お父さんを神、絶対君主のように崇めている家庭で育った娘、息子は必ずいい子に育つが、お母さんが尻に敷くスタイルの家庭で育つ娘、息子は崩れやすく、また、家庭そのものが崩壊しがち
大阪のおばちゃん的な家庭以外
しかも、大阪のことを良くわかってる人はわかると思うけど、大阪の女、関西の女はああ見えて中身はめちゃくちゃ女で、ツンデレ気質なだけだし、変化球的に男を立てている
歴史的に女が権力を握った国家も崩壊している
自浄作用が働かない
女だらけの職場も腐敗しやすい
お母さんがお父さんを蔑ろにする家庭で育った娘は、自ずと女子高生、女子大生、社会人年代になると恋愛に困っている傾向にある
病んでいる、悩んでいる
ここには幸せになれないパラドックスが潜む
お父さんが暴君の家庭に育つ娘は、
- もうお父さんと住みたくない
- もうお父さんの顔を見たくない
などという展開になっても、社会人になると、相応に相手を見つけて恋愛結婚で幸せになっている
下心等々完全なしで男が女に厳しさを与えられる機会は父親との接点以外ないのである。
お父さんのことが好きか、お父さんと仲が良いかと、娘がまともに育つかは関係がない
むしろ、お父さんと異様に仲良い娘は、お父さんがパパ活よろしく、娘にべったりしすぎてたり、仲良しであることを誇りすぎてそこに固執してる可能性がある
娘がおかしくなるのは、父親に性暴力を振るわれたとかいうケースであって、
たとえ暴君性のそれであったとしても、
父親の威厳が保たれている家庭で育った息子、娘はまともに育つ
ところが、お父さんが蔑ろにされている家庭で育った息子、娘は必ずおかしくなる
というか行き詰まる
本質的に家庭と学校は、クソオヤジと接しながら、のちの人生を耐える『相対的にマシと思える物差し』を手に入れる過程である
すなわち、女というものは、
規範なくして野に放たれると
どこまでも腐りやすく、その腐った本性を露呈しやすい生き物
なのであり、
自由奔放に生きれば生きるほど、自らの腐った本性で自らの首を絞めるというパラドックスかにハマりやすく、
いかに幼少期から性的に魅力を備える年代までに厳しくしつけたかによって、後の育つクオリティが決まる
女は、女としてチヤホヤされるようになってからはもう遅く、
その前にいかに躾けたかで全てが決まる
ここしかないのである
ここの躾で、父親が厳しかった、暴君だった女性は、
相対的に世の男がマシに見える上、
父親を通して社会の厳しさ、人間の厳しさを体感しているため、
その後の社会適応がスムーズであったりする
また、知的態度などもその頃までに形成される
女は犬と同じである🐶
犬は躾けなければ、
野に放たれ、狂犬として暴れ回り、殺される運命である
仮に自由奔放に育てても、天性のものがない限り苦労する
賛否両論あった占い師、故細木数子が、
父親の威厳が失われていくことを危惧し、
その中で日本の女たちが腐っていくことを予言したが
この点についてはまったくその通りの展開になった
すなわち、女とは、人生そのものが桜、バブルのようなものであり、
同性のBBAからは嫉妬、異性からは下心で接せられ、
基礎の規律がなければ
必ずといっていいほど身を持ち崩す人生なのであり、
唯一、基礎を与えられるのは両親なのである
そして、母親が父親を蔑ろにする家庭では、
父親が母親と娘の両方から攻撃されて縮小均衡する家庭では、
娘は結局、社会に出る前から社会に出た後と同じ体験しかできない
すなわち、下心なしの高い男性に規律を叩き込まれる経験がないまま野に解き放たれるのである
こうすると、タコが自分の足を食うかのごとく、自ら自らの首を絞めるかごとく、
不幸への道を自ら歩み進めるのである
家父長制は正しい。
あまりにも正しい。
なぜなら女は醜悪でバカだからである。
そして野に解き放たれればさらにバカになりやすい構造が世には溢れている。
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"make you feel, make you think."
SGT&BD
(Saionji General Trading & Business Development)
説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。