【西園寺マーケティング学】本当のことより、相手が聞きたい都合の良いことを言ってあげる方がモテるし売れます。これをマーケターの欺瞞と言います。

本当のことより、相手が聞きたい都合の良いことを言ってあげる方がモテるし売れます。これをマーケターの欺瞞(saionji,2019)と言います。

ここに倫理の問題が出てくるわけです。しかし、マーケターの欺瞞は倫理の問題だけに限らず、収益の問題にも関係してきます。欺瞞が強すぎるとリピートが弱くなるのです。Unsatisfiedになります。

そもそも、欺瞞というものは騙し手と騙され手の共謀関係にあり、騙される方も悪いというのは一理あります。人の購入履歴にはその人のPOVが反映されています。

もし、世の中の商売というものが、たいていの人たちのニーズに合致するように設計されていて、そのニーズというものが、世の人々がそれぞれ抱いた、己自身に己で向けた欺瞞で構成されるのならば、商売は欺瞞的になります。欺瞞的だと言われる化粧品業界について取り上げてみましょう。

事実はさておき、30歳以降の人生に美しさという価値は年々厳しいという現実が仮にあったとしても、多くの30歳以上が『年齢を重ねるごとに増す美しさがある』と思っている場合には、美容ビジネスはそこに合致したメッセージを体現することとそこに相応の反応があることで成立します。

全てのビジネスは需要者が存在しなければ行き倒れるという宿命的な構造を抱えています。逆に存在する場合は需要者集団が背後にあるわけです。

 

極論として、世の中の商売は全て詐欺だという意見を持っている人たちがいます。これについて考えてみましょう。この意見の前提にあるのは、

  1. 拠り所となる正しさをどこかにもっている
  2. AがBを騙すという二者関係である(加害者、被害者

です。まず、1からして破綻しています。これは商売人には致命的発想です。それは官庁や、法曹の発想です。

そして問題は2です。これに関して、詐欺や欺瞞という言葉はどうしてもAがBを騙しているというような構図が想定されますが、そもそも騙される側が選択しない限りは騙しは成立しようがありません。つまり、受け手の選択があるのです。嘘だと思ったら、街に出てセックスしませんかとか、何もしないのでホテルに行きませんかとか、私とエッチしたら最高のエクスタシーに誘います、とか100人に声をかけてみてください。

自分を1番騙しているのは他ならぬ自分自身です。レスポンスしたということは、そのレスポンスしたなりのPOVを持っています。何らかの期待を込めて購入するわけですが、そこにはその人の考え方があります。人は、自分で自分自身を騙しています。

結婚詐欺に騙される人は『私には素敵な人と結婚できる資格がある』と思っており、甘いお金儲けにつられる人は『人生は甘いものだ』と思っているわけです。

 

たとえば、ここに一人の人間がいるとしましょう。この人間は、モテと金について、不満に思っているフラストレーションのある状態だとします。このフラストレーションの原因として、自らの現実が見えていないとしましょう。Resolveするために、外部から現実を見せるアプローチと、聞きたいことを聞かせるアプローチが届いた場合、後者の方をセレクティブリスニングすると、受け手は悪い方に自ら流れていくことになります。そして、前者の方をむしろ責め立てる場合があるのです。こうして前者が抹殺され、悪貨が良貨を駆逐する現象が起こります。

つまりここでは、騙すが一時的に正解になり得ます。それが需要される、受け入れらてしまうことが起こり、逆に後者は破綻しかねないのです。

しかし、その場合、本当の意味で良いアプローチでは無いので、ある程度の段階で顧客は離反していくことになるでしょう。すなわち、長期的に見ると後者の方が正解になる率が高いのです。

 

稀に経営者が、

正しさを貫く

というような発言をしたりしますが、たいていの商売人はこのジレンマに向かい合います(saionji, 売上と正しさのジレンマ)。おそらくこの手の発言は、より高次元・抽象度の高い視点・未来視点で物事を考えて、あるべき姿を志向して顧客をリードしてきたビジネスマンから出る発言です。起業家や経営者が宗教じみたことや哲学じみたことを語りがちなのは、創造主特有の課題とぶつかるからなのです。

たいていのビジネスには守るべき社員、支払うべきコスト、やらないといけないことが目白押しの中、ビジネスマンは葛藤します。

 

ここで登場するのが、

  • 信念なきマーケター
  • 信念のマーケター

という概念です(saionji,2019)。いわば、売上を上げても費用支払い・税金支払いをするわけで、その後に再投資をするわけですから、ビジネスを繰り返すことに変わりはありません。結局ここにあるのは継続性です。稼いだお金は焼石に水のように溶けていくわけで、実は短期的に見れば目先の収益にあまり意味はなく、もっと根幹的に大事な価値はそのビジネスが社会に根を張ることです。つまり社会的に受容されて定着することです。

この継続活動を通して、何を実現したいのかという一段上のフィロソフィーがあるマーケターと、無いマーケターがいますが、前者の方が残るでしょう。なぜなら、それこそが受容されるかどうかの鍵であるからです。

この哲学があるマーケターは、客を切ることができます。

この視点は、ゼロから立ち上げた創業経営者にしか持てないものです。創業経営者が若干宗教じみている、ビジョナリーなのにはわけがあります。逆に、サラリーマンのハシゴを登った人や、会社を転々とするタイプの人たちは売上アップや利益獲得などのミッションに追われている人たちですから話の内容がテクニカルな傾向があります。事業を立ち上げたことがそもそもないのでわからないのです。

昨今はこの、根幹にあるものが重視されている時代だと言えるでしょう。熟練の経営者などが、起業したいと言う20歳の若者に対して、

で、君は何したいの?

と尋ねる場合、『モルディブに行きたい』とか『ハワイに行きたい』とかそういうことを聞きたいのではなく(そんなことは成功すればついてくる副産物なので質問する必要は実はない)、君はどんなことを実現したいのということです。

たとえば、先ほど、30歳以上の美について触れましたけれども、私は30歳以上の美というものは内面的なものが多分に影響すると信じています。よって、私が30歳以上の美を訴えるにあたり、化粧品ビジネスを選択すると業態的にミスマッチングが起こります。このようなチグハグな状態では、後に空中分解が起こってしまう可能性があります。

 

起業したい20歳の若者はお金が欲しい。あるいはそのレベルと同等の精神状態にある人間も同様です。しかし、ここに対して『何がやりたいの?』という問いが投げかけられることの背景にあるのはそういうことです。逆に、お金の稼ぎ方が知りたい、マネーマネーした話がしたいという場合は、いくらでもその手のネタは世の中に転がっています。しかし、そこに流された人間は刹那的な商売人人生を送ります。なぜなら、その人もその人に対応する需要者も、短期的な視点で目先の事に駆られてレスポンスしていることに変わりは無いからです。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。