#23(西園寺帝国大学) 生きてる意味とは?人生終わって気づく、結婚と恋愛の難しいところ

▼: 人生終わってから気付く、結婚と恋愛の難しいところ

 

冷静に考えて、

男女にとって、

お互いが理想なわけがありません。

必ず、お互い、妥協があるはずです。

妥協するから、妥結します。

 

地球上の男女パートナーは、お互いがお互いに、理想ではない。

 

 

ほとんどの人にとって今の仕事は理想ではなく、

ほとんどの会社にとって労働者は理想的な存在ではない。

 

 

だからこそ、

お互いにリスペクトがなければ、

破綻するようになっています。

お互いにコストを支払わないといけません。

 

 

難しいのは、

相手は別に、

自分じゃなくても他の人を見つけていただろう、ということです。

独占することも難しく、

ずっと好きでいてもらうことは難しい。

 

マーケターは、お客さんを独占したり、ずっと好きでいてもらうことができると誤解します。

これは、恋愛においても同じ。

みんな、恋愛結婚で、幻想を抱いている。

 

ずっと遊ばずにエリートコースを生きてきた人は、

中出しの快楽にやられて、

さらに相手に

「選ばれた」

という感覚や、

「この関係は運命だ」

という思い込みによって結婚街道を突き進みます。

 

 

例えば、生まれて25年非モテ童貞だった人が、

エリートコースに乗り、

女性と生エッチをはじめてして、

「大好きだよ、中に出して」

などと言われて、

「ずっと一緒にいたい、愛してる」

みたいになると、自分の存在意義を感じてしまうし、

DNAレベルで湧き上がる生の喜びに身を浸すでしょう。

そして、新婚ハイになるでしょう。

 

 

しかし、その先で、現実に気づくのです。

 

_______

本当の意味で、

自分でなければならない役割など、

この世には存在しないからです。
_______

 

歳を重ねるほど、会社にとって、地球にとって、自分がいてもいなくても変わらない存在だと気づくでしょう。

これは恋愛関係においても同じです。

 

人が子育てにハマるのは、

子供にとって親は絶対なので、

自分の存在の絶対性を感じられるからです。

 

でもそれは、その思いが強いほど、子供が自立するとしんどいでしょう。

 

誰かにとっての自分が、

「特別な存在である」

ということに、アイデンティティや生きがいを見出すと、しんどくなります。

 

 

大体人は、

・結婚、恋愛
・子育て
・仕事

のどれかのアクティビティに、「自己重要感」を見出して、

希望を持ち、最後は絶望し、悟るという末路が待っています。

 

 

 

 

いてもいなくても同じ。

生きていても、死んでも同じ。

 

「自分には価値がある」

「自分は誰かにとって特別な存在」

「自分にしかできない役割がある」

 

そういう幻想を持つほど、絶望の反動がやってくるでしょう。

 

 

恋愛や結婚では、

そのような勘違いの果てに、

一方が過大なリスク・コストを背負うことがあります。

そもそも人生の時間は有限です。

 

結婚はもちろんですが、

交際相手を持つことも、

セフレを持つことも、

人生を拘束することになります。

 

その代償を支払ったとて、

最後に得る悟りは、

「いてもいなくても同じ」

という、

俯瞰した視点からの、

自分の存在意義です。

 

だからこそ、俯瞰、客観ではなく、

主観として、

「楽しい!(have fun!)」

を持てる人生は、魅力的だと思うのです。

 

正しさの犠牲に、楽しさを失うことは良くないと人生論でよく言われます。

しかし、楽しさの犠牲に、正しさを失うことも生きづらさを加速することがあります。

 

あなたは、

何を持って、

自分の人生を、定義しますか?

 

人生の大きなテーマは、就職と結婚だと思いますが、

私は、これらのアクティビティは、

「自己重要感を感じたい」

という人間の欲望によって、

多大なるコストを払わされる仕組みになっている気がしてならないのです。

 

結構、若い段階で、この悟りを得ました。

 

「会社は必ず君を裏切る」

とか

「結婚は人生の墓場」

とか、

そういうことが中高年の人たちの心にあるのは、そういうことだと思うのです。

 

起業家や経営者が、

歳を重ねても、

かなりバイタリティがあったりするのは、

社会・世の中に対する影響力を介して、

自分の存在意義に対する空虚さを埋められるから・・・・なのかもしれません。

 

 

生きてる意味を見失う時、

ここまで触れてきたような

「誰かにとっての自分の存在価値」

みたいなものと、

あとは純粋に

「楽しくない、面白くない」

みたいなものが関係している気がします。

 

他者との関係に生まれるものと、

自己完結的なものでしょうか。

 

 

 

太平洋戦争の時も、

私たちの先祖は、2つのパターンに分かれる人間がいたそうです。

 

個体最適か、

全体最適か。

 

国のために死んでも良い、

そう思う人たちは、

子々孫々のことを考えていた。

 

国や社会や家庭のために生きる人たちは、

そこに誇りを持っているはず。

 

でも、その誇りも、喜びも、自己満足的なものなのかもしれません。


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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




"make you feel, make you think."

 

SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)

新たなるハイクラスエリート層はここから生まれる
         




Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。