【女は自分が見えないという話#1】 7年前の俺なら絶対に相手しない「圧倒的格下」の女をセフレにした時

 

7年前の俺なら絶対に相手しない圧倒的格下を、セフレ化したときの話をしよう。

 

ルックスで言えば、7年前の俺なら相手しない女。

風俗で出てきたら、「うわ!ガチハズレ!」ではないが「リピは無いかな」という女。

 

その女を、ナンパした。

そして即日sexした。

 

私はこの女を、即日ポイするつもりだった。

つまり、もう会わないつもりだった。

 

しかし帰り際、すり寄ってきて、

また会ってくれる?

どうせ捨てるのでしょ?

などと言ってきたので、連絡先を交換し、その後、

「会いたい」

と何度も言ってきたので会った。

 

そして、何度かSEXをしていた。

 

そんな関係が続いた。

 

そうすると、相手は、私の容姿に対して、ケチをつけはじめてきた。

私は、相手の容姿に対して、何も言ったことはないのに。

 

  • ここをこうした方が良い
  • あそこをこうした方が良い

というように。

 

かっこいいね

という褒め言葉もくれる時もあったが、容姿についてケチをつけてくることやdisってくることもあった。

 

これが女

である。

 

ちなみに、格下セフレとして、割り切っているので、何を言われても響かない。

「はいはい、マンコマンコ」と思って、右から左にスルーしていた。

 

しかし、女というのは、こういうムーブが本当に多い。

 

また、発言を聞いていても、

今は君はまだ若いから自分の価値を勘違いできる膣モテバブルフェーズだからアレだけど、歳を重ねたら本当に、現実見えてくるよ

という感じだ。

 

ましてや、

お前が男だったら、俺の足元にすら及ばないカスで終わってた人生だよ

女に生まれて良かったな

という感じである。

 

 

男性諸氏は、女性と一緒にいて、

女性の

「自分のランクが見えない発言や行動」

に辟易したことはないだろうか。

 

アレがしたい、

これがしたい、

●●がほしい・・・・

 

というような、身の程知らずの発言。

しかも、その多くが、周りのサポートやマンコパワーで手に入っているのに。

 

駄々をこねるクソガキのような振る舞いに、呆れ返ったことはないだろうか。

 

 

 

ヴェルナー・ゾンバルトが1912年に著した「恋愛と贅沢と資本主義」という本がある。

この本は、資本主義において、

女の際限ない物欲と、それに応えようとする不貞男によって資本主義は回っている

という解説がなされている。

 

女の物欲、ステータス欲、承認欲求は底なし沼なのだ。

 

男性の性欲が生理欲求だとして、食事のように定期的に満たせば良いものであるののに対して、女性のそれは

「終わりがない」

のである。

 

そして、自我が芽生える頃から、20代半ばまで、

膣モテパワーで、勘違いを続けてしまう。

 

大事な自我形成の時期に、

  • 父親
  • 部活
  • 受験
  • 仕事(昼の仕事)
  • 一人暮らし

などで揉まれなかった女は、明らかに勘違いをしてしまう。

 

 

 

格上・格下の原理 〜人生を支配するメカニズム〜

 

 


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。