小説家になりたい奴と、小説を読む奴には決定的な特徴がある。
それは、両者が社会の負け組であることである。
君がベストセラー作家、ロングセラー作家になりたいのであればこの事実を見つめることだ。
私はこれまでに、
小説が好きだ
という女性で美人を見たことがほとんどない。
理由は単純。
見た目が良かったら「リアル」の方が楽しいから。
以上。
本なんか読むより外に出る。
外に出た方が楽しいことがある。
今はインスタで外見をひけらかせばもっと楽しいことが起こるだろう。
例外があるとしたら、「家柄」ケースである。
親が文教的、育った家庭が文教的。
家柄がガチで良いガチの美人、ガチのリア充女は面倒なのでインスタをやらなかったりするが、そういう女はそれはそれで自分の趣味を持つだろう。
また、勝ち組は時間にシビアだ。
分単位で仕事に追われる経営者、高給ビジネスパーソンがダラダラ小説なんか読むだろうか?
彼らの時給を考えたことがあるか?
リア充が小説を手に取ってくれるのは話題になった時だけ。
基本的な小説の消費者は社会の負け組である。
「どこのどんな奴が読むのか」
ということを意識しないで、現存する既存マーケットに従い、既存のルートでアクセスしようとしても、よっぽど才能がない限り一生日の目を浴びることはない。
漫画を読む奴は年収が低いという確固たるデータがある
エンターテインメントの中で、漫画は最も安い部類に入る。
単行本も、ジャンプのような週刊誌も、めちゃくちゃ安い。
だからどんな貧乏も楽しめる。
地方の末端まで伝播する。
一方で、
- 乗馬する
- スカイダイビングする
- シュノーケリングする
- ゴルフする
などはハイソな遊びになる。
ハイソな人間はハイソなエンタメに流れるという現実をまず意識した方が良い。
仕事に命を捧げている人間も、エンタメを通して人を接待していたり、出会いがあったり、仕事につながる何かが得られるものを求めている。
だから純文学や小説に興味がない。
ある程度の年齢になった大人にとって、最も楽しめる遊びは映画になる。
中流一般だと、映画が主要なエンタメだ。
映画に支出する金額割合はエンタメの中では一番になる。
おそらく、「デート」として成立するからだろう。
週末、パパが子供たちを連れて行く遊びの中でも、総コストがそれほどかからず、時間を潰すことができる。
そこに人との交流がある。誰かと共に楽しむという要素がある。交流しながら楽しむというものである。
USJが映画のテーマパークとしてオープンしたのはそういう理由がある。
テーマパークは1人で行くのにも向いておらず、デートや家族向きである。よって、社会のメインストリーム、中流層に好まれる。
では、小説は一体どこの誰が好むというのだろう?
売れている小説家はそこをよくわかっているからプロになれている。
小説は思い込みの激しい「孤独な」負け組が読む
低級娯楽二大筆頭である
- 漫画
- 小説
において、
社会のメインを占めるのが漫画である。
なぜわざわざ小説など読むのだろう。
小説を読むのはどんな人間だろう。
それは、思い込みの激しい負け組である。
特に孤独な負け組である。
漫画の場合は、作者が、
- イメージ
- 構図
を全部指定してしまう。
一方で小説の場合は、勝手に妄想ができてしまう。
さらに小説にはコミュニティ性がない。
音楽にはライブがある。映画には誰かと行くというデート機能がある。ゴルフなどのハイソなエンタメもそうである。
しかし小説は違う。
小説は絶対的負け組か、
時期的に一瞬だけ負け組になる環境にある者、例えば僻地の大学の近くに安アパートを借りて孤独に暮らす学生などが消費をすることになる。
ここを意識して小説家にはなれない。なぜなら商業ベースに乗らないから。ビジネスにならないから。趣味で終わるからである。
世界で最も売れた書物である聖書、世界で最も売れた小説ハリーポッター、どのどちらも「現実逃避」
世界で最も売れた書物は聖書である。
世界で最も売れた小説はハリーポッターである。
どちらも読み手が「現実逃避」するものである。
また、ハリーポッターの書き手に至っては、彼女もまた「現実逃避」するために書いていた。
フィクションなど、何の生産性もない。
ノンフィクションとは違う。
得るものがない、教育的効果がない。
となればあるのは現実逃避だ。心の治癒だ。
「村上春樹を読む人間は仕事ができない」
誰かが言っていたけれど、
「村上春樹を読む人間は仕事ができない」
らしい。
すごく言いたいことがわかる。
実例も浮かぶ。
現実逃避か、やばい現実を生きる人間か
現実逃避がフィクションの基本になる。
それか、ノンフィクションも入れていい、「作家という大きなくくり」で考えても良いのなら、やばい現実を生きる人間もベストセラー・ロングセラー作家になれる。
理由は単純。
ネタがあるからだ。
ガーシーの本がすごい勢いでヒットしたのもそうだ。彼はやばい現実を生きている。
ただし、やばい現実と言っても、その人の認知やキャラが倒錯的、狂人的であれば、論理や構成の産物である書物という形にならない。だからこの手の珍獣は基本的に芸能人・タレントとして生きることになる。youtuberもそうだろう。いわば見せ物になる。
また、セミナー業でもやった方が換金効率が良いかもしれない。
そして例外が、「構成力」がある人間
そして例外が、構成力がある人間である。
ゲームデザイン能力に優れた人間である。
要は企画力がある。
実は、世の中には、もともと作家になりたかったが、なれずにビジネスの世界で大成したという人間がいる。
例えば、
- wantedly創業者
- 堀紘一
などがそうであるが(他にもいる)、彼らは、「構成力」があるのでそれを別の創造的フィールドに持ち込んで成功した。
ノンフィクションの世界にも創造的構成力は大事であるが、そもそも消費者の大半がハイソではない時間を持て余した負け組であって、最重要はそこではない。
詳しくは「the my way 〜西園寺診断〜」を参照して欲しいが、適性というのはあるのである。もっとこの適性を別のフィールドに生かした方が弾ける、というのはある。
構成力はストーリー性に生きるので、
- 動画コンテンツの世界
- ビジネス立案の世界
に人材が流れていく。
ってか、広い意味で任天堂さんとも競合しているという意識がないとしんどいよ。
活字媒体の優位点は情報収集のスピードにある。にもかかわらず小説はスローダウンを求める
ビジネス界隈の人間で、情報収集を活字に求めている人たちは、動画を嫌う。
動画全盛の時代において、いまだに、ノンフィクション界隈では活字コンテンツは好まれている。
なぜか?
それは、活字は
- 自分のペースで進められる
- 総覧性が高い
- 情報吸収が早い、すぐ読める
という特徴があるからである。
特に、活字の情報吸収効率は好まれている。
一方、フィクション文学、小説の世界は、活字を与えながら、ゆっくり時間を過ごさせようとする媒体である。
不思議なことに、
- ビジネス → 時間あたり情報量が活字の方が多い
- エンタメ → 時間あたり情報量が動画の方が多い
という「真逆」の現象が起こる。
フィクションは動画の方が多方面で刺激できる。
フィクションは刺激が大事だからだ。
だから活字媒体フィクションエンタメは動画に勝てない。
麻布競馬場にも小説のパイは奪われた
https://twitter.com/63cities/status/1609491839320719362?s=20&t=n_ijgbuwtGuIbtiIVok6cg
現在の人々の活字への欲求、
旧来あったようなライトノベルへの欲求は、
Twitterに奪われてしまったと思う。
もはや、書き手も読み手もTwitterに集まる。
そこで人は面白いことを言おうとする。
面白いものを読もうとする。
そこでバズが発生すれば、本格的にマネタイズに移るというのが現代的な流れだ。
だから今は小説賞に応募するより、ツイッターで投稿していた方が良いかもしれない。
「フィクションでありながら、ノンフィクションもある」+「ネットでバスる」
というのが現代的だ。
古い頭のあなたの知らないところで、旧来あった需要は吸引されている。代替されているのだ。
きっと君は、優れた小説作品を応募しているだろう。そして一生売れないだろう
応募倍率から考えて、小説の世界で君が売れる確率は0.01%以下。
小説賞の倍率はそのぐらいだ。
売れたとしても、「売れ続ける」のは困難だ。
君が専業小説家になる確率も、そしてその後それなりの稼ぎになる確率も相当低い。
そしてそこをわかってないのが君らしいところだ、つまり現実逃避だ。
口では
「厳しいのはわかっている」
と言いながら、実際はわかっていないのだ。
小説賞界隈での評価基準や、現行・これまでの小説界隈の空気に浸り、
「優れた小説」
なるものを描こうと考えているのは、マーケティングセンスに欠ける。
多分、本来ならば今の時代、
人を現実逃避させまくって励ますようなノンフィクション
であれば望みがあるかもしれない。
書き手も、読み手も、「孤独」にペン一本、本一冊で「人生の鬱屈」や「持て余した時間」を何とかしようとしている思い込みの激しい似たもの同士であることを前提に、、、、、。
ところがその枠は、youtuber上がりのインフルエンサーが書いたような本に市場が奪われている。
自己啓発は実はノンフィクションの仮面を被ったフィクションだからな。
- 現実逃避
- やばい現実 ← (ノンフィクション枠になってくる、タレント化しやすい)
- 構成力 ← (ただし換金効率が良い別のフィールドに行く)
そういうことだ。
推理小説が廃れたのは、あのような書き手や才能が、別のフィールドに流れたからだろう。
小説・ラノベのような文章媒体の娯楽コンテンツは、単位時間あたりの娯楽量が少ないことに加えて、娯楽を得るために多くの労力を必要とします。
有料販売されている書籍については、 1 冊 700 ~ 1500 円が一般的な価格です。小説投稿サイトに訪れれば、無料で投稿小説を読むことは出来ますが、質はピンキリです。
正直なところ、娯楽コンテンツとしては貧弱すぎます。単位時間あたりの娯楽量に対して、労力が割に合いません。
そうだと言うのに、有料書籍は 700 ~ 1500 円なので、なおさら割に合いません。
動画媒体の娯楽コンテンツは、単位時間あたりの娯楽量が多く、支払う労力が少ないです。受動性は抜群であり、仕事帰りで疲れていても、ソファーや布団に寝っ転がりながら楽しめます。
動画媒体の娯楽コンテンツは、広告やスポンサーから収入を得ているため、消費者に対して料金を請求しないことが大半です。
ゲームコンテンツにしても、課金やダウンロードコンテンツで収入を得るビジネスモデルが主流になりつつあります。
スマホゲームやオンラインゲームは、基本的に無料で遊べます。
据え置きゲームのソフトにしても、コンテンツ量や総プレイ時間を考慮すると、小説・ラノベよりも安上がりです。
小説・ラノベは、『単位時間あたりの娯楽量』と『娯楽を得るための労力』の2点で非常に不利だというのに、『料金』の点で差別化できていません
つまり、小説・ラノベは、動画媒体の娯楽コンテンツに確実に負けます。
https://ノマドクリエイター.net/future-of-novels-and-light-novels/#index_id1
小説家向いてる人
小説家 目指す 年齢
小説家 やめとけ
作家になりたい人が多すぎる
小説家になれる人 なれない人
小説家志望 末路
ラノベ作家 向い てる人
小説家 年収
小説家 有名
小説家になるには
小説家 人気
小説家 一覧
小説家 ランキング
小説家 名前
小説家になれる人
小説家 有名人
===
"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。