メルマガ17

 

▶︎第0部 : 西園寺のつぶやき

 

私、女性と話をしている時に、よくこういった類のことを言われるんですよ。

 

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周りの男たちはヤリモクで・・・発情してて・・・「そういうことばかり」考えてて・・・・

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これ、日本人にも外国人にも言われるんですよね。

 

先週かな?最近も、アメリカ人の女性に、そういう話をバーで延々聞かされてた。彼女、今日本にいるんですけど、日本にいてすごいナンパされるらしいですね。在日の外国人に。

で、なんか、「そういう感じ」で「ダルイ」みたいな話を、延々聞かされていました。

 

なんか知らないけど、そういうことを聞かされることが多い。

 

で、一通り、「ウンウン」って黙って聴き終えた後に、

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あの〜〜・・・私も(そこらへんの男と)変わらないんですけど・・・・

「エロ全開」なんですけど・・・・

願わくば、いつも「穴があったら入りたい」と思っているし、街ゆく女性の谷間という谷間、脚という脚を見ているんですけど・・・・

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って感じのことは、打ち明けてます。

 

口が裂けても、「わかるわかる!ヤリモクって嫌だよね!」とか言えません。

ヤリモクの塊ですから、私は。

 

もちろん、その相手と、場の空気によるけど。

そのとき、そういう話をしたら、すごく雰囲気をぶち壊すとか、気分を害するだろうな、「この人怒るだろうな」って時は言わないですけどね。

まぁ、場合と順序にもよるけどね。

 

女性にそういう「ヤリモク男に辟易しているわ的な話」をされるたび、

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「あの〜〜〜・・・・私も・・・・、男の中でも結構、性欲というか性癖というか、そういうの、だいぶひどい方なんですけど・・・・同じ穴のムジナなんですけど・・・・」

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ってのを、いつも、打ち明ける。

その度に、気まずい気まずい。笑

 

 

世の中の男性って、大きく分けて2通りに分かれる傾向があるようです。

  1. エロをガンガン押し出している人
  2. エロをうまく押し出せない人

 

女性は「ヤリモクはファ●ク」とか言ってますけど、それ、文字通り解釈する必要ないですよね。だって、そういう人たちも然るべきタイミングで、ヤリモク男と出会い、然るべき人とヤッテルんだから。笑

 

みんな、仮に性欲があるとすると・・・・論点は多分、「ヤリモクかどうか」じゃない。

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「オファー(取引提案)の仕方」

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の問題だと思うわけです。

これ、商売もセックスも同じじゃないですか。

 

世の中の商売を指差して、「利益至上主義・・・・」「金儲け主義・・・・」とか言っている人いますけど、それって、言葉通りの意味ではないはずなんですよね。

だって、資本主義ですよ、この世界は。

全てのビジネスは「営利目的」なんですから、みんな利益至上主義・金儲け主義みたいなところはあるはずです。

 

っていうか、この世界の全ての人間はご都合主義ですよ。基本。

男性もそう。

ヤリモク・ヤリモクじゃないとかの論点以前に、みんな性欲あるでしょ。エッチしたいでしょ。

 

問題は、オファーの仕方だと思うんですね。

論点はそこなんですよ。

 

だから、人生において、「欲しいものを手にいれる方法」をわかっておくことは重要です。それって、「オファー」の仕方だと思う。

 

女性とエッチしたい。

お金が欲しい。

 

こういう時、「取引」しないのなら、レイプするか強盗するかの2つになります。言うまでもありませんが、この2つは法的にも倫理的にも社会的にもアウトです。

 

金が欲しい、は全然よろしい。でも、強盗したらダメなんです。

セックスがしたい、は全然よろしい。でも、レイプしたらダメなんです。

 

じゃあ、どうするか。

「取引」するしかないんですね。

取引を持ちかける必要があるんです。

セールスしないといけない。

 

つまり、「取引提案(オファー)」が必要なんです。

 

 

商売にしろ恋愛にしろ、然るべきタイミングで、「オファー」できないと、対価は得られません。

そして、オファーというのは一定の確率で避けられたり、嫌われたりします。

 

そりゃー、買ってくださいとか、ヤらせてください、みたいなものは、常に相手を悪い気分にさせるリスクがつきまといます。

基本的に、営業の類は全部そうですが、「嫌われるリスク」があるんです。

なので、嫌われるのを怖がっていると、異性も口説けないし、お金も得られなくなります。

もちろん、できることはやり尽くす必要がありますが、「営業の類が全部ダメ」「口説きの類が全部ダメ」という人間も一定数いるので、基本的には営業は嫌われます。

 

嫌われるのを恐れていると、オファーできないじゃないですか。

 

然るべきタイミングで、然るべき場面で、

「買って下さい」「やらせて下さい」「ホテル行きましょう」

と言えないと、ダメなんです。

 

CTA(Call to action = 行動の呼びかけ)ができないとダメなんです。

 

商売にしろ、異性交遊の類にしろ、失敗している人は、

  • CTAをひたすらやりさえすれば良い(乱発すれば良い)と思っている
  • オファーのやり方が絶望的に下手
  • CTAをしてない(オファーしてない)

という特徴があります。

 

西園寺さんは、女性と接している時に、いつも下ネタ振ってますよ。そして、しかるべき時にはちゃんと誘います。

先ほどお話しした、外国人女性との会話でもそうです。

 

「結局、お前もエロいじゃねぇか!」

 

って言われること必至。

でも、西園寺さんは「あなたならいいわよ(ハート)」ということを、至る場面で獲得してきているから、欲しいものが大体手に入ってきている、というわけでございます。

 

そして、そこには信用が必要です。

なぜなら、世の中、欲しいものを他人が持っている以上、何かが欲しい際には、レイプしたり強盗したりした方が短期的には手っ取り早いように思えるし、実際、アホな人はそれをやってしまいます。また、世界的に、20世紀がそういう時代だった、というのもありますよね。

そういう現実があるのを世の中の人は知っているから、人は、本能的に危機回避しようとしている。そういう「危ないモノ」を警戒している。防衛本能ですね。

だから、何かしらの動機を持って、近づいてくる人や広告が全部怖い。これは人間心理の基本です。ナンパされる時もセールスされる時もぜーんぶ一緒。一見すれば、意外と区別はつかないですからね。

 

だから、オファーと信用が必要です。

となると、基本的に、最初のオファーですべきことは決まっています。

信用を得ること、です。

価値を与え、信用を得て、継続的な関係が持てるようにすること。

 

そのために、

  • フリーミアム (お試し、無料期間、無料プレゼント)
  • フロントエンド (低価格商品、採算割れ商品、客寄せ商品)
  • リスクリバーサル (相手のリスク回避)

というオファーを用意するのは、「DRMの基本」です。

 

まず、「価値(バリュー)」が必要ですよね。商売するにしても、女性口説くにしても、何かしらの価値が無いとダメなわけです。

価値というのは、人のニーズに応えるものです。

そして、価値を用意したら、今度は「取引提案(オファー)」が上手にできるようにならない。そして信用を得ないといけない。

 

ただ、忘れちゃいけないのは、オファーどうのこうのの前に、

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売れない相手には売れない

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し、相性の問題もあるということを忘れてはいけない、ということ。

費用対効果の問題もあるから、一番大切なのは「人の見極め」なんですけどね。

 

上手に人を選べるようになって、上手にオファーできるようになると、人生、楽になりますよ。

欲しいものが手に入っていない人って、

 

  1. 付き合う人間を間違えている
  2. オファーが下手くそ
  3. オファーしてない

 

のどれかですからね!笑

 

・・・・・・・・・・あ、その外国人女性と最後にどうなったかって?

 

ヤッタわ。

 

はっはっはっ。

 

外国人女性に、ベッドで、

Come.

とか

Hold me.

とか言われたことありますか。笑。

 

(もうちょっとレディーファーストができるともっとモテるようになるよ、ってお叱りのお言葉を頂きました。笑)

 

 

 

▶︎第1部 : お金について

 

私、持論なんですけど、「お金は使った方が良い」って思っているんです。

なんででしょうね。

 

使ってないと、お金の感覚が悪い。

すごい悪くなる。

 

以降、それっぽい理由をつらつら述べますけど、実際のところは、金使うのが「気持ち良い」「楽」「ストレスがたまらない」ってのが大きいんでしょうね。

基本、私、アホなので、何も考えたくない。

 

生産って、基本的には他者に迎合する行為ですけど、

消費って、基本的には自分勝手に、自分のために行う行為です。

 

なので、生産(働く)というのはストレスが溜まり、

消費が気持ち良いっていうのは当たり前のことなんですね。

 

金稼ぐより、使う方が好きでしょ、みんな。笑

(たまに、これが逆転している人がいますけど、そういう人はもう、天職でしょうね。)

 

プロ野球の大谷さんなんか、全然金使わないらしいですね。

化け物だ。

野球がめちゃめちゃ趣味。

趣味をやったらめちゃめちゃ稼げてしまう。

で、稼いだお金の使い道は特になく、強いていうのならコンビニのクレープ(らしい)。

これが、「才能がある人間」の実情なんでしょうね。

あぁ、ああいう人を見ると、自分という人間は霞みますねぇ。

 

「馬鹿みたいに浪費せず、計画的にお金を使う」。

貯金する。

こーゆーのは、今の日本ですごい奨励されている生き方ですよね。長期的な視野を持った、分別がある大人、みたいな。

でもこれって・・・・、やればストレス溜まる。私の場合はそうです。

でも、「あれ欲しいー」とか「そこ行きたいー」っていう気持ちに従って生きていると、やっぱりストレス溜まらない。気持ちいい。

 

だから、やはり、消費したいな、と。

 

金は使った方が良いと自分に言い聞かせています。

実際、自分も実行しているし(高校時代はキャバクラやパチンコや奢りで散財、高校卒業後は自己投資でクレカ切りまくって借金パラダイス、その後も情報やリサーチ、マーケティングテスト、風俗などで散財)、周りにも言っている。

別に、浪費のススメではないんです。

ただ、あまりにもお金に執着すると、大切なものを見失うよ、と。

 

私の知人も、「迷ったら買うんだよ!」とか、「金は貯めてもしゃーない」とか「天下の回りもの」みたいに言っている人がいます。

 

もちろん、お金持ちの人の中に、「お金は使うな」って言っている人もたくさんいます。でも、彼らの言い分を要約すると、要するに、

  • 貯金しましょう
  • 貯金して頭金を作ってそれで融資を引き出して投資しましょう
  • 貯金して株やりましょう、投機やりましょう
  • 投資信託やりましょう
  • そのお金、使わずに●●に投資すれば、何十年後に●●になりますよ

みたいな感じなんですね。

 

お金でお金を増やすゲームをやっているから、お金がないとお金稼げない。だからお金使うな、と。そういうお話ね。

そういう話を聞くたび、思う。

 

「お金好きなんですね(笑)」って。

 

私の場合、そっちの路線はあまり興味なくて。

ユダヤ人のように、お金が無いところからいつでも再起できるような力こそ、最強の生活保障だ、みたいな感覚が強いんですね。で、そういう安心感があるからこそ、人生楽しめるんじゃないの、的な?

(まぁ、単純にお金を使えない人生が嫌なんだけど。)

だから、そういうことができるためには、世の中の商売を知ったり、知識を蓄えないといけない、見識を広げないといけない、みたいな感覚が、私は強い。

 

私がもともと貧乏だったからというのも大きいです。親の所得は大したことないし、小さいころから「無駄遣いはやめなさい」とか「うちにはお金はありません」とか言われながら育つわけです。周りの家庭と比較して、自分の家庭のお金の無さとかに凹んだこともありました。

親が、お金のことで元気無さそうにしてたり、悩んでそうにしているのも見ているわけですよ。

そんな中で生きてたら、そういうマインドが移りますね。

 

でも、高校生になって、バイトができるようになって、一気にお金の価値観変わった。

そりゃそうですね。で、バンバン使ったんですよ。これまでの鬱憤を晴らすように、お金を使いまくったわけ。そうすると、新しい世界が見えたり、新しい気づきが得られたり、世界が変わって見えました。

もし仮に、そういうことをせずに真面目に勉強していたら。そして、将来の安泰とか考えて、無難な職に就いてたとしたら。

 

きっと、お金は使わずに、コツコツ貯めて、堅実に生きる人生を送っていたと思いますよ。守り、というか。

私の金銭感覚を狂わせたのがギャンブルと夜の産業の世界、それとバイク関係の出費でしたね。でも、そこからいろんなことを感じたし、いろんなことを学んだんです。高校生の時は、すでに金銭感覚はおかしかった。

出ていくお金を埋め合わせるようにして、働きまくる中で、いろんなことにも気付かされましたし、お金についても考えるようになりました。お金について考えるようになるから、キャリアや人生についても考えるようになります。

 

今でも、インパクトが大きい学びは、「買い物の瞬間」から得られることが多いです。何かを欲しいと思う気持ちであったり、買うかどうか考えている時の気持ちであったり、そういうものは・・・・実際に体験しないとわからない。

 

そうやって生きて、考えてきた結果、悟ったことがあります。

それは、「お金は大したことない」ってことと、「お金で得られるものは大したことない」ってことの、2点です。

 

こんなことを言うと、いろんな人から反感買いそうです。

でも、今でも思いますよ。

お金で得られるものには限界があるなぁ、と。

 

小学生の時は、1万円って神の紙幣じゃないですか。

でも、大人になればそんなに・・・・っていう。

ですよね。

結局、その感覚の繰り返しだと思うんです、私は。

どこまで行っても。

 

すっごいお金がなかった時代、お金の奴隷として嫌な働き方をしまくっていた時代、そこそこお金が使えていた時代、お金を自分の力で稼げるようになってからのこと・・・・・、海外の人のお金の捉え方に触れたこと、・・・・・・そういう、いろんな経験をすると「お金の価値観」って、歪む。変わる。

そーゆー経験をしてきた結果、至っている結論なんです。金は使おう、と。

 

そもそも・・・・ですよ。

小学生時代、中学生時代、高校時代、大学時代、社会人・・・、それぞれ振り返ってみたとき、一番インパクトがあったことってなんだろう?って思うんです。それぞれの時代で、一番インパクトがあったこと、嬉しかったことって何かなぁ、って。

 

・・・・・そうしたら、「ほんのわずか」しか浮かんでこないんですよね。

もちろん、それぞれの場面でお金は使っているはず。お金は動いているはず。それでも、インパクトがあったのはわずかなんです。

それ以外のことにも、お金、使ってきているはずなんです(親が使った金も含め)。たくさん、お金を使ってきているはず。それでも、「おー!」ってなったのは僅かなわけですよ。

 

人生、こんなもんかい、って思っちゃうけど・・・・・。笑

 

私、もともと生きていて、「面白い」とか「嬉しい」とか、「楽しい」「ヤバイ」とか感じることがそんなに多くなくて。

学生時代から、周りがキャッキャキャッキャしているのを見て、「あれ?何が楽しいのだろうか?」とか考えちゃうタイプだったんですね。

だからこそ、孤独感みたいなものもあったんですけど。

そういう性質なせいかはわかりませんが、人生でインパクトがあったことってすっごい「僅か」なんです。マジで、そんなに無い。

 

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「おいおい、嘘だろ、まさか人生ってこのまま、つまらないのが延々続くのか・・・・」

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なーんて思ったりして、焦りに駆られたことがあったのも事実。

 

お金使っていると、こう、なんというか、良い意味で、欲望が落ち着きますよね。

「あれ欲しいー!」とか

「あそこ行きてぇー!」とか

人って思うわけです。でも、そういうのって、実際やってみると、「まぁ、こんなもんか」ってなっちゃう。

 

そうやって欲望を落ち着けるからこそ、思考が洗練されて、見えるものが出てきたりもすると思います。

私が、10代は刹那的に生きた方が良いと思う理由はそこです。

 

お金で得られるものは大したことないから、「お金は使わないでおこう」ってなるのか、って言ったらこれまた違うんですよね。

お金に執着していると、お金が減るのが嫌になるじゃないですか。お金にあまり重要性を見出しすぎると、減るのが怖くなる。でも、お金は生きている限り、減る。こうなってくると、生きるのが怖くなるんです。そして、老後とかが怖くなる。これが、世の中の人の抱えている恐怖です。

お金が減るたびに心をすり減らす。

そーゆー生き方が嫌。

 

自分の中におけるお金の重要度が大きすぎると、他の大事なものをたくさん失う。

お金に執着するから、チャンスが掴めない。お金に執着するから、お金に対する欲が別の欲・願望を打ち消して、自分が本当に何がしたい・欲しいのかをわからなくさせる。お金に執着するから、焦って変なことをしてしまう。お金に執着するから、お金に余裕がある人たちの感覚がわからない。お金に執着するから、萎縮してしまって余計に厳しい状況に追い込まれる。お金に執着するから、やりたく無いことを我慢してやらざるを得ない。

 

そういうのが、嫌。

うーん、まぁ、ここらへん、うまく説明するのが難しいんですけどね。

そもそも、節約とか貯金、節税で、お金の問題が根本的に解決するはずがない。だから、使うお金をセーブしようとか、セーブすることでお金の問題を回避しよう、というのは、根本的に、違う。稼がなしゃーないわけで。稼げるようになるためには、実際に使ってみないとわからないわけで。

 

お金というのは、カルトです。

特に、貧乏な人にとっては、お金というのは恐怖の対象、デカすぎる悪神みたいなもの。

親がお金のことで揉めているのを夜な夜な盗み聞きし、お金のことで友人の家庭に対して自分の家庭に劣等感を抱き、お金のせいで自分の人生を安売りし・・・・・みたいな人生を送ってきた人にとっては、

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お金は怖い、お金は強い、お金が全て、お金があれば・・・

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みたいな感じで、お金に対する信仰が膨らんでいるはずです。

 

そんなことないって。

 

家買って?

車買って?

旅行して?

 

で?

それで?

 

それが何?

 

私は、お金というものと向き合ってきた結果、結構早い段階から、「金は使わなしゃーない、使ってナンボ」と思ってきました。お金を使うからこそ、対価としての価値が得られ、その価値の蓄積が明らかに何かを変えていく。

そもそも、単純な算数すれば、いくら支出をセーブしようが、貯金しようが、経済面で根本的なチェンジが起こらないことも、幸い、若い頃から勘づいていました。

 

お金で何がしたいと思うのか。

お金についてどう思うのか。

 

これは、人それぞれです。思想信条の自由です。ダイレクトに個人の価値観に結びついてくることなので、当然、個性が重んじられるべき領域だと思います。

自由に考えましょう。

どう生きたいのか、何を求めているのか、どうなりたいのかは人それぞれでしょうしね。

 

私は、若い頃から、お金使ってて良かったです。

特に、ビジネスをやろうと思えば、世の中の人の欲望を理解できないといけないのですが、お金に執着ばかりしていると、「お金を手放さない人の気持ち」「財布の紐が固い人の気持ち」「ケチなマインド」しか理解できなくなります。

 

ーーーーー

なんであの人はあんなものにお金使うんだろう。馬鹿だなぁ。

(お金使わない俺は賢い)

ーーーーー

みたいな発想で生きていると、全方位に対してお金を使うことに慎重になりますね。お金を使うのはある意味、騙されることだと考えているから。

お金を使わないことが「善」と考えている人がビジネスをやると、人からお金を取ることは、イコール、相手に「善じゃ無いこと」を押し付ける、みたいな感じになるでしょう。なりがちでしょう。

セールスに無駄な罪悪感を感じる。

こういう人が自分でビジネスをつくるときには、やっぱりカモる発想になりがちだし、その人自身に「需要者の気持ち」が理解できないから、よほど、テクノロジーやエンジニアリングで突出したものが無いと、稼げるビジネスはつくれないんじゃないかな。

人の気持ちがわからない人がビジネスで成功する方法って、すごい技術があって、たまたま、時代の波に乗って良いシステムを構築できたとか、そういう場合に限るでしょう。だって、なんで売れるのかわからないんだから。

 

実際、私が見る限り、「お金は使わない方が良い」というスタンスの人で、かつ、その人がビジネスをやって成功している人の場合、その人のマーケティングスタイルを観察していると、人の気持ちをつかめているというよりも、割と荒っぽい広告の打ち方が勝因であったり、低価格路線、確実に需要があるものに工夫を加えたという競争優位上の理由、参入障壁が主な収益の源泉になっているビジネスをやっている・・・・・・・・・

という感じで、「人の心を捉える」という次元で、うまくやれている感じはしません。

 

そういう感覚だと、誰かに何かを売るのが難しくなります。

売れるというよりも、売ってる感じ。

新しいビジネスチャンスを思いつくのも、難しくなる。

 

私は、マーケターなので、世の中で売られているものの「価値パターン」を体感で理解しないと話になりません。だから、欲しくもないものを買ったりしてるんです。それぐらいやっているんですよ。

占いに全く興味ないのに受けてみたり、欲しくもない鞄買ってみたり、女子の行列ができているところに1人並んでみたり。

 

「売るための戦略を理解するために・・・」とかじゃない。

私がやっているのはそういうことじゃなくて、「何が嬉しいのか、喜ばしいことなのか」という心理面の理解ですね。

 

女の子が、わーきゃー言っている商品・サービスを一緒に体験して見るわけです。彼女の心のバイブス、ビーティングがなるべく自分も共感して感じられないか、と試行錯誤している。

そんな感じ。

 

 

 

▶︎第2部 : 世界について

 

今日は、お金の話でもあるし、人生全般に応用できる話でもあります。

それは、ズバリ、「評判」の話です。

 

なんか、日本人って評判を気にしすぎているフシがあるんですね。人目を気にしているというか?

そのせいで、あんまり上手に生きれてない、楽しく生きれてない感じ。

 

もちろん、自分に対する評価・評判ってすごい大事ですよ。大事。

 

でもね、その評価・評判が、世の中ではケッコーいい加減だったりするのも事実だし、それに振り回されていてもしゃーないのが人生ですよね。

だから、人生の早いうちで、さっさと「原則」みたいなものを作っちゃった方が良いと思うんです。自分らしさというか、マイルールみたいなもの。自分の物差し的なやつですね。

 

で、それに従って生きる感じ。

評価・評判みたいなものは、その原則に対して得られるようにしたら良いんじゃないですか。

 

私が常に意識していることをお話ししますね。

 

まず、人に好かれる・嫌われるってすごい難しい問題なんですよね。すっごく移ろいが激しい世界なんですよ。こんなものの上に、根ざして生きる人生って辛い。そこの上に成り立って生きる世界ってマジで辛い。

だから、人気商売って難しいわけですね。人からの水モノの評価をあてにして生きる人生って、ストレスが溜まるわけですね。

 

じゃあ、どうしたらいいのか。

私が意識しているのは、

ーーーーーーー

接する相手にメリットを与える

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の1点です。

 

もう、これは、この世界をサバイブする上で、ずーっと使える「生き方の軸」になるものです。

 

もちろん、誰かれ構わずメリットを与える必要はありません。

滅私奉公に邁進する必要はありません。

そんなことをしていたら疲弊するでしょう。

無理なGiver行為は、めぐりめぐって自分を苦しめることになります。

 

なので、

  1. 自分にとって得意、楽なGive行為 (しかし他の人はすごい感謝する)
  2. 実際に需要されているGive行為 (おまけに他の人がしない、できないことなら尚更良し)
  3. Giveの対象を選ぶ

ということを意識しながら、上手に「自分」と「社会」の接点、交点を探っていくと良いと考えています。

 

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汝を知る(己を知る)

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ということがとても大切です。

 

基本的に、世の中に生きる人々というのは、個人的な関係がない限り、「こちらに対して興味もないし、信用もないし、こちらに対して何かをしてくれるというわけでもない」っていうのが現実なんですね。

現実を直視してればわかりますね。

誰も助けてくれませんよね。誰も自分になんて興味持ちませんよね。

 

これは悪いことでもあり、良いことでもあります。ほら、田舎の村社会が嫌で、都会に出る人とかは、都会に「無関心さ」を求めて上京したりするんですよ。

田舎じゃあ、誰かが親切を振り向けてくれることもあるけど、それって他人に対する関心が強いってことでもあるので、変なことしてたり、変な人間だったりすると村八分に遭いやすいってのも事実です。

 

都会の殺伐さというのは、ある意味、心地よさでもあったりする。

まぁ、一長一短ですね。

 

何が言いたいのかっていうと、とりあえず、状況的な特性がある場合を除き、基本的に人は、

ーーーーーー

他人に関心も持ってないし、信用も寄せてないし、他人のために行動しようとも思ってない

ーーーーーー

ってことです。

 

もし、それがあるとしても、それは「共同体意識」がある場面、「親切さの互恵作用が機能しているコミュニティ」、「暗黙の了解がある世界」に限ります。あるいは、「(社会風潮や学校教育などによって)教育された」とか、その人個人のパーソナリティに根付く優しさ・親切心とか、そういうものがある場合。根っからの良い人、親切な人、余裕がありすぎて暇な人とか。

 

でも、基本的に、全ての人間は利己的な存在です。

程度の差はあれ、人は利己的です。

 

これは、とことん現実を見て生きていたらわかるはずです。

 

だからこそ、ですが、

ーーーーーーーーーーー

他人の立場に立ってものを考え、

他人のために何かをすることができる

ーーーーーーーーーーー

のであれば、それなりに感謝されたり、興味関心を集めたり、信用されたり、対価を得られるのは当然なわけです。

それがその対象の人にとって、インパクトがあることであれば、対価も大きくなります。

だから、稼げます。

 

で、勘違いされることが多いのですが、

「有能な人」「すごい人」「権威ある人」

というのは注目を集めますが、結局そこに注目が集まる理由というのも、人間の利己性が関係しています。

 

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「みんなが有能と崇めている人をマークしておこう」 → 「そうすると社会におけるヒエラルキー、ピラミッドが理解できる」 → 「その中で、自分は、自分の身の程にあった振る舞いができるようになる」 → 「社会から省かれない」 → 「自分の身の安泰が保たれる」

ーーーー

ーーーー

「みんながすごいと思っているタイトルを持っている人と仲良くしておこう」 → 「彼らは権力者だから、仲良くなっていれば自分に良いことがあるはずだ」→ 「自分にメリットがある」

ーーーー

ーーーー

「みんながすごいと崇めている人をマークしておこう」 → 「すごい人をマークしておくと、自分もすごい人から何かを得られる・学べるかもしれない」 → 「そうすると自分にメリットがある」

ーーーー

 

こんな感じ。

結局は受け手にメリットがあるわけですね。

 

知ってましたか。youtuberがなぜ、ティーンに人気なのか。

某局の某番組の調査結果によると、

ーーーーーーーーーー

youtuberを観ておくと、

学校の友達との会話についていける、会話のネタになる

(youtuberが取り上げるネタは、多くの人にとって親近感がある)

ーーーーーーーーーー

だそうです。

これ、仕事上での雑談ネタを求めて、ピケティ本を読むサラリーマンと全く変わりませんよ。

結局、崇められている、持ち上げられている人には、何らかのメリット発信があるということですね。

 

ただ、世の中には根強い支持と、移ろいが激しい支持があります。

社会的なシグナルのみに頼る支持だったり、人気商売などは移ろいが激しい支持だと思います。

なので、「前の世代のスーパースター」が、「次の世代の悪者」に変わりやすいのも理由がある。「社会的なシグナルだけ」だった人が、それを失ってしまうと、すぐ手のひらを返されてしまう。

 

社会的なシグナルというのは、それが「誰かの利益」に結びつくことが連想されて意味があるのであって、「社会的なシグナルそれ自体」に価値はありません。

なので、それだけに依って生きるのは、ある意味で権威主義的な発想です。

 

人間って、

ーーーーーーーーー

なんとなくすごそうだから

ーーーーーーーーー

と思って崇めている対象については、割と飽きがくるのも早いし、今まで散々ヨイショしていた分、もしその人が落ちぶれた場合には

「徹底的に叩く」

傾向にあります。手のひらを返します。

 

もともと、みんながすごいと思っていたから崇めていただけだし、なんとなくすごいと思っていたからその人の言動や振る舞いを許容していたけれど、その人が地に落ちれば、溜まっていたイライラが蒸し返してきてやり返したくなるわけですね。

もう用はないぜ、ってスルーする。

 

これが、人気とか評価・評判の難しさなんです。

  • あいつは「起業」したからすごい
  • あいつは「難しい資格」を持っているからすごい
  • あいつは「美人」だからすごい
  • あいつは「大きい会社」に入ったからすごい

みたいな感じで持ち上げられている場合、例えば、「倒産」「時代の転換によって資格の価値が下がる」「老化」「失業」みたいな場面になると、手のひらを返したような扱いを受けやすくなります。

 

総攻撃を受けやすい。

 

私自身、自分の人生において周りの評価の「上下動」みたいなものをすごい体験してきました。

で、人の評価の移ろいが、切ないものだってのはよくわかっています。

 

こんなものに振り回されて生きるのって、馬鹿馬鹿しくありませんか?

でも、かといって、「嫌われる人生のススメ」みたいな本を読んで、それを愚直に実行して嫌われまくった先の人生が「怖い」と考える人も多いのではないでしょうか。

日本には、「人の目」とか「評判」とかを気にして生きている人が腐るほどいると思いますけど、その人たちは、日本社会の「村八分精神の怖さ」をよくわかっているはずなんですね。

 

だって、大なり小なり、社会に迎合して、自分を押し殺して生きているわけでしょ?

 

やりたいことができていない、自分の人生が辛い、生きづらい、息苦しいって思っているのは、「子供のように生きている」わけではなくて、「大人のように生きている」と思うわけです。

で、大人のように生きているってことは、自分を何かしら、自制しているはずです。

 

自分を抑えている。

我慢している。

何かに従っている。

 

それは何のために、っていったら、「生きるため」でしょ。

社会に迎合するためでしょ。

 

そして、実際にそうやって生きている「からこそ」、人目を気にしないで変なことを始めたり、レールから外れることの怖さをわかっているはず。

 

余計なことをしたら、今の不自由さがますます加速する。

自分らしく生きるつもりだったのに、ますます自分らしく生きれない人生になる。

そうわかっているから、人目を一生懸命に気にしているのだと思うんです。

 

そういう考えで、自分らしく生きることを怖がっているはずなんです。

躊躇している。

 

外国の人間が、自分らしく生きれている理由は、

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俺は自分勝手に生きてお前に迷惑かけるけど、

お前が俺に迷惑をかけてきたときはお互い様だぜ

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っていうような空気があったり、

あるいは、日本のような「親切心」「相互扶助の精神」「互助会的な場面」「共同体意識」が無かったりすることが多いからでしょう。

個人主義が徹底されている場合だってあるしね。

 

私、今から、生きる上ですごい重要なことを言います。

 

本当に、人によっては脳天に衝撃が落ちたような感覚を覚えるかもしれないことを言います。

 

いいですか。

 

子供と大人の違いって、「社会人であるか否か」だと思うんです。

で、社会人とは何かというのは、「社会に何らかの形で接続して、社会に価値を提供している人」だと思うわけです。

で、これは、例えば、社会人として働く旦那のために、アシストしている専業主婦とか、社長としてバリバリ働いている人の愛人になって性欲を満たしてあげている人とか、そういう「間接的な貢献」だってもちろん、カウントされると思います。

要するに、大人と子供の違いって、「社会に接続して、価値提供していること」なんですね。

直接か間接かは問わず。

 

(別に、ニートが悪いって言っているわけじゃないですよ。今は、経済社会的な観点で話をしています。)

 

でも、学生までの間って、そういうモノが無いんですよ。

 

・・・となると、学生時代における生き残りのルールって何か知っていますか?

 

それは、

ーーーーーーーーー

嫌われないこと

ーーーーーーーーー

です。

 

周りと仲良くすること。

お友達と仲良くすることです。

先生と仲良くすることです。

 

つまり、学生同士の派閥、スクールカースト、友達関係、何でも良いですけど、人間が集まっている場というのは、必ず「コミュニティ」として機能しているはずですが、そこで嫌われないってことです。

このコミュニティから、はぶかれるとどうなりますか。

生きていけないですよね。生きづらいですよね。

 

授業中寝ちゃって、みんな移動しているのに起こしてもらえない。

先生や教授の話を聞き逃しちゃったけど、友達がいなかったら情報がもらえない。

1人でご飯を食べるしかない。

体育の授業でチームスポーツをやるとき、自分だけ所属チームが見つからない。

学校の先生から嫌われて、見世物にされてしまう。

 

何でも良いですけど、学生時代の基本ルールってのは、「嫌われない」ことです。

嫌われると、生きていけないから。

学生社会で生き辛いから。

 

でも、社会人になるとゲームのルールが一気に変わります。

 

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社会に接続して、社会に対して

何らかの価値提供をしている人が社会人

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なのです。

なので、ものすごい雑なことを言うと、人付き合いがクソで、性格が悪くて、人の悪口ばっかり言って、悪態ついているような人でも、社会に対する貢献が大きければ重要人物として扱われ、生きていける、良い生活ができてしまうのが社会なのです。

スティーブ・ジョブズの人格がおかしかったのは有名な話ですが、あの人みたいになると、あの人間性のイカれ具合がすごいポジティブに受け止められてますよね。

実際、私も彼の歪んだ人格は、ポジティブに受け取っています。

 

彼が生んだ製品、彼が世界に伝えたこと、彼が世界に発信した生き様、そのインパクトたるや、ですよ。

ジョブズのスピーチに、どれだけ励まされたことか。

 

もうお気づきですよね。

 

人間が社会的な動物である以上、人生戦略は2つなのです。

  1. 価値提供をして社会に接続する
  2. 人に嫌われないようにする(はぶかれないようにする)

この2つです。

 

学生時代は、社会に価値貢献機能を果たしていないので、もっぱら、「2」の「嫌われない」が生き残りのための必須の戦略になります。

しかし、社会人になると、「1」の重要性が増すのです。

 

で、そこに真摯にフォーカスしている人は、嫌われる嫌われないはどうでも良いと思っています。目先のことはどうでも良いと思っている。

そんなことよりも、もっと大きな次元で、世の中に価値の一石を投じようとしているから。

 

人の評価・評判を過剰に気にし、生きていかないといけない根本的な理由。

それは、価値提供をしていないからです。

「嫌われない」、が自分の首の皮一枚をつないでいるから、ただそれだけです。

 

社会人になると、価値提供をしていないと、生きていけない。

しかし、「学生時代のルール」を引きづっている、それに頼り過ぎているわけです。「どこに入り、どこかに所属し、誰かと仲良くする・うまくやる」ことに頼り過ぎてしまう。

実際、大人になっても、「郷に入れば郷に従え」「人に好かれる」「人とうまくやる」ということを徹底して生きていけるエリアは沢山あります。

特に、日本の場合は「尚更」なのです。

 

でも、価値提供をしていると、話は別です。生き方が変わります。

人に対して与えている価値のインパクトが大きければ、そのほかの些末なことはスルーしてもらえます。

そもそも、100%の人間なんていません。

 

イタリアのベルルスコーニは愛人たぶらかしていたり、オバマに「日焼けしたハンサムガイ」とかヤバイこと言ってたりしてましたが、何で首相やれてたか、ACミランのオーナーやれてたかっていったら、政治力とかリーダーシップ力をイタリア人に認められていたからじゃないですか。まぁ、詳しくは知りませんけど。

トランプに関してもそうです。彼は大統領になる前から不動産ビジネスの成功者、リアリティショーの芸能人として超有名であり、彼のサクセスストーリーやキャラクターはアメリカ国民のほとんどが知っていました。あれだけ発言がやばくてぶっ飛んだキャラでも、女癖悪くても、リーダーとしての能力が高いと思われているから、あの地位にいるわけですよね。

 

iphoneを買うとき、その会社の創業者がもともとヤク中だったとか、障害者向けの駐車スペースに駐車しまくってたとか、女性を妊娠させておいて認知を拒否してたとか、そういうこと、気になりますか。

もちろん、不買運動とか起こる場合ってありますよ。特に日本の場合はそういうことって起こりやすい。ビジネスのトップの人間性とかがおかしかったりすると。

でも、iphoneを買っている人たちの中には、アップルがどういう会社なのかとか、スティーブ・ジョブズがどういう人なのかとか知らない人が沢山いるわけです。むしろ、知ってて、好んで買っている人だっていると思います。アマゾンを使っている人たちの中には、創業者が誰なのかとか知らない人が沢山いるわけです。

 

結局、価値提供していて、それがインパクトが大きければ、社会的には認められてしまう。

これが、大人社会と学生社会の違いかもしれません。

 

もし、あなたが社会人として生きていて。

すごいあなたのことを嫌っている人がいたとしましょう。しかし、そういう人たちに対して、率先して「利益提供」を行うと、大方の場合、すぐ仲良くなれます。仲良くなるというか、多少なり関係は改善されます。

結局、外交とかもそうじゃないですか。経済で結びついているじゃないですか。経済で結びついた後に、人間的な「好意」とかが芽生えると、絆は強いですよね。

もちろん、露骨な賄賂とかはNGでしょう。それっぽいことをやると、心象を害することだってあると思います。

 

しかし、基本的には、価値提供を行っていると、社会では生きていけるし、反対勢力や嫌ってくる人でさえも丸め込めてしまう場面って、多々あると思うんです。というか、そうじゃないと、「すっごいクズなのにお金がある、生きていけている」人たちの状況って、説明がつかないんですよね。

社会人になって、「何で金持ちに限って性格が悪い奴が多いんだ・・・」って思ったこと、ありませんか。

うちの社長、頭おかしいとか。

そういう人って、大方の場合、すごい自分に素直に生きていて、そうだからこそ、すっごいバイタリティがあったりするんですよね。情熱のパワーがある。エネルギーがある。で、ちゃんと価値提供するところはガツンとやってたりする。だから、性格は歪だけど、社会人として平均以上の稼ぎを得て、悠々自適に暮らしていたりする。

 

大人になって、過剰に人目を気にしてしまう理由は、シンプルです。

大人になっても、学生時代のルールを援用しているから。

その生き残りのルールに頼りすぎているから。

「嫌われない・ハブかれない」が、自分の生き残りのスキルとして、80%を占めちゃっているから。

それだけです。

 

もちろん、「人に好かれる・愛される」という特性で得た人脈を用いて、自分の商売に、お客さんを大量に呼び込むというような「集客活動」をした場合には、それは「価値」になります。

この場合、「嫌われない・好かれる」という人付き合い能力が、見事に価値に転化されています。

 

そういう意味で、芸能人などは、学生時代に自然とスクールカーストの上位にいたような、「華がある人」がなっていたりしますね。

(もちろん、学生時代、すっごい根暗だったけど、芸があった、芸を磨いて芸能人になったって人もたくさんいるでしょう)

嫌われない、好かれるというのも、とことん極めると価値になると思います。

 

もちろん、「人の利益になる生き方」をしていて、「評判(好かれる)」の両方もマスターしている人は、

「神かよ!」

ってぐらいに崇められるでしょう。

 

基本的に、この社会というのは、

「価値提供の有機体としての企業(概念)」

がアウトプットしたものが、市場でお金と交換されています。

 

その有機体に構成員として接続している人は、有機体が稼いできたお金から給料が支払われますね。

その給料はまた、構成員達がプライベートで支出するわけですが、それはまた、別のどこかの有機体に売り上げとして入っていくわけです。そこにはまた、社員さんがいたりするわけですよ。

この有機体の上層に行けば行くほど、「市場で自分たちはどう振る舞い、そして自社をマネジメントするか」という意思決定に近いポジションにいます。

で、この有機体の構築・仕組みづくり自体に、マネーやリソースを投じた投資家、あるいはオーナー社長がいる。

有機体の生存自体は、市場における人気投票というか、人々の自由行動の結果、生き残れるものと生き残れないものに分かれていきます。

 

船で例えると、社長が船長で船の先端にいる。そして外を、望遠鏡を見ながらあれこれ考えているわけです。方向性を決める。そしてその社長の後ろで、クルーに指示をしている人たちがいる。で、実際に船を漕いだり、作業をしているクルー達がいるわけですよね。そして、この船の製造だったり、人員のリクルーティングだったり、内装工事、燃料の購入などにリスクマネーを投じた投資家がいるわけです。

後悔に成功して宝島に辿り着くことができれば、みんながハッピーをシェアします。失敗すれば、そのプロジェクトは続きませんね。みんな職を失います。

  • 構成員として価値提供ができるようになるか。
  • 構成員の中でもマネージャー層として価値提供できるようになるか。
  • 構成員の中でも意思決定者として価値提供できるようになるか。
  • 有機体に投資をすることで価値提供できるようになるか。

 

これを、どこかの文脈で、応用的に実行できるようになることです。そして、昔は、そうやって役割が分業化されていて、分野ごとに長けている人たちが求められるようになっていましたが、ITや機械の進展で、

「作業」

みたいなものの価値が下がってきている。

 

なので、需要があるスキル、需要がある難しいスキル、実際に価値提供にダイレクトに影響があるスキル、稼げる人、有機体のトップとしての総合的な能力がある人、投資ができる人、・・・・・・・

そういうものが求められるようになってきている。

 

もはや、一人一人の人間が、「需要を読む、理解する」ということを求められるような時代になってきているわけですね。

 

先ほど、「嫌われない・好かれる」ということが重要だ、というお話をしましたが、「有機体に余裕があった時代」は、その中に構成員として紛れ込んでしまえば、なんとかうまくやっていけたわけです。

そういう時は、「嫌われない・好かれる」が重要になります。組織の中でうまくやる能力です。

 

しかし、有機体に余裕が無くなってくると、どんどん人員を放出するようになります。

人員の必要性も減ってきます。持ち場というか役割も減ります。

世の中の産業が、情報産業や知的生産に移れば、尚更です。

 

こうなってくると、一人一人が、「ビジネスセンス」みたいなものを求められるような時代に移行していくのは当然です。

雇われるにせよ、雇われないにせよ、需要を理解することです。

結局、「採用マーケット」を相手にするのか、「購入マーケット」にダイレクトにアクセスするのかの違いであって、求められるのはマーケティングセンスです。

 

 

 

▶︎第3部 : 人生について

 

 

「生きる目的」「人生の目的」みたいなものを、割と長い間探してきました。

一時期は、お金を稼ぐこと、自分の欲望を満たすことに向けたこともあります。一時期は、異性に向けたこともあります。一時期は、友人に向けたこともあります。一時期は、将来得るだろう家族に向けたこともあります。

 

でも、ある段階から気付いたことがあります。

 

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おそらく、その目的をどこにおくかで、

自分自身の活躍の規模が変わる

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最近、appleのCEO、ティムクックのスピーチを観ました。

テーマは、「生きる目的」について。

 

思わず、フックされましたね。

自分が考え続けてきたテーマだったので。

 

彼は、学生時代、生きる目的は大人になると見つかると思ったそうです。大学生時代は、目的は専攻にあると考えたそうですし、大人になるといい仕事を見つけること、昇進することに生きる目的があると考えたそうです。

が、どこにも答えは無かった。

 

そんな彼が、ようやく、納得のいく答えを見つけた瞬間があったそうです。

それが、ジョブズと出会った時。

 

ジョブズは、生きる目的について、何といったと思いますか。

 

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人のために尽くす

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これが生きる目的だと答えたそうですよ。

ティムクックさんは、ようやく、答えが得られたような気がしたそうです。15年来、探し続けた答えがそこにあった、との事。

さすがスティーブ・ジョブズです。神ですね。宇宙に衝撃を与えたい、とか言っていたのはそういう事だったんですね。

 

実は、私も、

「生きる目的」

のようなものが見つからず、若い頃から苦しんできたフシがあります。

 

ある程度、「これかな?」って思うものを見つけて、そこにひたすら向かっても、何か違う・・・・と感じるのを繰り返すわけですね。

そして、ある段階から、薄々気付いていたことがあります。

それは、

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人に尽くす以外、人生に目的などない

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ということです。

人に尽くして、喜ばれた瞬間に、大きな感動が自分の中に湧き上がる感覚があるのを、私は、歳を重ねる中で感じてきました。

 

生物学的には、特段、生きる意味なんて無いですよね。

食べて、ヤれて、寝れればそれでOK。でも、それで満足できるのなら、そもそも生きる意味なんて考えないはず・・・・です。

それを考えている時点で、ある意味、社会性があるかな、と。

 

その行為が、デカければデカい人ほど、社会的には大成功者になるんだと思います。

 

もし、自分を動物と定義するのであれば、食えればいい、ヤレればいい、寝れれば良い、で終わりますね。

でも、そうやって生きていても満足しないということは、やはり、人間はもっと、動物を超えた次元で、崇高な何かをDNAレベルで埋め込まれているのかもしれません。

 

だから、思うんです。

世のため、人のために働かない限り、自分のモヤモヤが完全に晴れることは無いだろうと。

 

そのインパクトが、社会的に意味あるもので、大きいものであればあるほど、やはりそれなりの精神的対価、感情的対価があると思います。

でも、そーゆーのって、中途半端に取り組んでちゃ、ダメだと思うんですよね。

 

はっきり言って、私は、今の段階では、

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世のため人のために尽くして生きています

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なんて、口が裂けても言えません。自分がそんな立派な人間だなんて思わない、思えない。

その意欲も能力も足りてません。まだ、何もやってません。

そして、そこに嘘をついて活動をするのは偽善だなぁ、と個人的には思います。まぁ、やらない善より、やる偽善なんですけどね。

 

生きる意味、目的、見つからないのなら、覚えておいてください。

 

あなたは、「食う、寝る、ヤる」では満足できない器の持ち主かもしれません。

あなたはもっと、社会に対して大きなインパクトを与えるために活動するべき存在、選ばれた人間なのかもしれません。

 

あなたが底辺でくすぶっていると自覚があるのなら、それは、あなたが本来は、もっともっと、大きなステージで活躍するべき器だから・・・・かもしれませんよ。

大きなことを考えてみたらどうですか?

世界に飛び立ってみてはどうですか?

 

私は、いつも考えています。

 

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「自分という人間」を使って、いかに「人の役に立てる」のか。

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目的は、「人の役に立つ」。

手段は、「自分という人間」。

 

当然、手段がしょぼいとできることは限られます。手段である自分自身が、人の役に立つことにフォーカスできるレベルじゃない煩悩だらけの人間であるのなら、絵空事になるでしょう。

目的がズレていても、当然、何も達成できませんね。

 

自分は、誰の、どんな役に立てるのか。

そのために、自分という人間をどうやって使っていくことができるのか。

 

生きるというのは、そういうことなんだと思います。

 

まだまだ、私は煩悩だらけな部分があるので、若いうちに、一通り自分の欲は満たしておきたいと思います。

あなたも、さっさと、自分の欲を満たせるぐらい、稼げるようになってください。それはイコール、その分、誰かに影響を与えるとか、価値を与えるとか、そういうことでしょう。

 

そして、自分の欲が満たされて、だんだん、考えが「社会貢献」とかに、強く向くようになって行ったら、それなりのことをやってみてはどうでしょうか。

 

私は、一体、何が人の人生に一番インパクトがあるのかな、ってのをいつも、よーく考えています。そして、わかったような、わからないような感じ?

いつもそうですね。

 

私がここでやっているようなことは、人生に対するインパクトがデカいと思ってやっているつもりではあるんですが、どうなんだろう。

飲食店とかやっても、そんなに人の人生にインパクト与えられないしね。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。