まず、そもそも論ですが、優しさには価値がありません。
- 若くて美人で巨乳でモテまくるのに「優しい」
- 強くて力(経済力・腕力・権力)があって「優しい」
に価値があるのであって、
雑魚の優しさは価値がありません。ただ弱いだけ、ただ媚びてるだけ、そうするしか生きる術がないだけ。
なんなら、嫌われる勇気すらないチキンだったりします。四方八方いい顔したいだけのクズかもしれない。
決断力、行動力もない。
身銭を切らない。
行動しない。
愚痴が多い。
アフリカのシマウマ🦓がワニに腹を引きちぎられて腸が落ちる動画🐊
アフリカの動画は面白いです。
- シマウマが川を渡る際、腹を食いちぎられて、腸がボトボト落ちながら、歩いて、息絶える動画
- 豚がワニに噛まれて、川にひきづりこまれて、断末魔の叫びをあげる動画
などがあります。
それらを見ていると、
弱肉強食
というこの世の原理を思い知らされます。
いつどこで、どのタイミングで、勘違いをはじめたのでしょうか?
弱い・雑魚というのは、死に直結します。
強くないと生きられない、生き残れないのです。それがこの世の理です。
あなたは何を勝手に、期待しているのですか? 〜弱者の逆恨みパターン〜
弱者は共通点があります。
自分の価値・立場より、アンバランスに高い人と関わり、その先に、逆恨みをするのです。
弱者が関わる相手は、自分と同じ弱者かその下、というケースはほぼありません。だいたい、何かしら恩恵を受ける相手です。そして、その先に勝手に期待して、裏切られたと感じて、憤りを覚えたりする。
あるいは、そもそも人生全体に、
ズレた期待
をもっていたりする。
これは弱さからきています。
優しいのではなく、ただただ弱くて、価値がないだけ。
デブは他人に優しく、自分にも優しい
デブは他人に優しい。
そして自分にも優しい。
だから、デブなのです。
「優しい人」
というのは、自分に甘い人でもあったりします。
その人の人生を振り返ると、やはり、何か、自律したり、節制している様子がない。
そういうことができない。
主体的に計画を立てて、上を目指せない。
自己鍛錬できない。
だから堕落している。
周りに甘えている。
期待している。
誰かに「優しさ」を売りにしてついていく、なんとか存在価値があるかのように取り入ってもらうことしかできない。
弱者は周囲から見て、利用価値がない。
弱者は、強くないし、強くならない。
将来がない。
だから周囲から見て、利用価値がない。
ただし、弱者唯一の武器である、「優しさ」「媚び」「低価値労働」「雑用」なんかで、それなりに使われて、雑巾のように扱われて、ポイされることが多いでしょう。
これは悲劇でしょうか。
ただ、弱者の側も、当人に発揮できる価値が限定されているのに、なんとか人間的に癒着をしたり、同情を買おうとしたり、うまくコントロールしようとしたり、悲劇のヒロインを演じたり、病んでみたりして、やることをやっていることが多い。
気が付かない間に、周囲にとって、
「面倒」
「疲れる」
「時間の無駄」
という存在になっていることが多い。
弱い。
とても弱い。
しかも時折、雑魚なくせに、優しさだけしかないくせに、自分の価値を勘違いしている。
ちょっと半端なプライドが見え隠れすることがある。
「貧乏」「学生」「若者」「シングルマザー」「病気」「被害者」を免罪符だと思っていないか。
自分の弱者性を、特権階級だと思っていないか。
まるで、「資格」のように使っていないか。
そういうくせが無意識にないか?
私は病みがちで・・・
私は捨てられて・・・
私は貧乏で・・・
そして、それらは、本当に、自己責任性がないのだろうか?あるいは、自分で手を尽くしたか?
「誰かがなんとかしてくる」
「誰かにかまってもらおう」
とか思っていないか?
あてにしていないか?
投げやりになっていないか?
いざというとき、誰かが駆けつけてくれると思っていないか?
自分の人生に主体的な責任を持っているか?
かまってちゃんをしていないか?
かまってちゃんをして満足していないか?それで満たされていないか?
ただ残念ながら、強さは生まれで決まっている
強さは、生まれで決まっている。
どの種族、どの個体で生まれるか。それでほぼ決まっている。
トレーニングも限界があります。
人間社会で、
- 力がある
- 強い
- 価値がある
という人を見た時、だいたい、生まれが恵まれていたり、環境がよかったり、いわば運ガチャに当たっただけの人が多かったりします。
それこそ、先天的に脳が弱いとか、感情が安定しない、という人もいるでしょう。
逃げる、関わる人を選ぶ、環境を探す
弱者は利用されることがあります。
ただ、本人が、自ら、積極的に誰かと関わって、そこで疲れてしまうこともある。
弱者が厄介なのは、
「じゃあ、独立するか」
みたいなことができないこと。大体の弱者は、辛い環境でも、そこに依存したがる。自分で出ていく勇気、気力がない。器量もない。
そして、積極的に環境を探すこと、新しい出会いを求めることもない。できない。やらない。
まずはこの問題を俯瞰した方が良いかもしれない。
一人になるのも一興
まず弱者は、一人になれ。
一人になり、周囲からのサポートを断つ。
これによって、周りから援助がない苦しみを味わう。感謝も芽生える。
一方で、周りに余計な人間がおらず、そこに取られる苦労もないから、メリットもある。
家族や友人の近くに住めば利点もある一方で煩わしさもある。
会社で働けば利点もある一方で煩わしさもある。
だから、まず、完全に一人になれ。
そしてその苦しみを味わう。
そこで人は成長する。
利益もある。
最悪なのは、「中途半端に自立し、中途半端に援助を受ける」ことだ。
一応実家は出るが、実家の近くに住んでいる。
一応働いてはいるが、たまに親からお金をもらっている。
一応自分の生活が回っているが、たまに自分が家族のために無償労働に駆り出されている。
周りの人間のために仕事をしないといけないが、自分も助けてもらえることもある。
この構図の中で、
- 自立する力も育たず
- 周囲の援助も微妙
という感じに仕上がることがある。
手を差し伸べてくれていた人に、実は不義理を働いたり、裏切ったりしている。自分でチャンスを潰している
弱者はバカなので、ただでさえ弱者の自分が歳を重ねて、もっと弱者になったとき、気づく。
あのとき、まだ若かった、まだやれた
と。
そして、過去、ありがたいサポートをくれた人、手を差し伸べてくれた人がいたこと、その価値に気づけなかったこと。そういうことに目覚める。自分が不義理を働いたり、選り好みをしていたことに気づく。
奢っていた時代があったことに気づく。
然るべき人間が、然るべき場所に落ちてきたことに気づく。
自分の劣等性に気づき、危機感を持って、人一倍、なんとかしようと別の努力をすることも怠ってきた。中途半端に自分を「普通」と思い、中途半端に自分を「優れている」と思ってきた。動けるときに動いてこなかった。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



