あなたは普段、「自分を通して」いるだろうか?
それとも、社会や他人のために「自分を捻じ曲げて」いるだろうか?
- 面接
- 恋愛
など、人が人を選ぶすべての過程にいえることだが、
完全に素直
を貫き通して、結果として運命に委ねて結果を受け入れる方式がある。
つまり、素直な自分を出して、社会から認められて受け入れられたらラッキー。
ところが、ありのままで箸にも棒にもかからないパターンもある。
どこからも誰からも受け入れられないなら、それを受け入れて生きていくパターン。
(でも、ありのままの自分とは、「おしゃれ」とか「自己改変」とか「気取ること・変わること」「かっこつけること」の楽しさもない人生でもある)
次が、受かるように演技するパターン。
相手が求めることを答える。
社会が求める像に近づく。
合わせる。
迎合する。
これはかなり戦略的であるが、仮に受け入れられたとして、
その先も演技し続ける
という辛さがある。
サステナビリティに疑義はある。
ただ、「割り切り」もしやすい世界ではある。
そして最後が、その折衷というか、半々のパターン。
一番良いように思えるが、一番モヤモヤするというか、一番悩ましい人生になりがちでもある。
(好きなのか?金のためなのか?やりたいのか?やるべきなのか?)
おおむね、
人生は、そのどれかを選ぶことになる。
厄介なのは、
ああ、あの人は欲望のままに、素直に、ありのままに生きていて、いいなぁ
と思うような人が、
- めっちゃ顔が良いから成立している
- めっちゃ実家が太いから成立している
みたいなケースがあったりすること。
「ありのまま」「素直」「素の自分」が通用するタイプと、しないタイプがいる。
実際、多くの社会人は、
その路線をやる勇気はない、
それを試したこともないだろう。
あるいは、過去にやって、失敗してるだろう。
こう考えると、多くの人が、
- 完全に社会迎合している
- 半々に迎合している
のどれかを採用していることだろう。
どれが正解、ということはなく、
ただ言えるのは、
3つのタイプのうち、どれをやってるかを自覚して、その上で路線を変えると人生にインパクトが出ることが多い
のである。
もっというと、その3つのうち、どれをやるかにも向き不向きがあるのだ。
人によっては、素直でいたい人もいるし
人によっては、「半分は作られた自分の方が楽しい」という人もいる。
つまり、
結婚相手と一緒にお風呂に入りたい人もいれば、
お風呂はイヤだ!裸に慣れて欲しくない、夫婦でも一線ひいておきたい
みたいな人もいる。
会社の人と、公私共に付き合いたい人もいれば、仕事は仕事として完結させたい人もいる。
厄介なのは、
多くの就活生は、
「会社に迎合する」
「面接に迎合する」
ということをやって、それが面接官に見透かされて辟易されており、場合によっては素直なタイプが合格採用になるケースもあるということだ。
こればっかりはかなり難しいところがある。
例えば、ベンチャー企業の面接などでは、「御社が第一志望です!」みたいなテンプレ回答より、「いや、正直まだ迷っています。ただ、自分はこういうことに興味があって、その点で御社は面白いと思いました」みたいな人の方が、逆に信用されたりする。
なぜかというと、ベンチャー側も、「どうせみんな演技してる」と知っているからだ。
逆に、大企業や官僚組織みたいな世界では、
一定の「型」を守れるか、
一定の「空気」を読めるか、
一定の「組織適応能力」があるか、
が重視されるため、むしろ迎合能力が高い人間の方が強かったりする。
迎合した人間が、社会でうまくいき、素直でありのままをやろうとしてうまくいっていない人間を下に見ることがある。
「そんな、好きなことを好きなようにやろうなんて甘いよ」的な感じで。
お前のありのままなんか、誰も求めていないよ、というように。
しかし、素直に生きてる人間は、素直に生きてる分、その先の運命を良くも悪くも受け入れる方向で生きていたりして、逆に、迎合してたタイプが長期的に辛くなったりする。
そして、素直に生きる人間を、あとから、「すごいな」と思ったりすることがある。
また、もう少し深いことを言うと、迎合というのは、相手に合わせているようで、相手を見ていないことも多い。就活生がやりがちな迎合は、その会社を見ているのではなく、
「企業が好きそうなこと」
「面接官が好きそうなこと」
「就活本に書いてあること」
に合わせているだけだったりする。つまり、相手に合わせているようで、
本当は、相手を一般化している。
これは恋愛でも同じである。
女性にモテたい男が、
「女性はこういう男が好きなんでしょ?」
と考えて、
清潔感
余裕
聞き上手
褒める
共感する
みたいなことをやり始める。もちろん、それ自体は間違いではない。だが、それが「目の前の相手」を見ているのではなく、
「女という一般概念」
に迎合しているだけだと、途端に気持ち悪くなる。
相手からすると、「私を見ている」のではなく、「女攻略マニュアルを実行されている」感じがするからである。
面接でも同じだ。
「御社の理念に共感しました」
「若いうちから裁量を持って成長したいです」
「チームで成果を出すことにやりがいを感じます」
「困難を乗り越えた経験があります」
こういう言葉は、全部正しい。
正しいが、正しすぎる。
正しすぎる言葉は、
誰の言葉でもなくなる。
誰が言っても成立する言葉になった瞬間、
その人が言う意味が消える。
つまり、迎合の問題は、
嘘をつくことではない。
むしろ、
「正解っぽいことを言いすぎて、その人の輪郭が消えること」
にある。
社会人になる、大人になるというのは、本音をそのまま叫ぶ幼稚さから卒業すること
みたいなイメージを持つがゆえに、やりすぎてしまうことがある。
では、素直ならいいのか。これも違う。
素直というのは、時に、ただの未加工である。
自分はこうです。
自分はこう思います。
自分はこうしたいです。
自分はこういう人間です。
これをそのまま出すことが、
常に価値になるわけではない。
だからと言って、大人になることが本音を捨てることでもない。
面接で「御社のような安定した組織で、長く貢献したいです」と言って入った人間が、本当は自由に動きたいタイプなら、入社後に窒息する。
恋愛で「あなたの生活に合わせます」と言って付き合った人間が、本当は一人の時間が大量に必要なタイプなら、だんだん相手が重くなる。
結婚で「お金なんて関係ない」と言って結婚した人間が、本当はかなり金銭感覚に敏感なタイプなら、生活が崩れたときに一気に冷める。
嘘というのは、その場ではコストを下げる。
だが、
未来に負債を送る。
その場を通過するために、
未来の自分に借金を背負わせる。
そこで、
要領の良い半々タイプは、素直な自分を、相手が受け取れる形に翻訳できるだろう。
たとえば、
「自由に働きたいです」
という欲望があるとする。
これをそのまま言うと、会社側からすれば、
「この人は組織で働けないのでは?」
「すぐ辞めるのでは?」
「指示を聞かないのでは?」
となる。
だが、同じ内容でも、
「自分は、責任範囲が明確で、成果に対して裁量を持てる環境の方が、最もパフォーマンスが出ます」
と言えば、意味が変わる。
これは、「ありのままかどうか」というより、「維持できる自分で勝つ」という発想かもしれない。
採用されればいいのではない。
採用されたあとに、その職場で呼吸できる形で採用される。
付き合えればいいのではない。
付き合ったあとに、自分が壊れない形で付き合う。
結婚できればいいのではない。
結婚したあとに、毎日の生活で嘘が積み上がらない形で結婚する。
ただし、それっぽい大義とか、理由とか、寄せがある。迎合がある。
だから、どこかでその本音と建前のギャップを指摘されたり、詰められることはある。詰まってしまうところがあったりもする。
矛盾してるじゃないか
的な指摘や違和感は多少つきまとう。
それは自他共に、である。
だから悩ましいといえば悩ましい。
しかも、中途半端にうまくいくスタイルなだけに、
その道の「ガチ勢」を見かけて、
限界を感じることが多いのだ。
仕事にしろ、キャリアにしろ、本気本心本音のままの適正タイプ100%みたいなのが必ずいるからだ。「そのために生まれてきてるじゃん」的な奴がいる。
本当はお金が欲しいだけだったのに、自分で金を稼ぐその人間的な力に惚れた
みたいなことを言って結婚すると、相手が失敗して財産を失ってしまったときに困るし、
本当は若さと体が目当てだったのに、その人の人間性に惚れた
みたいなことを言って結婚すると、相手がババアになる頃から辛くなる。
素直派はただの不器用になる。
迎合派はただの量産型になる。
半々派はずっとモヤモヤする。
一つ、ポイントがある。
それは、当初の計画と、実際がずれるケースだ。
たとえば、めちゃくちゃ無理して、銀行員になったとする。
そこで手に入れたステータス、給与、安定で、
本音空間としての家庭
を築こうと思っていた、みたいなケースがある。
しかし、いつの間にか、「家庭が本音を言える空間じゃなくなった」「家庭が本心が喜べる空間じゃなくなった」「仕事は仕事と割り切っていたはずなのにいつのまにか全人格をかける場所になってきた」というような変化である。
家庭が安らぎの場所だったはずが、いつの間にか、会社の方が居場所が良い。
というかそもそも、結婚すらできなかった。
そういう展開はあり得る。
「こういう状況になってないか」ということをメタ認知することは大事だ。
選ばれることは大事だが、
選ばれた後のことも大事だ。
選ばれたあと、どれだけ自分を殺す必要があるのか。本音を我慢する必要があるのか。その維持コストというものがある。
選ばれることに必死になりすぎたツケみたいなものがある。
かといって選ばれないのも最悪だ。場合によっては生きていけない。
半々だと、モヤモヤし続ける。
どこかの段階で、「純粋な適性がある奴」とぶち当たって、限界を感じる。
とにかく、
40代くらいになって、仕事もそこそこ、家庭もそこそこ、でも、「おれ、これでいいのかな」みたいになってるおじさんとかは、半々方針を選んできた自分を自覚すると良い。
そうすると、
「そうか、そもそも大して才覚がなかった自分が、それなりに迎合してきた結果、今があるのだ」
と自覚して、今の自分に感謝できたりする。
こういうおじさんが
俺も素直になってみたい
とかになって、その年代から、家族もキャリアも全て失って、スカンピンになるケースがある。
そもそも素直になってみた経験がないのではなく、「過去それで失敗してるが、それを忘れてるケース」というのがある。
熱さ喉元過ぎれば忘れるというか、半端に人生がうまくいってきただけに、過去の自分を忘れているのだ。
あるいは、
素直に生きて、結果、何もない焼け野原の人生を嘆いている人間
についても、
「俺は逃げ続けてきたじゃないか」
という再認識ができるきっかけになる。
社会に迎合することから逃げ続けてきた人間のしかるべき末路、そして素直やありのままでやるには才能がなかった、ということを自覚できたりする。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



