健やかなる時も、病める時も、喜びの時も…..

「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

…….。

人生の中で、私は、あらゆるものから逃避してきた。

例えば学校のお勉強。お受験。就活。社畜生活。理由はシンプルだ。取り組む価値が無いと思ったから。そこにロイヤリティーを示す気になれなかった。お見合い結婚を強制され、結婚する気になれなかったみたいな感覚。

 

そんな私は、人生で一度、とことん窮地に立たされ、決断を迫られた。本当に欲しいものは何かという問いに対して、自分の全力を振り絞って『これが欲しい』と示すこと。そこに必要なのは、強い意志。

そして、マーケティングと結婚した。

マーケティングと結婚した理由は何だろう。そこには、私が考える結婚観がある。

「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

………….。

学歴というカードも、資格というカードも、就活というカードも頼りにしなかった私。そんな私がなぜマーケティングにはコミットしたか。

そのヒントがここにある。

 

結婚や求職というテーマの中で、常に話題にされること。年齢、若さ、居住地、健康状態、現在の財政状態などなど…..。

あまりにも条件付きである。条件付きの世界に必死になって飛び込めば、その後もずっと苦労があるに違いない。出口がない。終わりが無い。

某掲示板にてこんな書き込みが散見された。

 

『30過ぎると厳しい』『残り物には訳がある』『低収入男と結婚しても女の人生は墓場…..』『男の場合、低収入だと結婚できない』『20代後半までは焦ってたけど、30過ぎたら結婚願望無くなった』『30過ぎたら一気に結婚の話が無くなった』

こういう現実的なフレーズに触れて、心に影を落とす人は多い。

ただ、私の目を引く書き込みがあった。

『そもそも結婚というのは、良い状況をキープできる人とするのでは無くて、悪い状況になったとしても持ち直せると思える人とするもの』

…….。

そうそう、それな。

それ。

それだよ。

 

人生というヘルロード。

いつ死ぬかわからない究極の状況。決死のサバイバル。地獄の釜を何度も開け、時に死神と契約を交わし、道無き道を目隠しで進む。一寸先は闇。

そんな中で、唯一、頼りになるものはマーケティングだった。

 

挫折経験も修羅場も無い、順風満帆なキャリアのスタートを切った若者が、その延長線上で華々しい結婚式を挙げる。白い砂浜で正装し舞い上がる若い2人は幸福の最中におり、まさに人生のピークと言える瞬間を迎える。エリートではなくデスペラードである私の人生観は、職、恋愛、友人関係、親子関係、その全てにおいて絶望をベースにしている。

『幸福な人生に必要と思われるあらゆるすべてのものを失っても構わない。だから、俺に、自由をよこせ。』

そうやって、マーケティングの神様と契約をした。幸い、その後は圧倒的な余暇が生まれ、失ったはずのものがいろいろと手元に帰って来たのだけれど。

暗闇の向こう側に待っていたのは、美しい世界。心境としては、この世に天国は存在していたんだ…..と思わず呟きたくなるほどだった。

 

生きることは難しい。

 

私が学歴や資格というカードを切りたいと思わなかった理由。出世レースに乗りたいと思わなかった理由。単純に、使えない手札なのである。

「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

………。

出来ない。苦楽を共にすることが…..できない。人生は常に、最悪を想定しなければならない。チャレンジにあたっては最も考えうる最悪を受け入れる必要がある。

それこそがまさに『結婚』だと思う。覚悟だと思う。決断をするということだと思う。

結婚する価値が無い。ロイヤリティーを示せない。そう思えるカードが世の中にはたくさんあって、どうしても拾う気になれなかった。悪貨は良貨を駆逐するから。あらゆるカードが、積み上げを前提にしていて、やり直しを許容せず、トラブルに弱い。転落に弱い。

苦難を共にしようと思えない。できない。

愛は汚物を前にして、どういう心境になるかで測れるところがある。好きかどうかよりもむしろ、嫌なことを受け入れられるかどうか。

マーケティングに殺されかけた私は、どうやら、マーケティングと結婚できたようだ。そして今、マーケティングによって生かされている。

幸福を得ている。

 

どれだけ有名大学を出ようが、有名な会社で働こうが、健やかなる時しか栄華を誇ることはできない。心身の不良でドロップアウトし、それが原因で家庭が不仲になって別れるに至ったケース。そういう知人の例を何度か見た。

奥さんと結婚した理由、『入院した時に看病してくれたから』とか言ってたっけな。

ばーか。

そんなベタで浅はかなやつに騙されてるんじゃねーよ。

 

この際だから余談も。

結婚できなかった人間に問題があり、普通の人は結婚できてるみたいなテキトーな言説。

マジで鵜呑みにしない方が良い。

サラリーマン界隈の話とそっくりだ。大企業に就職できなかった奴は…..みたいな系の話とそっくり。結婚して、就職して、毎夜、泣いてる人がたくさんいるのを知らないのだろうか??

そもそも、この世界に100%は無い。確率の不運に捕まって結婚できない事例はごまんといる。起業もそう。不運で失敗するケースだってあるんだ。

何の罪も無い人間が、落雷で死ぬのがこの世界。単に、最適なタイミングで最適な人と出会えなかったというだけで、結婚できなかった人なんて腐るほどいることと思う。

どんな人間にも、ランダムでの成功・失敗は降りかかる。明日車にひかれて死ぬかもしれない。明日の朝、郵便ポストに裁判員の招聘通知が来るかもしれない。宝くじで1万円当たるかもしれない。

 

フリーターやニートに対する否定とマウンティングは、苦難の日々を過ごす人が自分自身に言い聞かせるような気持ちで放ったまじないかもしれない。女社会の既婚・独身カーストも同じこと。

そもそも、独身が問題ありで既婚が問題無しだと本気で思うのか?

遊びが足りてねぇぜ。果たしてどれだけの既婚女性が旦那の目を盗んで、他の男のペニスを咥え、ベッドで喘ぎ、SNSを通して乳を曝け出していると思っているのか。

流石に既婚者に手を出したことは無いけど、なかなかの既婚者たちがなかなかのことをしていると思う。既婚であることを隠して言い寄ってくる女なんて腐るほどいる。知人、友人を介せば、ゲスな話はいくらでも聞く。人妻と妻帯者が、あちこちで淫らな関係を、、、なんて話はいくらでも耳に入ってくる。あれ、日本ていつからフリーセックスの国になったっけ、って錯覚するほどだ。

 

結婚焦ってる女に騙されて結婚し、しばらく経ってゲンナリしてバツがついてる男なんてたくさんいる。最近も、私の元に『●●、離婚したってよ〜』みたいなどうでもいい話が。

就活も結婚もそこはスタートでしかない。

華々しいところにエントリーしていきながら、その中でもがき苦しんでいる人や失敗したと思ってる人なんて腐るほどいる。

ドロップアウトしていっている人なんか、腐る程いる。

 

PS

イキナリ結婚するやつはいない。交際期間があって、その前にもステップがあって。仕事に関してもそうなんじゃないかな。人生全般、そうなんじゃないかな。

ワンナイトラブならぬ、ワンナイトジョブしまくりたいよね。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。