 女性社外取締役を●%設置しなさい
- 女性管理職を設置しなさい
- 女性の生理痛を体験しなさい
- 私は被害にあった!
- 責任とってよ!
- 私も悪いけど、あなたも悪い、お互い様
というやり方であり、
「政治」
「テロ」
「陳情」
「連帯責任型寄生行為」
「屁理屈」
などである。
加えて、売女行為である。
では、子供の稼ぎ方とは何か?
- 家賃、食費、健康保険料、税金、全部払って、その上でお手伝いしたらお小遣いちょうだい
- あれが欲しいんだけど?何したら買ってくれるの?
- 親の財布から盗む
- 今日はクリスマスだね
- 今日は誕生日だね
- 「お勉強頑張るから」
- 「いい子にするから」
である。
また、母子関係とか、女が妻に、母になる、とは、
魚を殺して食べるが、自分の育てた魚は食わない
方式である。
社会生命体の価値について、
残酷な淘汰加速者かつ殺人者にして、
無条件擁護・肯定・保護のダブルスタンダードである。
男にしろ、女にしろ、
ガキである
というのは、その「母の原理」から抜け出せていない状態である。
母という薬物から抜け出せてない。

ドラえもんの名作話に、
「パパだって甘えんぼ」
という話がある。
大人だって、本当は童心にかえって、母親に泣きついて甘えすがりたい、という話である。
大人になった男は、もう、よりどころがない、というものだ。
これは、一理あるが、一方で、
偏差値50の男の姿
ともいえる。
母という薬物に縋り付いている。
考えてみて欲しい。
弱回った母親、あるいはあの世の母親を呼び出して、泣いて、縋りついて、何になるというのだ?
それよりも、
仕事の取引先で、
泣いてすがりついて、
「あなたは私の母のような存在だとお慕い申し上げております〜〜〜!」
と土下座した方がまだ、金になるかもしれない。
これは極端な例であるが、
そもそも、
- ブス
- バカ
- 低学歴
- 労働者階級
に産んだのは「お前の母親」であって、
それを変えてくれる可能性は、「社会の赤の他人」にあるのである。
大東亜戦争が終わったあと、
20年以上、東南アジアのジャングルに潜伏していた日本兵、
小野寺さんは、
帰ってきてすっかり様変わりしていた日本で、
インタビューを受け、
親のことを考えませんでしたか?
と言われたときに、
考えたところでどうしようもないから考えなかったし、むしろ忘れていた
それよりも、戦友のことを考えていた
戦友の方が近しい存在だし、亡くなると本当に精神的にきつい
ということを言っていた。
私は、彼の言い分に近いスタンスである。
彼に共感する。
これが、偏差値の高い戦士である。
ちょっと前に、
- リクルート
- インディード
のCMでも、上京して戦うサラリーマンが、お家に帰ると、田舎の実家のお母さん(九州弁)から電話がかかってきて、
辛かったらいつでも帰ってきていいからね
というシーンを映し出すものがあった。
これは、一見すると素晴らしい親子愛であろう。
だが、レベルの高い視座から見ると、だめだ。
その声かけは、薬物から抜け出した人に、薬物を見せてフラッシュバックさせるようなものである。
飼い犬を家から放して、野生にしておきながら、その野生になったもう一度会いにいくようなものだ。
何より、
極限の状態で、
実家の手が差し伸べられることは
「セーフティネット」
にはなるが、
一方で、
誰も助けてくれない極限で一皮向ける経験
というのは得られないため、
それを経験した男と、
ギリギリで母親が救った男の間には、
「一生埋められない差」
が発生する。
それは社会経済的な出世、成功、能力に響いてくる。
家に帰ってママのおっぱいでも吸ってろ
とか、
おまえ女かよ
とか、
おまえ女子チーム入れよ
というのは、男にとって、最高の悪口である。
これはもはや、
性差別うんぬんではなく、
生き様の話なのである。
ps.
支払わない・支払えないくせに、
「あれほしい」
「これほしい」
「●●行きたい」
の連発は、めっちゃ、女子っぽい。ガキっぽい。
===
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



