▶︎第0部:西園寺のつぶやき
はい、どーもー。
いきなりですが、風俗好きですか?
いいですよね、すごく。
西園寺さん、かなり風俗好きです。
すごい楽しいです。
っていうか、フェラ●オが好きなんですよ・・・・・・・・。
プロって、すっごいうまい人がいて。やっぱ、経験量が違うじゃないですか。
「ジュボボボボボッ!!」
「ズビビビビビビビッ!!」
「クチュックチュッ!!!」
もう、狂ってしまいそうな技を持っている人がいますからね。
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不特定多数と費用対効果良くヤりまくりたい
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という、男の欲望に、忠実に従って生きています。
ゲスの極み。
しかし、一通りゲスの極みは極めたので、最近はもう、そんなにセックスセックスしてないです。
ナンパする元気も、セックスする元気も低減してきた・・・・。
(ヤバ)
自分の人生経験上言えることですが、欲望って限りがあって、とことんやり尽くすと次のステージが見えるんですよ。
例えば、若い頃はギャンブルとか酒に溺れたんですけど、今、ギャンブルは全くしないし、酒もほとんど呑まないんですね。
男をダメにするのは、
<1>酒
<2>ギャンブル
<3>女
らしいですが、未だに溺れているのは「女」だけです。
しかも、これすらだんだん、落ち着き始めてきたフシがある・・・・。
だから、「これしたい!!」っていう情熱が燃えているうちは、とことんやりたい。
買いたいものは買いたいし、やりたいことはやりたい。
こういう気持ちも、有限なんだってわかっているから。
そう、私は知っているのです。
欲望すらも有限で、移り変わっていくということを。
この世の全ては有限で、諸行無常なんですねぇ。
「風俗行きてー!!」っていう熱があるうちは、とことん行き尽くしたいですね。だって、その熱すらもどんどん弱まってきている感はあるからね。
セックスもヤりたいうちにバンバンやらないと。
おじさんになってからのセックスと、若い時のセックスは違うよ、絶対。
(男の性欲のピークって、絶対10代だよね★)
風俗の何が良いかって?
うーん。
単純にエロだけではなくて、「どんな子かな?(ワクワク、ドキドキ)」みたいな感じとか。
あと、プロの振る舞いやテクニックを楽しめるとか。
そーゆー総合的なエンタメ感が、すごく良い。
誰かが言ってたんですけど、風俗というのは、男にとって「女でいう所のちょっと高いエステ」だそうです。
うーん、なるほど。
確かに、未経験だった頃の自分が昔、外から見て思っていたのと実際は違うなぁ。
なんか、癒しスポット・エナジースポット的な感はある。笑
ってか、面白くないですか?
見知らぬ男女が「ハーイ!」って出会って、会話して、すぐ脱ぎ始めてエッチしちゃうっていうその特殊感、高速ストーリー感。笑。
ふつーにクレイジーで面白いよね。
素人も良いけど、プロの良いところは、サービスとして受けられるというところですね。
あの至れり尽せり感が良いわけです。
はい・・・・・・さて。
めちゃめちゃ話変わります。
テレビを観ていると、よく、
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関東 VS 関西
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みたいなネタ、取り上げられますよね。
メディア関係者が、ああいうネタを取り上げる理由ってのは、自分がメディアビジネスに携わるようになってからよくわかるようになりました。やっぱり、地域ネタって面白いんですよね。やりたくなるんですよ、ああいうのは。
でも、この際、はっきり言っておきましょう。
日本って、ぶっちゃけ、どこも同じですよ。
ええ。
私を含め、コンテンツを生産している人間の現実を捉える視点というのは、実はかなり偏っています。当然、私が地域について言及するときもかなり偏った視点を提供していると言わざるを得ません。
そこに正解不正解はないです。共感があるか否か、ただそれだけでしょう。そして、反感を買うこともあるでしょう。
でも、ガチな話をすると、日本全国、どこも同じと言えば同じなんです。
あちこち行っているし、あちこちの人間と絡んでいるから本当に思う。
びっくりするぐらい、差がないですから、本当のところ。
あることにはあるんだけど、「国別の違い」と比べりゃ、そら、微々たる差ですわ。
ただ、そんなこと言っちゃうと面白くないじゃないですか。
せっかく地域ネタは、コンテンツの題材として面白いのに。
世の中の人はローカルに超ドメスティックで、固定化された居住とライフスタイルを送っています。そして、意外と外の世界を知らない。だから、地域ネタが好きな人って多いんですよ。
よって、世のコンテンツビジネスはやたらと地域ネタを取り上げる。多くの人の移動範囲や経験が限られているから、注目を集めるのをわかっててわざと、確信的にやるわけです。
そして、地域間の微差をハイライトして、スポットライトを当てるわけです(例えば大阪は、あの典型的なコテコテな感じを強調して映し出したりするし、東京は東京都下のど田舎を全然映さないですよね)。
でも・・・・
日本って北から南まで、全部同じと言えば同じです。そもそも、今ってネットがあるし、飛行機も安くなっているわけですから、人も情報も行き交ってて、シャッフルされてるし、ますます差がなくなっている。
西園寺みたいに、あちこちフラフラしていると、関東にいる時にエスカレーターで右に並び、関西にいる時にエスカレーターで左に並んだりします。
ぼーっとしてると、つい、そうなる。
で、「あぁ、いけね」って修正するんですが、いわば、それだけ、全国が同化しているってことです。今、自分がどこにいるかわかんないぐらい、どこも一緒ってこと。
まぁ、当たり前ですね・・・・・・。
日本は日本ですから。
私と同じように、あちこち移動している人、移住回数が多い人と話すとわかるんですが、「あぁ、自分は●●県にいるんだ」と実感できるのは、走る車のナンバープレートを見たときだけ、ってのは割と共感されるネタです。
ナンバープレートの都道府県表記が、自分がいる場所について自覚させてくれる唯一のもの。
つまり、都道府県別の差というのは、その程度と言えば、その程度なんですよね。国内の差なんてね。
よく、特定の地域について、一部の人間を取り上げたり、特殊な事例を取り上げて「あーだこーだ言う」ってのはあると思います。これは、人間の自然な「認識」とそれに基づく「世界の解釈」として、ごく普通な営みだと思います。
例えば、東京人10人と接して、「東京の人はこうだ」と思ったり、大阪人10人と接して、「大阪の人はこうだ」と思ったり。
フツーにそういう発言ってみんなしますよね。
ビジネス書、100冊も買ってないうちから「ビジネス書はゴミだ!」って言っている人は沢山いるし、異性と100人も付き合っていないうちから「女はこうだ!」「男はこうだ!」って言っている人は沢山いるし、1週間住んだだけでその地域についてあーだこーだ言っている人は沢山いるでしょう。
そしてそれって別に、フツーのことだと思うんです。
東京のように全国から人が集まっている場所には、47都道府県の出身者が揃ってます。なので、そこで接した人間を通して、日本全国、各地の地域性について思いを巡らせ、想像を巡らせ、語ってみたりする人、沢山いるでしょう。
これらは、人間の自然な認識・解釈・言動です。
そして、自然な雑談です。
西園寺さんもフツーにそーゆーネタは取り上げます。
しかし、冷静に考えてみましょう。
約927万人いる東京の人間のうち、10人を見ただけで東京の人のことがわかるのか。東京は移住者が多いので、200万人くらいが「東京生まれ・東京育ち」だとしても、そのうちの10人を見ただけで何がわかるのか。
大阪の人口は約886万人いますが、そのうちの10人を見ただけで大阪人の何がわかるのか。400万人が「大阪生まれ・大阪育ち」だとしても、そのうちの10人を見ただけで何がわかるのか。
また、東京にいる人間から出身を聞いて、「どこどこの地域の人間はどうだ」と言うのはどうなのか。もしかしたら、その出身地域の人間でも「特殊な人間」から率先して地元を離れ上京して来ているのではないか(東京にいる●県出身者は、●県出身者の中でも、偏った傾向を持つグループかもしれない)・・・・・。
実は、こういうのは「統計学」の中で、非常に重要なコンセプトとつながってくる視点です。
大学で統計学を履修した人、あるいは(会計士試験のように)統計学が受験科目になっている資格を受けた人、独学で統計学を学んだ人・・・・はわかるでしょうが、
- 無作為(ランダム)サンプル抽出
- 十分なサンプル数
は統計分析の基本です。
私も大学時代に統計学を軽くやりました。統計リテラシーのエッセンスぐらい知っていると、世界を見る目は変わりますよ(私が今、お話ししたいのはそれです)。
・・・・これ、どういうことでしょうか。
例えば「東京に出てきている●県出身者」を分析して、「●県の人間は、こうだ」という結論を出した場合、「東京に出てきている●県出身者が、●県の人間の中でも特殊な人間たちである可能性」をしっかりと考慮しないといけません。サンプルデータに偏りがある可能性があるのです。
これが、「ランダムサンプル抽出」という統計学上の大事な考え方につながります。つまり、何かを調査する際、その集めたサンプルデータは、ちゃんとランダムに集めたものなのか、ということです。偏りや傾向があるサンプルデータはあまり役に立たないわけです。だって、偏ってるんだから。
例えるなら、、、、、
とある公園にいるホームレス10人をサンプルデータとして収集して、「日本の大人・社会人世代の人間というのは、髭を伸ばし、働かず、路上で寝ている」と調査を結論付けたらだいぶおかしいですよね。
これが、サンプルデータの偏りってやつです。
また、たった10人程度の調査では、信頼性ある調査結果が得られないということは常識的にわかるでしょう。これは、「十分なサンプル数」という統計学上の大事な考え方につながります。統計学では、信頼のおける推測をするために十分な数のサンプルを要求します。
(昔、トリビアの泉という番組がありましたが、毎回、統計学のプロが「この場合、●人規模の調査を行えば、信頼のおける推測ができるものと考えます」とか言ってましたよね。)
統計リテラシーって結構大事なのです。
これがあると、人生の広い場面で役に立ちます。
例えば、「過去、5人の男性と交際し、男性に絶望している女性」がいるとしましょう。こういう人よくいますよね。「男なんて・・・・・」みたいなことを言っている人。
こういう女性には、大方の場合、統計リテラシーが足りません。そういう見方・考え方ができない。
すなわち、
- 無作為サンプル抽出してない → 自分が選んだ男に一定の傾向・偏りがある(大体同じようなタイプしか付き合ってない)
- サンプルデータが足りてない → 世の中の男について結論を出すには経験数が足りなさすぎる
ということです。
ま、結論から言うと、人が若年の間に、「男とはこうだ」「女とはこうだ」と、異性について、統計学的に有意ある知見を獲得するに至るほどの、十分なサンプル数を自分の経験からかき集めることは、まず不可能です。バイアスのかかりまくった仮説しか立てられない(よって、古今東西の男女にとって、常に「異性」と「恋愛」は悩ましい問題であり続ける)。
・・・・・・・・・常識外の、面白い人はいっぱいいますよ。
世の中には男より性欲が強い女がいます。高校時代、私の友人が、「彼女が性欲が強すぎて死にそう」って言ってました。一日に何回もセックスしたがるし、暇さえあれば何度もしゃぶってくるし、まるでち●ぽをおもちゃのようにして騎乗位で遊びまくるし、時間を見つけてはいつもオ●ニーする性欲モンスターだったそうです。こういう女だっている。
世の中には男にオ●ニーを見せたがる女がいます。自分をおかずにして男が射精に至るのを見て、高揚感というか性的満足を覚える女性がいます。そしてそういう女性は、自分のオ●ニーを男性に対し、ビデオ通話で積極的に見せつけていたりします。こういう人、見つけたことあります。
世の中には性欲が弱い男がいます。私の昔の友人に、女性にラブホテルに誘われたのに何もしないで帰って来た奴がいました。理由は、「相手がモーションを仕掛けてこなかったから」だそうです。「ムラムラしなかったの?」と聞いたら、「別に」って言ってました。相手、すごいエロい身体した女ですよ。西園寺さんは思いましたね。「こいつは男として狂っている、クレイジーだぜ」って。
世の中の男は一生懸命筋トレしています。しかし、とある女性(超モテる、超美女)が前にこんなことを言っていました。「筋肉がある男は、正直、ひいちゃう。大方の男は鍛えても、汚くなるだけ。」
世の中の男は、ファッションに一生懸命、時間とお金を注いでいます。しかし、とある美女が前にこんなことを言っていました。「ファッションがダサい男が好き。見た目がちょいダサい男が好き。可愛くてキュンとしちゃう。」
・・・・・ほら。
例外は常に存在するんですよ。
いろんな人がいる。
絶対みんなこうだ、ってのはあり得ないし、
一般的傾向というのがあったとしても、必ずそれから外れているoutlierがいるんです。
っていうか、日本人の場合、「変って思われたら嫌だよね・・・」って考えて、みんなに迎合している人がたくさんいる。
実際は、もっと「隠れ変態」とか「隠れ変人」とかいっぱいいるはずです。
世の中を見る上での鉄則は、以下3つ。
- ランダムにサンプルデータを集めない限り、母集団について推測は立てられない
- サンプルデータは十分な量を必要とする
- 必ず例外が相当量存在する
人間は、世の中のコト・モノやヒトに対して、経験的に何かを語ろうとします。しかし、それが統計学的に有意あるものになっているケースはほとんど皆無です。だって、そんなにサンプルを集められてないでしょ、ランダム抽出してないでしょ。
別に、統計学的に意味ある状態じゃないと、経験則は語ってはいけない、ということではありません。
生きる上でいちいち統計分析してられない。
ビッグデータ解析してられない。
ただ、人間が雑談レベルで使っている解釈の物差しだったり、メディアビジネス・コンテンツビジネスが意図的にやっている情報のハイライト、世の中の人が言っている話、こういうものと、
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真面目な統計的分析 (ガチなscientific analysis)
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を混同してしまう人は、まぁ、生きる上で苦労すると思います。
それなりに教養がある人は、口ではそれなりに断定的なことや言いがかり・思い込みっぽいことを言っていても、
- まぁ、例外はあるよね
- そもそも、サンプル数足りてないけどね
- バイアスかかってるかもね
ってのは心のどこかで思っているものです。
コンテンツというのは、ある程度内容を「面白おかしくしてなんぼ」「シンプルにしてナンボ」です。ここで言うコンテンツというのは、テレビコンテンツはもちろん、人が日常会話しているコンテンツも含まれます。
そーゆー世界と、真面目な統計分析・データサイエンスの世界は別であるということはわかっておいた方が良いでしょう。
(とはいえ、統計分析をしてもわかるのは傾向とかですけどね)
「東京の人は冷たいわ〜」
「名古屋は閉鎖的で排他的だわ〜」
「大阪のおばちゃんはヒョウ柄を着てるわ〜」
「京都の人はお高く止まっているわ〜」
こーゆーのは、一般によく言われているものですが、統計的には全く無意味です。
フツーに雑談・会話のネタとして、あるいはメディアビジネスのネタとして使われる分には良いですが、これを「実際の分析や現実」と混同する人、しない人がいます。
混同すると、現実を捉え損ねるかもしれません。
実際、東京に行ってみればわかります。優しい人いっぱいいます。
名古屋に行ってみればわかります。オープンな人いっぱいいます。
大阪に行ってみればわかります。ヒョウ柄のおばちゃんは一部です。
京都に行ってみればわかります。フレンドリーな人いっぱいいます。
私の東京の知人は、「東京も名古屋も大阪も、全部同じと言えば同じだよ。全部都会。」と言っていましたが、私も同じことを思います。ぶっちゃけ、どこも一緒です。
テレビや人の会話で、「東京はこう!」とか「大阪はこう!」ってなりがちなのは、そうじゃないとコンテンツとして成立しない・面白くないから、ですね。
確かに傾向とか、文化的な差異はあると思いますけどね。
ほら、見知らぬ人と雑談するときも、東京の人が北海道の人に対し、「えー、北海道出身なんですかー、食べ物が美味しくて良いですよねー」とか言ったりしますけど、こういう事例からもわかるように、「イメージ」とか「決めつけ」とか「思い込み」が人のコミュニケーションのきっかけを支えているんですよ。
東京にだって美味しい食べ物はたくさんあるじゃないですか。
しかし、人の会話って、そーゆー「レッテル」「ラベル」「思い込み」をベースにスタートしたりするものです。
こうやって考えると、「東京人は冷たい!!」って本気で思い込みすぎているのもアレだし、「大阪人が全員面白いと思うなよな!!」ってキレている人もアレかもしれません。
人って、主観で生きているから面白いし、会話できるのかもしれない、ある意味・・・・。
ラベルやレッテル貼りするから、コミュニケーションが成立してたりする。
いきすぎると差別や偏見になるわけですけどね。
「人それぞれだよね」
「別にどこも同じだよね」
みたいになると、ある意味、そこでオシマイになってしまいます。こう、世の中にはそういうことを言って、無難な位置どりをしたがる人は多いわけですが、それが大人の立ち振る舞いの基本であるというのは事実です。
しかし、そーゆー人は何も言っていないに等しいというのも、これまた事実です。
「仲良しこよしタイプ」「みんなと仲良くしたいタイプ」は、ビジネスやる際、ちょっと苦労するかもしれません。
ビジネスというのは、ある意味、「意見の具現化」みたいなところがありますから。
ビジネスは、それそのものが意見なのです。
スタバは、喫煙者に対して「コーヒーを楽しむ空間を汚す」と、はっきりNOを突きつけているのに等しいでしょう。また、貧乏人は来るなと言っているのに等しいかもしれない(少なくとも、マックよりは貧乏人を排除してる)。
高級住宅街のマンションも、貧乏人にNOを突きつけているのに等しいでしょう。
高級ブランドのショップは、明らかに人を選んでいる感を出しています。
ビジネスマンは、中間ポジションやお人好しポジションは取れないのです。公衆への奉仕者でもありません。奉仕対象者を選べるし、自由なやり方ができます。
必ず偏る存在です。
宿命的にそうなのです。
科学信者や学問厨がコンテンツビジネスのプレーヤーになると、絶望的につまらなくなってしまうのは、彼らが何も言えないからです。
正解信奉にとらわれているし、自分の意見や世界観を持たないし、何も言ってないに等しいポジショニングしているからです。だから人がついてこない。
そもそも、科学の知見とか学問の知見を横流しにしてコンテンツを発信するなど、アホでもできる行為です。簡単じゃないですか。
特に、独自の意見とか世界観を立ち上げようとする、保とうとすると、真面目に現実を科学分析してたり、現実の通り解釈なんてしてられませんね。「起業も就職もどっちもメリット・デメリットあります」とか意見じゃないですからね、それ。
東京生まれ・東京育ちのとある知人女性二人が、面白いことを言っていました。
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A子 「東京は素晴らしいよ。欲しいものは何でも買えるし、何でもあるし、一流の人が集まっていて、刺激を受ける。みんな、東京の人は冷たいっていうけど、私には理解できない。死ぬまで東京にいるよ。」
B子 「東京は最悪。空気が汚い、人多い、住みづらい。住むとこじゃない。みんな冷たい。引っ越したい。」
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大阪生まれ・大阪育ちのとある知人女性二人が、面白いことを言っていました。
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A子 「大阪は日本一やで。食べ物も美味しいし、人もあったかいしな。関西人はええ人多いやろ?そう思うやろ?私は大好き。」
B子 「大阪はあかん。汚い街やで。何がええの?私はあんまり好きやない。よそで大阪人って言うの恥ずかしいもん。ガラ悪いし関西弁きつくない?関西弁強い男、マジで嫌い。」
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いいですね。
面白いですよね。
これが面白いってことですよ。
人が、それぞれの感性と主観で生きているってことがよくわかる例だと思いませんか。
そして、意見というのはある意味で、「偏る」から意見なのであり、偏りこそが個性なのでは・・・・と思えてきます。
コンテンツビジネスは小論文じゃないんですよ。
世界観とか独自性というのは、ある意味で「独断と偏見」だと言えます。だって、真面目に分析したら、ただの科学じゃん、客観記述じゃん、ってね。「ケースバイケースです」「人それぞれです」「Aとも言えるしBとも言えます」って、それ、いちいち発信する必要ある?ってなるよね。
とゆーことで・・・・・・・・
社畜生活、ファァァァァック!!
ハイ、授業始めまーす。
▶︎第1部 : お金について
私は、変なプライドが高い人間はお金を稼げないと思っているのです。だから、プライドが高い人間は現代の武士職になればいいと思うんです。それが何なのかは知りませんけど。
とりま、マネタイズ能力低くても、どうにかなる世界に行けばいい。
武士は食わねど高楊枝、の世界ですね。
プライドほど、金にならないものはない。
私はいつもそれを思います。
個人的に、私は出川哲朗さんを尊敬しています。
体を張って笑いを取りたいという信念を貫き通してきた彼は、JKから悲鳴を浴びる存在であり続けています。昔は、悪い意味で、でした。
そして今は、良い意味で、・・・・です。時代の変化・評価って面白いですね。
彼のような仕事は、変にプライドが高い人はできないでしょう。また、彼のことを「アホだなぁ」「バカだなぁ」って本気で思っている人がいるかもしれません。しかし、あの感じが彼の仕事で、その裏では彼なりの緻密な計算があります。
明石家さんまさんは、出川さんを「一流」と呼んでいます。私の場合も、出川さんは完全にリスペクトの対象です。かっこいい〜すげ〜って。
人によるでしょうが、年齢によるでしょうが、「芸人」という職業をバカにする人、あるいは「仕事とは言えない仕事」だと思っている人は、今のご時世に至っても意外と少なくないんですよ。さすがに、今の時代はスマートな仕事、リッチな職業として認知している人の方が多いでしょうが、ビートたけしさんなど、古株の人に言わせれば昔は「恥ずかしい職業」の筆頭であり、たけしさんも親から反対されたとかどうこう書籍に書いていたような気はします。
そこらへん、うろ覚えですが。
昔は社会的地位が低かったということですね。
youtuberもこんな感じで変わっていくんだろうなぁ。
今の若い世代と上の世代じゃあ、捉え方が違いすぎる。また、どんどんyoutuberの躍進が進めば、どんどん彼らの社会的地位も変わってくるでしょう。社会的地位が上がった頃に参入すると、競争はめちゃめちゃ激しいですね。
なんでもそうですが、何かにチャレンジするときは、その対象が「怪しさ」をまとっているうちがチャンスかもしれません。
怪しさが消えると、頭の良い、社会的地位にこだわる人たちがぶわーって群がってきますから。マジで。
人前で馬鹿をやる、というのは、人によっては、「恥ずかしいこと」に思うかもしれない。でも、私はそうじゃないと私は思う。大人になればなるほど、わかりますよ、彼ら芸人の偉大さが。
人を笑わせる・楽しませることに命を賭しているわけです。
・・・・・・・素敵やん?
1発屋とか偉大です。彼らは自嘲的に、自己卑下的に振る舞いますし、周りからも雑に扱われるキャラ。だから、観客である我々は見誤ってしまいがちですが、・・・・・・・本当はすごい人たちです。
1発屋をdisっている社畜たちの方が平気で年収低くて
時間の余裕も女遊びもできてない・・・・ってのはよくある話。
あと・・・・・、NHKかな?「お母さんといっしょ」っていう番組ありますね。あの番組に出ていた、ひろ●ちお兄さんっていましたよね。ああいう役回りの人も本当すごいなーって思う。ああやって子供の教育番組に出て、「はーい、みんなーっ」的な仕事をして・・・・って感じだと、プライベートで相当、人目に気を遣うそうですよ。ストレスたまりそうですよね。
ご本人が「プライベートで相当気を遣って大変」って言ってました。
デートの1つや2つすることだって、大変なんでしょうねぇ・・・・。
それから、youtuberでhikakinさんっていますが、素人感覚のyoutuberたちが多い中で、彼は昔からやっていることが全くのプロです。視聴者層の中で、圧倒的にボリュームがある「子供層」をしっかりターゲティングして、「ブンブン♪ハローユーチューブ!!」とか「最初はブンブン♪ジャンケンポーン!!」とかいうのをやり切ってきている。確信犯的にやり切っている。スゴイ。
自分の客が誰か、需要は何か、自分の役割は何かがすんごいよくわかっていると思うんです。
そして、一貫してプロ仕事をやり切ってきたあの人は現在、一人勝ち状態です。他のyoutuberたちとは異質ですよね。他の人たちは、自分たちの年齢感覚から思いついた面白いことだったり、変にカッコつけたこと、尖ったこと、粋がったこと、エロいことをやっている中、hikakinさんだけはひたすら子供に向けて、需要に応えるコンテンツを出し続けていった。ひたすら。
・・・・・・・・。
わかりますか。
これが、プロです。
芸人根性、商人根性の鏡です。
恥ずかしいとか、ダサいとか、そんなことじゃなくて、受け手に価値を与えることにフォーカスをしている。自分の存在意義を、「他人に提供する価値」から逆算し、よく考え、よく自覚している。そして、意味不明なプライドを持っていない。
彼らは、一人前の大人の男であり、そりゃあ、美女のおっぱいを揉みたいだろうし、えぐい女遊びや風俗遊びの1つや2つ、したいことでしょう。若い綺麗な女の子達の前で、「パフォーマンス」をするのが恥ずかしい、って思うこともあるかもしれません。
大成功している人たちって、もっと、カッコつけたことがやりたいと思っているかもしれませんよ。もしかすると、人前で、ああいう仕事に徹することを恥ずかしいと思った時期だってあるかもしれません。
でも、やっぱりプロはさすがです。
プロがプロたるゆえんは、やはり需要や価値への意識だと思います。
アンガールズの田中さんとかもすごくないですか。確信的にキモキャラを演じ切って、マネタイズをしているわけです。たとえ、世の女性たちに徹底的にキモがられても、それをやり切るわけですよ。そのポジションを自ら選択したわけでしょ。頭良いよね。すごいよね。
ああいう人に限って、実は裏ではモテてたりしますからね。
テイラースウィフトとか、自分のパブリックイメージを汚したくがないために、クラブ遊びなどでパパラッチされたくない、みたいなことをどっかで語ってましたけど、すごいなぁ、って。まさにプロ。
大成功している人たちって、今の自分の大人の感性や賢さで、面白い・かっこいい・クールと思うアイデアやプランを実行できず、悔しい思いをしているかもしれません。
わざと馬鹿っぽいこと、子供っぽいこと、簡単に見えることをしているかもしれない。
30歳の働く大人の人のお客さんが、もし、10歳の子たちだったら、10歳を全力で喜ばしにかかる必要がある。
これがプロでしょう。
ここで変に、カッコつけて「30歳らしさを出したい」とか思ったりすると、もはやそれは趣味の域に突入してきます。
プロの商人というのは、ダッチワイフやコンドームを製造することに、真面目に情熱を注いで思考と労力を使うような精神だと思うんです。確実にそういうものには需要があって、人々に喜ばれているじゃないですか。それを、「恥ずかしい」だなんだ言って、人目を気にするのはプロではありません。
プロの商人というのは、明らかに客よりも自分の方が知識も学歴も上なのに、「えぇ〜〜〜っ!!そうだったんですかぁぁぁっ!???知らなかったですぅぅぅ!!!●●さんって賢ぉぉ〜〜〜い(ハート)」みたいな愛嬌を、夜の街で振りまく精神を言います。
この前、スタバで若いバイトの子が、
ーーーーーーーーーーー
「うぅわっ!!マジミスったぜ、ちくしょー」
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とか一人でブツブツ言いながら仕事してました。スタバの店員にしては珍しく、無愛想で、なんかすごいカッコつけながら仕事しているんですね。なんか、しかも恥ずかしがりながら仕事しているんです。
居酒屋とかでバイトをすると、大きな声を張り上げるのが「フツウ」ですけど、そういうのを恥ずかしがる時期ってあるじゃないですか。
でも、こーやって考えると、仕事するってのは、基本的に、恥ずかしいものかもしれませんね。
自分の「恥」よりも、「人のため」を優先するのが仕事なのかもしれない。
西園寺さんは風俗嬢とか芸人とかストリッパーとかの世界に、プロフェッショナル精神を感じてしまうんですね。ああいう世界には、本当に、需要を満たすために全力を賭している人たちがいるんです。マジで、ああいうパフォーマンスを受け手として受ける側に立ったら感動してしまう。そして、そういうパフォーマンスを送り手として送れている側は、絶対、儲かっています。
いい歳して、無職こじらせている、プライドが高い「貧乏な人」っていますよね。こーゆー人たち、前職の地位が高い人ほど厄介だったりします。
そーゆー人にはなりたくないね。
いざという時は、プライドを捨てて何でもやる、っていう覚悟が大事ですわ、本当。
金を稼げない人は、変に自分のプライドを先行させたりします。自分がやりたいことを通すがために、客の需要をおろそかにしたりします。
人は、なぜか、
- 賢く思われたい
- すごいと思われたい
- 自分がやりたいことをしたい
- ダサく思われたくない
- 恥を晒したくない
というプライドを先行させて、現実的な成果を掴み損ねることがよくあるものです。
マジで、「武士は食わねど高楊枝」ですね。
お金持っている人を、「お金のためによくそこまでできるね」とか「お金のためにそこまで頑張りたくない」とか言って、ブラインドアウトする・・・・。
・・・・・・・・本当はお金欲しいのに。
あと、あんまり、人生に意味とか崇高さとか、求めすぎない方がいいよ、ってのもすごい思う。
いますよね。
生きる意味とか生きがいとか自己実現とかを求めすぎちゃう人。
いやーーーー・・・・・・、それ自体は良いんですけどね、なんか、そーゆーのを自分が所属している会社とかに求めすぎちゃう人、いる。
個人的には、「お前何がしたいんだよ?」って突っ込みたくなる人間は、世の中にたくさんいます。
思考の迷宮ループにハマりまくって、鬱っぽくなっている人。
世の中的には「思考停止」がdisられまくってますけど、「思考過剰」もアホがやることですよ。
何もかもに、いちいち意味とか求めまくって物事を難しくしまくる人いるじゃないですか。で、そーゆー人に限って、自分賢いと思っちゃっているから手のつけようがないんですけど。
目先のことだけにいちいち反応して生きていたり、流されまくっていたり、衝動だけで長期的展望が皆無なのは問題。
でも、物事を何でもかんでも高所大所から捉えようとして、意味とか真理とか求めまくる人もだいぶヤバイ。
極論に傾倒しすぎて、人生や世界に絶望するとかも大問題でしょ。
鬱っぽい人たち。
宇宙と繋がりすぎて病んでいる人たち。
陰謀論にハマりすぎて負け組こじらせている人たち。
社会に迎合しすぎもダサいけど、社会に迎合しなさすぎもダサい。
何がしたいの、っていう。
余計なこと考える人とか、無駄に悩む人って、「アホ」ですよ。たとえその考えている内容が、難しいことを考えているっぽくても、ただのアホです。何しているんですか、何がしたいんですか、っていう。その間、どんどん歳とってるよね、っていう。
自分が生きたい方向をバチっと決めて、それに向かって進めばいいんですよ。そして、それが実現できたらハッピーっていう、ただそれだけの話でしょ、人生は。
あるいはそのプロセスが楽しいでしょ、っていうそれだけの話。
無駄に「意味」とかあれこれ考えてどーすんの、っていう。
世の中に、ニートって呼ばれる人たちがいますよね。で、一般的に、このニートと呼ばれる人種に対するイメージって、「無能で怠惰で弱者で、狂っている」ぐらいに思っている人は多そうです。
でも、実際のところ、そうじゃない。割と、賢い人とか、すごい資格受かったとか、勉強できた人とか、技能あるとか、もともとバリバリ働いてた人とか・・・・いるんですよ。あとは難しい試験を目指していたけど、挫折してそっから立ち直れなくなった、とか。
私もニートしたことある。
ニートの中には、高学歴ニートとかも結構いますし、話をしてみると、「哲学者ですか?」みたいな勢いで、延々と深ーいことを考えていたりする人もいる。なんか、宇宙の真理とかを探ろうとしていたり。
で、別に、それはそれで、やりたきゃやってればいいと思う。
だけど、変なことで悩んでいるんです。
「私はこれでいいのか・・・・」
「お金がない・・・・」
「何がしたいのかわからない・・・・」
とか。
なんかね、知性の使い方を間違えている感がすごいする。
無駄なことを考えている感が、すごいする。
社会に接続できなさすぎて、金稼げなさすぎて、女遊び出来なさすぎて、物が買えなさすぎて、孤独になりすぎて、だんだん、思考と感情が、悪いエンドレスループに入っていっている。
で、話を聞くと、それなりに難しいことを考えたりしているようなんですが、私からすると、
ーーーーーーー
それ、ただの鬱の変化球形ですよ
ーーーーーーー
って言いたくなる。
知的な人は無駄に語彙力や知識あるので、病んでしまうと、発言していることや考えていることが「いかにも」な感じになってくる。
でも、それ、ただ病んでいるだけじゃないですか、って。
それただの鬱ですよね、っていう。
何がしたいの、っていう。
日本人はそろそろ、勝ち組・負け組の定義を刷新した方が良い。
勝ち組とはハッピーな人たちです。
負け組とはアンハッピーな人たちです。
現在アンハッピーなら、負けでしょ。どう考えても。
人生の意味とか、そーゆー、無駄なこと考える前に、「どうしたらハッピーかな?どうなりたいかな?」って方向性を探って、決めて、そこに向かって自分の頭と行動力使ってみたらいいじゃないですか。
無駄に哲学するから病むんですよ。
無駄にスピリチュアルなこと考えるから状況が悪化するんですよ。
無駄に壮大なことや崇高なことを考えすぎるから前に進まないんですよ。
社会とか世間とか常識とか学問とか真理とか、そーゆー大きいものばかり考えるのを抑えて、
「うまい」
「気持ちいい」
「買いたい」
「欲しい」
「行きたい」
「やりたい」
とかそーゆー、卑近なレベルにスポットライトを当て直せば?ってすごい思う。
生きる意味とか、生物学上は取り立てて無いですよね。
子孫繁栄ぐらいでしょ。
▶︎第2部 : 世界について
戦争映画観てました。
ベトナムで捕虜になった米兵が奇跡的に生還するやつ。
クーッ、感動したぜ・・・・。
戦争映画、昔から本当よく観るんですよね。
生きている喜びを再確認させられるし、「うわ、今の自分が取り組んでいる問題なんてイージーじゃん!!」ってマジで思えてくる。
もう、ああいうのを観るたび、現代日本人の悩みってしょーもないんだな、って思えてきます。
日本人の平和ボケ、マジでこわい。
その映画のレビューとか観たら、本当、お気楽な日本人がテキトーな評論かましてやがる。そもそも、実話に基づいたお話なのに、「脱走のプランの完成度がどうのこうの・・・・」とか言ってやがる。
大丈夫かよ、って。フィクションじゃなくて実話だっつーの。
フィクションだったらあれですけど、ノンフィクションって感情移入して観ちゃうじゃないですか。自分だったらどうかな、って。
そう考えれば、極限サバイバル系の映画って本当、軽い気持ちで観れない。
なんか、世の中、共感能力乏しい人多いですよね。
日本人って、本当・・・・、大丈夫なんですかね?
時折心配になります。
自分は蚊帳の外というか、「自分とは無関係」という前提で物事を捉えて評論スタンスでの見方に終始する人?
言うこととやることが違うってのがわからない人ばっかり。
西園寺さん、実話の戦争映画に文句つけられないですよ。そりゃ、演技がどうとか、撮り方がどうとかはケチつけてもいいとは思いますが、
「現実にあった絶望的な状況での兵士の考えや行動」
について、冷暖房効いた環境でポテチ食いながら映画観ている人間が何言ってんだかってマジで思う。それ、マジで言ってんの、って。
西園寺さん、アメリカのネイビーと結婚して、旦那さんを戦争で失った未亡人の在米日本人女性とか知人にいるんで、なんか、アメリカの戦争映画とか観て「ふーん」で終わらないんですよね。
人って、「あぁ、その生き方、自分とは無関係だわ」って思う対象にはとことん冷酷になれますけど、こーゆー人間が国内というか、世の中にはたくさんいるんだなぁ、って思ったらゾッとしますね。
・・・・・・はい、話変わります。
本題に移ります。
今日お話ししたいのは、「現実の社会で、どうやって成果出すのん?」って話。
厳しい現実の世界に生きていると、「成果を出す」「勝つ」ということにガチで向き合うようになります。軽いノリではなくて、成果というものと真面目に向き合うようになるんです。
すると、社会で、「成果を出す」「勝つ」ためのこととして、一般的に言われていること、信奉されていることの「レベルの低さ」に気づきます。
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そんなレベル低い発想じゃ現実では通用せんわ・・・・
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ってことに気づくんです。
努力が報われるとか、勉強すれば成果が伸びるとかいうのはその代表格だと思います。努力したら報われる、お勉強ができたから成果出る・・・・なんてのはある程度の世界、ある程度の成果に限り、ですよ。
ちょっと、ランキング付けしてみました。
勝ちたい人は、必見ですよ。
勝ち組中の勝ち組が教えるランキングです。
(日本では自分自身のことを幸福だと言える人が4割ぐらいしかいないらしくて、その中でさらに5%ぐらいしか経済的に満足していないでしょうからね。)
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5位 : お勉強や努力が報われる世界 (難しいこと)
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本を読めば成果が出る、お勉強すれば現実で勝てる、学校のお勉強ができれば現実で出世する、学歴があれば人生ゲームで勝者になれる、努力すれば報われる・・・・・・・
こういうのは、現実世界の一側面ではあります。一抹の真理です。
が、個人的にはそこまでレベルが高くない世界に生きる人の考え方だと思います。
もちろん、お勉強や努力を全くしないというのは論外だと思います。しかし、それをやったからといって、現実世界での成果やリターンが約束されると考えるのは、甘いといえば甘いでしょう。
「知識がある」
「読書した」
「学問をやった」
「良い大学に行った」
・・・・・・・。こういうのに頼って生きるのは、個人的には心もとないと思うし、通用する場面・シーンってのは限られているのかな、って思います。
私は、若い頃、勉強三昧の日々に身を浸した経験があります。現実世界での成果・成功を求めて、ですね。それ自体は、全く無駄ではなかったし、得るものはたくさんありました。しかし、それらが現実世界で何かしらの成果に、ダイレクトに繋がったかといえば、NOでしたよ。
実際、世の中に高学歴ワープア、博学ワープア、学位ワープア、貧乏研究者など、お勉強ができるけどジリ貧、居場所がないって人が溢れかえっていることからもわかるでしょ。
「お勉強ができた」「お勉強した」が自慢できるシーン、これらが現実的成果に貢献するシーンは限られているのです。
ましてや、視点を海外に向ければ、日本人が可愛く見えてくるほどのお勉強マシーン達がゴロゴロしてます。
自分が勉強することで、簡単に成果が出るような世界というのは、自分が賢くなったとか自分が賢いというより、周りが勉強していないだけっていうのが本当のところだと思います。
こんな、誰でもできて大して金もリスクもかからないもので他人と差がつくとか、成果が出せる・・・・・なんて発想は甘いですよ。基本だし、できて然るべきのことですが、勉強に過剰期待を寄せると「報われねー」って思うこと、多いと思いますけどね。
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4位 : 若さ、時間 (時間がかかること、若さが求められること)
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本当に現実世界での競争や勝ち負けと真摯に向き合っている人は、「時間の価値」や「若さの価値」をよくわかっています。だから積極的に時間を買うし、人を使うし、人に仕事を投げるのです。
そして、本当に怖い強敵は、年上ではなくて年下だということをよくわかっています。変革は若い世代から起こしていくものだからです。ジョブズは、新しき者は古き者を取り除くと言いました。
年上が怖い場面というのは、時間や経験の蓄積がものを言う場面だけです。
「若い」「時間がある」ことの価値、強さというのは計り知れないものがあると思います。勉強ができたとか勉強してきたってことなんかよりも、「若い」「時間がある」ってことの方が、よっぽど強いと私は思うわけです。
企業も若い人が好きです。若い人を採ります。
何かを始めるのに遅いはない、って言ったりしますけど、あれは半分本当で半分嘘でしょう。若くから何かに取り組んだ人の強さというのは半端ではありません。
ウォーレンバフェットは、ビジネスの世界で成功している人たちの成功の秘密は何だと思うかと問われて、「強いていうのなら、その道に進み始めた年齢(スタートの早さ)」って言っていました。
ピータードラッカーは、「成果をあげる人は、時間から始める」と言っています。
島田紳助は、NSCのセミナーで、「私がこれまでに築いた財産や名誉なんかよりも、はるかに君たちが持っている『若さ』というものの方が価値がある」と言っていました。
西園寺さんはもはや欲しいものは特にないけど、「若さ」が手に入るというのであれば全てを投げ捨ててでもそれが欲しい(人生に後悔はないけどね、全く)。あと、時間は常に足りてない。時間が欲しい。時間を無駄に奪っていくものは嫌いです。
時間の力は偉大なのです。若さの力は偉大なのです。
さっさとスタートする、長期的展望を持つ、継続する、・・・・・こういったことの価値は計り知れませんよ。
そして、注意が必要なのは、人の時間の流れは、常に相対的である、ということです。
老夫婦は会話が少ないですが、それはもう、一緒に居すぎて、もはや話すことがないっていうのと、互いが阿吽の呼吸で意思疎通ができるからですね。しかし、若くしてその老夫婦の域に達する人たちって、います。
サラリーマンと専業主婦の組み合わせの場合、1日の共有時間が6時間だったとしましょう。週末はフルで共有できるとしたら、1ヶ月で210時間ぐらい、1年で2520時間ぐらいの共有時間を持っている・・・とします。
夫婦が一緒に働く自営業カップルの場合、1日の共有時間が前者の場合より2倍多いとします。すると、このカップルの「夫婦の(時間経過に伴う)関係性の熟達度」みたいなものは、結婚生活10年目にして、「サラリーマン・専業主婦カップルの20年目」に相当することになります。
ドラゴンボールで、精神と時の部屋っていうものがありましたよね。
あと、昔話で浦島太郎ってあります。
アインシュタインの相対性理論も面白い。
時間って何なんだろ、って考えてみると面白い。
時間を「絶対的・固定的」なものだと捉える人は、年齢で人を決めつけたがるし、「年上の方が年下よりも有能」とか本気で思い込んでいたりします。しかし、そもそも時間の流れというのは場合によりグニャグニャで、人それぞれ、全く違う時空間で生きているもの。
西園寺さんのように高速大陸移動をする生活と定住生活をシャッフルさせたりしていると、理論的にはありえないことですが「おお、これが相対性理論か」と体感で思うことがあります。いや、理論的にはありえないんですよ、そういうことは。相当な速度で移動しないといけないですからね。
でも、時間って「体感時間」をベースに考えるのなら、明らかに「経験量」とか「event数」なんですよね。自分がした体感の質量というかね。都会と田舎では流れる時間が違うっていうのも、そういうことです。
アインシュタインは、「熱いストーブの上に一分間手を載せてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。ところがかわいい女の子と一緒に一時間座っていても、一分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性というものです。」と言っています。
大方、あの理論の言いたいことというのは、そういうものです。
ニートやったり、雇われやったり、東京に住んだり、田舎に住んだり、ノマドのように暮らしていたりすると、時間が
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グニャグニャグニャ・・・・
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と曲がっていくのがわかると思いますよ。
・・・・・・・時の流れというのは相対的です。
時給が低い人は、自分の時間を安売りし続けなければならず、結果的に自分の人生が「実質的に短くなってしまう」「人生ゲームの進捗が遅くなってしまう」ものです。
時間とお金が余っている人は、経験値の獲得も普通より倍速で進むので、人生が前倒し的になることも多くなるでしょう。圧縮されるというか。濃くなるというか。
全ての人間が、時間という限定されたリソースの上で活動することを所与のもののとして生きている以上は、「時間の使い方をマスター」している人間が強いのは当たり前と言えます。
世の中には、「若いのに老成している」とか、「若いのに達観している」とか、そういう人がいたりします。それ自体が良いか悪いかはさておき、人の時間の流れが相対的である以上は、そういう人がいることは別に、取り立てて騒ぐことではないというか、必然だと思うのです。
時間を味方につけるためにはどうしたらいいでしょうか。
現実的な話をすると、「若返りする」とかは不可能なので、
- 時間を買う (タクシーに乗る、職場に近いところに住む、人の経験やノウハウを買う、人に働いてもらう、ツールに作業させる、システムを運用する、自分でやらなくてもいいことはやらないetc…..)
- 金より時間であることを徹底的に理解する
- 精神と時の部屋っぽいところを探す (メッカや厳しい環境で鍛える)
- 長期的展望を持つ
- 未来を先読みする、先回りする
- 無駄なことはしない、捨てる (選ぶ)
- 継続する
- 早く始める
- 悩む、争うといった無駄な活動に時間を浪費しない
- 時間をかけてスキルを習得する
といったのは大事になるのではないでしょうか。
世の中の成果上げられない人たちは、情報弱者とか勉強弱者というよりも、「時間弱者」なんじゃないの、って私は思うわけです。
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3位 : リスクテイク (人がやりたがらない・怖がること)
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勉強すれば報われるとか本読んでればどうにかなるとか、大学行けば・資格取れば・・・・とか考えている人たちは大してレベルが高くない、という話をここまでしてきました。
実際、彼ら、全然成果を上げれてないじゃないですか。人生で大したパフォーマンスを出せているわけでも、ハッピーになれているわけでもないじゃないですか。望む人生を得られてなくないですか。
「時間、若さ」の重要性を理解している人は、それを味方につけられてますね。若さを恋愛市場で活かしてハッピーを得たり、マネタイズしている人もいます。長期投資で成功している人もいれば、若い頃から1つの道をコツコツやり続けて大成した人だっているわけです。
でも、ここまで話をしてきたことって、よーく見ていくと、まぁまぁまぁ、割と「フツー」なことしか言ってないですよね。
結局、
- 努力は報われるとは限らないけど努力しないといけないよね
- 勉強はしないよりはした方が良いよね
- 時間をかける必要があるよね(会社で3年働こう、継続しよう、若い方が有利)
- スキルを身につけようね
みたいな話です。でも、こーゆーのって別に、そこらへんで、よく聞く話です。一般的に言われていること・みんな知っていることではあるわけです。
じゃあ、(成果を出すためのものとして)もっと上位の世界は何かって言われたら、
ーーーーーーー
リスクテイク
ーーーーーーー
です。
私から言わせると、リスクテイクが大事です。
「西園寺さん、厳しい現実の世界で、成果を上げるために何をしたらいいですか?」
ってガチで聞かれた時、
「勉強したら報われるよ」
「長時間頑張れば報われるよ」
「1万時間、何かの勉強したら食いっぱぐれないよ」
「若いうちから何かを始めた方が良いよ」
「物事は続けようね」
ってのは答えとしては無難だし一抹の真理なので、一応そうは言えるんですが(大方の一般社会人も、そーゆーこと言うでしょ)、
ーーーーーーー
もっとインパクトあるやつ教えてください
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って言われたら、
言う相手を選んでコッソーリ耳打ちします。
「・・・・・・リスクを取ってください」
ってね。
Take risk.
特に、勉強したくない、時間かけたくないとか言っている人間は、なおさら、リスクを取る重要性が上がります。
勉強しなくても、時間をかけなくても、成果を上げる方法、それが、リスクを取ることです。低学歴で、何か突出した学業成績・専門性があるわけでもない私が、時給を上げて幸せに暮らしていられる理由は、「リスクを取っているから」です。
だから、個人的な体験からフツーにオススメできます。
リスクを取るってのは、報われやすいものですよ、って。
少なくとも、ひたすら座学で勉強する・・・・・・なんかよりはね。両方やった方が良いに越したことはないですが。
こーゆーアドバイスって、大方の一般人は言えないでしょ。
下手に無責任なことは言えねー、とか思ってね。あと、みんなリスクテイクの重要性とか知らないし、本で読んだとしても実際に体感したことはないでしょ。
西園寺が、人生経験から言えること。
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リスクテイクはインパクトがある。
人生において、かなりインパクトがある。
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ってこと。
私は、若い頃から、「どーやったら、現実の世界で成果が出るだろうか?」と考え、座学や実践で四苦八苦してきました。研究に研究を重ねた。人生を通して検証してきた。
そして、「勉強」よりも「長時間学習・労働」よりもインパクトがあるものを見つけてしまった。
それが、リスクテイクです。
リスクを取るってこと。
多くの人は、出世しようと思った時、
「勉強するぜー」とか、
「一つの業界・会社で長く働くぜー、経験積むぜー」とか、
そういうことをやるじゃないですか。
それ以外でも、成り上がれる方法ありますよ。
それが、リスクを取るってこと。
リスクテイカーになること。
現実世界で高い競争力を獲得・維持したいのなら。
成果を出したいのなら。
勝ちたいのなら。
取れるだけのリスクを、めいいっぱい取れ。
本当、これに尽きる。
特に、若い頃からの積み重ねがないとか、勉強してこなかったとか、時間がないとか、短期で成功したいとか言うのなら、リスクテイクしないと話になりませんよ。
西園寺さんはこれが上手なのです。
私がリスクテイクとリスクマネジメントについて語ったら、1つ教材がつくれてしてしまいます。
ーーーーーーーー
2位 : 革命力、政治力 (みんなが乗っかること)
ーーーーーーーー
既存の常識を覆す、業界を刷新する、みんなが思っていることを代弁・代行するみたいなことですね。まさに、革命家・政治家的なこと。自分が起点になって何かを起こすことに、大量の人が巻き込まれていく・乗っかってくる感じ。支援される感じ。
これはもう、破壊力抜群です。
人から共感される、応援される人格・役回りであるとそりゃあね、成果出ますわって話であって。しかも、利他的・貢献的であって、そこに危険が伴うとかになってくるといよいよ革命家の所業になってきます。
ヒーローになる感じ?
スティーブ・ジョブズなんかは明らかにこれが凄かったですね。
でも、技術的には結構難しかったりするんですよ。人の感情を動かす力は求められるし、人を行動させる力やモチベートする力も求められるし、人が抱えている問題がわかりそれに共感できないとダメだし、ビジョン・ミッションがないとダメだし・・・・・・・・。
ーーーーーーーー
1位 : 才能 (人ができないことであり、かつ人心を捉えること)
ーーーーーーーー
はい。堂々たる第一位。
それは、才能です。タレント性です。
圧倒的なルックス、人を虜にする美声、その人以外は絶対できない神業、創造性や芸術性、唯一無二の存在感や独自性、・・・・・・などなど。
大切なのは、その才能・タレント性が輝きを放って、人の心を捉えていることです。人の心を掴み、揺さぶっていることです。そういう意味では、アーティスト性と言い換えることもできますかね。
ーーーーーーーー
論外編: 西園寺基準では箸にも棒にもひっかからなかったもの
ーーーーーーーー
- 中途半端な学歴
- 中途半端な資格
- 中途半端なスキル
- 中途半端な知識、雑学
- 高難易度だけど軽くオワコン気味の学位、資格
- 知人の多さ
- SNSの友達の多さ
- 中途半端な創造性(アイデア出しだけ)
- 中途半端な思考能力、プラン力(妄想だけ)
- 中途半端な分析力
- 評論力
- 行動力、勇気(あって当然)
- 計算力(あって当然)
- 教養(あって当然)
これらのマネタイズ力は弱くて当然です・・・・・・。
▶︎第3部 : 人生について
私は、お金使わない人が自分の経済状況を変えられるとは到底思えません。
- 価値をつくる
- 価値を届ける
- 価値を広める
- 価値に(人)を集める
- 価値を売る
- 価値を手にいれる
- 価値を身に宿す
なんでも良いですが、そういった「世の中における換金の最前線」で活躍しようと思えば、金使わないとダメです。金を使ってないと、その分野の消費者の気持ちがわからないし、金使わないと人生経験が限定されてくるからアイデアがしょぼくなるし、金使わないといろんなビジネスモデル・マーケティング・広告を消費者として体験できないし、金使わないと知識・経験がしょぼいから話がつまんなくて営業に失敗するし、金を使わないと効率的に営業できないし、金使わないと人を巻き込めないし、金使わないとメンタルブロックかかってセールスできなくなるし、金使わないと使う人の気持ちがわからないし・・・・・・・・・・。
と、金使わない人はとにかく八方塞りです。
金を貯めたがる人は、不動産買いたいのか、株・投資信託を買いたいのか、投機をしたいのか、蓄えが欲しいのか、なんなのかはわかりませんがそれらは全部「逃げ・守り」の手です。非常にディフェンシブです。負けもしないし、勝ちもしない。いや、防戦一方だからこそ点を入れられて負けるかもしれない、みたいな人生です。
若いうちにさっさと決めておいた方が良いですよ。
攻める(点を取りに行く)のか、守るのか。
どっちが悪いではなくて、どっちでも良いと思いますが、一番悪いのは「どっちつかず」「何がしたいのかわからない、自分でもよくわかってない」っていうパターンだと思います。
ビジョンを持つべきです。
自分はどこに向かいたいのかを。
西園寺が、
「若いのに(20代なのに)面白いな〜」
「若いのに(20代なのに)鋭いな〜」
「若いのに(20代なのに)経験値あるな〜」
「若くて魅力に溢れているな〜」
「若くて独特な存在感、空気感、一緒にいて価値を感じるオーラがあるな〜」
「面白い生き方しているなぁ」
「すごいことができるなぁ、すごい人だなぁ」
「話聞いてみたいなぁ、学びたいなぁ」
「一緒にデートしたいなぁ」
って思う人たち、み〜んな、財布の紐が緩い。ジャブジャブ使ってる。貯金をするとしても、使用目的が明らかになっている。無駄な蓄えとか全然していない人たちばっかり。そして、お金に執着していない。
きっとみんな、自分に「自然な自信」があるから、卑屈になって守りに入らないんです。お金以上に大切なものを見出している。お金なんてツールだ、紙切れだ、ってわかっている。
そんな感じがします。
お金欲しい、お金に振り回されない人生が送りたい、って思って、
ーーーーーーーーーー
お金に働かせましょー
ーーーーーーーーーー
みたいな結論にたどり着いている人ってのは、今時、腐る程いると思うんです。
で、そこまでは良いんですよ。
でも、そっから先、盲目的に「投資信託買っときゃいいだろ」とか「不動産だな」みたいになって、「とにかく種銭を・・・・」みたいな感じでシコシコ貯金する・・・・・みたいな人が多い。
で、そーゆー人たちの頭の中では、
ーーーーーーーーーー
「株を買う=投資」「不動産を買う=投資」
「服を買う=浪費」「旅行する=浪費」
ーーーーーーーーーー
みたいな単純な図式が成立している。
いやいや、株を買って、不動産を買って、それが負債化している人、たくさんいますから、って話。
アパレル産業に就職した人が、服買いまくるのは投資だと思いませんか。
すっごい商品知識豊富で、一時期贔屓にしていたスーツの販売員がいるんですけど、マジで服が好きで、プライベートも服のことばっかり考えているそうなんですね。で、めっちゃ服にお金使っているんですよ。
でも、彼はそういう経験があるからこそ、知識や経験を語れる。
そして、私に対してセールスができる。
あ、服がらみで話、しときましょ。
なんか、「服とか買いまくれるようになりたい・・・・」って思っている人、世の中に結構多いと思います。金稼いだら、多くの人が散財したい先ってやっぱり、ファッション産業なのかなーと。
私は服に無頓着な部類ですが、それでも、最近になってからは服にお金を使うようにはなってきたと思います。
(1回の買い物で一桁後半いったら使ってる方だよねー、無頓着な割には)
いや、もともと、服好きですよ。でもね、若い頃(世の多くの人が一番ファッションとかに敏感になっている時代)に、勉強のための出費に相当な量の金を使ってたので、そーゆーことにまわせる金がなかったんですよね。
周りの人よりは「服欲しいぃーーー!!」みたいな衝動も若い頃からなかったし。そんなに非モテ拗らせてきた人生でもなく、童貞卒業は15歳?16歳?と割と人並みの恋愛経験をティーン時代は積んでいたと思うので、「ファッションちゃんとしないと彼女できないじゃん!!」みたいに考える必要性もなく、そのまま大人になっちゃいました。
ハタチそこそこの時は一時期、人目とか完全に無視してひどい格好(汚らしい格好)で歩いていた時代ありますから。人に変な目で見られても全く気にしない時代があった。
服にどハマりしている人って大体、18歳になるまでには相当な服好きを発揮しているものです。
私の場合、キャバクラ、酒、ギャンブル、コンテンツ、セミナー、ビジネス書、勉強代、面白い人との共有時間を作るためのお金、人に奢ること・・・・みたいなのは、ティーン時代に完全に、「財布の紐」がゆるまった形で設定されてしまいました。大人になってからは、酒、キャバクラ、ギャンブル、交際費系の蛇口はまたキュッとしまった感はありますね。ただ、今度は旅費交通費とかの蛇口がゆるまった感はありますが・・・。
さて。
買いたい服すら買えない、みたいな負け組人生をこじらせてる人、世の中にはたくさんいます。めちゃめちゃ服買いたいのに相当我慢して、それでストレス溜まりまくってます、みたいな人。
他方で、たくさんかわいい服・かっこいい服をもっていて、すっごいお洒落な人もいるわけです。
なんか、世の中の人を見て、思ったことありませんか。
「なんでみんな、そんなに服買うお金あるんだろ・・・・」
みたいなこと。
もちろん、その中には、限られた収入のうち、その多くを服に振り向けている人がいる「服貧乏」がいるでしょうし、服のために、借金とかしている人だっていると思います。
でもねー、ああいうお金の使い方も侮れないのよ。
ファッションに感度高い人って、明らかにコミュニケーションセンスが良いんですよね。若い頃からファッション感度高くて、童貞拗らせている人とかいないですからね。10代の頃の同級生を思い出してみても、「ファッションセンス良いのにコミュ障」って全然いなかった。ファッションセンスが良くてコミュニケーションセンスが絶望的な人って、皆無でしたよ、本当。
それは、おしゃれになってモテるから・・・・・、ではない。そういうものに興味・関心をもつ脳みそが、コミュニケーション向きなんです。コミュニケーションを鍛えられる。
自分がどう映るかを考えたり、自分に何が似合うかを考えたり、アーティスティックな感性が磨かれたり・・・・・するわけ。
- ファッション好き
- 流行り物好き
- アーティスト、アイドル好き
- 音楽好き
- 異文化好き
- おしゃれなカフェとか行くの好き
- 綺麗スポット行くの好き
- 雑誌読むの好き
- ネット情報に敏感
やっぱ、こういう人たちはEQ高いですよ。人や世の中のことに関心があるわけです。人心についてのアンテナ・感度が高い。
でね、やっぱり、買いたい服をバンバン買えてる人たちって良いセンスしてる。良いセンスして成功しているからバンバン買えているのか、バンバン買えているから良いセンスするようになるのか。まぁ、両方でしょう。
たかだか服ごとき、買いたいものをガツンと買えない人生、どうなの。
おしゃれな服、カフェ、旅行、流行ってるスイーツ、・・・・
まぁまぁこういうものは「無駄な金遣い」とされやすいものの代表格ですけど、こういうものにお金使うって、感性磨かれますからね。
そういう無駄っぽいものに金を使うのが「賢くない」「堅実じゃない」みたいな風潮はぶっ壊した方が良い。
服を見たら、買いたい衝動が止められなくて全部お金を使い切ってしまい、お金が全然足りないから、18歳まで全く勉強しなかったのに心機一転して勉強始め、23歳ぐらいの時にそこそこの給料取れる仕事に就けるようになった元落ちこぼれ女性・・・・・みたいな人もいるわけです。
って考えたら、嗜好品の類って人の人生変えるパワーがあるかもしれませんよ。
まず、そーゆーのが好きな人は、若い頃から「服欲しいー」とかになって、働きまくります(そういえば、西園寺さんがいちばん最初にバイトを始めたきっかけも服欲しい、だったよーな気がする)。ここで、働くということへの耐性がつきます。能力が手に入ります。また、社会への理解が深まります。社会への参加意欲やお金を稼ぐ意欲が湧く。
働きまくって服を買う、また働いて服を買う….ということを続けていると、消費者感覚が磨かれます。金を貯めることへの執着がなくなり、金に固執しなくなる。財布が緩くなる。どんどん使うよーになる。そしてそのうち、もっと稼ぐ重要性に気づきます。そして、将来を考え始めます。どうやったら稼げるか、どうやったら買いたい服が買えるか。その結果、一部の人たちは勉強意欲なり、チャレンジ精神を持つようになります。
また、もともと財布の紐が緩いので、自己投資なり勉強なりに金を使うことを惜しみません。
何より、お金を使いまくっているとセンスが研ぎ澄まされていきます。世の中の商業活動の最前線で、実際にマーケティングやセールスをかけられまくるわけですから。ファッション産業も、非常にマーケティングは上手です。そーゆー業界の広告だったり、店舗の売り先、販売員の対応ってのは、ビジネスの優れた知見が集まってる場所だったりするわけですしね。
うーん。
やっぱ、金使わないやつは金稼げないですよ。ほんと、そう思う。
稼ぎが良い人たちはやっぱり、過去、なんだかんだお金使って来てるって。
金を使う先の違いは人それぞれだけど、「全方位的に金を使うことをシャットアウト」してる人間は、その姿勢を崩さない人は、その先、どうあがいても無理じゃないですかね。その金をつくるために、経験を犠牲にしてきているわけですから。
金使わないで、時間使うことしかしてきてない人間なら、きっと、他人にお金を使わせることはできず、他人に時間を使わせることしかできんでしょうね。
そもそも、一万円札は原価数十円であり、対外貨なら日々、レートが移り変わってる。こんなものを貯め込むことに執着してる時点で、価値を見誤ってるじゃないですか。ビジネスセンスゼロですよ。皆無ですよ、皆無。
こんな人間が価値創造、価値提供、価値販売の最前線で活躍できるわけがない。せいぜい、ヤフーファイナンスを見ながら、世の中でバリバリ活躍してる人たちにBETしておこぼれをもらう生き方ができるだけ。
ところで、西園寺さんが興味持つ女の子って、みんな面白いです。
ファッションセンス独特だったり、話が面白かったり、魅力的なキャラクターだったりして全然コモディティー化してない。で、彼女たちは総じて、面白い経験のためにお金をガンガン使ってきてたりする。
金に関する感覚がもう、ジャブジャブ。ジャブジャブなんだけど、考えることはちゃんと考えることができて、忍耐力だったり現実を見る力がある。そのバランスってゆーかなんてゆーか。
忍耐力無さすぎ・歯止め効かなさすぎ、自制心ゼロすぎてジャブジャブ・・・・っていうわけではなくて(それ、ただの経済破綻者)、
ジャブジャブだけど忍耐も自制心もあって賢い、みたいな感じの人たち?
まぁ、そーゆー魅力の最前線がスターと言われる人たちなんだけどねぇ。
そんな面白い人たちと交流すればするほど、センスが磨かれていく感覚はあります。それが女性なら、そーゆー人たちは、やっぱり男についてすごいたくさんの選択肢を持ってるから、間接的にいろんなことが学べるし。いろんな情報くれる。学ばせてくれる。
西園寺基準では、「浪費」というのは固定費でない限り、過度に恐れる必要はないと思います。
どのような買い物も、やはり、慣れてない分野では上手にできないものです。
浪費の定義はわかりませんが、何なんでしょうね。
無駄遣いって言葉があります。無駄って何ですかね。人生で大事なことって大体無駄なんですけどね。
後になって、「買わなきゃよかった!」って後悔するものが浪費・無駄遣いって考え方、よく言われますけどそれはおかしいですね。後知恵バイアスが考慮されてません。特に、教育産業などのように、自分を情報弱者から情報強者へと引き上げてくれるような産業については、後から後悔しやすいですから(塾、予備校、ビジネス書の文句言いまくっている人、たくさんいるでしょ)。ほら、人って親とか学校の先生とかの文句もよく言うじゃないですか、大人になってから。人は後になって、必ず、選んだ選択肢を、一定程度、悔いるものです。
「あの買い物しなけりゃ、その金額が今、手元に残ってたのに・・・・」ってのもどうかね。その金額が手元に残っていたって、どうせ他に大した使い道があったわけでもないし、そもそも、その金額が手元に返ってきても、人生に大したインパクトはありません。そんなことを考えてしまうのは、そもそも所得が小さいことに問題があると考えるべき。また、過ぎたことをあーだこーだ考えるのはどう考えても不幸ですね。
嗜好品に使う、浪費、ストレス発散系に使う、は浪費と考える人もいますが、現代のような情報産業社会・知的労働社会では、メンタルヘルスは超重要です。精神状態が知性・創造性にモロに影響するので、仕事のパフォーマンスが変わるんですね。メンタルヘルスに影響を与える嗜好品のパワーは侮れないのです(スタバがブルーカラーよりホワイトカラーの溜まり場になっているのを見てもわかりますね)。ギャンブルだって、「無駄」と決めつけることはできません。娯楽費じゃないですか。娯楽のパワー、あなどれないでしょ。
コスパという言葉がありますが、パフォーマンスを「経済リターン」とか「品質」ばかりに設定するのも、実は偏った見方で、パフォーマンスにはいろんなベクトルがあります。買う人が何を求めるか、どういう目的で買い物するかで話は色々変わってくるものです。だからコスパ至上主義もねぇ。機能とか必要性とかにだけ着目していく人生を送ると、実に味気ない景色になりますよ、何もかも。
後、もっぱら、会計学的視点で金の使い方を考えようとする人もいますが、私からすりゃ、あれもどうかと思います。職業会計人(税理士・会計士)が金の使い方とかマネーリテラシーについて語ってますが、私は鵜呑みにしません。彼らは金のプロではないですよ。金を数えるプロです。FPにしろ、銀行員にしろ、何だってそう。彼らに金の使い方を語らせるのは大体アウト。特に事業上の金の使い方なんて経営判断ですから、介入させちゃダメ。収穫した豆を数えるプロフェッショナルに、豆の取り方聞いちゃダメです。これはビジネスに関しても人生についても同じ。
ま、そーゆーのは自分で考えるべきでしょう。
私自身の金遣いに関する哲学を披露しておきましょう。
- 固定費は経済破綻や人生の硬直化、足かせになる危険性が高いので、ここだけ注意する
- 「住居・不動産」、「車関連」、「保険」、「結婚」、「子供の養育費」、これらが人生でかかるコストの中で最も大きいものであるとわかっておく
- 変動費に関する限り、どんな金遣いも得るものはあるので、無駄遣いかどうかで一刀両断しようとするよりも「優先問題」と考える
- 金遣いで毎回、100%上手な判断をするのは無理
- 若ければ若いほど、どんな金遣いも必ず得るものがある(若いうちは優先つけられない、というか若いうちに優先つけようとするとかえって今度は、可能性と選択肢を狭めてしまう)
- 無目的・無思考な貯金は、無駄どころが巡り巡って害
- 迷ったら使う
- そもそもほとんどの問題は所得の低さがもたらしている(だからさっさと所得増やせ!)
みたいな感じ。
特に私は、完全なる貯金否定派であることは強調しておきます。何か買いたいものがあってとか、使い先があるのならいいと思いますが、意味もなくただ漠然と、「不安だから」っていう貯金は、私は否定派。
行きたい場所に行かない、会いたい人に会わない、欲しいものを買わない・・・・という、我慢の連続の先に積み上がるのが貯金です。
そもそも、私は我慢するのが嫌いです。
多くの人が預金してますけど、その預金は企業にまわされて、銀行はスプレッド抜いているわけです。企業はその資金を投資している。この流れをみれば、正しいお金の扱い方がわかるはずです。
重要なのは、金を使いたいと思わせてくれる先を見つけることです。
そして、その気持ちを記憶しておくこと。
『それ欲しい!買いたい!』を、どれだけ体験できるか、ですよ。
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あぁ、これ最高だ、最高なお金の使い道だ・・・・・
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ってのを見つけられたらハッピーでしょ。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。