タイトルだけで痺れた。
内容で痺れた。
二度痺れた。
加藤典洋(かとう のりひろ)
1948-2019年.文芸評論家,早稲田大学名誉教授
による、
「」。
幕末、戦前、そして現在。3度訪れるナショナリズムの正体に、150年の時をへて我々は向き合わねばならない。その起源が幕末の尊皇攘夷思想である――。
2019年に亡くなっている著者が書き残した、日本人の正体。
福沢諭吉が西洋から帰ってきた時、尊王攘夷の志士が駆け回っていて、それを見た諭吉は
攘夷?できるはずがない
とバカにしていた。ある種西洋かぶれであった諭吉。海外と日本の差をわかっていた。しかしながら、日本列島は尊王攘夷思想で一致団結して維新を成し遂げた。
国家が危機に陥ると、日本で生まれてくる、
純化と動員の思想
について鋭く指摘した名著。
この思想と行動の克服が不十分なまま、より劣悪コピー版が生み出されているというのは、昨今のサナ活や、参政党ムーブメントを見ていても感じるのではないか。
日本人には主体性がない。個人が自立した意思決定主体として行動するよりも、集団の空気や秩序に従う傾向が強い。立憲民主主義も、血を流して民衆から生まれたものじゃない。
結局日本人は、外圧による開国をするか、排外主義による「敵の設定」を行い内側に塞ぎ込んで自滅するか。
あるいは開国派と閉鎖的勢力のねじれ、内戦、ゴタゴタか。
- 近代的主体形成の遅れ
- 歴史的学習の欠落(断絶)
- 外圧と共同体純化
がキーワード。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



