孫正義は、
「夢と志は違う」
と言いました。
夢というのは、個人的な範囲。
志というのは、他人の願望も叶えてあげようというスケールのでかい範囲。
自分の範囲で満足するのではなくて、他人の願望や欲望までも満たしてあげようというスケールのでかい発想をすることが大事、と彼は言いました。
だから彼は、
「夢と志の区別」
に拘ります。
まさに、こういう発想が大事です。
人生、どこで何をするにもモチベーションが大事です。
成功はモチベーションで決まります。
モチベーションのレベルや質で決まります。
- 自分が食べるために働く
- 家族を路頭に迷わせないために働く
という低いレベルのモチベーションだと、人はある程度のレベルまでしか頑張れません。ある程度のレベルの事しか成せません。
多くの庶民が、
結婚したり子供を産んだり、
マイホームローンを組んだりするのは、
実際のところ
「逃げられない理由を作るため」
というモチベーションの観点から説明できます。
多くの人たちは、自分の尻を叩くために、自分を逃げられない状況に追い込んでいるのです。
人間、誰もが生きてることが辛くなる時がある。死にたくなる時がある。
それよりマイルドな段階として、
「なんとなく鬱屈している」
「モチベが上がらない」
「楽しくない、つまらない」
「何のために生きてるのかわからない」
という感覚がありますが、これは25歳以上、30歳以上になると顕著になります。理由は人生に新体験が減り、同時に恋愛などの賞味期限が切れていき、面白いことが減り、キャリア的にも選択肢の幅が狭まっていくから。
大体、このフェーズで人は結婚などを求めます。モチベーションを家庭に求める。
何より、人は生きる年数が多くなると、
「自分にはできなかったこと」
という失敗体験のデータが蓄積されていきます。成功体験より失敗体験の方が多い。勝ち組が勝ち癖をつけていく一方で、負け組は負け癖をつけていく。努力したのに報われなかった徒労感の記憶だけが増していく。
すると無難な道に走りやすい。
そこで、ポイントがあります。
- 嫌な体験をさっさと忘れる、切り替える「忘却力」
- 嫌な体験を快感に変える「ドM力」
私は、記憶力が悪いです。この記憶力の悪さは受験勉強の類では不利ですが、人生はまぁまぁ有利に働いています。というのは、嫌なことや恥ずかしいことをさっさと忘れてしまうからです。
忘れられる人は有利です。
それから、嫌な体験や逆境を楽しめる、プラスに捉え直せる力。これも大事です。
「解釈遊び」ではなく、事実として、何らかのプロというのは、その実力は乗り越えたピンチや逆境の蓄積です。強い人たちというのは、そういう状況でも形勢を逆転させるようなパフォーマンスができます。往々にしてこれはオーディエンスを感動させます。
もし、選んだ道に、「プロフェッショナルとしての意義」を感じていれば、辛いことや嫌なことが将来的に実力に変わるということ、何より自分が今、映画で例えれば見せ場であるという意味づけができるでしょう。
食べるために働く、とか、
生活のために働く、とか、
家族のために働く、というモチベーションだと、
人間は到達できるレベルが知れてるのです。
また、こういうモチベだと、「保守的」になります。挑戦的になりません。
孫正義のように、数々の博打を成功させて、不屈のバイタリティで走ってこれた人たちは、本気で、志を持っている。
志の観点からやるべきことをやっている。
だから、個人的に負担がかかりプレッシャーによって圧迫されそうな場面でも突っ走ってこれているのです。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。