【西園寺の恋愛学とビジネス人間学】性格の良い人間と悪い人間を、西園寺には判断できません。何が正しい生き方なのかもわかりません。

性格の良い人間と悪い人間を、西園寺には判断できません。何が正しい生き方なのかもわかりません。ティーンエイジャーの時、絶対的な正しさがあると信じつつ真っ当な道があると思いがちですが、シャバに出るとびっくりするほど多様な行き方をしている人間がいます。

結果的に、様々なバックグラウンドの人間が利害関係で交錯する社会において、うまく立ち回れるようになったとは思います。

しかし、個人的に人の性格の良し悪しを判断する基準が溶けてしまったがゆえに、個人的に人を好きになるという恋愛活動ではちょっと色んなことがわからなくなったフシはあります。

これを、ビジネスと恋愛の相反性(saionji,2019)と言います。

プライベート活動において性格の良し悪しを判断する場合にはどうしても自らの利害が絡んでしまい、自分にとって都合が良い人間を性格が良い、そうじゃ無い人間を性格が悪いと判断しがちな傾向はあると思いますから、それに自制的になると、もはや人の性格を判断する基準を失います。プライベートはビジネスでは無いからです。

そんなことを考えると、プライベートがよくわからなくなります。こうなってくると、好きと言われても嬉しいという感情が希薄になるのです。つまり、恋愛の重要要素である、

  • 好かれる
  • 好かれて嬉しい
  • 自分の必要性を感じる、自分が肯定される
  • 自分の存在価値を感じる

という感情の根底にある、「無条件に自分の価値を信じたい傾向」「無条件に自分の存在価値があると信じている傾向」、つまりI’m priceless 感情欲求(2019,saionji)にドライブするされて生きている状態=ゆえに恋愛して嬉しい、ではなく、純粋に経済活動のミッションの中で生きている社会人状態、ホモエコノミクスになります。

ここに、ビジネス界の著名人たちが恋愛結婚に対してドライである理由を導き出すことができます。I’m priceless感情欲求ではなく、抽象度を高くして社会的に何かを行うことに達成感ややりがい、感動を覚えるようになっているのです。自らを客観的にメタ認知して、社会的なポジションや役割を自覚するようになります。これは学生と社会人の大きな違いです。

学生社会では、

  • 性格が良い、悪い
  • 好かれる、嫌われる

の基準が幅を利かせていますが、社会ではあまり意味をなさなくなります。なぜなら、仕事上、役割で要求される振る舞いがあるからです。つまり嫌われ役をやる人たちがいるのです。これは仕事です。軍隊の司令官は兵隊の命を預かっていますが、彼らに性格の良し悪しを当てはめて判断することはできるのでしょうか。政治家にも同じことが言えます。新人を関連するために怒号を飛ばす教官の性格は悪いのでしょうか。

結果的に、プライベートの恋愛においては、個人的に可愛いと思うかどうか、美人と思うかどうか、みたいな基準がかなり大きな指標になりました。著名な経営者などの場合は、自らの仕事を支えてくれる機能的な妻であるかどうかを唯一の判断基準に結婚し、仕事に埋没している人たちも少なくありません。もともと昔は恋愛結婚などもなく、お見合いであてがわれたのですから、現代の恋愛結婚観は狂っていると言えるでしょう。好きな人と結婚できる方がおかしいのです。

そもそも、大抵な人は好きな仕事ができない、好きな人と結婚できないようになっています。これを、好きと向社会活動の関係希薄性(saionji,2019)と言います。

高学歴が社会的に評価されやすいのは、大なり小なり、学習活動に対して楽しみを感じる、あるいはそのプロセスの中で評価されて喜びを感じてきた、あるいは投下時間量が多めのために俗に言う洗脳状態にある、というものが関係しており、これを社会が評価するからです。どちらにせよ向社会性が高い。高学歴者はここに無自覚であり、ナチュラルに『好きなことをしようよ!』と言うのですが、低学歴者はこれを曲解します。高学歴者にとって好きなこととは知的好奇心が満たされることや学習活動への楽しみであったり社会スケールで何かを動かす知的興奮である一方、低学歴者にとってはタピオカを飲むとかハワイに行くとかインスタ映えする食べ物を食べる、というような購買活動を通した外部刺激です。これを、高学歴と低学歴の娯楽相違性(saionji,2019)と言います。

おそらく、ビジネス的に活躍している人たちを見てイラついている人は、学生時代と同じように、性格が良いか悪いか、人に嫌われるか否かという基準値がかなり幅を利かせている印象があります。性格の悪い人間ほど成功している、と思う心理もまさにそれだと言えるでしょう。旧来のビジネス社会は、没個性型のビジネスマナープロトコルを習得させ、その共通水準のもとにやり取りするのが普通であったため、社会人各々の性格の良し悪しなどを判断する間もなくスムーズなやりとりを実現していました。ところが、インターネットの発展により、いわば芸能人のような要素とビジネスな要素が組み合わさったビジネスが多く展開されるようになり、著名な企業幹部がツイッターで恋愛ネタや下ネタを呟いてマーケティングするようになりました。これについていけない旧来の感覚の人間は、現代の人間はモラルや倫理性が落ちたと感じるわけです。

ビジネス社会の難しいところは、ホモエコノミクスになることを要求されながらも、人間的に完全にコールドであるとやはり仕事でも行き詰まる点です。トヨタで出世する人がどんな人であるかについて触れたこの記事はこの辺りに詳しいです。端的に言えば仕事ができる人間的にいい人が理想なのですが、口で言うのは簡単でも体現するのは極めて困難なのです。

そもそも、社会的に活躍すると、マネーが入ってくるようになり、快適な生活、サービス、接客が受けられるようになり、学生時代に求めていた周囲への性格の良さは金銭的指標ややり取りに代替されるようになります。いわば、大抵のことは買えます。人間は何処かの段階でこれに慣れていきます。加えて、学生時代にヒューマニティーで回していたものが経済的やり取りで回るようになったりします。人によってはこれにいい年齢になってもついていけなくなったりします。もちろん、それが一概に悪いことでは無いと思います。資本主義の悲しみの一つであり、そういう人たちはピュアなのだと思います。

https://twitter.com/milkrikotin/status/1177566641355288576?s=21

究極的に、資本主義は、売春に辿り着きます。本来、好きな人とプライベートでするべきものを、経済市場に売りに出すようになります。こういった道を歩むと幸せになれない、感覚がおかしくなるとよく言われるのは、ヒューマニティーの極限の部分を経済活動とコネクトさせてしまうことによる感性や、体質の変化がもたらすものです。好きがわからなくなるだとか、自分の必要性を見失うだとか、自分を過剰に卑下するだとか、いろんな問題が起こります。

ただし、社会人は大なり小なり、ほとんど全員、自らを売りに出しています。その切り分け方や、態様が違うだけであり、いつのまにか自らが社会的な商品になっていくことに慣れていきます。この断絶は、学生と社会人の間にある大きな差異です。

実家暮らし等々の問題点を具体的に言語化するのであれば、生活費にいくらがかかり、具体的に世の中の仕事でいくら稼ぐことができ、みたいなことを体感値として持ちながら、生活するとはどういうことかを学習しないまま年齢を重ねてしまうことです。よって、

  • 学生結婚→カップルで二人暮らしスタート
  • 結婚するまで実家暮らし→結婚を機に実家を出る
  • 実家を出たことがない
  • 実家の支援を得ながら生きている
  • 年収400万円未満
  • 専業主婦を抱える
  • 学生と結婚する

という状態では、ほとんどの場合失敗します。自分の必要性だとか、愛されている感だとか、好きなことだとか、配偶者の無理解とか、訳のわからないことに不満を抱きつつ、それをカップル間のアジェンダとして掲げて喧嘩してしまうからです。会えないことに不満を抱く妻、みたいなのはよくありがちですが会えない理由が仕事なら旦那に帰責すべき理由は薄く、少なくとも自分がマッチングアプリで浮気する理由の正当化にはならないでしょう。そして、こういった意味のわからないことを言っている人はだいたいパート主婦、専業主婦、社会人経験希薄、一人暮らし経験なしです。

つまりは、論点の違うものを持ち上げて無意味な争いに興じるのです。パートナー同士の仕事が違えば違うほど、この溝は大きくなります。ぼやっと、「独身の頃は良かった」「結婚する前はよかった」「学生の頃は良かった」というように間違った後悔をします。また、特に女性は、25歳を機に急速に恋愛価値が落ちていき、20歳と比較すると25歳はかなり落ち込んでいる状態ですが、これに無自覚な人も少なくなくありません。特にキャリアがしっかりしていない場合は、男性と比べると大きな落差を感じることが多いでしょう。単なる加齢による落差を、仕事だとか、交際相手だとか、周囲の環境に原因の誤った帰責をしたりするもので、これも不要な揉め事を起こします。そもそも男女共に人生にはピークカーブがあります。21歳以降の加齢は原則マイナスと思っていた方が良いのです。少なくとも私は21歳以降の加齢を喜んでいません。当然男性も落ちていくわけで、何をやってもうまくいきにくくなる、綺麗に映りにくくなるというのはあります。

 

===


マイルドヤンキーでもなく、意識高い系でもなく、「ハードニート」@西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男





800px-LineartPresRev


お仕事は、無職ですが人より課税されています。
「0」は無限だと信じたい。賽は投げられたのだから。


Lose Yourself , Change Yourself.
(我を忘れろ、クソな自尊心を手放せ、お前の全てを何かに捧げろ。そして己を変えろ。)





「遊び心」「粋」「真面目に不真面目」

(組織と他人に縛られるのが大嫌いな人)


"強くなくては生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。"

"世界は変えられなくても、人生ぐらいは変えられる。"

"悪貨が良貨を駆逐する中、悪貨に転じないことが「恥」や「損」であるならば、清濁併せ吞み、仮面を被った「良貨」であり続けるのみ。"

説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-20、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。