細木数子は生家が売春斡旋店

 細木自身は現在、生家が置屋まがい(『娘茶屋』が売春婦を抱えていた)だったこと、自らポン引き行為をやったことなどは認めるが、「売春まではやっていない」と主張している。自分は兄が言うような「パン助」ではなかったというのだ。

おそらく細木自身は売春しなかったのだろうが、ポン引きも売春と五十歩百歩、かえって悪質さは上かもしれない。どっちにしろこういう女性が50年後、公共の電波を使って「30にもなってバッカじゃないの」などと出演者をののしり、人生訓を垂れている

https://bunshun.jp/articles/-/88069?page=3

 

昭和・平成の女帝というか、2000年代までは、地獄の戦後を生き延びたモンスターみたいな日本人がまだ残っていた、ということだね。

地獄の時代だから仕方がないとはいえ、凄まじい人生である。

 

ただ、今の売女風情より立派なのは、稼いだお金を軍資金にして次々とビジネスにつなげたことだ。

喫茶ポニーに始まり、のちにはスナック?キャバレー?のママになる。

その後は島倉千代子ビジネスに、占いビジネス。

そしてテレビタレント。

 

凄まじい成り上がりである。

 

 

細木数子・人生年表

年齢 何をしていたか
0歳 1938年 東京・渋谷に生まれる。公式プロフィールでは東京都渋谷区出身。
6歳 1945年 父・細木之伴が病没したとされる。戦後の渋谷で育つ。
16歳頃 1954年頃 「ミス渋谷」に選ばれた、宝塚音楽学校に合格したが入学辞退した、などのエピソードが伝えられる。高校は中退したとされる。
17歳頃 1955年 東京駅高架下でスタンドコーヒー店「ポニー」を開いたとされる。ここから、かなり早い段階で商売・水商売・接客業の世界に入る。
18〜19歳頃 1956〜1957年頃 「ポニー」を売却し、新橋近辺でクラブ「潤」を開いたとされる。若くして店舗を作って売る、という動きをしている。
20歳 1958年 銀座にクラブ「かずさ」を開いたとされる。後年の「占い師・タレント細木数子」の前に、まず銀座の女主人・実業家としての時代がある。
25歳 1963年 客からのプロポーズを受け結婚したとされる。相手は静岡の眼鏡店の後継ぎ息子とされる。
27〜28歳 1966年 離婚。結婚生活は短く、3カ月で婚家を出たとされる。
30代前半〜半ば 1960年代後半〜70年代前半 銀座・クラブ経営、人脈形成、芸能・政財界との接点を広げていった時期と見られる。ここは細部に諸説が多い。
37歳 1975年 島倉千代子の多額債務問題に関わり、後見人的立場で処理に関与したとされる。島倉の興行権・レコード販売権・不動産などに関する記述もあるが、このあたりは評価が分かれる。
39歳 1977年 芸能プロダクション「ミュージック・オフィス」を設立し、「光星龍」名義で社長に就いたとされる。島倉千代子のマネージャー的役割や作詞にも関わったとされる。
44歳 1982年 独自に編み出したとされる「六星占術」に関する本を出版。ここから占い師・著述家としての細木数子が本格化する。
45歳 1983年 銀座クラブのママ時代、陽明学者・安岡正篤と知り合い、婚姻届をめぐる騒動が起きたとされる。安岡の親族が婚姻無効を申し立て、のちに婚姻無効の和解が成立したとされる。
47歳 1985年 『運命を読む六星占術入門』がベストセラーとなり、六星占術ブームが本格化。ここで「占い本の人」として大衆的認知を獲得する。
50代前半 1980年代後半〜90年代前半 六星占術関連の著作を次々出し、占い師・作家として大きな商業的成功を得る。公式サイトでは、著書累計1億部超、「占い本世界一」としてギネスブックに連続掲載と紹介されている。
54〜55歳 1993年 先祖供養・墓石購入をめぐって「高額な墓を買わされた」とする訴訟が各地で起きたとされる。細木数子の活動には、このような批判・トラブルの側面もあった。
50代後半 1990年代 表立ったテレビ活動は控えめだったとされる。一方で『料理の鉄人』などには出演していたとされる。
61歳 1999年 ミッチー・サッチー騒動の際、野村沙知代側に近い立場を取ったとされる。芸能界・ワイドショー的な場でも存在感を持つ。
65歳頃 2003年頃 人生相談系の特番が高視聴率を取り、テレビ露出が急増。「視聴率の女王」と呼ばれるようになる。
66歳 2004年 TBS系『ズバリ言うわよ!』、フジテレビ系『幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜』など、レギュラー番組で大ブレイク。『ズバリ言うわよ!』は2004年8月開始時17.4%、2005年には最高23.5%を記録したと報じられている。
67歳 2005年 テレビタレントとして全盛期。「地獄に落ちるわよ」「あんた死ぬわよ」的な強い言い回しで、賛否を呼びながら人気を集める。
68歳 2006年 『幸せって何だっけ』も最高視聴率20.5%を記録したとされ、テレビでの影響力はピーク級。
69歳 2008年 3月いっぱいでテレビレギュラーを終了。本人は「六星占術を世の中に出してから30年」「身辺整理」「原点に戻って充電」と説明した。
70代 2008年以降 表舞台からは距離を置き、六星占術のブランド・著作・事務所活動は継続。後継者として細木かおりが前面に出ていく。公式プロフィールでは、細木かおりは母・数子のマネージャー兼アシスタントを経て六星占術の継承者になったとされる。
80歳前後 2018〜2019年頃 細木かおりへの継承がより明確になる。細木数子本人は晩年、家族との時間を大切にしていたと娘が語っている。
83歳 2021年 11月8日、呼吸不全のため東京都内の自宅で死去。家族に見守られながらの最期だったと報じられた。

ざっくり見ると、人生は4段階

第1段階:0〜20代前半
渋谷で育ち、10代で高校中退、喫茶店・クラブ経営へ。普通の学歴エリートではなく、かなり早くから商売・接客・人脈の世界に入っている。

第2段階:20代〜30代後半
銀座のクラブ経営、結婚・離婚、芸能界・政財界との接点形成。ここが細木数子の原型。占い以前に、まず「人を読む」「人脈を作る」「金を動かす」世界で生きていた。

第3段階:40代〜50代
六星占術を出版し、占い本で大成功。1985年頃からベストセラー化し、「占い師・著述家」として巨大なブランドを作る。

第4段階:60代後半〜70代
テレビで爆発的に売れる。普通なら引退に向かう年齢で、むしろタレントとしてピークを迎えた。ただし2008年、69歳でレギュラー番組を降板し、表舞台から退く。

一言でいうと、細木数子は、
10代で商売、20代で銀座、30代で芸能興行、40代で占い本、60代でテレビ女王
という、かなり特殊な「遅咲きではなく、何度も業態転換した人」です。

 

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西園寺貴文(憧れはゴルゴ13)#+6σの男

   




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(Saionji General Trading & Business Development)

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Lose Yourself , Change Yourself.
(変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れられる冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、見分ける知恵を与えたまえ。)
 
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。