おおむね、大多数のパッとしない人間は、乞食のような振る舞いをしている。
冷静に考えてみて欲しい。
めちゃくちゃ金払いが良い「良いお客さん」の場合、騙されるだろうか?
多くの人は、
つけこまれる
など考えてしまう。
ぼったくれる、と思ってしまう。
しかし、そんなことはない。
実際、あちこちで金払いが良い人は、とことん尊重される。
そもそも、金払いが良い側は、あらゆる優れたサービスに触れられるので、目が肥えるのである。
むしろ、ケチだから、騙されるのだ。
そして、大衆はケチなのである。
ケチな人ほど詐欺に引っかかる。
詐欺で騙される人は、ケチ兼貪欲と相場が決まっている。
はっきりとしたわかりやすい騙しじゃなくても、ケチは何かしら、騙されている。
この根底にあるのは、
「自分だけ、代価を支払わず、うまい思いを」
という思想である。
だいたい、
パッとしない人間は、
こういう発想なのである。
こういう人間を相手取るにしたらどうしたらいいだろう?
金払いも悪く、身の丈以上を求めてしまう乞食たちを?
こういった大衆を相手にするには、「欺瞞」「詐取」が横行する。
というより、こういう人間が
無理な要求・無理な願望
を抱いていることに対して、「応えているかのように見せかける」動きが発生する。
これは、求めている人間が無茶を言っているのだから、ある種、仕方のない動きとも言える。
「成功するためには、騙される側・仕掛けられる側から脱する必要がある」だなんてよく言われるが、これは決して、当人が悪くないわけではない。
むしろ当人は悪い。
いじめはいじめられる方が悪い論
と似ている。
いじめ行為は、行為自体が悪質である。
よって、いじめは悪い。
ところが、いじめられる側は、いじめられる理由を抱えている。だから、どこで何をやっても同じようにいじめられることが多い。
現実問題、生き馬の目を抜く世界で生きるためには、
いじめられる側に問題がある
という思考に切り替えないといけない。
基本的にこの世界は、被害側は救われない。
よく、世界を、
食う側・食われる側
に単純化して描くようなケースがある。

これはあまりに単純化しているが、一方で、「バカな大衆論」としては結構使える。
仮に、
- 食う側
- 食われる側
で考えると、
食う側というのは、「無茶な願望や要求」に応えたフリをすること、
食われる側というのは、「ケチで強欲」と捉えることもできる。
パッとしない人たちは、いつまでも、
「騙された!」
と言っているか、
あるいは、騙されたつもりでいる。
実際は、当人が無茶な願望や要求をしている。
一見すると「ケチな人はガードが固くて騙されにくい」と思われがちですが、実は「ケチな人ほど騙されやすい」というのが真実。
このケチというのは、
「ギブアンドテイクがおかしい」
ということ。
求めるもの、理想、欲することに対して、差し出せるものがしょぼい。
そして、今の自分の社会的価値は、差し出せるものについている値段だという自覚がない。俯瞰視ができない。
こう考えると、すっきりするでしょう。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



